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電車に揺られながら今日の会話を振り返る。鶴蝶、エマちゃんとヒナちゃん、そして万次郎くん。話したタイミングは違うのに、皆は必ず「イザナは私のことが好き」だと言った。それだけ周りの人が言ってくれるのなら、もう少しだけ自信を持っていいのかもしれない。自分のイザナに対する想いはもちろんだけど、私が認識しているイザナの好みとか、趣味とか、癖……そういうところも、だ。
たとえば、イザナは人混みがあまり好きではない、でも別に絶対嫌だという訳ではない。例として、彼は鶴蝶と一緒に中華街に行って、肉まんの食べ歩きをしていたことがある。だからなにかしら本人の目的があれば、問題はないのだろう。
たとえば、イザナは気圧に弱い。なので、天気が崩れて気圧が低くなった時はいつも以上に眉間に皺を寄せていることが多い。だからこそ、彼は気圧があまり低くない場所が好きだ。彼曰く『気圧が軽い』ところが好き。風を浴びるのも好きなのか、高いところを好む。
改めてイザナの好みや、それに関する特徴などを頭の中で並べていき、考える。私が持っている情報と、エマちゃんとヒナちゃんと話した結果決めた『夜景』というキーワード。これらを組み合わせて導き出せる場所は――
そこで不意に携帯が震えた。取り出して確認すると、イザナからメールが一通届いていた。
『駅まで迎えに行く』
たった一文だけの、そっけなさも感じる文面。だがこれはいつものことで、自身が言いたいことだけを記載しているところがイザナらしいとも思える。しかし、果たしてこの文にある『駅』とはどこの駅を指しているのだろうか。イザナには、エマちゃんとの待ち合わせ場所に行く前に、『渋谷に行ってくるね』と一言連絡をしていたため、『駅』に該当するものは、少なくとも地元の駅であり、よく利用する横浜駅と、私の行き先であった渋谷駅の二つある。だがイザナが渋谷にくるとは思えない。なにせ渋谷には万次郎くんとエマちゃんがいる。イザナは今も二人に会うのは少し嫌らしく、私が渋谷に行く旨を連絡した時も『さっさと帰ってこい』という返信が、間髪入れずに来た。きっとこの裏には盛大な舌打ちをするイザナがいただろう。となれば、やはりこの『駅』は『横浜駅』と考える方が自然だ。
『分かった、ありがとう。乗り換える駅に着いたらまた連絡するね』
そう返信して携帯をしまい、メールの受信で途切れた考え事に戻る。少し前にテレビで紹介されていたとあるスポットは、デートスポットとしてもおすすめらしく、そこから見える夜景はとても綺麗だそうだ。その上予約も要らないらしいので、少し早く行けば、人がいないタイミングで入ることができるかもしれない。
――あの場所なら、イザナも首を縦に振ってくれる……と思う。
どうしても言い切ることができないのは、やはり自分の中で分からない部分があるからだ。
偶然出会って、一目惚れして、そこから頑張ってずっと傍にいた。だけどあの頃のイザナは孤高で、孤独で、どれだけ傍にいても何も見えなかった。知ろうとして少しでも踏み込む素振りを見せれば、途端に拒絶された。
冷え切った鋭く冷たい瞳で、『近づくものは誰であろうと敵だ』と睨みつけている手負いの狼。それがあの頃のイザナだった。ただの部外者でしかなかった私が近づこうものなら、今にも喉笛を噛み切ろうと飛びかかってきそうなほどの敵意と拒絶意識を彼から示され、それ以上近づくことは許されなかった。私も私で無理に近づいて暴こうとは思っていなかったので、結果として表面的なこと以外はほとんど分からないままでいた。
だけどあの抗争をきっかけに、イザナは改めて自分の周りにいる人たちをちゃんと見るようになった。そこでようやく、私も少しずつ彼の内側を知っていった。相変わらず言葉が少なかったりするときはあるが、それでも態度や雰囲気、声色などに彼の気持ちが滲み出ていたので、言葉が少なくとも、抗争前よりはずっと分かりやすかった。とはいえ、そうやって分かるようになったのは、ここ数ヶ月くらいのこと。だからこそ、どうしても自信が持てないのだ。
少なからずイザナは私のことを好きでいてくれている。それは疑いも不安もない。不安を抱くのは、彼本人に関わることが主だ。
「はぁ……」
小さなため息をついたところで、電車を乗り換える駅に着いた。扉が開くと同時に押し出されるようにしてホームへ降りると、人混みから外れ、邪魔にならない場所まで移動した。そこでイザナに連絡を入れ、乗り換え先の電車が到着する場所へと向かった。
