8


「時間作ってくれてありがとう。」


御幸くんは午前中、病院に行っていたらしくお昼休みになってから教室に姿を現した。そしてそのまま、今いいかと聞いてきたので頷いたら教室から移動しようと言われた。雰囲気的に何となく、そうかなと思っていたので席を立って御幸くんについて来た。
人気のない廊下というものは案外多くある物で、昼休みの場合教室棟以外は大体そうだ。


「忙しい雅ちゃんの時間をあんまり奪いたくないから単刀直入に言う。」


その言い方が大分遠回しな様な気がしなくもないが、そんな事を気にする時ではないのだろう。


「好きだ。」


あの日の放課後の、付き合わないかという提案とは随分と感情の入り方が違うのが分かる。本当に、御幸くんは私なんてものを好きになってしまったのか。いつから、どうして。


「ごめん、言いたかっただけなんだ。そんな困った顔しないで欲しい…。」


あからさまに困った顔はしてないつもりなのだけれど、そう見えてしまったのだろう。
好きだなんて、そんな感情を誰かに向けられた事はこの人生1度もない。あの子との間の友愛とは違うのだろう御幸くんのそれが、あの子と同じそれならどれだけ良かっただろうか。




*




御幸くんと別れたままの足で西校舎の階段を上る。何かある度無意識的にこの場所に来てしまう。


「よぉ。」

「よぅ。」


こちらに気付いた倉持は柄の悪い座り方でそこに居た。メンチ切られそう。


「御幸、何だって?」

「私の口から言う事じゃない話。」

「昨日、御幸がお前に告るって俺に宣言して来た。」


御幸くんが話した内容知ってんじゃん、と思ったけど言うべきではないだろう。何故だか物凄く不機嫌そうな倉持は元ヤンというよりまんまそれに見える。


「返事したのかよ。」

「…してない。御幸くんが私は気にしないでそのままでいろって。」

「それ本気にしたのかよ?」


本気にしたのかって…。本気にしたらいけないのか。だとしたら、返事をしないという選択はダメという事だ。そりゃそうか、いつまでも恋愛感情を放ったらかしにするのは酷だろう。


「…そうだよね、真剣に考えるよ。」


こればっかりは、1人で考えなきゃいけないことだろう。倉持と話していたって解決することではない。上がってきたばかりの階段に向き直り、帰る事にする。
足を階段に下ろそうとした所で右腕を掴まれる。なんだか覚えのある状況だ。球技大会の日は、ジャージを渡されたんだっけ。あの時は、階段を1段下りてからだった。


「俺がお前を…。」


痛いほどキツく掴まれている手とは裏腹に、倉持の口から出かけた言葉は弱々しく最後まで続かない。


「わりぃ…、何でもねぇ。」


落ちるように離れていく倉持の手と共に私の腕も下に降りる。反射的に胸の前まで持ってきた私の右手首は、跡なんかついていないのに今もまだ掴まれているような感覚がある。
倉持は確かに何かを言いかけた。だけど、倉持自身が言わない選択をした。ならば私が問い詰めることはしない方がいいのだろう。


「じゃあね。」


何を言えばいいか分からない私は、そんな言葉だけを置いて階段を下る。
さっきの倉持の言いかけた言葉は、俺がお前を好きだと言ったら、とかだろうか。倉持が私の事が好きならば、全ての辻褄があってしまう。
御幸くんに宣戦布告されて、告白された事に不機嫌になって、御幸くんの事をちゃんと考えると言って立ち去ろうとした私の腕を掴んで、そして咄嗟に告白しかけてやめた。そう考えれば倉持の行動に説明がつく。
しかし、最初の、御幸くんが付き合ってみないかと言ってきた時の話は倉持は別に不機嫌ではなかった。あれから今日までの間で倉持の中で変化があったのだろうか。

昼休みはもう時期終わる。向かう先は教室しかない。

私の推測が間違っていればただの自意識過剰な女だ。しかし、さっきの倉持の行動と言動、態度、表情、どれをとっても無視できるものではない。
もうひとつ可能性があるとすれば、うちのキャプテン様にお前は相応しくねぇ、とかだろうか。


「会長!」


教室への廊下を真っ直ぐに歩いていたら向こうから生徒会の後輩から声をかけられた。あぁそうだ、そっちもあった。いやむしろ、そっちの方を考えなきゃいけない。学祭は今週末だ、やらなければいけないことはいくらでもある。


「書類だけなら今受け取る。報告なら放課後に。昼休み終わりそうだから。」

「はい。ではこれが当日の執行部のシフトで、それと委員から預かったイベントの台本です。」

「ありがとう、お疲れ様。」

「いえ!会長に比べたら全然!」

「私の仕事は来年君の仕事だよ。頑張ってね。」

「はい!」


後輩くんは笑顔のままで颯爽とクラスの方に向かって行った。副会長の1人、1年生の方の子は随分と元気な子で、そして随分と私を尊敬してくれている。仕事の覚えも早いし、色々と気が付く子で先代の会長と似ていると思う。私とはタイプが違う。


「雅の人たらし現場を見てしまった…。」

「わっ!…幸子!?」


いきなり背後から囁かれれば流石にビビる。


「あの後輩もいずれは雅の魅力にやられ、ほの字になるだろう…。」

「あの子もって…?」


幸子が私の質問には答える前に予鈴のチャイムが鳴ってしまった。幸子は笑いながら教室に入って行った。私も自分の教室に入るけれど、午後の授業はまともに頭に入る気がしない。

いっそ堂々と寝てしまおうか。

小心者の私は絶対にそんな事できやしないけど、上の空になる事は確実だろう。さっき受け取ったシフトを教科書の横に置いてそれでも眺めていよう。

今日、お昼ご飯食べてないや。

空腹でそもそもロクに頭が回らない。それなのに考えるだけ無駄だろう。そういえば、次の時間は体育ではなかっただろうか。これは今日はマジでダメかもしれない。何をしても何を考えてもきっとダメだ。
放課後に生徒会室で1人でご飯食べてたら怒られるだろうか。怒る人はいないか。
どうでもいい事に思考を飛ばしながら、教科書と同じ内容だけを唱える教師の声を聞き流す。
このシフト作ったの誰だろ、細かい調整は必要だけど、無茶な時間割りはない。若干私の分が無謀に見えなくはないが、15分刻みのスケジュールなら何とかなるか。今年も昼飯はナシか、見回り中に誰かから餌付けされる未来が見えなくはないが、忙しくしていれば空腹なんてものも忘れてしまうから問題なく2日間をクリアできるだろう。クラス展示のシフトってどうなってたっけ。委員長なのにちっとも顔を出せないのはまずいよね、気合で30分くらい空けれないか。自分の時間を動かせば他の人のも動かさなきゃいけないのは申し訳ないが、このシフトはまだ製作者と私しか見ていないものだからいくらでも調整はきく。
役員の任期は9月末までではあったけれど、3年生の先輩方の生徒会執行部の引退は12月末日までだ。先輩方もまだいるから、他のみんなの負担はそれ程多くない。
何とかなる、と思いたい。
去年先輩もこなしている筈だしできない事はない。

御幸くんの事は考えなきゃいけないけれど、あまりにも時間も余裕もない。ずるずると先延ばしにするのはダメだと分かってはいる。分かってはいるけれど、それきりだ。あぁ、全部投げ出してゆっくり眠りたい。


back
top