後編


カルマと渚の勝負は、渚の勝利で終わった。
殺せんせーを殺さないという事に異議を唱える者はもう居ないだろうが、きっとまだ内心納得しきれていない人も居るのでは無いだろうか。その一角が私なのだけれど。
烏間先生から与えられた時間はたった1ヵ月。殺せんせーが生きるための方法を探すにはどう考えても足りない。殺さなくて済む方法なんてとっくにどこかの国で研究されていることだろう。成果があったのならば、とっくに試されているだろうし、今更無駄ではないかと思ってしまう。

「雅さん。」

「ひゃっ!?」

律の手伝いであちこちのデータを拾い集めるのが私の仕事で、みんなと離れて作業していたのだけれど、突然首筋に触手を当てられて変な声が出てしまった。お陰で教室にいるみんなの視線が一斉にこちらを向いてしまった。

「驚かせないでよ、殺せんせー。」

ぷにょんと音を鳴らしながら離れた触手を見つめる。今私は何をされたのだ。触手を当てられた首を自分の指でなぞってみるも特に何も無い。

「す、すみません!雅さんが珍しくボーッとしていたので熱を測ろうかと……。」

「……。」

作業するのに邪魔だし、暑いから髪を纏めていた。だから首が無防備に晒されていたわけだけれど、私が今暑いのは熱のせい?……まさか。

「みなさん、雅さんは熱があるみたいなので少しの間保健室で休ませます。律さん、雅さんは席を外しますが構いませんね?」

「はい、雅さんが道をハッキリ示してくれましたので!」

熱なんてない。そう言おうとするより先に触手に抱き上げられる。マッハで移動せずにゆっくりと保健室に向かっているらしい。揺れる度に頭がグワングワンする。みんなからの視線は気になるが、睨み付ける気力はない。熱があるかもしれない、なんて思ってしまったら一気にダルくなってきた。

「雅さんの中には迷いがありましたよね。」

私は保健室のベッドに下ろされて、揺れによる気持ち悪さが無くなった頃、殺せんせーは私に言い聞かせる様に言う。

「私が殺されずに済む方法があるならとっくに話は済んでいる、そう思って殺す派についたのではありませんか?」

「……そうだよ。誰かに先生を殺されるくらいなら、私たちが殺したい。」

「しかし、本心は殺したくない方にあった。」

殺せんせーには何でもお見通しらしい。諦めて両手を上げて降参のポーズをする。しかし殺せんせーにその手を下ろされ、寝かされる。

「自分の意見を言ってのルールに反するって怒る?」

「いえ、殺す派殺さない派の意見は本心ではなくとも、言った言葉は雅さんの思っている事では間違いではないので構いませんよ。」

「ならいいんだけど……。」

折角自分の身を捨ててカルマを護ったのだ、今更反則だと言われたらどうしようかと思った。

「雅さんは何か有るのに何も無いフリをするのは上手いですが、何も無いのに何か有るフリするのは向いていません。」

うん、知ってる。

「貴方の本心を、誰でもいい、話せる人を見つけてください。」

だから、無理だって前にいったじゃん。

「そうです!前原くん!前原くんなんてどうでしょう!」

このタコはもうずっと、そればっかりだ。そのネタをみんなの前で言わないのはいいけど、くどい。

「にゅやっ!?前原くん!どうしてここに……!」

あぁ、ダメだ、ダルい。意識が手放せと言っている。殺せんせーのやかましい声をBGMに眠るなんて普段の私なら有り得ないのに。そう思ったのに、途切れそうな意識をつなぎ止めることはできそうにない。




*




律と調査を進めていたはずの瀬川の、悲鳴のような聞いたことの無い声が聞こえてクラス全員が教室の後ろを振り返った。いつもは下ろされている髪が、体育の時同様に高く揺れていて、なんて思っている間に殺せんせーは瀬川を抱き上げた。
熱がある、と言った殺せんせーの言葉通り、瀬川はその触手の上でぐったりしている様だった。

「……殺せんせー遅くない?雅を保健室に送り届けるだけならもうとっくに帰って来てるはずだよね。」

E組の校舎は広くない。瀬川に気を使ってゆっくり行ったとしても帰ってくるのは一瞬の筈だ。

「……見てくる!」

俺が立ち上がれば思いの外ガタガタと椅子が鳴り、注目される事になる。

「よっ!王子様!」

「ハハッ、いいな王子様か。悪いタコから姫を奪って来い!」

中村の煽りに菅谷まで乗っかる。

「ちょ、速水さん銃はダメ!殺せんせーしか殺せないから!」

視界の端で速水が俺の方に銃を向けて止められている。俺マジで速水に消されるかもしれねぇ。
この居た堪れない空間に耐えられそうもないので、全部無視して教室を出る。深呼吸を繰り返しながら歩けばすぐに保健室には辿り着いた。

「雅さんは何か有るのに何も無いフリをするのは上手いですが、何も無いのに何か有るフリするのは向いていません。」

ドアを開けようとしたところで聞こえた声に、思わず手を引く。何してんだ、俺は。聞き耳をたてたって、良いことは無い。

「貴方の本心を、誰でもいい、話せる人を見つけてください。」

殺せんせーのいつになく真面目な声が聞こえる。
クラスの誰一人として、瀬川の異変には気付かなかった。それこそ、一対一でナイフを向けあった俺ですら。隠すのが上手い瀬川が、速水にさえSOSを出さない瀬川が、誰に助けを求められるというのだ。周りが気付かなきゃいけなかったのだ。

「そうです!前原くん!前原くんなんてどうでしょう!」

ん!?