*
『今横浜駅に着いたよ』
横浜駅に到着したタイミングで再度連絡を入れる。どの出口で待っているんだろうか、と辺りを見回していると、持っていた携帯から電話の着信を知らせる着メロが流れた。突然の電話で少し驚きつつも電話に出れば、少しガヤガヤとした雑踏の音と一緒に彼の声が聞こえた。
『今どこにいる』
「まだ改札の中だよ。どの辺にいる?」
『東口のでけぇビルの近く。早く来い』
「東口の大きなビル……あぁ、前に待っててくれたあそこね。分かった。今行く」
イザナが言っていた『大きなビル』は『某横浜と言えばのしゅうまい店の本社』のことだ。前に私が横浜駅まで出かけた時も、その本社ビルの隣にある路上パーキングのところで待っていてくれたのだ。
お兄さんと喧嘩別れをした後、一度はバイクを手放し、乗ることすらしていなかったイザナだったが、少し前に当時乗っていたものと同じバイクを入手したらしい。以来私がどこか出かけた時は、天気が良ければバイクで迎えに来てくれていた。そのため、バイクに乗っても大丈夫なように、自然とズボンやパンツを履くようになった。今日ももちろんパンツスタイルだ。
東口を出て、イザナが待つ場所へと向かう。いつの間にか空はオレンジに焼けていて、カラスであろう鳥の影がその上を飛んでいた。同じように東口から出てきた人たちは、足早にあちこちへと散っていく。私の向かう方向へと行く人も多少いたが、駅内よりかは人がまばらだったため、歩きやすかった。
「お待たせ。迎えに来てくれてありがとう」
路上パーキングのある道まで行くと、一番手前側のスペースに、バイクに跨っているイザナの姿があった。小走りで駆け寄って声をかけると、こちらを向いて「遅ぇ」と一言だけ返したあと、ヘルメットを投げ渡された。それは彼が初めてバイクで迎えに来てくれた時に「オマエの」と言って私にくれたもので、後ろに乗る際は必ず渡され、被っていた。
「早く付けろ」
「えっ。あ、うん」
「付けたらケツ乗れ」
ヘルメットのベルトの締め方はイザナに教えてもらったので、今はぎこちないなりにも自分で締められるようにはなった。ちなみに初めて被った時は、ベルトの締め方が下手なりにも出来ていたため、体感小一時間くらいは問い詰められた。最終的に盛大かつお手本のような舌打ちをもらった後、正しい締め方を教えてもらい今に至る。
「今日もよろしくお願いします」
「ちゃんと掴まってろよ」
私は片手でタンデムバーを掴み、もう片手は彼と私の脚の間にあるスペースに乗せて姿勢を整えた。それを確認したイザナは何か言いたげだったが、それを聞く前に彼がバイクを発進させた。少し気になりはするが、後ほどどこかで聞くことにしよう。そう思い、私は視界の半分以上を埋める彼の背中を見つめていた。
今の私の乗り方は、どうやらバイクの二人乗りをする際の正しい乗り方らしい。私自身もやったし、創作物の中でもよく見るであろう『操縦者の腰に抱きつく』という行為は、実際はとても危険な乗り方だそうだ。理由は、操縦者はバイクを運転している際、バランスを取らなければならず、その要となっているのが腰だ。カーブを曲がる時などは、腰を使ったりして重心やバイクの角度などを調整しているらしい。だからその腰が固定されてしまうと、操縦者はバランス調整部分が固定されてしまっているため、危険なんだそうだ。
この知識は少し前に鶴蝶が教えてくれたことだった。彼はイザナがバイクを再所持してから、よく後ろに乗るようになった。だが彼は説明をほとんどせず、『身体で覚えろ』スタンスでやってきたため、独学でタンデムについて少し学んだらしい。おかげで、教えてもらったその知識が今とても生きている。ありがとう、鶴蝶。
しばらくして、バイクは本来であれば右に曲がる道を、反対の左へと曲がった。私の家に行くにしても、イザナの家に行くにしても、曲がる方向は右だ。それなのに、どうして左に曲がったのだろうか。もしかして何か用事があるのだろうか。
最初に感じた引っかかり、そして今また生まれた引っかかり。イザナは、何か明確な考えを持って移動しているみたいだけど、その考えが全く予測がつかないのだから困った。一体彼はどこを目指しているのだろうか。
*
「着いた。降りろ」
「う、ん」
