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 結果は最悪と言っていいだろう。天竺は東卍に負け、オレとイザナはそれぞれ重傷を負い、生死を彷徨った上に、何日も目を覚まさなかった。死んではいなかったが、果たしてこれは『生きて帰った』と言えるのだろうか。

 生死を彷徨っている時、オレは夢のようなものを見た。内容は今でもハッキリ覚えている。
 そこで目を覚ましたオレは、果てが見えないほど遠くの方まで広がる花畑の中に立っていた。

「……まさか、天国か?」

 天国になんて行けるわけないのに、と自嘲する。取り敢えず適当に歩いてみよう、と思ったオレは、おもむろに歩き出した。

 しばらく歩いていると、視線の先に湖らしきものが見えてきた。気になってそこに近づくと、辺りに人らしき姿が見えた。ここまで歩いている中で人はおろか、動物も虫も一匹とて姿を見ていなかったため、突然見えた人の姿に少し戸惑い警戒しつつも、この場所のことが分かるかもしれないと思い、近づいて声をかけた。

「なぁ――」

 その瞬間、オレは本当に心の底から驚いた。なにせ振り返ったら、その顔はナマエそっくりだったからだ。

「な――どう、して」
「ここはあの世とこの世の狭間。君は死にかけてるんだね」

 声までそっくりとは思わなかった。後ろ姿や髪型は明らかにオレの知っているナマエとは違うのに、顔も声も一緒だから混乱する。だが、こんな場所にアイツがいるはずもないと頭では分かっていた。

 ナマエそっくりなコイツの言葉を借りれば、ここは『あの世とこの世の狭間』なのだ。オレのように生死を彷徨っている人間ならまだしも、絶対に無事で、命の危機に瀕するはずのないアイツがここにいるわけがないのだ。

 それに、アイツはオレのことを必ず『鶴蝶』と呼んでいた。だから今目の前にいるコイツは、ナマエとそっくりな顔と声の知らないヤツだ。

「オマエ、誰だ。なんでアイツの顔と声をしているんだ」
「私はあの世とこの世の橋渡しのような役割をしている者だよ。君の言う『アイツ』とそっくりな顔と声なのは、持ち主が君の初恋だからさ」

 そう言ってヤツはけらけらと楽しげに笑った。オレが恋というものを知ったのは、この時だった。かなり不服な知り方ではあるが、それでも知ることができたこと自体は今も良かったと思う。

「聞いたことないかい、『あの世からのお迎えは、自身の初恋の人の姿をしている』って」
「聞いたことないな」
「そうか。最近はそういう話も薄れてきたのかな。まぁいい。ともかく、君は今生と死の狭間にいるんだ。とても危ういところにいる、それは理解しているかい」
「……あぁ」
「それならよかった。……で、君はここで人生に終止符を打っていいのかい」

 ヤツはそう言ってオレの目を真っ直ぐ見つめてきた。その瞳は底なし沼のように暗く、でも濁ってはいなくて、むしろ綺麗に澄んでいた。それが本当にアイツにそっくりで、オレは目を逸らしたくなった。

「オレ、は……」

 『まだ死ねない』。その言葉が喉元まで昇ってきたが、言葉として口から出す直前で引っかかった。確かに今このタイミングで死ぬということは、アイツとの約束を破ることになるし、身をていして守ってくれたイザナに申し訳が立たない。それなのに、同時に「もういいんじゃないか」と囁くオレもいた。

 だがどちらの答えを選ぼうと、オレはイザナがいる方を選びたかった。オレは地獄の果てまでも、イザナに着いていくと決めていたから。

「イザナは……。イザナは、ここに来たのか」
「来たよ。君がここに来る少し前のことだ」
「……イザナは、『どっち』を選んだんだ」
「それは秘密だ。私は君自身の答えが聞きたい。君の意思に影響を与えるかもしれないことは教えられないよ」

 イザナだったら——そこまで考えて、オレは気づいた。オレの言葉が喉で詰まっていたのは、イザナが『どちら』を選んだのかが分からなかったからだ。もしもイザナが死を選んだのに、オレだけが生を選んでいたら、オレはその選択を死ぬまで後悔するだろう。たとえ、オレが生を選ぶことをイザナが望んでいたとしても、オレはきっと後悔し続ける。

