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「ようやく着いたな」

渋谷駅のホームに降りる。ようやく車内のこもった空気から解放された。特別空気が綺麗というわけでもないけど、ちょっとだけ外の空気が美味しく感じられた。

エマちゃんから指定されている場所は、待ち合わせによく使われている――らしい――『ハチ公前』だった。そこまで万次郎くんが迎えに来てくれる予定になっている。……初手からかなり危ない気がするけど、大丈夫なんだろうか。

もっとも、エマちゃんはお家でパーティーの準備をしてくれているそうなので来れないのは仕方がない。今日は鶴蝶もいるし、何とかなる……と信じているんだけど、やっぱり不安しかない。

「ハチ公改札っていう改札があるらしいから、そこに向かうよ」
「分かった。ハチ公改札は……ちょうどここから真っ直ぐ行くみたいだぞ」
「さっさと行くぞ」

背の高い鶴蝶が天井から吊るされた案内板を確認して、目的の改札口であるハチ公改札へと向かう。私たちの他にも同じ方向へ向かう人が多くいたのは幸いかもしれない。何せこの人波の中を逆らうように歩くのはかなり難しそうだから、手を繋いでいてもはぐれてしまうかもしれない。

人波に合わせて歩いてようやくハチ公改札に辿り着いた。改札を出て向かうはハチ公像だ。改札を出たところで少し壁際に寄った私はバッグから携帯を取り出し、万次郎くんに電話をかけた。

「もしもし、万次郎くん? 私、ナマエだけど」
『あ、ナマエ。電話くれたってことはもう着いた?』
「うん、今着いたよ。万次郎くんはもうハチ公のところにいるの?」
『いる。ケンチンも一緒だから多分すぐ分かると思う』
「分かった、ありがとう。それじゃあこれからそっちに向かうね」
『ん。早くなー』
「はーい」

電話を終え、携帯をバッグにしまう。そして二人から離していた手を再び繋ぎ直し、ハチ公像へと向かった。
ハチ公像が待ち合わせに使われているとは聞いていたけど、想像以上に人が多かった。ドラケンくんと一緒にいるとのことだけど、果たして見つけられるだろうか。

「マイキーはドラケンと一緒にいるんだよな?」
「うん。だからすぐ見つかりそうなんだけど……」

鶴蝶と私で辺りを見回してみたものの、どうにも見つからない。もう一度万次郎くんに連絡を取ろうかと思ったその時、イザナと繋いでいる方の手がどこかへ引っ張られた。

「こっちだ。行くぞ」

そう言ってイザナはこの人混みの中、どこかへ向かって歩き出した。私たちは彼の背を追うように着いていった。

イザナに着いて歩いて行くと、その先に見慣れた金髪のふわふわ髪と、周りの人たちより頭ひとつ分以上高い人の姿が見えてきた。イザナ、いつの間に二人のことを見つけていたんだろう。凄いなぁ。

「いたぞ、ほら」
「わっ、凄い。ありがとう。イザナよく見つけたね。……二人ともお待たせしました。迎えに来てくれてありがとう」
「おー、三人ともお疲れ。この人混みの中だと大変だったろ」
「まぁ、それなりにはな」
「ん。じゃさっさと行こーぜ」

食べていた鯛焼きの最後の一口を口に放り込み、ぴょんと少し勢いをつけて立ち上がった万次郎くんは、くるりとその場で踵を返して歩き出した。「三人だからケツに乗せらんねーってことで、今日は歩きなんだわ」とドラケンくんが補足説明をしてくれた。なるほど、そういうことだったのか。

万次郎くんとドラケンくんの後に続いて私たちも歩き出す。そういえば万次郎くんの家ってここからどれくらいかかるんだろう。エマちゃんの話によると、そう遠くはないらしいけど、もしかしたらそれは『バイクでの移動なら』という前提があるかもしれない。

「ねぇ、ドラケンくん」
「なんだ?」
「ここから万次郎くんの家ってどれくらいかかるの?」
「あー……多分十分十五分くらいじゃねーかな」
「そうなんだ。思ってたよりはかからないんだね、ありがとう」
「おう」

ドラケンくんとの会話を終えた私は、歩きながら辺りを見回した。横浜も都会だとは思っていたけど、渋谷はイメージ以上に都会だ。人も多ければビルも多い。おしゃれな女の子や男の子もいっぱい見かけるし、少し前にテレビの情報番組で話題にあがっていた食べ物を扱うお店もあちこちにある。やっぱり東京って違うんだなぁ。

ふと隣にいるイザナに目をやる。眉間の皺が改札を出た時よりも深くなっている気がする。疲れているのとストレスだろう。早くお家に着けたらいいけど、まだ歩き始めてそんなに経っていないから、到着までもう少しかかってしまう。こういう時、何をすることが一番いいのだろうか。ずっと隣にいて見てきたと言っても、イザナのことはまだまだ分からないことばかりだ。

