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2日間で校舎内をこんなに歩き回るのは後にも先にももうないだろうってくらい歩いた。結局2日間共座ってお昼ご飯を食べる暇はなく、道すがら出会う同級生や生徒会メンバーに色々と口に突っ込まれた。正直あんまりお腹が空いたという感覚がなかったから全く問題はなかった。
今は学校祭の後夜祭の真っ只中で、その司会は同学年の副会長に任せてある。というか、その仕事は彼が自分から立候補していた。開会式は私だったしちょうど良いと思って異議もなかったしそのまま通した。
クラス展示とか、部活動の展示とか…諸々表彰される度に沸き立つ生徒たちを遠目に眺める。
疲れた。とにかく疲れた。
ステージの上では昼に終わったミス、ミスターコンの表彰を行っている。何故ミスターの優勝が会長…、元会長なのかは私には分からないが、顔だけはいいからそういう事なのだろう。あの人が優勝しちゃっていいのかと、生徒会の茶番だとブーイングがおきていないのならいいが。


「会長、ミスターになったらの公約、果たしてくれますよね?公開告白、してくれますよね?」

「会長は瀬川だろー?」

「はぐらかさない!男ならビシッとキメてください!」

「えー、俺フラれるのにみんなの前で言いたくねぇよー。」

「公約はキチンとみんなの前で果たしましょうね!」

「お前このために司会引き受けただろ!」

「当たり前です!瀬川は会長の公約なんて把握してる暇ないんですから俺がやるしかないでしょう!」

「だと思った!」


あのステージ上の生徒会の茶番を一般生徒はどういう気持ちで見ているのだろうか。というか、あの人公約で公開告白とか言ったの?馬鹿なの?
観客はこーくはく、こーくはく、とコールをし始めている。楽しんでいるならいいんだけど、あの二人のやりとり見てて楽しいのは2、3年だけではないだろうか。後輩にとって先輩方の身内ネタほどつまらないことはなさそうだが。


「分かった、分かったからコールやめろ。」

「会長ったら、これから告る相手がここから見えるもんで引かれてるのに耐えられないみたいですよ。」

「引かれてるとか言うなよ、余計言いにくいだろ。てかちょっと黙ってろ。」


良かったな会長、ご本人様がこの場にいて更に引いてくれているのならフラれること間違いない。


「…現会長、2年B組瀬川雅。」


突然呼ばれたフルネームに首を傾ける。このタイミングで私を呼ぶとか空気読めてなさすぎないか。観客席からおお、と声が上がる。


「フラれると分かってて言うぞ。瀬川、好きだ。」


さっきまで観客席に向けて放たれていた言葉が、しっかりと私を見て言われた。ステージから割りと離れているのだけれど。
会長の視線に気付いた観客がこちらを振り返り始めた。そして、生徒会の後輩がマイクを持って走って来た。


「返事は!?」


生徒会で適当に返事を返した時と同じ言い方で催促されてしまったら、私が返す言葉はいつもと同じ物を返すしかないじゃないか。


「ごめんなさい!」


予想だにしないところからの突然の告白にマジでビビった。なんだ、私今モテ期か。なんて、そんな気楽に考えられるほど図太い神経をしていない。
観客席からは、うおお、と雄叫びのような声が上がる。どんな反応何だそれは。

会長がステージ上で騒ぎ始めたのでもうこちらを見ている人はいない。


「マイク、ありがと。私は会室で片付けするからこっち終わったら連絡ちょうだい。」

「はい!」


この時間だけは、執行部のみんなもステージを見ている。開会式と、閉会式にあたる後夜祭くらいは全員参加できるようにしているからだ。私一人ここに居なくても問題はなかろう。
校舎の方に足を進める。ステージの喧噪が少しずつ離れて行く。


「雅ちゃん。」


校舎に入ろうとしたところで背後から名前を呼ばれた。呼吸をひとつ置いて振り返る。


「御幸、くん。」


考える間もなく会長は振ってくれと言うようなパフォーマンスをした。多分御幸くんが今こうして声をかけたことも意味がある。
私なんかを思ってくれる人を振るなんて、本当はしたくない。御幸くんを好きになれば、私は幸せになれるのだろうか。私なんかと一緒にいて御幸くんは幸せになれるのか?
2日間ずっと忙しくしていて肉体的にも、精神的にも疲れきってしまっている。まともな思考も、ポジティブな思考もできる気がしない。


「近付いてもいい?」


恐る恐る訊ねてくる御幸くんにつられてゆっくりと頷く。闇の中で少しずつ近付く御幸くんがすぐ近くに来ると驚いた表情をして私の顔に手を伸ばした。目尻を拭うように動かされた御幸くんの親指が熱を奪う様だ。まばたきをひとつする事で滲んだ視界に涙が浮かんでいる事をようやく自覚する。御幸くんはこれに驚いたのか。


「雅ちゃんは不器用なんだね。」

「御幸くんに言われたくない。」

「…そうだな。」


御幸くんの言う不器用が、私の言う不器用と違う事は分かっている。


「ただ雅ちゃんは愛され慣れてないだけ、かな。」


気付いたらボロボロと流れる涙は何を意味するのか自分でも全く分からない。なんで私が泣いてんの。私が泣いちゃダメでしょ。


「俺も雅ちゃんに振って貰おうと思ったんだけど、無理っぽいね。」


眉を下げて苦笑する御幸くんなんて初めて見た。御幸くんを困らせてはいけない、何としてでも涙を止めて、言わなくちゃ。


「瀬川!」


暗闇から聞こえてきた自分の名前に肩を震わす。


「御幸てめぇが泣かせたのかよ!」


真っ直ぐにこちらに向かってきた倉持は御幸くんの胸ぐらを掴んだ。御幸くんにしたらとばっちりもいいところだ。


「倉持、ちが…。」

「なんで倉持がキレてんの?」


私の言葉に被せるように御幸くんが倉持に問う。


「…分かったよ。」


降参したように、倉持は御幸くんの胸ぐらから手を離して大きく深呼吸をした。そして息を吐き終えた所で意を決したようにこちらを向いた。


「俺は瀬川の事が好きだ。だから御幸が瀬川を泣かせたなら許せねぇ。」


好きじゃないならば、とんでもないお人好し。好きならば全ての辻褄が合う。そう思っていた。だから、あんまり、驚きはないけれど、だからと言って、その感情をどうこうできる術を知らない。

私には2人からどちらかを選ぶなんてできない。
私にとって2人は大切な…、大切な、何?
私たちの関係はどう見ても友人、とは言えないし、勿論恋人でも無い。私が彼ら2人を好きだとしたら?そんな、私を好きだと言ってくれる2人に対して、同時に好きだなんて、とんだ阿婆擦れだ。不純過ぎる。


「私は…、人に好かれるような人間じゃない…。」


好かれるような人間じゃないし、愛される価値もない。
1歩、2人から後ろに下がる。

私にはあの子以外に愛してると言ってくれる人はいなかった。
あの子以外は誰一人信じられなかった。
また1歩、足を引く。


「私は多分、この先何があったとしても、誰の言葉も信じられない。」


2人がいい人だという事は知っている。知っているけれど、どうしたって、私の中に巣食うマイナス思考が絡み付いて離れない。
ごめんなさい、ごめんなさい。
呟きながら、流れ落ちる涙を拭い、ポケットで震えるケータイを握ってその場を逃げ出した。

私の幸せは、8月2日にあの子と一緒に死んだのだ。


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