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週末。今日は万次郎くんとエマちゃんがいる佐野家にお邪魔して、イザナと鶴蝶の――少し遅れた――退院祝いパーティーの日だ。
事前にエマちゃんたち、そして鶴蝶には連絡を入れてあった。そのため後はイザナと鶴蝶と待ち合わせ場所で合流し、電車で向かうだけだった。しかし――

「なぁ、いいじゃん。どーせカレシはまだこねーんだろー?」
「ちょっとお茶するだけだし、いーじゃんかよ」
「いや、そういうのはちょっと……ご遠慮したいかなって……」

待ち合わせ場所に一番乗りに着いたところまでは良かった。それなのに今日はどうにもツイていないようだ。普段は一人でいてもされたことのないナンパをされている私は、必死に二人の知らない男性からの『お誘い』を断っていた。

男の人二人は見た目からして不良に近しい人なのだと分かったため、はっきりと断るのが怖かった。ずっとイザナの近くにいて、きっとこの二人よりもずっと強くてずっと怖い人たちを近くで見てきていた。だけどやっぱり見た目からして怖いなって人に真っ向からきっぱりと断る勇気は私にはなかった。

一人の男の人が逃げないようになのか私の肩に腕を回してきた。知らない人、それも怖そうな男の人からいきなり触られるなんて恐怖以外の何物でもない。私は二人が一秒でも早く来ることを必死に祈りながら、どこかへ連れていこうとする男の人にほんの少しだけ抵抗をしていた。

「ったく優しく言ってやってたってのに……。さっさと来いって言ってンだ――」
「オイオイ。オマエ、誰の女に手ぇ出したのか分かってンだよな?」
「テメェ……! ふざけ――」
「ザコが。女に対する態度がなってねェんじゃねーのか?」

一瞬だった。私の肩に腕を回していた男の人が吹き飛んだかと思えば、私の前にいたもう一人の男の人が同じように吹き飛んだのだ。

「ナマエ、遅くなって悪かった。大丈夫だったか?」
「ったく。何テキトーなヤツに捕まってンだよ」
「二人とも、助けてくれてありがとう……」

吹き飛ばされた男の人たちの存在を尻目に、二人は私に声をかけてくれた。だけど正直怖すぎて少し体が震えていて、今もそれが止まらない。それに気づいたのか、イザナが私の肩を抱いて自身の方へと引き寄せた。ふわりと香ったイザナの香りが私の体の震えを少しずつ収めてくれた。

「クッソ……おいガキッ! あんま調子乗ってンじゃねーぞ!!」
「お前ら全員ぶっ殺してやるからな!!」
「「あ?」」
「「ヒッ!」」

私はイザナに抱き寄せられていたため、二人の視線の先には背を向けていた。なので二人が何をしたのかはよく分からないけど、おそらく起き上がって反撃をしようとした男の人たちに凄んだのだろう。さっきの威勢の良さが嘘のように、弱々しい小さな悲鳴をあげると、騒がしい足音を二人分立ててどこかへと行ってしまった。

「チッ」
「まぁまぁ、落ち着けって。とりあえずナマエは無事だし、な?」
「うん。私怪我とかしてないよ。ありがとう」
「……さっさと行くぞ」

そう言ってイザナは私の肩を抱きながら歩き出した。いつもは手を繋いでいたのに今日に限ってなぜだろうと思ったけど、おそらくさっきのことが原因なのかもしれない。大方同じようなことが起きないように、とか。

少し恥ずかしいけれど、ちょっとだけ歩き慣れないけれど、いつもよりもイザナの側にいられる。そう思ったら自然と笑みが零れた。

* * *

佐野家があるのは渋谷のため、電車を乗り継いで行く必要があった。しかし乗る路線のどちらも利用者数が多い路線だ。加えて横浜駅はとても広い上に人も多い。おかげで今も三人で絶賛人混みに揉まれていた。