突然、自分の名前が出た事で考えるより先にドアを開けた。そして殺せんせーに向けてナイフを振る。

「にゅやっ!?前原くん!どうしてここに……!」

一気に壁際まで逃げた殺せんせーにため息をつく。どう考えても話の流れが不自然過ぎた。殺せんせーのこれまでの行動を知っていれば、俺が瀬川の事を好きだとバラしているとすぐに分かったはずだ。恐る恐る瀬川の方を見れば、その瞳は閉じられ、少し苦しそうに、それでも規則正しく呼吸しているのが分かる。寝ている?殺せんせーは寝ている瀬川に話しかけていた?それとも今寝た?

「残念でしたね、前原くん。折角流れで告白するチャンスでしたのにねぇ。」

ヌルフフフフ、と笑う殺せんせーは馬鹿にしている顔になっている。もう一度ナイフを振れば、病人の前では静かにと注意されてしまった。

「タイミング的に話を聞いていたのでしょう?雅さんは自己表現が苦手なのでよく見ていてあげてください。」

「……はい。」

「それと、」

「はい?」

「さっき手を繋いでましたよね!?その時の状況を詳しく!2人のバトルから順に教えてください!」

……やっぱ殺した方いい気がしてきた。

相打ちとなった瀬川に手を差し伸べたのは無意識で、俺の手を取って立ち上がった瀬川がありがとうと言って微笑んだのには内心すごい喜んだ。
挙句瀬川から行こうと手を差し出されて、手を繋ぐ形になったのに瀬川は何も言わないでそのままでみんなの方に行くから誤解されても良いのかと思いそうになった。すぐに瀬川なら何も考えてないなと思い直したし、みんなカルマと渚の方に夢中で誰も気付かないと思って束の間の幸せを1人で楽しんだ。それを殺せんせーは見ていたというのか。恥ずかし過ぎる。

「殺せんせー…。」

「はい。」

「俺ホントに本気だからさ、あんまり瀬川に要らないこと言わないでほしい。」

「……分かりました。」

珍しく大人しく引き下がる殺せんせーに疑問を抱かないわけではないけれど、俺よりも瀬川の方がそれを嫌いそうだと分かっているから殺せんせーは諦めるのだろう。

「だそうですよ、みなさん。」

「……は?」

殺せんせーがドアの方に言葉をかければそこからE組のみんなが出て来た。バッチリ聞かれたらしい。いつから?
少なくとも俺が入る前は居なかった。いや、入る前も教室から見られていたと考えるべきだろう。

「速水さん、その銃はしまってあげなさい。」

殺せんせーは速水から銃を取り上げて、別の触手をその頭にポンと乗せた。

「前原くんの事は温かく見守ってあげましょうねぇ。」

再びヌルフフフフ、と馬鹿にした笑いをされて頭を抱えた。今までバレてなかった奴らにも一気にバレてしまった。1番知られてはいけなかった速水にこんなにも早く知られてしまう覚悟はまだなかった。

「女子は全員が雅の味方だから、くれぐれも覚えておいてね。」

俺の肩に手を置きながら言う片岡は滅多に見ないくらいのにっこり笑顔だ。瀬川に何かしようものなら、女子全員に総攻撃を受けることだろう。瀬川は速水をはじめ、女子全員と仲が良い。

「ちなみに俺も雅側だから。」

「俺も。」

そして男子までもが、次々と挙手していく。なんだこれ、四面楚歌か。救いの道はないのか。そして俺の肩を持ってくれる奴は一人もいないのか。

クラス全員から愛されている自覚は瀬川にはきっと無いんだろうなと思えば、悲しくなる。俺の想いが届いていない事は分かっているけれど、瀬川にはもう少し俺たちを信頼して自分を見せて欲しい。せめて、調子が悪いと、気付かせてくれるくらいには。
瀬川の調子が優れていたら、俺たちは相打ちになんてきっとならなかったのだろう。何故瀬川は、何も無いフリがここまで上手くなってしまったのだろうか。
殺せんせーが死神との戦いの後に言った言葉を思い出す。影響を与えたものが悪かった、と。人間を活かすも殺すも、周囲の世界と人間次第だと、誰かが言い換えていたっけ。
瀬川に根付いたその性質は相当深いものだろう。果たして瀬川が築いたその籠城を俺にどうにかできるのだろうか。




2021/05/17


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