スターチス


朝、目が覚めて寒いと思う様になったのはつい数日前の事なのに、もうすっかりストーブのお世話になっている。
山の中に立地する大学の寮には入らず、駅近くに部屋を借りた。早起きをするのは苦ではないというか、高校時代に慣れきってしまっているから、通学時間の事は考えないで、専用のバスが出ている駅の近くにした。恐らく寮に入っていたらもっと寒かっただろうし、息苦しい生活をしなければいけなかっただろう。部屋に帰って来て、布団に転がる事が今1番の幸せだ。慣れない土地環境、少しだけ混ざる周りの人の聞きなれない方言と、どこからも聞こえる英語。覚悟していた筈なのに、その全てが私の精神をすり減らす。
卒業の日に宣言した通り、ホームシックになる度に憲史に連絡を入れて何とか正気を保っているような日々の繰り返しだ。流石に半年以上経って、その頻度は少しだけ減ったけれど。

寝っ転がりながら、スマホの画面を点灯させる。
珍しい人からのメールと着信履歴。どちらも日時は11月16日の朝7時。今日の朝、か。7時代にはバスに揺られているから、マナーモードにしたままで気付けなかった。メールを開けば、夜に電話をしてもいいかとだけが書かれていた。メールの差出人である御幸一也は、卒業の日に告白をすっ飛ばしてプロポーズをしてきた馬鹿者だ。まぁ、私はその時、周りの空気に流されて頷いてしまった大馬鹿者なのだけれど、それは置いておこう。
ガラケーだから、LINEをやっていない御幸は滅多にメールも電話も寄越さない。元々そういう奴なのでLINEをやっていたとしてもそうなのだろうとは思うが、そんな御幸が朝っぱらからわざわざ私に連絡を入れるという事は何かあるのだろう。
婚約破棄とかだったら笑う。
彼氏がいるから、と新しく出来た友人たちの誘いを何度か断っているのに明日になったら振られてるとかちょっとアレだ。アレ。
とはいえ、御幸は今ペナントが終わって、秋季キャンプ中のはずだ。日付的にそろそろ終わるのか?詳しくは分からないが、キャンプ中の人間が私に連絡して振るとは考えにくい。元より全然連絡なんてしないのだから、キャンプが終わってからでもいいだろう。
恐らく御幸は今、西日本のそこそこ暖かいところに居るはずだ。なんか、憎たらしくなってきた。こちとら慣れない寒さに震えているのに、奴は今暖かいところにいるのか。

とりあえず、メールを返信することにする。しかし、いいよ、と簡素過ぎる内容だけで良いのだろうか。普段メールなんてしないから分からない。LINEならこれで躊躇なく送るんだけど。
時間的にもう夜だ。いつでもいいよ、に文章を書き換えて送信する。躊躇っていたらいつまでも送れない。

…晩ご飯食べよう。

いつ返信が来るか、いつ着信があるか分からないのだから、待っていても仕方がない。休日に買い貯めた食材を眺めて、献立を考える。いつも適当に済ませているからたまにはまともに作ろうか。




*




晩ご飯を食べて、風呂にも入って、今現在テーブルの上に広がっているレポート用紙を見下ろす。時計はもう23時過ぎをとっくに示している。もうすぐ今日は終わる。私の返信が遅かったのもあるし、もしかしたらもう今日は連絡が来ないかもしれない。そう思ったら急に眠くなってきた。瞼が重い。
書きかけのレポート用紙をページ順に並べて、揃える。締切まで余裕があるから、続きは明日でいいだろう。

ピピピ、と聞きなれない音が鳴る。
そういえば、着信音ってこんなんだったっけ。スマホに手を伸ばして、画面を確認しないで受ける。


「もしもし?」

「…もしもし。雅?」


懐かしいようでそこまで懐かしくもない声。ペナントの試合に出た日のインタビューで聞いた声のままだ。


「うん。久しぶり、御幸。」

「ホント、久しぶりだな。」


御幸と最後に連絡を取ったのはいつだろうか。1軍の試合に出ると言った最初の頃はその都度教えてくれたが、いつしかその頻度も減り、なくなった。それくらい当たり前に御幸はプロ1年目にして1軍のベンチにいたし、試合にも出ていた。


「もしかして雅、眠い?」

「ちょっとだけ。レポートやってたから…。」


すっかり寝るつもりだった、とは流石に言えない。


「あのさ、」


言いづらい事を切り出す時の、わざとらしい言葉。御幸らしい。御幸なら人に気なんかつかわないで言えばいいのに、下手に気を使おうとするとそれがバレバレなのを本人は自覚しているだろうか。


