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出会った時から、彼は自身へ向けられた様々な愛を否定していた。

「うるせぇ。何が『愛してる』だ」

彼に愛を伝えれば、返ってくる答えは決まってこうだった。それでも私は今日も変わらず彼に愛を伝える。

「愛してるよ、イザナ」

彼の生い立ちのことは、彼の腹心のような立場にいる鶴蝶から少しだけ教えてもらった。だから私は所詮その程度のことしか彼を知らない。私は彼からしたら『部外者』にすぎない。

それでも私は、この短い人生の中で初めて心をごっそり奪われた彼のことが大好きで、愛している。それが私の一方的な想いだとしても、それの押し付けにすぎないとしても、彼が受け取ってくれなくても、応えてくれなくても――それでも、私は良かった。

私はきっと、イザナに出会って初めて心から人を好きになることを知った。そして今は心から人を愛すことを知った……と思う。

「また、言ってたのか」
「あ。鶴蝶、おかえり」

少しだけ苛立ったイザナが部屋を出て行ってしまい、ぽつんとひとりで部屋にいた私に声をかけてきたのは、『トレーニング』から帰ってきた鶴蝶だった。
鶴蝶は私の向かいに腰掛けると、何とも言い難い目で私を見た。うん、何となくだけど彼の考えてることは分かる。それでも私は何を言われようとやめないと思うよ。

「ずっと聞きたかったことがあるんだが、聞いてもいいか?」
「うん。なに?」
「……ナマエはどうしてイザナのことをそこまで好きになったんだ?」
「え? うーん……どうしてだろう。でも初めてイザナと出会った時に心を奪われちゃったから……多分その時からずっと、ここまで好きなんだと思う」
「一目惚れ、ってヤツか」
「うん、きっとそう」
「……外野のオレが言うのも何だが、毎日あんな……その、冷たくあしらわれてるだろ? オレも恋愛とかそういうのはよく分からないが、アレだけ冷たくされてもずっと好きだと言えることがオレには不思議なんだ」
「……そうだね、私も不思議だなって思うよ」

そう、不思議だと自分でも思う。きっと今までの私だったら傷付いて、気持ちが冷めて、諦めて去っていただろう。でも今の私は違う。あれだけあしらわれても、それでもこの気持ちを言葉にして彼に伝えたいと思うのだ。たとえその言葉がどれだけ有り触れて、耳にタコができるほど聞いた言葉であろうと。思っているだけでは伝わらない。言葉にしなければ伝わらない。

力も何もない私が持っているのは、彼への、イザナへの愛だけ。ならば私はそれを精一杯伝え続けたいと思った。
彼だって一人の人間としてこの世に生を受けたのだ、愛される資格だってあるし、愛を受ける権利がある。……なんてこれも身勝手な考えではあるけど。

「でもね、私はどれだけあしらわれてもイザナのことが大好きだし、愛してる。イザナの過去のことはよく知らないけど……イザナもまた、誰かに想われ慕われていて、そして愛されている人なんだって、伝えたいの」

エゴだ。そう、これは完全なる私のエゴ。身勝手で自分勝手なもの。それでも私は、彼に一人ではないことを、そして周りの人たちから愛され慕われている人間なのだと、少しでも伝えたかった。

現に今目の前にいる鶴蝶もそう。鶴蝶もまた、イザナのことを心の底から慕っているからこそ、今もここにいて、彼に着いて行こうとしている。他の天竺の幹部の人たち、確かそう……極悪の世代? と呼ばれる人たちもそうだろう。

皆彼を慕っている。それは時たま話をするだけの私であっても分かった。だけど彼はそれらを否定する。認めないのだ。

「鶴蝶も、他の……えっと、極悪の世代? の人たちも、皆イザナのことを慕ってる。だからこうしてイザナの元に集ってる。だけどイザナはきっとそれを認めない」
「……そうだろうな」
「私は、少しでもいいからイザナにそういうのを、受け取らずとも見てほしいなって思うんだ。慕っている人たちの感情を、少しだけでも見てほしい、知ってほしい。……なんて、私の身勝手な気持ちだけどさ」

鶴蝶は黙って視線を僅かに下に下げた。これは困っている時に出る仕草だ。
誰から見てもただの部外者で、戦力にも何にもならない私が何を、と思っているかもしれない。でもそれは正しいことだ。何も知らない、何もできない部外者が、不用意にトップの思考を邪魔するようなことをするなんて、身内からしたら到底許せるものではないだろう。

少しの沈黙の後、鶴蝶がおもむろに口を開いた。

「……近々、大きな抗争が始まる」
「そう……」
「オレたちの近くにいるのは、今まで以上に危険だ。だから、抗争が終わるまではオレたち天竺に近づくな」
「……分かった。邪魔にならないようにするね」
「抗争が終わったら連絡する。それまでは、安全なところでイザナの帰りを待っていてくれ」
「うん。イザナのことを迎える準備、しておく。もちろん鶴蝶たち皆のことも。だって皆はイザナの大切な――ごめん。これは流石に、私が軽率に言っちゃいけないことだった」
「いや、いい。……ありがとな、ナマエ」
「うん。……抗争、気をつけてね。無事に帰ってきてね」
「あぁ」

* * *

鶴蝶から抗争の話を聞いてからしばらく経った。抗争が行われる日が決まったと、鶴蝶からメールで連絡をもらった私は、その日は学校も仮病で休んで、家から一歩も出ず、携帯を常に持って連絡を待っていた。

怖かった。イザナが、皆が、ちゃんと帰ってきてくれるのか分からなかったから。抗争の相手のことは知らないけど、イザナや皆がとても強いことだけは知っている。きっと皆、無傷でなくとも、ちゃんと帰ってくるはずだ。そう自分に言い聞かせた。

