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8月2日、18時10分。その時間が最愛の友人の最後の生きている証が残っている時間だった。彼女はその時間にコメントも何一つ付けないで写真1枚をネットに上げていた。スニーカーの写真だった。それはずっと前にかっこいい靴だと、私に見せてくれたものだった。その投稿に私はいいねだけを押して、何かコメントすることも無かった。その後死ぬなんて思ってもみないし、全ての投稿にお互いにコメントし合うような性格でもない。あぁ、最後に話した内容はなんだっただろうか。確かゲームの話だったか。くだらない話にボケたりツッコミをいれたり、何の気なしにに話した内容は全然思い出せやしないのに、いつか言っていた死ぬ時はSNSのアカウントを消すというのを達成してないじゃないか、なんて普段なら絶対思い出さない事を思い出したりもした。
彼女の死を教えてくれたのは、彼女と同じ高校に通う子で、私とは面識のない子だった。あの子のお母さんが私に連絡して欲しいと頼んだらしい。正直信じられなかった。だけど、送ったLINEも、いつもなら呼吸をするように更新される筈のSNSも止まっていて、事実だと悟った。
思考がまとまらないまま、私の涙は止まらなかった。それを止める術を私は知らなかった。私が泣いた時抱きしめてくれるのがあの子だった。あの子が居ないんじゃどうすればいいのか分からなかった。

無意識だったのだ。あの日あの時、倉持に電話をかけたのは。

倉持はたまに同じ場所で同じ時間を過ごすだけのクラスメイトだ。
西校舎だけは、屋上が立ち入り禁止になっている。とすれば、この屋上に向かう階段は人が寄り付かない。どうせ行くなら他の校舎の屋上にでも行くだろう。ここにもたまに人が来るけれど、同じ様に静かに過ごしたい人しか来ないから基本誰も気にしない。知らない人と時間を過ごすのは不思議な事ではあるけれど、居心地が悪いと感じたことは無い。
倉持とそこで初めて会ったのは1年生の夏の時だ。お互い、クラスで顔を合わせているから最初は少し気まずかったけれど、何度も顔を合わせるうちに慣れて、2人しか居ない時はたまに話すようになった。
なんとなく、ここでは自分を飾り立てるのは面倒に思えて、素の自分で話してみれば、倉持は最初、すごく驚いたように目を見開いていた気がする。


私はあの子が居たから頑張って生きていられた。私の誕生日の度にあの子が生まれてきてくれてありがとうと言ってくれるから、愛していると、普段なら絶対言わないあの子が言ってくれるから、私は生きていられたのに。
彼女が楽しみにしていた写真のイベントの日付けは、彼女がいないまま呆気なく過ぎた。彼女が生きたかった筈のその時を、なぜ私が浪費するように生きているのだろうか。死ぬ覚悟もないくせに。


「瀬川さんって依存型?」


先日、私と倉持が2人で教室に入って来た事がお気に召さなかったらしい御幸くんが前より絡んでくるようになった。
あの日、倉持に話をして何となく前のペースを取り戻しつつある。クラスのみんなはホッとしたようにするから、心の中で笑ってしまう。あぁ、求められているのはやっぱりこっちなんだと痛感させられるのだ。


「さぁ。依存するほど人と関わらないから。」

「親友ちゃんは別なんだろ?」


あぁ、そうだ。他人に対する興味がない私が、あの子の話だけはいつだって気になっていた。勿論、彼女の全てを知りたいなんて事ではなく、どうでもいい話にも耳を傾ける事ができるという事だ。


「…昨日さ、酷い試合して監督に怒られたんだよね。」


御幸くんは私が答えたくない質問をするくせに、答えたくないと察するとすぐに質問を無かったものにして自分の愚痴を語り出す。有難いのか有難くないのか分からない。
昔誰かが言っていた、人の恋バナを聞きたがる人間は自分の恋バナをしたいだけ、というのと似たような物なのだろうか。だったらさっさと自分の話だけすればいいのに。


「昨日って予選の決勝だっけ?あれ、勝ったんじゃないの?」

「勝ったけど、内容が酷かったから監督鬼ギレ。お陰で昨日の試合後も今日の朝練も大会中なのにエンドレスのランメニュー。」


野球部がボールにも触れないのか。ランメニューという事は基礎トレという事だし、普通は冬とかオフシーズンにやるものではないだろうか。しかしまぁ、片岡先生の言いたい事は分かる気がする。


「目の前の事に集中しろって事じゃないの?」

「そうなんだろうけど…。」

「別に自主練を禁止されてるわけじゃないんでしょ?真面目に言われたメニューこなしてればちゃんと元の練習させてくれるよ。片岡先生いい人だし。」

「雅ちゃんは片岡監督を知らないからそう言えるんだよ…。」


この人は私に何と言って欲しいのだろうか。何と言えば納得するのだろうか。
誰かに相談する地点でその人の中で凡その決断はされているもので、人は後押しを求めて相談するものである。故に、御幸くんがこの話をしたからには何らかの答えを御幸くんなりに持っている筈で、それをピンポイントで当てなければいけない。
御幸くんという人間は不可解過ぎる。私の理解の範疇にない行動と言動を繰り返すのだから、私の考えない事を考えるしかないのか。


「…御幸くんが監督を理解してなくてもいいんじゃないの。その代わりに誰かが分かっていれば。」

「…そうだな。」


これは当たりなのだろうか、ハズレなのだろうか。歯切れの悪い返事だ。いつもなら、そうだよなと言ってハッハッハッと、独特な笑い方をするのに。相当参っているのだろうか。何があったのか、ちょっと気になってきた。覚えていたら後で倉持に聞こう。


「てか、会長当選おめでとう。」

「え?あぁ、ありがとう。」


会長以外の役職は人を選ぶ選挙であったけれど、会長職は生徒会の仕事を経験していないと難しいという理由で前代の副会長が引き継ぐのが暗黙の了解のようで、信任投票だけで去年の副会長選挙より余程楽に会長になれた。あまりおめでたいという感覚はない。むしろ1年生の副会長に言ってやってほしい、次期生徒会長おめでとう、と。まだ直接対面していないがその人物の性格次第で言ってやるつもりだ。


「雅ちゃんは、会長向いてると思う。」


これは多分、御幸くんにキャプテン向いてないと言った仕返しだ。私だってそんな事は知っている。


「最高の褒め言葉をありがとう。」


御幸くんは私の言葉に驚いた様に目を見開いて、次の瞬間には苦々しげに表情を歪めた。


「ここで私が弱音でも吐くと思った?残念ながら会長職になんの不安もないよ。」


生徒会業務は元々やっていたし、会長という立場は中学で経験済みだ。今更心配しなきゃいけないことなんてない。引き継ぎだって順調に進んでいる。
人の上に立つことも、目上の人間と話す事も、決して苦ではなく、ストレスに感じることも無い。
私は向いているから1年から生徒会に入っているのだし、向いていなければやらない。御幸くんのように向いてないがやらなければいけないという状況の方が、そうあることでは無いのだ。
もし自分がそんなに立場に置かれたらどうするのだろうか。しかしまぁ、御幸くんのように熱中するものを前にしなければきっと答えは出ないのだろう。今の私ならすぐに挫けるのが目に見える。
いくら小器用に振舞っても出来ない事はあるものなのだ。


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