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流石に大怪我して緊急手術をしたのだから、一日も経たずに目覚めるわけがない。次の日の朝、目覚めた私は自分にそう言い聞かせた。
何だかんだ学校を二日サボってしまった。上手く学校に話を付けてくれた両親には感謝しかない。しかし、二日間の授業の遅れを取り戻すとなると少し大変だろう、仕方がない。友人や先生たちにたくさん頼ろう。
二日振りの学校の制服に身を包み、カバンとコート、そしてマフラーを持ってリビングへと向かう。朝食を摂りながら朝の情報番組を見ていると、天気予報士のお姉さんが「今日の関東一帯は一段と冷えるでしょう」と、軒並み一桁の気温が並ぶ日本地図の隣で言っていた。寒いのか、嫌だなぁ。
「いってきまーす!」
履き慣れたローファーを履き、外へと出る。玄関の扉を開けたらぶわりと冷たい風が吹き付けてきて、思わず肩を縮こまらせた。本当に今日は寒い。学校に行くのが嫌になる。と言っても日は家から学校まではそう離れていない。歩いて五分もすれば着くところだ。だけど、今日は一段と寒いから歩くのが少し遅くなるので、必然と登校時間が少しだけ伸びる。
今日は病院から電話がかかってくるだろうか、と考えながら学校へ向かっていると、同級生の友人が「おはよう!」と言って駆け寄ってきた。
「二日も休んでたけど大丈夫?」
「体調不良だって先生が言ってたけど」
「うん、大丈夫。最近急に寒くなったから、ちょっと身体が付いていけなかったみたい」
「そっかそっか。とりあえず元気になったみたいでよかった。でもあんま無理しちゃダメだよ?」
「病み上がりだしね。あっ、そうだ! 休んでた分のノート、後で見せるね」
「ありがとう! 助かります」
二日振りの学校だったからか、下駄箱から教室に入るまでの間、出会った同級生たちに何度も声をかけてもらった。皆は体調不良で休んだと聞いているようだから、体調を気にかける言葉をかけてくれるけど、実際はただのおサボりのため、少し罪悪感を覚えつつも、お礼と共に「大丈夫だよ」と返していた。
午前中の授業は滞りなく終わり、昼休みとなった。二日振りに友人と一緒に、教室で昼食を摂っていると、机の上に置いていた私の携帯に着信が入った。
慌てて手に取り確認すると、待ち望んでいた病院からの電話だということが分かった。私は、慌てて食べていたおにぎりを飲み込み、水筒の中身のお茶を一口飲むと、携帯を片手に教室を飛び出した。
「はい」
『ミョウジ ナマエさんですか? こちら――』
人のいない、屋上の扉の前まで行き電話に出る。電話口にいるのは、優しい声色の、ナースであろうお姉さんだった。
ナースさんの話によると、まだ目が覚めていないけど、
「その……面会って今日からでも可能ですか?」
『はい、可能ですよ。何時頃お越しになられますか?』
「えっと……そしたら――」
* * *
今日は、時間割的に午後の授業が一コマあるだけで終わるので、授業が終わったら即学校を出る。そして、待ち合わせをしている万次郎くんと一緒に、病院へ面会に行く。そのシミュレートを脳内でしながら、午後一の授業を受けていた。
「では、本日の授業はここまで」
その言葉と同時に、授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。それに一拍遅れて、今日の日直が少し気怠げに号令をかけた。いつもなら気にならない些細なことだが、今日に限っては、かなり急いでいるので「早くしてくれ……!」と心の中で叫んだ。
「「ありがとうございました」」
教室内の空気が、授業中のものから一気に放課後特有のゆるく、だらりとした空気に変わる。私は、急いで机の横にかけていたカバンを机の上に置くと、机の中に入れてある教科書たちを、カバンの中に少し乱暴に詰め込み、チャックを閉めた。
「ナマエどうしたの?」
「もしかしてバイト?」
「ううん、違う。でも大事な用事。またね!」
友人たちに簡素な挨拶をし、カバンを肩にかけて小走りで教室を出る。万次郎くんとの待ち合わせの場所は、学校から目と鼻の先にあるコンビニ。走って行けばものの二、三分で着くだろう。
教室から廊下へ流れ出る人たちの合間を縫うように抜け、階段を転げ落ちんばかりの勢いで駆け降り、下駄箱へと向かう。
「スニーカーにしとけばよかったっ!」
どうして今日に限ってローファーで来てしまったんだろうか。いくら履き慣れているとはいえ、ローファーで走るのは少し大変だ。走りにくいし足だって痛くなる。しかしあるのはローファーだけだ。一刻の猶予もないのだから、走りにくかろうが、痛くなろうが、これを履いて全速力で走るしかない。私は急いでローファーを履くと、軽く両のつま先で地面を叩いてから走り出した。
「お、おまたせっ」
「もしかしてオマエ、走ってきたの?」
人の間を抜けながら、ひたすらに走ってコンビニに向かうと、一足先に来ていた万次郎くんが、バイクに腰掛けて待っていた。
そこへ私が駆け寄ると、万次郎くんはこちらに軽く手を振った。走ってきたことで息も絶え絶えになっていた私は、それに一瞬だけ手を上げるだけの返答しかできなかった。
「そ、うだよ……。だって、イザナと、鶴蝶と……面会でき、るから……」
「でも面会の予約時間、もう少し先だろ?」