着いた場所はどこかの駐車場だった。外したヘルメットをイザナに渡しながら、辺りを見回す。周辺には青や赤のコンテナたちが積まれていて、建物らしい建物は。その建物の見た目は、私が少し前にテレビで見た『夜景スポット』があるシンボルタワーだった。
ここに着く間に空は群青色に染まっていて、水平線の向こう側だけが焼けるようなオレンジ色をして揺らめいていた。
「イザナ、ここは? どうしてここに来たの?」
そう問えば、イザナは眉間にキュッと皺を寄せた後、綺麗な舌打ちをして私の空いていた手を掴み、歩き出した。
『まさか』と思う私がいる。だけど『そんなことない』と思う私も同時にいた。まるで天使と悪魔のように正反対の私二人は、脳内で「そうだ」「違う」と言い合っている。この争いの論点は分かっている。イザナが何も言わずにここに連れてきたことが、『デート』なのかどうか、という点だ。脳内でそんな論争が繰り広げられていることなど知らないイザナは、私の手を引きながらタワーへと続く階段を上がり始めた。
タワーの中に入ると、それなりに人がいた。大体が男女ペアで仲睦まじそうに手を繋ぎ、時に寄り添い合っている。夜景スポットとして紹介されるくらいの所だからか、私たちより少しだけ年上だろうな、というカップルが多くいた。テレビの紹介文の中にあった『ムーディな雰囲気』というのは、もしかしたら今のこの空間のような雰囲気のことを言うのかもしれない。
イザナは私の手を掴んだまま、無言でどこかへと向かって歩いていた。その雰囲気はいつもと少し違っているが、どうにも言葉で言い表すには難しい。でも怒っているわけではないことだけは分かった。怒っていないとしたら、一体何なのだろう。色々なことが気になるが、私の手を引いて前を歩く彼の背に質問を投げることはできなかった。
どんな理由があれ、初めてのデートで行きたいと思っていた場所に今、一緒にいられていることが私の胸を嬉しさと幸せでいっぱいにしていたのだ。
海が広がる展望室の中の一角で、ふとイザナが足を止めた。それに合わせて足を止めた私は、彼の背中越しに窓の向こうを覗いた。
「コンテナばかりだけど、遠くのビルの明かりとか、空が綺麗だね」
「……あの辺りが、オレと
それはとても静かな口調だった。穏やかとは違う、例えるなら凪のような、静かで淡々としたものだった。
イザナが指を差した先には、たくさんのコンテナが置かれていて、その中央にはそれなりの広さがある空きスペースが見えた。あの場所で、抗争が起きてイザナと鶴蝶が生死を彷徨った。本人の口からそれを聞いても、やはり私には想像がつかなくて、どこか遠くの場所の出来事に思えてしまった。
私はイザナの背後から移動して、彼の隣に立ち、静かにコンテナ群を見た。隣にいる彼は、静かな口調のまま抗争について話をしてくれた。
お兄さんのこと、万次郎くんたちと血の繋がりがないこと、空っぽになっていたこと、万次郎くんを憎んで、どこか羨んで、そして壊してやろうと思っていたこと、あの場で生死を彷徨った時のこと……。本当に淡々と、静かな声色で話してくれたそのどれもが、言葉をかけることができないくらい、私とはかけ離れた出来事ばかりだった。なんと言えばいいのか、と言葉を探して黙る私を、イザナは
「ナマエには、どこかで話しておこうとは思ってた。でもそれは別に、何か言葉が欲しかったわけじゃねぇ」
カラン、とイザナのピアスが揺れる音がして、私の身体が横に引き寄せられた。突然のことでバランスを取ることもできず、引かれた力に従って横に傾けば、トン、と彼の身体に当たって身体が止まり、するりと私の肩に彼の腕が回された。
「オマエはオマエのまま、オレの隣にいればいいんだよ。変なことで悩んで、他のヤツらのところに行ってんじゃねぇ。知りたいことがあるなら、オレに直接聞け」
「……えっ。もしかして、私が鶴蝶やエマちゃんたちに相談して回ってたこと、知ってたの?」
「お節介なヤツらが、オレに連絡してきたからな」
どうやら今日私が相談して回った人たちが、イザナに何かしらの連絡をしていたらしい。正直とても恥ずかしいが、皆気にかけて連絡を入れたのだろうから、その優しさには心の中でお礼を言った。
「正直言うとね、イザナのことを少し知れたなって感じたのは、あの抗争が終わって、二人が目を覚ました頃からなんだ。だからまだ、分からないことがたくさんある。知らないこともきっと、たくさんある」