「なんだよ、そんな見てきて」
「あっ……ごめん」

どうしたらいいのかを考えていたら、視線に気づいたイザナがこちらを一瞥してそう言った。見すぎてしまった、と思い慌てて前を向く。うーん、どこかカフェに寄ると言ってもエマちゃんが家で待っているし、何よりカフェに入るにはちょっと多い人数だから寄りにくい。その辺で休憩でも、と思ったけどベンチなんてパッと見見当たらない。

困った。考えても考えても現状での最善手が見つからない。これはもう家に到着するまでは何も出来ない。家に着いた時のことを考えておこう。

* * *

「ただいまー」
「戻ったぞー」
「お邪魔しまーす」
「お邪魔、します」

歩いて十分ちょっと経って万次郎くんの家に着いた。エマちゃんがたまに送ってくれる写真でしか見たことがなかったけど、結構大きな家だ。
私は思わず玄関に入る前に周りを見回してしまった。私の家より、家も庭も広い。実はお金持ちだったりするのかな。

万次郎くんとドラケンくんが先に入り、それに続くかたちで私と鶴蝶が玄関をくぐった。だけどイザナは少しぼんやりした様子で玄関前に立っていて入ってこなかった。気になってしまって玄関の内側でその様子を見つめてしまう。表情がどこか寂しげで、辛そうで、今にもその瞳から涙が零れ落ちそうに思えた。

もしかして、前に一度だけ話してくれた『お兄さん』のことで何か思うことなどがあるのかもしれない。

「イザナ――」
「……先、行ってろ」

イザナはそう言い残すと、玄関をくぐらずにその場で踵を返し、どこかへ行ってしまった。追いかけたい気持ちになったがなんとかその場に留まる。今は多分、一人にしてあげた方がいい時だ。隣にいる鶴蝶を見上げれば、鶴蝶も同じことを思っていたのか真っ直ぐ私を見て小さく頷いた。

「イザナのことは後で私と鶴蝶が迎えに行くよ」
「分かった」

何か言いたげだった万次郎くんとドラケンくんにそう声をかけ、私は靴を脱いだ。
万次郎くんたちに案内された居間へと行くと、そこにはテーブルいっぱいに並んだ美味しそうな料理と、キッチンで忙しそうにしているエマちゃんの姿が見えた。エマちゃんは私たちが来たことに気づくと、片手にお玉を持ったままこちらを振り返り「ごめん、もう少しだけ待ってて!」と声をかけてくれた。

私と鶴蝶は壁際に自分たちが持っていたバッグを置いた。そして私はバッグの中に入れておいた手土産を取り出すと、万次郎くんに渡した。ちなみに手土産は横浜ハーバーだ。本当は色々悩んだけど、定番が一番だろうという答えに至ったためこれにした。

「良かったらどうぞ。お口に合うといいけど」
「へぇ。美味そうじゃん。ありがと」
「マイキー、何もらったのー?」
「手土産だってさ」
「横浜ハーバーだよ」
「わざわざお土産持ってきてくれたの?! ありがと〜! 後で一緒に食べよ!」
「うん」

万次郎くんに手土産を渡し終えた私は、そのまま鶴蝶の隣に戻った。初めてお邪魔する家というのはやはり緊張するもの。それは鶴蝶も同じみたいで、どことなく固くなっているように思える。こういう鶴蝶は初めて見るかも。なんだか新鮮だ。

さて、そろそろ行ってもいい頃合いだろうか。鶴蝶にもう一度視線を投げると、私が言いたいことが分かったのか小さく頷いてくれた。

「万次郎くん、私たちそろそろイザナのこと迎えに行ってくるね」
「ニィの姿がないと思ったら、どこか行っちゃったの?」
「あぁ。パーティーの時間までには戻ってくる」
「気をつけてな」
「ありがと。じゃあ行ってきます」

私たちは数分前に歩いた道を戻り、玄関に向かった。さて、イザナはどこにいるんだろうか。
実際目星などない。何せ私たちはここに来るのは初めてで、土地勘なんてさっぱりだからだ。でもここで私たち以外の誰かを連れて行くのは良くないから、私たち二人だけで行くしかない。

「出てきたはいいけど、イザナが行きそうな場所なんて全く思い当たらねェな」
「うーん確かに。電話かけてみようか」
「ナマエ、鶴蝶」

玄関の前で電話を取り出したところで、背後から声をかけられた。振り返ると、そこには少し複雑な表情をした万次郎くんが立っていた。もしかしてイザナが行きそうなところに心当たりがあるのだろうか。

「どうしたの?」
「なんかあったのか?」
「イザナが行きそうなところ、一つ知ってンだけど――」

* * *

万次郎くんに案内されてやってきたのは、近くのお寺の墓地だった。流石に夜の墓地というのは怖くて、思わず鶴蝶の手を掴む。突然掴んでしまったことで驚いたのか、鶴蝶はびくっと一瞬体を震わせた後、優しく握ってくれた。……今だけはどうか許してほしい、本当に怖くて仕方がないから。でもイザナには後で謝らないといけないな。