「チッ。だから電車は嫌いなんだよ」

一本目の電車である、大宮行の青いラインの電車はとても混んでいた。乗客も様々な人がいて、私たちみたいな学生らしき人や子供連れ、はたまたスーツを着ている人など。各々この鮨詰め状態の電車内で目的地へと向かっている。

今の私たちの立ち位置としては、私がドアと座席の間にある角のところにいて、目の前にイザナが、左側には鶴蝶が立っている。二人ともこの人混みの中で私が潰されないように守ってくれているのだ。乗り換える品川で何か買えそうだったら、簡単なものを買って二人にお礼を言わなくちゃ。

『次はー、品川ー。品川に到着です』
「お、やっとか」
「駅に着いたらさっさと降りるぞ」
「うん」

車内アナウンスが流れて数分後、電車は私たちの目的地である品川に到着した。プシューという音と共に扉が開く。生憎開く扉は私たちがいた方ではなく反対側だったため、同じように品川で降りる人たちの波に乗ってホームへと降りた。

品川駅に来るのは初めてだったのでよく知らなかったが、品川駅もかなり大きな駅だった。横浜駅といい勝負ではないだろうか。

「何ボーッとしてンだよ。行くぞ」
「あっ、ごめん」
「物珍しいのは分かるが、あちこち見すぎるなよ」
「うん。気をつけるね」

私の左手をイザナが取り、私の右手を鶴蝶が取る。これはお互いがはぐれないようにするための策として私が提案したものだった。最初はイザナがかなり嫌がっていたものの、はぐれて合流する手間よりずっとマシだよ、と説得したことで渋々了承してくれた。多分相手が鶴蝶でなかったら、彼は断固として拒否し続けていただろう。

品川で渋谷・新宿方面へ行く緑のラインの電車に乗り換える。ここもまた人がとても多く、目的の電車が到着するホームへと降りれば、そこにはさっきの電車内にいた人数と同じくらいじゃないかと思うくらいの人が電車の到着を待っていた。

その人混みを見て、イザナがあからさまに嫌な顔をする。確か事前に調べておいた経路だと……渋谷はここから五駅先にある。うん、さっきよりは早く着くだろう。

「イザナ、大丈夫?」
「大丈夫に見えるか?」
「……見えないデス」
「どっか店にでも入って少し休んだほうがいいんじゃないのか?」
「あ゙? ンなことやってられるか。さっさとアイツらのところに行くぞ」

若干青筋を立てながらも休まずに渋谷まで向かうと言ったイザナを見て、私は『佐野家に着いたらめちゃくちゃ労おう』と心に誓った。もちろん鶴蝶も、だ。

まだ並べそうだった列の最後尾に三人で並ぶ。先に私たちの後ろの番線の方に電車が到着したようで、そちら側に並んでいた人たちがぞろぞろと到着した電車に乗り込んでいった。おかげで私たちのいる場所が少しだけ広くなり、少しだけ居心地が良くなった。とは言っても人が多いことには変わりないので、微々たる差だ。

後ろの番線の電車が発車して数分後、ホームに私たちが乗る予定の電車が間も無く到着するアナウンスが流れた。
アナウンスが流れ終わる辺りで電車が到着し、車体の扉が開く。まず初めにこの駅で降りる人たちがぞろぞろと車内からこちらのホームへと降りてきた。降りてきた人たちは流れるように近くの階段を上がっていく。改めて見ると凄い光景だ。

下車する人たちが降りきったところで、今度はぞろぞろと私たち乗車する人たちが車内に流れ込む。ついさっきまでそれなりに空いていた車内も、あっという間に鮨詰め状態に戻ってしまった。

