愛してはいたの


それがいつからとか、なぜとか、そんなことは問われても分からない。ただ、好きだった。あの人の欠点なら沢山挙げられる自信がある。だけど、どうしたって好きな理由だけはずっと分からなかった。
手を繋ぐ度、緊張が伝わってきた。キスをする度、深い愛を感じた。抱かれる度に求められていると思えた。その全てに応えたいと思った。応えてる、つもりだった。
高1の冬、告白してきたのは向こうだった。高校を卒業して半年、別れを切り出したのも、向こうだった。


「雅…?」


それなのに、まさか再会するとは思わなかった。
試合を見に来ておいてよく言うよと思うかもしれないけれど、ただ試合を見て帰るだけの私がプロ選手にエンカウントするなんて思わないじゃないか。

球団服を着ておらず、帽子を深くかぶっている。人が多いここではよく見ないと彼が御幸一也だとは誰も気付かないだろう。私だって普通にすれ違おうとする所だった。


「か…。久しぶり。」


念の為名前を呼ばないで返事を返す。周りは誰も私たちを気にしてはいないし普通に素通りして行くけれど。


「あー、元気?」

「うん。そっちこそ、元気?」

「おう。…1人?」

「友だちと来てる。」

「そっか。」


すっごい気まずい。なにこのよそよそしい、たどたどしい会話。というか、そもそも一也はなんで私に声をかけたのだ。自分から振った女なんて、見かけても素通りすればいいものを。


「時間、大丈夫?」

「っ…。悪ぃ、行くわ。」

「うん。応援してる。」


思えば、いつもこうだった気がする。一也の後ろ姿に手を振るだけの私。いつも、いつもこうだ。去っていく一也を引き止める術も知らなければ、むしろ行くように促していた。

今日の試合は友だちに誘われたから来たのだ。友だちは一也の相手のチームのファンらしく、応援席はそちら側だ。高校の時の一也は、私がどんな席にいても見つけてくれたけれど、流石に相手チームの方にいたら分からないだろう。
そもそも、今の一也が私を探してくれるわけないのだけれど。
友だちが応援する横で、バレないように一也のチームを応援する。別にどっちの応援で来たわけではないのだけれど、一也と会ってしまったから、応援したいと思ってしまったから、許してちょうだいね。なんて友だちに心の中で許しを乞うてみる。
高校の時から変わらない試合中の一也の表情に何となく安堵する。野球だけは一也の中で変わらない物である事に安心した。移り行く感情も、それだけは変わらないのなら良いのだ。野球をしている一也が1番一也らしいのだから。




*




その日の夜、珍しく私のケータイが鳴った。連絡無精の私に好き好んで連絡を寄越す奴なんてたかが知れていて、LINEが送られてくる事はあっても通話の呼び出し音が鳴るなんてないことだ。急用か、そう思って名前を確認することも無く通話をとった。


「もしもし?」

「…雅?」


あぁ。名前を見なかった事を一瞬で後悔した。日中にも聞いた声で呼ばれた名前に息が詰まる。


「…一也?」

「…また名前確認しねぇでとっただろ?」

「…バレた?」


私が連絡不精なのは昔からで、高校の時からLINEなんて1日1回開けばいい方で、未読無視も多かった。だけど、急用は電話してと常々言っていたから通話だけは受けていた。急用だと分かっているから、表示も確認せずに取ってしまうのはもう抜けない癖なのだ。
また、と言われたのが彼との時間がずっと続いていたかの様な錯覚に陥らせるからダメだ。言葉選びをどうにかして欲しい。なんて、そんな事は決して言えないけれど。
沈黙が時間を割く。あまりに気まずくて、何を話せばいいのか見当もつかない。そもそも何で一也は連絡を寄越したんだ。しかも通話で。というか、なんで友だち削除してなかったんだ。私もだけど。思う事は沢山あるけれど訊く勇気は無い。一也は私を振った男で、私は振られた女なのだ。私が未だに一也の事を想ってるなんて知らないでしょう。


