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手術は意識が遠のくくらい、長い時間行われていた。音もなくパッと赤いランプが消え、固く閉ざされていた扉が開く音がして、落ちかけていた意識が一気に覚醒した。
「あなたは?」
「二人の友人です。二人とも家族がいなくて、代わりに来ました」
「なるほど、そういうことでしたか」
「あの……手術は。二人の手術は、成功したんですか」
「はい。二人とも成功しました。ですが、まだ油断はできない状況です。二人とも出血量と傷が酷く、手術が成功したと言っても予断を許しません」
「そう、ですか……」
その後、私をここまで案内してくれたナースさんから「今日は一旦帰った方がいい」と言われ、私はナースさんから差し出された書類に、自分の名前と携帯番号を書き、病院を出た。
外に出ると、暗かったはずの空が白み始めていた。どうやら私の体感ではなく、本当に長い間手術が行われていたようだ。その空を見て私は大事なことを思い出し、走り出した。
「どうだった?」
私をここまで連れてきてくれた金髪の男の子は、来た時に停まった場所にバイクと共にいた。
「手術は成功しました。ですが、まだ予断を許さない状況みたいです。私は一旦帰りなさいと言われて、戻ってきました」
「そっ、か……。ありがと、教えてくれて」
男の子はそう言って力なく微笑んだ。
白んできたこともあり、ようやく男の子の姿をしっかり見ることができた。顔を見るにかなりボロボロで、微かな血の跡も見える。
ここで私の中に一つの仮説が生まれた。イザナたちが着ていた特服とは違う特服を着ていて、まるで喧嘩後のようにボロボロな顔。そして、私がイザナと鶴蝶と関係がある人だと知っていること。つまり――
「もしかして、あなたが今回の抗争の相手チームの人、なんですか?」
「……そうだよ。オレはそのチームの総長」
「あなたが?!」
「なんだよ。意外?」
「意外というかなんというか……。まさか私のことをここに連れてきてくれた人が、抗争相手の、それも総長さんだなんて思わなくて……」
「そ。……オレ、イザナのこと助けられなかった。ごめん」
男の子はそう言って悔しそうに、そして悲しそうに、唇を噛み締め頭を下げた。私は一瞬驚いたものの、その驚きを出さないように、その場で小さくゆっくりと呼吸してから、頭を下げている男の子のすぐ前に立った。
「頭を上げてください」
男の子はゆっくりと頭を上げ、私のことを真っ直ぐ見つめた。真っ黒なその瞳が揺れる。私は男の子の両手を取ってしっかりと握り、そして真っ直ぐ瞳を見つめて口を開いた。
「私は抗争で何が起きたのかを知りません。でもあなたがそうやって責任を感じているところ、そして私をここまで連れてきてくれたこと。それらにあなたの誠意を感じました。……だから、大丈夫です。あなたがそんな泣きそうな顔をする必要もありません。私と一緒に、二人が目覚めるのを信じて待ちましょう」
そう言うと男の子は一瞬目を見開いた後、私の両手に握られていた手に、震えるほどの力を込めた。
男の子はただの抗争相手のはずなのに、どうしてここまで感情が揺れているのか。どうして私をここに連れてきてくれたのか。私には何一つとして分からない。だけどこの子もこの子で二人のことをとても心配していることは確かなのは事実。だからそれで良しとしようと思った。
喧嘩だって熱くなりすぎてやりすぎることもあるのだと、イザナの側にいれば嫌でも知っている。
もし仮にこの子が『やりすぎてしまった』ために二人が病院に運ばれ、緊急手術を受けることになったのであれば、それは分かったその時に怒ればいいだけのこと。今目の前にいるこの子は不安と自責を抱えているだけの子、そして二人の心配をしている優しい子だ。
なら同じ二人を心配する者同士、二人が目覚めることを信じて待てばいい。そう思ったのだ。
「そうだ、まだあなたの名前を聞いてなかった。あなたの名前は?」
「マイキー。イザナから聞いたことねェ?」
「マイキー? ……あぁっ! そういえば、前に一度だけ聞いたことがあります。でもそれ、あだ名のようなものですよね? 確か名前は……えっと、佐野――」
「万次郎。佐野、万次郎」
「そう! 万次郎! そっか、あなたが『万次郎』だったんですね」
イザナが前に、一度だけ『万次郎』に関する話をしてくれたことがあった。お世辞でもあまりいい話とは言えないものだったが、彼と深く関わりのある人であることは何となく分かったので、いつかその『万次郎』という人に会ってみたいと思っていた。
しかしまさか、こんなかたちで出会うとは思ってもいなかったが。
「私、一度あなたに会ってみたいと思っていたんです。お会いできて嬉しいです」
「……ずーっと思ってたんだけど、その口調ヤダ。普通に話してくんね?」
「うーん、そう……。分かった、じゃあ普通に話すよ」
「ん。……でさ。イザナがオレのことどう話してたのかは知らねーけど、少なくとも『いい話』ではなかっただろ? それなのになんで会いたかったわけ?」
どうやら、万次郎くんは自身がイザナからよく思われていないことを知っていたようだ。なんでだかは知らないけど。
