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トレードマークの様に高い位置で揺れていた髪と、揺るがない自信を携えたような表情。そのどちらも失った彼女はまるで別人の様だった。




夏休みが終わり、始業式の日に教室に入ってきた彼女を見てクラスがザワついた。普段、クラスの喧騒なんて耳に入ることなんて無い俺が目を向けるほどの空気の揺れ。
イメチェンとか、そういうのじゃないと思う。クラスの委員長である瀬川さんはいつも笑顔で、誰にでも、それは野球部でクラス行事に不在がちな俺たちにも他と同じ様に、分け隔てなく接する如才無い、そんなイメージだった。それがどうしたことか、下ろされたままの髪と笑顔ひとつを取っただけで近寄り難い雰囲気が出ている。
もう、思い出せないくらい、無機質な表情が馴染んでしまっている。


「それ終わったら部活に行っていいよ、あともう日誌だけだから。」


雰囲気は変わっても、中身はこれっぽっちも変わってない。
たまたま、日直のペアが瀬川さんと一緒だった。俺には彼女と何を話せばいいか分からないし、無言で黒板を消していたら、当たり前のように先に部活に行って良いと言う。


「俺も日誌手伝う、ってのは邪魔か。俺も日直だから最後までちゃんと付き合う。」


あんまり早く部活に行くと日直だと知っている倉持に何言われるか分かんねぇし、という言葉は飲み込んで瀬川さんの表情をうかがう。綺麗になった黒板に背を向けて、瀬川さんの座る席に1歩ずつ近づく。


「ありがとう。」


あぁ、これだ。うっすら浮かんだ笑み。これが瀬川さんの笑顔。
夏休みを挟んだだけで忘れてしまった彼女のその姿に、何故だか安堵する。瀬川さんの前の席に背もたれを跨ぐように後ろ向きに座って、水色のシャーペンを握る真っ白な右手を見つめる。なんとなく、瀬川さんに水色は似合わないと思ってしまう。多分、ピンクとか、そういう色の方が似合うと思う。


「…夏休みに何かあった?」


口に出してから、しまったと思う。ハッとして視線を手から顔に移せば瀬川さんはこちらを見て困ったように笑う。この表情は、初めて見たかもしれない。


「すっごい重い話をする事になるけど、いい?」

「聞いたの俺だし、瀬川さんがいいなら…。」


確か、瀬川さんの髪をまとめていたのは高そうな紺色のシュシュだった。何故だか急にその事を思い出した。ひかえめなゴールドのラインがよりその印象を強くしていた。髪型自体は似合っていたけれど、それもあまり、似合っていなかった気がする。


「8月2日に私の親友が死んじゃったの。」


ドキり。自分の心臓が鳴る音が聞こえた気がした。
クラスでは沢山の人に囲まれているけど、特定の人物とつるむ所を見たことが無い彼女の親友。どんな人物なのか、気になってしまう。


「それは、なんと言うか…。」

「御幸くんこそ、夏休みに何かあった?」


掛ける言葉が見つからない俺に対して、気を使ったのか、それともそんな状況でも周りの事をよく見ているのか。瀬川さんの場合、なんとなく両方な気がする。


「瀬川さんほど深刻じゃねぇけど、」

「うん。」

「8月2日にキャプテンに指名された。」


奇しくも同じ日付だ。


「勝手なイメージなんだけど、御幸くんってキャプテンの柄ではないよね。」

「…すっげーグサッときたんだけど。」

「ごめんね。私の知る御幸くんなんてほんの少しだから違うかもしれないけど、御幸くんはキャプテンとしてチームを見ることよりスコアブックとにらめっこしている方がよっぽどらしいと思うよ。」

「それが正解。俺マジで向いてねぇよ。」


教室でいつもスコアブックを見ているから、きっとその印象が強いのだろう。でも、それが俺なのだ。


「意外と人を見てる倉持くんとかが副キャプテンなら御幸くんも楽なんじゃないかな。」

「あー、倉持とゾノ…、隣のクラスの前園が副キャプテン。」


倉持の事も、知ってるのか。
そりゃ、同じクラスだからそうだろうけど、あの見た目から女子からは怖がられる事も多いし、意外と人を見ているという評価は倉持本人と接触しないとできない評価だ。


「それなら安心かもね。きっと前園くんが御幸くんと正面からぶつかってくれるし、2人がある程度議論したらそこで倉持くんが止めてくれる。」

「ゾノとはぶつかる前提?」

「御幸くんって1年生の夏からレギュラーなんでしょ?倉持くんも去年から1軍に居たみたいだし、2軍以下の子の話とか知らない部分も多いと思うの。意識の違いというか。前園くんは良くも悪くも人間らしい人だから、きっとぶつかることもあると思う、くらいに訂正しとこうかな。」


改めて、キャプテンは向いていないとぼやかして言われた気がする。確かに2軍以下の事はほぼ知らないと言っても過言ではない。アイツらの気持ちを全く分からない訳では無いけれど本心なんて理解しきることはできないだろう。


「瀬川さんって実はイイ性格してる?」

「さぁ?自分で性格良いなんて思った事ないけど。」


何か、分かった気がする。瀬川さんは俺に似ているのだ。


「瀬川さんって、愚痴とか弱音とか全部『親友』にだけ話してた?」

「…そうだね。」


クラスでの立ち振る舞いは親友とやらがいたからできていたのだろう。クラスの奴らはきっと瀬川さんの半分も知らないのだろう。


「じゃあ今は誰にも言えないんだ?」

「…まぁ。」


瀬川さんは親友という支えを失って、心の拠り所を無くして今の状態になった。もし俺が野球を失ったら?ちっとも笑えない想像をすぐに断ち切って、日誌を書くのがすっかり止まってしまっている瀬川さんの手元を見る。日誌、書き終わってんじゃん。


「瀬川さんさ、俺と付き合ってみねぇ?」

「…え?」

「『親友』の代わりにはなれねぇけど、愚痴くらいは聞くから、俺の愚痴もこうして聞いてくんね?」

「付き合う必要はなくない?」


あまりにも即答なマジレスに言葉が詰まる。なんて言って誤魔化そうか。
いっそ嘘でも好きだと言ってしまおうか。


「…その方が都合がいいのか。」


瀬川さんが呟いた言葉にとりあえず頷く。
瀬川さんの方から何らかの解釈をしてくれるならそれでいいだろう。学校でしか接点のない俺と瀬川さんには具体的な関係性の名前を付けて置いた方が周りへの説明がしやすいだろう。


「ちょっと、考えさせて。」


勝算ゼロに近い博打も、取り付く島もなく拒否られるということもなく、保留になった事によって確率は半分になった。
あぁ、さっさと返事をくれないだろうか。
瀬川さんにとって特別な存在であった親友が羨ましいとか考えている地点で、もしかしたら俺はもう瀬川さんの事が好きなのかもしれない。
きっと俺は瀬川さんに本気になるだろう。何故だかそんな気がするのだ。


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