私は首元に垂れるイザナの手に、そっと自身の手を添える。相変わらず少しだけ冷たくて、でも確かな温度のある彼の手は、喧嘩で人を殴ったりしたこともあってか、節くれ立っていて硬く男らしい手だが、肌は傷跡こそあれど、喧嘩している手とは思えないくらい綺麗だった。その手がどうにも好きなのは、きっとイザナ本人を表しているように感じるからだろう。
添えた手で、軽くイザナの指を握る。こういう時、握り返してくれないのが常だが、今日は珍しく握った指を少し曲げて握り返すような仕草をしてくれた。
「私はもっとイザナのことが知りたい。だから、たくさん教えてほしい。イザナのこと」
「……言われなくても、嫌ってほど教えてやるよ」
*
あの後、私は自宅まで送ってもらった。家の前に着き、バイクの後ろから降りた私は、ヘルメットを返すと同時にずっと気になっていたことを聞いてみた。
「ねぇイザナ。今日のアレは、その……デートって思って、いいの?」
すると、イザナは少し目を細めて眉間に皺を寄せてから、小さく舌打ちをして答えた。
「それの他に何があるんだよ。あ?」
最後に凄まれたのは、多分私が最初から最後まで『デート』だと思っていなかったことに対する、不満と苛立ちのせいだろう。
でもまさか、本当にデートだったとは思わなかった。いや、冷静に考えたらデートではあっただろうけど、イザナはデートのデの字も言わなかったから、私が勝手に勘違いして、一人舞い上がって喜ぶのは虚しいと思い、自制して疑問を抱き続けていたのだ。
しかし、私から「デートに行きたい」と言ったのに、イザナもイザナでそのことを考えてくれていたなんて、とても嬉しかった。私だけが行きたいと思っていたのだと考えていたが、そうではなかったのだ。あまりにも嬉しくてつい笑みを溢したら、彼の眉間の皺が少し深くなった。
「ありがとう。デートしてくれて。それから、イザナ自身のことを話してくれて。凄く嬉しかったし、忘れられない初デートになったよ」
「次はオマエが考えろよ。行く場所」
「うん。イザナも気に入ってくれそうな場所、探しておくね」
「……オマエは行きてぇ所とかねぇの?」
「特にない、かなぁ。イザナと一緒ならどこでも楽しいから」
「……そーかよ。欲のねぇヤツ」
「そんなことないよ。私、これでも結構欲張りだと思うんだけどな。だって、もっとイザナの傍にいたいって思うし、色んなことを知りたいって思ってるよ」
そう答えると、イザナは再び舌打ちをした。どうやら求めていた回答ではなかったらしい。だけど今言ったことはどれも全て事実で、私の本心だ。元々馴れ合ったり、たくさんの人を傍に置くタイプではないイザナの傍にいたいというのは、かなり欲張りだと思う。そしてイザナのことを知りたいというのも、ある意味欲求だと思う。だからやっぱり私は欲張りだと思うし、欲はそれなりにあると思うのだ。
「次行く場所はオマエが行きたい場所にしろ。いいな」
そう言って、イザナはバイクを発進させてしまった。声をかける隙もなかったため、喉元まで来ていた言葉を口にすることもできず、私はその場に立ち尽くし、小さくなる彼の背を見つめることしかできなかった。
『なんで』とか『どうして』と問いたい気持ちはあったが、先ほどの会話の内容を思い返した結果、ひとつの結論が出た。
「もしかして、私のことを知ろうとしてくれてる……?」
あの展望台で、イザナは自分のことを話してくれた。それはきっと、彼の人生の中の一部分に過ぎないだろうけど、今まで知らなかった彼の過去や想いを教えてもらったのだ。だけど私はどうだっただろうか。何か私自身に関することを、彼に話したことはあっただろうか。できるだけ思い出してみたものの、話した記憶はほとんどない。何が好きで、何が嫌いで、何が苦手か。そう言った簡単な好みすら、私は彼に話したことがない。
私がイザナのことを知らない・分からないように、イザナもまた、私のことを知らない・分からないという状態なのかもしれない。だから、彼なりに『教えて』と言っていたのかもしれない。
「……そっか」
私は何だか嬉しくなって、自然と笑みが溢れた。次のデート先は私の好きな所にしよう。イザナが気に入ってくれるかは分からないけど、彼に私のことを知ってもらいたいから。何が好きで、何が嫌いで、何が苦手なのか。得意なことや不得意なこともそうだ。これから色んな場所に言って、色んな話をして、そうしてお互いのことを知っていく。それはきっととても楽しくて、幸せなことだと思う。だって愛する人のことを知るのは、きっと嬉しいと思う方が多いだろうから。
私は次のデートのことを考えながら、玄関を開けた。