「時間はあまりないんだ。君の答えを聞かせてもらいたい。君はどちらを選ぶんだい」

 どちらが正解なんだろうか。イザナはどちらを選んだのだろうか。色々な考えが、濁流になって頭の中を駆け巡る。そして行き着いた先に、あるものを見た。それに行き着いたオレは、答えを出した。

「オレは——」

 オレの答えを聞いたヤツは、満足そうな微笑みを浮かべた。

 *

 ゆっくりと目を開ければ、目の奥を刺してくるような白い光が視界いっぱいに広がった。その眩しさに目を細めたオレは、眠っている間に見ていた夢のことを思い出していた。

『オレは、生きる。イザナのためにも、アイツのためにも……そして、オレ自身のためにも』

 ずっとイザナのために生きてきて、イザナのために自身の負けを許さず、強さを追い求めていた。孤児院でイザナの『下僕』になった時から、オレの人生の中心はイザナだった。人生も命も、全てかけてついていくと決めていたから。

 だが、その道を選んで初めて、オレがオレ自身のために、生きることを選択した。もちろんイザナやナマエの存在も理由の一つではあったが、そこに『オレ自身のため』という言葉が並んだのだ。それが何よりの証拠だと思う。

 光に目が慣れてきたところで、少し離れたところから何かが動く音がした。同時に誰かが入ってきたようで、その靴音がこちらにやってくるのが分かった。

「イザナっ! 鶴蝶っ!」

 その声は紛れもないナマエのものだった。まだ上手く動かせない頭を少し動かしてそちらを見れば、ナマエの少し後ろにマイキーがいた。後に聞いた話だが、二人はオレたちが意識を失った後、ムーチョがアイツの家の場所をマイキーに伝えたらしく、それをきっかけに知り合い仲良くなったらしい。

 ナマエは泣きそうな顔をしながら、イザナとオレの手に触れて「おかえり」と言ってくれた。抗争前にオレに言ってくれた「待っている」という言葉は、ずっと変わらなかったのだ。その事実で胸の内が暖かくなり、だが同時に強く締め付けられた。

「ただいま」

 オレがそう言えば、ナマエは泣きそうな顔で微笑んだ。
 それからずっと、ナマエはほぼ毎日オレたちのところへと見舞いに来てくれた。オレとしては来てくれること自体は嬉しかったが、アイツが無理をしていないかが気がかりだった。

 だがそれを直接言うのは、アイツの頑張りや思いを否定してしまう気がして、言うことはできなかった。そして、オレがアイツとイザナが二人でいる姿をこうしてまた見られることが嬉しくて、どうしても言い出せなかった。

 オレはずっと望んでいた。いつかこうして、二人がまた一緒にいられるようになってほしいと。イザナの隣にアイツがいて、幸せそうに笑っていてほしいと。たとえイザナへ向けている思いと同じものがオレに向かないとしても、二人が並んで笑っているのであればそれでよかった。

 オレは、ナマエとイザナが笑い合っているのであればそれでよかったのだ。それがオレの望みだった。二人はオレにとって大切な存在だから。

「鶴蝶」

 ある日、ナマエが帰った後にイザナがオレに声をかけた。別にそれ自体は珍しいものではなかったが、その時だけはどうしてか『いつもと違う』と感じた。

「アイツのことは、オマエであろうとぜってぇ渡さねぇ。……だけど、もしこの先オレに何かあったら、アイツのことはオマエに任せる」
「は? な、何言ってんだよイザナ。なんだよ『何かあったら』って」
「……ヤキが回ったな、オレも。今の話は忘れろ」

 そう言ってイザナはオレに背を向けて横になった。一人残されたオレは、イザナが言った言葉の意味を考えていた。その『意味』を理解するのは、随分と先のことになる。この時のオレはただ困惑することしかできなかった。

 イザナは言わなかったが、きっと気づいていたのだろう。オレがナマエに向けてしまった『気持ち』のことを。そしてその上で、オレに任せると言ったのだ。だけどそんな日なんて、きっとこの先もないだろう。二人は一緒に生きて、きっと死ぬその瞬間まで一緒なはずだ。

 なんたって、イザナがナマエ一人を置いて、一人で先にいくなんてあり得ないだろうから。