慣れた様子で入っていく万次郎くんの背を追って墓地の中に入る。どこに向かっているのかも分からないが、少し歩いたところで万次郎くんが立ち止まり、スッと静かに前方を指差した。
そこには誰かのお墓の前で静かに佇むイザナの姿があった。

「オレは外にいるから」

そう言って万次郎くんはその場を離れた。残された私たちは静かに見合い、イザナの元へと向かった。

「イザナ」
「……万次郎アイツか」

暗くて見えづらかったが、イザナの前にあるお墓には『佐野家之墓』と文字が彫られていた。佐野家、ってもしかして万次郎くんとエマちゃんの家のお墓ってことなのだろうか。でもどうしてイザナがここにいるのだろう。

ここで私は前に彼から聞いた『お兄さん』の話を思い出した。

イザナが慕っていた『お兄さん』こと真一郎さんは、イザナだけの『兄』ではなかったこと。そして真一郎さんの愛を受けていたもうもう一人が、万次郎くんであること。そして真一郎さんは、二年ほど前に亡くなっていること。これがその時聞いた話の内容だ。当時のイザナが気まぐれに話してくれただけなので、本当はもっと色々と情報があるのだろうけれど、私はこれ以上のことは知らない。

「ここには、真一郎が眠ってる」

イザナは静かにそう言った。私たちは何も返すことができず、ただその場で黙っていることしかできなかった。
今、私たちには何もできない。私たちはイザナと真一郎さんとの間にどういうことがあったのかをあまり知らないから、彼の言葉に返答しようにも何と声をかければいいのか分からない。きっと、よく知らない私たちには、イザナにかけられる言葉などないのかもしれない。

「……オレが万次郎アイツに負けそうになった時、万次郎アイツの傍に真一郎もエマもいた」

イザナが静かに語り出したのは、彼と鶴蝶が生死を彷徨う大怪我を負った『あの抗争』のことだった。
万次郎くんに競り負けたイザナは、怒りと憎しみで頭に血が昇っていた。これで負けるわけにはいかない、負けてしまったら全てを失ってしまうから。だけど身体はそうもいかなかった。

視界がブレ、歪む。正直立っているのもやっとだったかもしれない。だけど負けるわけにはいかないという意志と、興奮が身体の感覚を鈍らせていたのだという。

「アレは幻覚だ。幻覚だったが、確かに万次郎アイツの隣に真一郎とエマがいた」

イザナの横顔が、今にも消えてしまいそうなくらい儚く見えた。寂しかったのだろうか、それとも悲しかったのだろうか。私には到底想像のつかない絶望がそこにはあったのかもしれないけれど、想像のつかないものだから私には浅い想像しかできない。

「オレには『血の繋がりがない』。真一郎ともエマとも、そしてオレを救いたいと言った万次郎ともな。だから『家族』なんていなくて、オレはこの先もずっと孤独だと思っていた」

そこで彼は言葉を切り、視線を私たちの方へと向けた。その顔には先ほどまであった儚さは欠片も残っていなくて、代わりに確かな存在感と優しい瞳があった。

「だが死を覚悟したあの時、オレにはずっと前から家族カクチョーがいたことにようやく気づいた。そして、病院で目を覚ました時にオレを愛してくれる人ナマエがいたことにも、気づいた」

ジャリ、と音が鳴りイザナがこちらへと歩いてくる。私たちの前で立ち止まった彼は、私と鶴蝶の空いている手を取ってそっと握り締めた。

「ありがとな」

短い言葉だったが、その言葉にイザナの感情が隙間なく詰め込まれていることが分かる。彼は滅多にこんな風に感謝の言葉を述べることはなく、そして自分の気持ちを素直に言うこともない。怒りや憎しみなどはすぐに表に出せるのに、それ以外の感情はどうにも上手く出してくれなかったが、生死を彷徨ったあの一件以降からは、稀ではあるものの今のように素直な言葉を言ってくれるようになった。

「……オレもナマエも、イザナのことを慕っているから一緒にいた」
「うん。種類は違うけど、私も鶴蝶もイザナのことが大好きだから、ずっと傍にいたんだよ」

イザナに握られた手に力を込めて握り返す。私も鶴蝶も、何があったってこの手を離すことは絶対にないよ。この想いが彼に伝わるかは分からないけれど、少しでも伝わるようにしっかり、離れないように、握った。

「そろそろ戻ろう? エマちゃんたちが待ってる」
「……仕方ねぇな」

不満気な口調だが、その声色は優しい。なんだかんだ、イザナも今回のお祝いパーティーは嫌じゃない……のだろう。そうだといいな。

イザナを真ん中にして三人手を繋いでに戻れば、心なしか不安そうな表情をして出入り口に立っていた万次郎くんが「おせーよ」という一言と共に迎えてくれた。私たちは小さく笑ってから「ごめんね」と謝り、万次郎くんと一緒にエマちゃんたちの待つ佐野家へと向かった。