電車内の立ち位置は最初に乗ってきた電車の時と同じ状態だった。前にはイザナ、左側には鶴蝶がいる。
二人に比べて非力なのは重々承知しているけれど、どうにも守られてばかりでそれなりに申し訳なく思う。だけど仮に私がイザナか鶴蝶、どちらかと立ち位置を交代したいと言えば二人から断固として拒否されるだろう。まぁ当たり前だ。私にそうやって守られるほど、二人は弱くないから。

扉の窓から流れる景色を眺める。横浜も中々に都会だとは思っていたけど、やはり首都の中でも都心と呼ばれる位置にある二十三区だ。素早く流れていく景色の中でも目立つくらいの高層ビルがあちこちにある。

「ナマエ。もし分かるなら教えてほしいんだが、渋谷までどれくらいかかるんだ?」
「うーん……確か品川から五駅行った先だったと思うから、そこまでかからないとは思う」

ここでイザナの盛大な舌打ちが聞こえた。パッと視線を鶴蝶からイザナに戻すと、先ほどよりもしっかり青筋を立てたイザナの顔が見えた。あぁこれは完全に怒っている。多分相当キてるのだろう。

その時、電車がガタンと音を立てて大きく揺れた。その衝撃で私は盛大に、二人は少しだけバランスを崩した。多分二人の後ろにいる乗客たちがバランスを崩したことで、二人の体にぶつかったり体重をかけてしまうことになった人がいるのだろう。鶴蝶は身長もあって即座に上の荷物棚に手をかけたが、イザナは場所が悪かったこともあり、私の方へ一歩踏み込むかたちになった。

「……悪くねぇな」
「あの、イザナさん……?」
「仕方ねぇだろ? 次の駅で人が減るまではこの体勢のままいるしかねぇんだよ」

今の状況をもう少し正確に説明すると、バランスを崩して慌てて踏ん張った私の足の間にイザナの片足が踏み込むかたちで入っていて、彼は倒れないように咄嗟に私の頭のすぐ横に手をついている。そして押されたことで体が少し前のめりになり迫ったように体も顔も近づいている。

……うん、これはとてもとても心臓に悪い。だってあともう少し近づいたら鼻先が触れてしまいそうなくらい近いから。

「物欲しそうな顔してんじゃねぇよ」
「べ、別にしてない!」
「そうかぁ? オレにはそう見えるけどな」
「……イザナ、その辺にしておいてやった方がいい。ナマエが死にそうになってる」

ありがとう鶴蝶。その助け舟がなかったら、私本当に顔から火が出ていたかもしれない。こんな人がいっぱいいる中でこんなに顔が近づくことなんて今まで一度もなかった。別に誰かが……いや鶴蝶は見てるかもしれないけど、鶴蝶を除いた他の乗客たちが見ているかどうかなんて分からない。見えるのかどうかも分からない。それでも私は顔から火が出そうになるくらい恥ずかしかった。

本当は今すぐ顔を両手で覆いたいところだけど、私の姿勢とイザナの距離的にそれは難しかった。あぁもう穴があったら入りたいとはこのことだ。

『次はー大崎ー。大崎に到着です』

ようやく一つ目の駅に到着したようだ。だけどここで一体どれだけの人が下車するのだろう。分からないけど、二人が体勢を直せるくらいには降りてくれるといいな。

電車が大崎に到着し、扉が開く。下車する人たちはいたものの数が少なかったため、車内の人数はあまり減った感じがしない。それでも体勢を直せるくらいの余裕はできた……と思う。少なくとも鶴蝶は崩れた体勢を元に戻している。だけどイザナは一向に体勢を直さないでいた。余裕ができたんじゃないかと思っていたけど、イザナの方は人が多くて直せないのだろうか。

「その体勢、辛くない?」
「別に」
「体勢、直さなくていいの?」
「このままでいい」

うん、直す気はないようだ。となると渋谷に着くまではずっとこの至近距離のままということ。……心臓が保たない。目を瞑っていようかな。

「目ぇ閉じたら、分かってンだろうな?」

目を瞑ることもいけないようだ。諦めるしかない。