しかし、そうであれば万次郎くんの疑問は当然のこと。イザナの傍にいた私が、自分をよく思っていないイザナから自分のことを聞いているとなれば、必然といい話ではないことが想像ついたのだろう。
「確かに、いい話とはお世辞でも言えないものだったけど……でも珍しくイザナが名前を出して話していた人だったから、気になってたんだ。彼、普段自分の周りにいる人ですら、あまり名前を呼ばないから」
「……オマエ、危機感がないって言われたことない?」
「言われたことないけど……」
「マジかよ。……まぁいいや。で、気になっていた『万次郎』に会った感想は?」
「うーん……。思っていたよりも厳つい人じゃなかったのと、優しい人なんだなって思った」
「なんだそれ。オマエ、どんなヤツ想像してたんだよ」
「なんかこう……すっごく厳つくて怖い人」
そう答えれば万次郎くんはケラケラと笑った。万次郎くんはちゃんと笑える人なんだ。そう思ったらなんだか安心した。さっきまでは、今にも壊れてしまいそうなくらい、不安でいっぱいの顔をしていたけど、少し元気になっただろうか。
ひとしきり笑ったところで、万次郎くんはパチパチと瞬きをした後に「あっ!」という声と共に見開いた。結構表情豊かなんだなぁ。
「忘れてた! 乗って!」
「うわっ!」
万次郎くんが慌てた様子で私にヘルメットを投げ渡してきた。突然のことで驚いた私が、それを落とさないように必死にキャッチする。その間に万次郎くんはバイクに跨って「早く!」と私を急かした。
慌ててヘルメットを被り、付けたことのない顎下のベルトを付けようと頑張っていると、痺れを切らした万次郎くんが、眉間に少しシワを寄せてバイクから降り、私の元へやってきた。
「オマエ、ベルトの付け方、イザナから教えてもらわなかったのかよ」
「いやっ、だってイザナ、バイク乗ってなかったし」
「……できた。急ぐぞ」
万次郎くんは私の手を掴み、ぐいぐい引っ張って自身のバイクの方へと歩いて行った。そして先にバイクに跨ると、来る時と同じように後ろに視線を投げて「乗って」と言った。
「か、帰りはあんまり飛ばさないでくれると……助かるかな……」
「でも早く帰んねーと、オマエの親が怒るんじゃねーの? オレはいいけど」
「あ……」
ここで私は、両親に特段説明もせず家を飛び出してきたことを思い出した。これは確かにまずい。本当に早く帰らなければ……。きっと遅くなればなるだけ、両親の怒りゲージが上がっていくだろう。
私は覚悟を決め、万次郎くんの腰に腕を回した。
「急ぎで、お願いします……」
「安全運転にはすっから、またちゃんと掴まっとけよ」
「うん。よろしくお願いします」
結果として、私は両親にまぁまぁ叱られた。当たり前だ。だけど私が家を飛び出した時のその慌てっぷりや、昨日一日の私の様子を見て、察していたのかもしれない。お叱りは思っていたよりも短い時間で終わった。
別れ際に連絡先を交換していた万次郎くんから『どーだった?』と一言だけメールが来ていたので、『叱られたけど、思っていた以上にすぐ終わったよ』と返信をした。
「イザナも鶴蝶も、大丈夫だよね……」
自室でベッドに転がり、天井をぼんやりと見つめながら呟く。二人とも喧嘩は強いし、それに比例して身体も凄く丈夫な人たちのはずだから、きっと大丈夫なはずと信じている。信じているが、でもやっぱり、お医者さんのあの言葉を思い出すと不安が暴れ出す。
病院からの連絡が来るまで起きていようと思っていた私だったが、身体は限界を訴えていた。うつらうつらとしてから意識が落ちるまで、おそらく一分かからなかったかもしれない。私は気を失うように眠りに就いた。
ハッと目を覚まして、手に握っていた携帯を確認する。画面には不在着信を示す表示はなかったので、電話はまだかかってきていなかった。
電話をかけてくれるのはどちらかが目覚めた時だと、あのナースさんは言っていた。電話がないということは、まだ二人は目覚めていないということ。私はもう一度携帯を手に取り、現在の時間を確認した。
「帰ってきてからまだそんなに経ってない、か」
時刻はまだ午前中。朝方に帰ってきたため、時間はそこまで経っていなかった。
お医者さんたちから二人の容態とか、運ばれてきた時の状態などを聞いていないし、万次郎くんには聞きそびれた。……というより、あんな状態の人にそれを聞くのは、いささか酷だろうと思って聞けなかった、というのが正しい。
二人が病院に運ばれた『理由』を、感情のままに問いただしてしまった時の万次郎くんは、本当に辛そうで、苦しそうだった。あれ以上万次郎くんにイザナたちのことを聞くのはやめようと思った。
再び携帯を枕元に置いて、天井をぼんやりと見つめる。二人はいつ目を覚ますのだろうか。
「二人が早く目覚めますように……」
普段は全く信じない神様だが、今回ばかりはそんな神様に祈ることしかできなかった。
そこから昼が過ぎて夜が来た。夕食時になっても、お風呂などを済ませた後も連絡は来ず、結局その日は寝る時間まで連絡が来なかった。次の日には連絡が来るだろうか。いや、来てほしい。良い意味の連絡が、来てほしい。そう思いながら私は眠りに就いた。