「それでも、だよ」
「……ま、とりあえず一旦落ち着けば?」
「……そうする。ごめんね、またせて」
私は、呼吸の乱れと早鐘を打つ心臓を落ち着けるべく、その場でゆっくり深呼吸をした。着込んだ上に走ってきたことで、じとりと汗をかくほど火照っている私の体に、冬特有の冷たく乾いた空気が入っては出ていく。それを何度か繰り返すことで、ようやく私の呼吸と心臓は落ち着きを取り戻した。
「お待たせ。行こう」
「ん」
「あ、そうだ。ヘルメットのベルトの締め方、教えてくれる?」
万次郎くんからヘルメットを受け取ったタイミングで、私はずっと言おうと思っていたことを言った。万次郎くんの後ろに乗るとなった時、毎度締めてもらうのは申し訳ないと思っていたので、このタイミングで万次郎くんに教えてもらおうと思ったのだ。
それにここで覚えておけば、仮に。もし仮に、イザナが乗るバイクの後ろに乗るとなった場合、彼の手を煩わせることがないと思ったから。……そんな未来が来るかは分からないけど。
私の言葉を受けた万次郎くんは、私の被るヘルメットのベルトに伸ばしかけた手を止め、パチパチと瞬きをした。その後、小さく微笑んで「オレはいいけど、多分、それはオレがやっちゃダメなやつだからムリ」と断られてしまった。
「どういうこと?」
「どうもこうも……。オマエは
「えっ――」
「ま、本当はこーしてるだけでも、きっと
その言葉の後、万次郎くんは慣れた手付きで私のヘルメットのベルトを締めた。私は疑問を抱きつつも、万次郎くんの後ろに乗るためにカバンをリュックのように背負い、後ろに跨った。
「ちゃんと掴まってろよ」
「うん。今回もお願いします」
「……こーしてるの、
「? うん、わかった」
* * *
病院に着き、受付に向かう。受付の人に面会のことを話すと、HCUのナースセンターの場所を教えてもらった。
「あとはここを右に曲がれば……あった! あそこだ」
今日は万次郎くんも一緒に来てくれた。最初は渋っていたのだが、必死の説得により来てくれたのだ。
HCUのナースセンターで面会のことを話すと、おそらく、お昼の電話口にいた人であろうナースさんがやってきて、病室まで案内をしてくれた。
「どうぞこちらへ。面会時間は十分です」
ナースさんが案内してくれた病室には、あちこちを包帯で巻かれ、ドラマなどでよく見る透明度のある、薄緑色の酸素マスクを付けた二人が、真っ白なベッドの上に寝かされていた。
二人ともあちこちに包帯を巻いていて、肌が見えている部分が少なかった。それだけ二人とも大怪我だったのだろう。どういう怪我なのかは分からないが、本当に生死を彷徨うくらいの酷い怪我であることだけは、素人の私でも想像がついた。
「今は少し容態が安定していますが、どうか患者様のお身体などには触れないよう、お願いします」
「……は、い」
ナースさんはその言葉の後、静かにその場を去っていった。残された私と万次郎くんはその場に立ち尽くし、ベッドに寝かされ規則正しい呼吸を繰り返す、二人の姿を見つめることしかできなかった。
「……イザナ、鶴蝶」
思わず口から二人の名前が零れた。こんなにもボロボロの姿を見るのは初めてで、二人のベッドの横にある心電図の音と、酸素マスクから聞こえる呼吸音がなければ、二人の命が今ここにあるのかどうか分からなくなってしまいそうだ。
「……あの時」
ずっと黙っていた万次郎くんが不意に口を開いた。
「あの抗争の時、イザナたち天竺は、オレたち東京卍會に負けた」
万次郎くんが静かに話し始めたのは、ずっと聞くことができなかった『あの日の抗争』のことだった。
あの抗争でイザナが率いる天竺は、万次郎くんが率いる東京卍會というチームと戦い、最後に総長同士、つまりイザナと万次郎くんの一騎討ちが行われた。
二人の力はほぼ互角だったものの、結果としては万次郎くんがイザナに競り勝った。だけどその時点で負けを認められなかった彼が銃を持ち、万次郎くんに向けたらしい。でもそれを鶴蝶が銃を叩き落とすことで止めた。
だが叩き落とされた銃で、鶴蝶が撃たれた。鶴蝶が再び撃たれそうになった時、イザナが鶴蝶を庇うように鶴蝶を突き飛ばし、前に出て三発、銃弾を撃ち込まれてしまったそうだ。
「そう……。そんなことが、あったんだ」
「抗争はオレが解散を宣言して終わりになった。本当はオレがその場に残ろうと思ったけど、天竺の幹部たちが残るって言ってきて、オレたちのチームはその場を後にしたんだ」
「……だから、皆から連絡がなかったんだね」
「
微かに震えた声。きっと不安なのだろう。
そうだよね、だって万次郎くんは、目の前で人が死に近づいていくところを見てしまった。きっとそれは、私やイザナよりも下の年齢であろう万次郎くんには、衝撃が大きかったはずだ。そしてその衝撃と恐怖は、私では到底計り知れないほどの大きさのはず。
私は隣に立っている万次郎くんの手をそっと握り、言葉をかけた。
「……大丈夫。二人と喧嘩したなら知ってるでしょう? 二人がどれだけ強いか。だから今は信じて待とう。それしか、今の私たちにはできないから」
「……あぁ。そう、だな」
それから少しして面会時間の十分が経ち、ナースさんが迎えに来た。私たちは未だ目を開けない二人に「またね」と声をかけ、その場を後にした。
「ねぇ、万次郎くん」
「なに?」
「お腹、空かない?」