君だけがいない秋


俺たちの夏は終わった。
稲実に勝ち、甲子園に出場した俺たちはその舞台から帰還して、終わってしまったのだと脱力感に襲われた。いつまでもこのメンバーで戦っていられる訳では無いと分かっていたのに、途端に煢然として物寂しい気持ちになる。楽しい夢から覚めて現実との温度差に肩透かしを食らったような気分だ。事実、俺たちの束の間の夢は終わってしまったのだ。
国体はあるが、それはほぼ3年だけのものになるだろう。1、2年は秋季大会真っ最中になる筈だ。あいつらと同じチームで野球できることはもうないのだろう。
この数日の休みの後はおよそ1ヵ月後の国体に向けて練習をまた始めることになる。


「御幸?」


今日は監督との面談の日だった。球団関係者が俺を見に来ていた話は礼ちゃんから聞いていたけれど、あまり深く考えたことは無かった。ゾノに聞かれた時も本心から甲子園に行くことしか考えてないと言った。美馬に聞かれた時も適当に盛ったりもした。だけど、もうそうも言っていられない。本当に目の前の事になってしまった。
監督との進路面談は3年全員がスケジューリングされていた。


「瀬川?」


瀬川が来ているという事は、瀬川も進路面談に来たのだろう。俺たちのサポートを3年間続けて来たマネージャーには野球推薦の枠はない。俺たちはマネージャーにはいくら感謝しても、しきれないだろう。瀬川は地頭が良く、常に成績は上位らしかった。多分勉強に専念していれば学年トップとかも取れるんじゃないかってくらい。


「数日ぶりなのにすっごい久しぶりな感じだね。」


寮で会う瀬川はいつもジャージだった。
だからここで制服を着て立っている瀬川というのが違和感しかない。


「面談終わったの?」


頷いた俺に、瀬川はそっか、とだけ呟いて口を閉じた。


「瀬川は大学どこ行くんだっけ?」

「××大。」

「んん?」


聞き覚えの有るような無いような名前だ。瀬川の頭なら稲城とか、哲さんの行った明神大とか、この辺のよく聞く頭のいい所だと思っていた。


「東北にある公立大だよ。」


あれ、確かそこって、国公立大の中でかなり偏差値の高い所じゃなかっただろうか。あまり多く耳にする事は無い名前だが、そんな事を聞いた事があるような気がする。


「めっちゃ勉強しなきゃいけないから国体までは行けない。ごめん。」


記録員として大会中ベンチに入っていた瀬川は、俺たちの夏を最初から最後まで一番近くで見ていた。だから、瀬川がベンチにいればそれだけで何となく安心したし、心強い気がした。ベンチに戻っても瀬川がいないというのが想像つかない。青道のベンチには瀬川が居てほしい。だけど、そんな事を言う資格はないだろう。瀬川の人生がかかっているのだ。


「みんなにごめんって伝えておいて。最後まで御幸キャプテンに面倒な事押し付けてごめん。」


多分瀬川は最後まで俺たちと戦っていたかったのだ。だから夏の大会も最後まで一緒にベンチにいた。だけど、もう、時間が無いのだ。今から勉強を始めても、他の奴らよりずっとスタートが遅れているのだから、いくら頭が良くても厳しいだろう。厳しいところを受けるのにこれ以上、あとひと月も自分のためにはひとつもなりはしない部活に費やす事はできないのだ。俺たちは瀬川の時間を奪って部活をしていた。だけど、瀬川も好きでやってくれていた。そのバランスがそろそろ取れなくなって限界なのだ。


「引退試合くらいは呼んでほしいけど…、都合が良すぎるよね、聞かなかった事にして。」

「呼ぶよ。呼ぶから、その時は俺たちのベンチに居て欲しい。」


目を丸くして、分かったと言って笑った瀬川はいつだって俺たちと戦っていた。吉川顔負けの目の離せないようなドジっ子だったのにいつの間にか立派なマネージャーになっていた。瀬川はチームに必要だった。


「面談で怒られたりしないかな、無謀だって。」

「んなわけねぇだろ。頑張れって背中押されるだろ。」

「そっかな。」


自信なさげな顔をするのは珍しい。


「そろそろ時間だから行くね。」


ひらひらと手を振って瀬川は寮のスタッフルームの方に走って行った。

1、2年がいなくて、瀬川もいないベンチを想像すると急にスースーするような気がする。
走り去る瀬川を呼び止める事も、その腕を掴むこともできやしない。
ひたすらに突っ走る瀬川を好ましいと思ったのはいつからだろう。ベンチにいるその姿にホッとするようになったのはいつからだろう。休憩中に瀬川の姿を探すようになったのはいつからだろう。
どれも自覚はしているのに、瀬川本人に言いたい事のほとんどを伝えられなくなったのはいつからだろう。

好きだ、の3文字さえ言えない俺が、あとひと月最後まで居てほしいなど言えるわけがない。

いつになったら俺は瀬川に伝えられるのだろうか。それこそ、タイムオーバーは目の前まで迫っているというのに。


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