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頼みがある、と瀬川が俺に言ったのは先週の事だ。あの階段で、瀬川がわざわざ俺に頼む様な事はすぐには思い浮かばなかった。だから頼み事の内容を聞き返した。瀬川は申し訳なさそうに、19日の夜に電話していいかとだけ言った。その意図を汲み取れないままに、俺は分かったと了承の返事を返した。

今日がその19日で、瀬川たちは修学旅行中の筈だ。そんな日に、わざわざ俺に電話しなければいけない理由を考える。幸いにも、ビデオ鑑賞や自習なんかで時間だけなら山ほどある。だからと言って見当がつくわけでもないのだが、他に気を取られる心配はない。
瀬川が前回俺に電話してきたのはあの日、8月2日だ。先月の今頃に四十九日が過ぎて、最近はほぼ元通りに振る舞っている瀬川が今になって俺を頼る理由…。19日、と、わざわざ日付けを指定したからには今日という日に何かがあるのだろう。恐らくは修学旅行とは関係なく、今日という日。俺の知らない思い出の日とか言われたらどうしようもないが、ひとつ心当たりがあるかも知れない。


「アイツら今頃自由行動だよな?」

「え、班別研修じゃね?」

「どうせ行かねぇからって何も把握してねぇわ。」


声につられて視線を時計に向ける。今なら見るか。スマホを取り出してLINEを開く。瀬川とのトーク画面を開いて一言だけ送る。今見なくても瀬川の事だ、クラス内で問題が起きた時のために頻繁にスマホは見るだろう。


「倉持がスマホいじってんの珍しいね?」


目敏く声を掛けてきた夏川にあぁ、と適当に返事を返す。瀬川からの返事が無ければ俺はもうスマホをいじる必要はない。スマホを机に置いた俺を夏川はつまらなそうに見てくる。何を期待してるんだ、なんて思っていたら直ぐに通知が光った。トーク内容がホームに表示されるように設定していなくて良かった。しかし、誰から来たかはしっかりと表示されてしまった。夏川はニヤニヤと笑って、見たら、と促してきた。夏川には見えないようにトークを開く。

今は大丈夫。
忙しくしているうちは何も考えないでいられるから。

多分、2件目は送ってから後悔してんだろうな。部活中以外ならいつでも返すから、と送れば直ぐに既読が付いてありがとうと返ってきた。俺とのトーク画面を開きっぱなしだったのだろう。


「雅と倉持が仲良いって噂、ホントだったんだ?」

「…悪くはねぇな。」

「素直じゃないなぁ。」


クスクスと愉快そうに笑う夏川は瀬川と仲が良いのだろうか。名前で呼ぶくらいには親しいのだろう。瀬川の場合、女子は大体そんな感じな気がするけれど。


「雅、今日誕生日だもんね。修学旅行中でもおめでとう言ってあげたいよね。」

「…やっぱ今日なのか。」

「あれ、知らなかったの?」


今日という日の理由はそれだろうと予想は立てていた。秋生まれだという話はずっと前に本人から聞いていたけれど、月も日も聞いていなかったから確信は全くなかった。だが、夏川からその情報を聞けたのは大きい。


「雅は競争倍率高いから頑張って。」

「競争って…。」

「それこそ、修学旅行中で誕生日で、雅には恋愛イベントのフラグが立ちまくってるよ。」

「瀬川なら察知して回避するだろ。」

「かもね。」


自分で言ったくせに、その言葉を否定する俺の返しを肯定する。


「そんな顔しないでよ、恐いって。」


笑いながら言っても全く説得力がない。俺の顔を見慣れてりゃ、今更恐がる事はねぇだろ。どう考えても本気で言っていない。


「雅は人をよく見てるから、倉持の顔が恐いとか関係ないんだろうね。」

「あ?」

「怒んないでよ。雅と倉持って似てるし、お似合いだと思うよ!」


俺と瀬川が似てるなんて思った事はない。俺はアイツみたいに器用になんでもこなせねぇし、友達もいねぇ。アイツほど、感情の整理は不器用じゃねぇ。
そもそも、夏川の話は俺が瀬川の事を好きだという前提がある話の様に思える。そんな話はしていないし、そんな雰囲気も出していない筈だ。
そもそも、俺は瀬川の事が好きなのだろうか。俺はお似合いだと言われて嬉しいと思ったのだろうか。
例え俺がその感情を抱いたとして、人の異変にすぐに気付く瀬川が気付かない筈がない。親友を失って、俺なんかを頼る瀬川が、俺からそんな感情を向けられたら離れて行くに決まっている。俺から離れた瀬川はどこへ行けると言うのだ。




*




部活が終わり、飯を食い、風呂から部屋に戻った所でスマホを確認すると、瀬川からの通知が2件あった。部活お疲れ的な内容と、通話していい時になったら教えてというものだった。同室の沢村は練習場の方に居るらしいから、オーケーの返事を返した。


「倉持、ありがとう。」


すぐにかかってきた通話を受ければ、いきなりそう言われた。


「何の話だよ。」

「今通話してくれてることと、昼にLINEくれた事。」


何となく嬉しそうな声色が聞こえて来て、安堵する。
心配が杞憂に終わったならばそれでいいのだ。今日という日を無事に終えてくれたならば。


「今旅館だよな?」

「うん。露天風呂入ってきたよ。倉持はご飯とかお風呂済ませた?」

「おう。いつも通りな。」

「どんぶり3杯だっけ?よく食うよね…。」


野球部がどんぶり3杯食ってる事は割りと有名だが、他に興味のない瀬川が知っている事に少しだけ驚く。


「部屋にいんの?同室の奴は?」

「私が倉持の連絡待ちしてたら、気を利かせてみんな他の部屋に遊びに行ったよ。」

「俺の名前出したのかよ?」

「いや?なんかニヤニヤしながら後はお若い者同士で、とか言って居なくなったから、この部屋に来ると思ってたんじゃない?誰とも知らずに。」


すげぇ想像に容易い。言いそうなクラスの女子を考えるより言わなそうな女子を挙げた方が速そうだ。


「てか瀬川、今日誕生日なんだろ?」


さっきから俺は質問ばっかしてる気がする。


「…うん。」


なんで知ってんだとでも思っているのだろうか。何となく、声が遠い。


「おめでと、でいいのか?」

「うん、ありがとう。嬉しい。」


声が、震えている。恐らくはその言葉に嘘はない。ただ、泣きそうな声である事には変わりない。


「ありがとう、ありがとう倉持。」


繰り返されたその言葉に、今自分が彼女の目の前にいない事が酷くもどかしく感じる。
修学旅行中だというのに、今も1人でいる彼女の姿が目に浮かぶ。きっと毎年あの友人に祝われてきたのだろうこの日を、独りで耐えられる筈がない。
今日1日彼女は何を思って居たのだろうか。


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