「…雅。」

「…はい。」


通話は嫌いだ。返事をしないといけない。もし目の前に一也がいたら顔を上げて目を見るだけでいい。音を口から出す必要なんてない。


「会いたい。」


彼女でもない女に何を言ってんだ。そんな事を言われてしまっては期待してしまう。既に泣きそう。


「今からお前ん家、行っていい?」


こんな夜遅くに非常識、なんて空気の読めない事をいつもの私なら言うだろう。だけど、そうじゃない。口から出たのはうんという返事と、住んでる場所変わってないということだった。自分でも、驚いてる。期待してはいけないと自分に言い聞かせる私と、期待する私、どちらもいるのにどうしてこっちの言葉しか出ないのだろう。分かった、とだけ言って切られた通話。トーク履歴はとっくに消したから画面にあるのは今の通話時間の記録だけ。私のバーカ。傷付くのは慣れているけれど、今更針山に飛び込むようなことするバカじゃなかったはずなのに。

一也がどのくらいで来るのかなんて分からない。それまでずっと頭を抱えるのは癪だし、何か手を動かしていよう。というか、自分の晩ご飯を作ろう。一也が来るその瞬間まで考えるのをやめよう。
そう思ってたはず、なんだけどなぁ。


「…私のご飯なんだけど。」

「こんな美味そうなにおい目の前におあずけとか無理だわ。」


完成した瞬間、測っていたかのように玄関チャイムが鳴った。部屋に入れたら、一人分しかないそれを勝手に2つの皿に分けて無理やり二人分にされた。いいんだけどね、別に。夜ご飯は最悪食べなくても。


「いただきます。」

「…いただきます。」


なんでこんな事になってるんだろう。5年も前に別れた元彼と突然再会して、その夜に私の家で私の晩ご飯を食べる。この状況が意味分からなすぎる。


「…雅が変わってなくて安心した。」

「は…。」


はぁ?と聞き返す訳でもない、ただ意味が分からないという音だけが口から紡がれた。本当に、どうして会いたいなんて言ったのか、変わってなくて安心したなんて言ったのか、都合のいい方にしか考えられなくて困る。見るからに私一人分のご飯を無理矢理分けたのだって、時間稼ぎなんじゃないかなんて、思ってみたり。


「俺には雅が必要だった。別れてから酷く痛感した。」


多分私は、御幸一也という人間の短所はいくらでも言える。いくらでも、言えてしまう。弱点なんて見せないように小賢しく生きる一也の弱味を。愛されていた。だから、弱さを見せてくれていたのだろう。そんなことは知っている。


「何でも受け入れてくれる雅は、俺の事別に好きじゃないんじゃないかって思ってた。」


一也は私を知らな過ぎた。
私は何でも受け入れるわけではない。一也のことはちゃんと好きだった。好きだったから、受け入れられた。愛してはいた。ただ、一也のどこが好きなのかは絶対に分からなかった。そこに負い目を感じていた。一也は他の人と違う特別だと、それだけは分かるのに、どうしたってどうして好きなのかは分からないのだ。
どうしたら一也を引き止めることが出来たのか、別れてからずっと考えていた。


「…雅?」


食事中にする話じゃない。切り出した本人は箸を置いて、私の頬へ手を伸ばした。そしてようやく、私が涙を流していることに気付いた。


「雅が泣いたの初めて見たかも知んねぇ。」


驚いた様な、人が泣いてるのにちょっと嬉しそうなそんな声色で囁かれた。
私は基本涙脆いのだ。だけど、私の前で弱くなる和也の前では、いつも精一杯の虚勢を張っていた。


「私はずっと、一也のこと、好きだったよ。誰よりも、何よりも。」


ずっとずっと、愛してはいたの。私の前で弱くなる一也の前では常に強くありたかった。強いて言うならこれは劣等感だけでできた恋心。





2019/05/02


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