それでも、この胸の中に生まれた恐怖は消えてくれなかった。

「……イザナ」

自室で一人、祈るようなかたちで携帯を握りしめてうずくまる。今日はいつになく時の流れが遅く、時間を潰そうと何かをしようとしたが、抗争とイザナのことが頭から離れなくて集中ができなかった。
それでも時は進み、今は深夜。だが携帯は一向に光ることも鳴ることも、そして震えることもしなかった。

「お願い……」

その言葉にはたくさんの思いがこもっている。果たしてその込められた言葉のうち、幾つが叶えられるのかは分からない。でも、できれば全て叶って欲しかった。

神様がいるのならば、今がその威光を示すべきではないか。力を示して、無神論者に神はいるのだと、証明すべきではないか。なんて、理不尽な怒りにも似た思いが頭の中を駆ける。もうこの際、神であろうと悪魔であろうと、誰であろうといい、私のこの願いを叶えてほしかった。早く抗争が終わって、イザナや皆が無事だという連絡が来ること――この些細な願いを、叶えてほしかった。

目尻に涙が溜まり始めた頃、家の外で聞き慣れない音がした。

「バイク……?」

気になって、閉められたカーテンの隙間から下を見下ろすと、見慣れない金髪の人が、大きなバイクに跨っている姿が見えた。
誰だろう、と見下ろしていると視線に気づいたのか、その金髪の人が顔を上げて私の方を見た。暗いので顔があまりよく見えない。でも力強い視線であることだけは分かった。

再びバイクをふかす音が響く。もしかすると、これは私を呼んでいるのかもしれない。私は慌てて服を着替え、携帯だけを引っ掴んで自室を飛び出した。

「オマエがナマエ?」

転げ出るように玄関を飛び出すと、金髪の男の子がそう聞いてきた。あれ、なんでこの子、私の名前を知ってるんだろう。会った覚えもないし……。もしかして、イザナか誰かの知り合いなのかな。

「はい、私がナマエです」
「……後でちゃんと家まで送るから、今からオレと一緒に来て」

薄暗い中でも分かる真っ直ぐで力強い、有無を言わせない視線。思わず息を呑んだ。その視線があまりにもイザナと似ていたのだ。
初対面で名前も何も知らない人なのに、その視線を受けてしまった私は、ただ頷いて、男の子の元に行くことしかできなかった。

「これ、被り方分かる?」
「ごめんなさい、分からないです……」
「分かった。じゃあオレが付ける。後ろに乗ったらオレの腰にちゃんと掴まって。ちゃんと掴まってないと、危ないから」
「わかりました、お願いします」

男の子は一度バイクを停め、私にヘルメットを被せると、慣れた手付きで顎下のベルトを締めた。「キツくない?」と聞かれた私が「大丈夫」と答えると、男の子はバイクに跨がり、後ろに乗って、と後ろに視線を投げた。

おそるおそる男の子の後ろに跨り、男の子の指示に従って、両サイドにあるバーに足をかけた。私が後ろのシートに座ったことを確認した男の子は、私の手を掴んで自身の腰に持っていき「ここに腕回して」と言った。私は少し強めに、男の子の腰に腕を回して、抱きつくように掴まると、男の子が一度バイクをふかし「少し飛ばす」と言ってバイクを発進させた。

男の子は宣言通り、かなり早いスピードで、どこかに向かってバイクを走らせていた。男の子の後ろに乗る時、彼が着ていた服の後ろや腕などに、金糸で文字が書かれていたのが見えたので、きっとこの子もイザナと同じ、暴走族の一人なのだろうということは何となく分かった。だからきっと、この子からすると、このスピードはまだ遅い方なのかもしれない。

しかし、人生初のバイクである私にとっては、恐怖心がどんどん膨れ上がっていくくらい、早いスピードだった。本当に怖い。自転車で二人乗りした時の方がよっぽどマシだ。

「着いた。……大丈夫?」
「は、はい……何とか……」

あまりの恐怖に、私は男の子に抱きついて目を瞑っていた。そのため男の子がどこを走り、どこに着いたのかが全く分からなかった。男の子の言葉を聞いて、ようやくゆっくり目を開くと、そこは大きな病院の駐車場だった。
どうして病院に連れて来られたのだろう。

「あの、ここって……」
「病院」
「そうですね。でも、どうしてここに連れてこられたんでしょうか……」
「……ここにイザナが運ばれた。あと、カクチョーってヤツも」

男の子の言葉を聞いた私は、思わず目を見開いた。イザナと鶴蝶が運ばれた? この病院に? どうして?
途端に嫌な予感が頭の中に溢れてきて、嫌な汗が噴き出てくる。そんな、そんな……。

「オレは行けない。だから、ここから先はオマエ一人で行って」
「……あなたは、『理由』を知っているんですか」
「……」
「……もう一度聞きます。あなたは、イザナと鶴蝶がここに運ばれた『理由』を、知っているんですか」

男の子は少し視線を下に下げ、黙っていた。男の子のそんな姿を見て、ハッと我に返る。この子は今、イザナたちが病院に運ばれたことに関して、苦しいほどの責任を感じている。それなのに私は、この子に責め立てるようなことを言ってしまった。私は、これ以上責める言葉を言わないように、唇を噛み締め踵を返し、病院の夜間の出入り口へと走った。

嘘だと信じたかった。悪い夢だと思いたかった。だけど、未だ私の携帯に誰からも連絡が来ないことが、全てを物語っていた。

「こちらでお待ちください」

真っ赤に光る『手術中』の文字が、薄暗い廊下に浮かんでいる。近くの椅子に腰掛けた私は、ひたすら二人の手術が成功することを祈り続けた。