「明日、俺の誕生日なんだよ。」

「え?」


あぁ、だから、今日。
今日のうちにお別れして、明日の自分の誕生日には身軽にって話か。


「日付変わるまで付き合ってくんね?ってか…、誰より先に祝ってほしい。」

「…は?」


女子か、とツッコミを入れなかった私を褒めて欲しい。
何度も告白しようとしてし損ねてたって言ってたっけ。こういうところで野球以外はポンコツというのを身をもって体感するとは思わなかった。言えただけマシなのだろうか。今度高校時代の御幸について、1番詳しいだろう倉持に聞いてみよう。


「御幸ってプロじゃん?」

「…おう。」

「ガラケー使ってるじゃん?」

「…おう。」

「私から連絡するハードルすっごい高いんだよね。」


いくら私が野球好きでも、プロ選手がどんな生活をしているのかなんて分からない。いつなら連絡していいのか予想もつかない。LINEなら、既読無視でもしてくれればいいと思いながら送れるけれど、メールとなるとハードルが高過ぎる。さっきの葛藤を見て欲しいくらいだ。たった一言送るのであれなのだから、まともな文章を書くとなると…。


「御幸はいつか私なんて忘れると思ってた。」


それはきっと、卒業式の日、御幸の言葉に頷いたあの時から。絶対に迎えに行くと言った御幸のことを私は信じられなかった。


「俺は、雅を好きになって初めて、自分が嫉妬深いって知った。」


嫉妬なんて、していたのか。友達のいない私にいつ嫉妬なんてできるんだ。


「ノリから、雅がホームシックでちょいちょいアホになるって聞いた。」

「憲史にディスられてて凹むわ。」

「そうやって、ノリのことは名前で呼ぶのに俺の事は御幸のままだし。」

「…憲史は元々ノリって呼んでたし、御幸はずっと御幸だったから…。」


今更、御幸の事を名前で呼ぶとか恥ずかし過ぎる。恐らく、青道では誰一人として御幸の事を名前で呼ぶ人はいなかった。1年の時は居たような気もするけど、いつしか居なくなっていた。御幸、と、あの3年間で何度呼んだか分からない3文字を今更全て変えて呼ぶ…。考えただけで恥ずかしい。呼び方を変えるなんて特別なみたいな…、特別なのだけれども!


「あの、さ。」


自分の口から、口をついて出る言葉に頭を抱えたくなる。よりにもよって、自分でさっきわざとらしいと思ったばかりの言葉が出るなんて。


「一也くん、じゃダメ?」


呼び捨てはホントに無理。恥ずか死ぬ。くん付けなら、心に余裕がある。
野球部の面々は、ゾノとかナベちゃんとか、名前をもじった渾名か、倉持とか白州とか麻生とか、苗字の呼び捨てしかない。くん付けなんてほぼした事がないが、何故か言える。


「…じゃあ、それで。」

「…うん。」


私たちのひとつ上の代、哲さんたちの代は基本名前の一文字を取って呼んでいた。仲が良いのが先輩たちの良さで、対して私たちの代の関係はまぁまぁ希薄だ。ノリと白州、麻生と関、2人組でなら仲良いところはポツポツあるけれど、学年でなかよしこよしという感じは全くなかった。ひとつ下は沢村のお陰か、大体和気藹々としていた。金丸くんが世話焼きで、沢村と降谷を制御していたのも大きいかもしれない。


「…一也くん。」

「…おう。」

「…お誕生日おめでとう。」


ずっと時計の針を見つめていた。ご要望通り、日付が変わって誰より先に祝いの言葉を口にする。


「…さんきゅ。」


時間を確認するような間があってからの言葉に少しだけ笑ってしまう。なんとなく、慌てて時計を確認する姿が頭に浮かぶ。


「…雅。」

「うん?」

「俺は連絡不精だし、ご存知の通り告白通り越してプロポーズするような男だけど、ホントに、必ず迎えに行くから、待ってて。」


ずるい人。
私には頷くことしかできないというのに。


「待つよ。いつまでも。」


むしろ、私が大学に通っている間待たせる事になるかもしれない。1年留学するつもりだから、私の方がその確率が高い。この話もいずれしないといけない。
御幸と私は話してない事と、話さないといけないことがお互いに多過ぎる。だけど、少しずつでいい。少しずつ、私たちらしいペースで1歩ずつ進めばいいのだ。





2019/11/17


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