6話




彼女の手を引き、廊下の奥へと進む。扉の前にあった頭のない黒いマネキンを再び押してみると、今度はなんともなく動いた。

「これで進めそうだな」
「うん」

赤い扉を開けて奥へと進むと、そこは色が抜けたような暗い灰色の部屋が広がっていた。
左右には黒い大きな手が何かを求めるように動いており、その手の向かいの壁には悲しげな表情をしている花嫁と花婿の絵があった。そして部屋の中央、ちょうど花嫁と花婿の間には人一人が通れるくらいの細い廊下が先まで続いていた。

黒い手の名前は花嫁の絵の方が悲しき花嫁の左手=A花婿の絵の方が悲しき花嫁の右手≠ニいう名前だった。どちらも花嫁の手なのか、不思議だな。ちなみに花嫁の絵は嘆きの花嫁=A花婿の絵は嘆きの花婿≠ニいう名前だった。悲しき≠竄辯嘆き≠竄轣A幸せなはずの花嫁と花婿がどうしてこうも悲しい雰囲気なのだろうか。
……もしかすると、今回はこれを解決しないといけないのかもしれない。
もしこの花嫁と花婿がこの部屋の先に進むための謎解き≠ナあるならば、二人が悲しんでいる原因を考えなければいけない。

「ねぇ。もしかしてこの二人が悲しんでるのって、指輪がないからじゃない?」
「指輪?……あぁ、そうか!結婚指輪がねーから悲しんでるってことか!」
「そう!ほら、この黒い手って花嫁さんの左手と右手でしょ?ってことは左手の薬指に指輪を付けてあげればいいんじゃない?」
「だな。ってことは、この部屋のどっかに指輪があるはず。……ナマエのおかげで簡単に先に進めるよ、ありがとな」

そう言って彼女の頭を撫でると、少し気恥ずかしそうに笑った。
彼女が隣にいてくれる。それだけでオレの心にはかなり余裕ができた。今まで散々大丈夫だって思っていたが、実際のところかなり精神的にキツかった。

突然何も知らない場所に一人で放り出され、バラに命を結びつけられたかと思えば不気味で異様で異質なところを進まざるを得なくなり、その最中に変な奴に襲われ……。
正直心細かったというか、不安でいっぱいだった。もちろんナマエのことは心配だったしずっと気にしていた。だが彼女には申し訳ないが、彼女のことが頭の中から一瞬消えるくらいには精神的にキていた。
きっと思っていた以上に精神をすり減らしていたんだろう。どれだけ彼女の前で格好をつけようと、やっぱりオレもまだまだガキだってことだ。情けねぇ話なことに。
でも今は隣に彼女がいてくれる。だからきっと、何があってもオレは弱ったりすることはないだろう。

彼女の手を取り細い廊下を進む。できることならさっさと指輪を回収して先に進みたいが、きっと今回も一筋縄ではいかないのだろう。

「広いところに出たね」
「そうだな。ここから指輪を探さなきゃいけねぇってのは結構骨が折れそうだなぁ……」
「取り敢えず探索してみようよ。何か分かるかもしれないし」
「だな」

まずは辺りを見回して何があるのかを確認する。正面には奥まで続く廊下があり右手側には一枚の絵が飾られた突き当たりがあり、そこにはあのノートとペンがあった。左手側にも廊下が続いており、廊下に入ってすぐのところには灰色の扉が一つある。

「ナマエ、一旦あっちに行っていいか?これまでのことをあのノートに書いておきてぇんだ」
「いいよ。でもあのノートってなんなの?」
「オレにもよくわかんねーんだけど、ゲームでいうところのセーブポイントみたいな感じかもな。色んな部屋に置いてあったんだけど、その部屋でノートに書いたことは移動した先の部屋にある同じノートで見れるんだよ」
「へぇ……。なんか不思議だね」
「だよなぁ。まぁでも過去にあったことを書いておけば、この先で困った時に役に立つかもしんねーなって思って、移動先の部屋で見つけたら念のためこれまであったことをメモしてんだ」

彼女にノートの説明をしながらこれまであったことを記載する。記述が終わったところで隣の壁にかけられた絵を見てみた。特にタイトルがないそれは、コーヒーとケーキが描かれているだけで他に何かめぼしいものはなさそうだったので元いた場所まで戻った。

あとは奥へと続く道に行くか、扉のある通路の方へ行くかの二択だ。どちらへ進むべきか。少し悩んだ結果、扉のある通路へ行くことにした。理由は先に扉の奥を調べたかったから。

あちこちの部屋を通ってきて分かったことがある。それは部屋にある扉は必ず何か意味がある≠ニいうことだ。どの部屋でも必ず一回は扉を開けていたし、その奥には次の部屋へ進むために必要なものが必ずあった。
きっと今回もあの扉の向こうにある部屋には何かがあるはずだ。

「ナマエ、次はあの扉の部屋に行こうと思うんだけどいいか?」
「うん」
「ありがとな」

彼女の手を握り直し、扉へと向かう。もし扉の先が一筋縄では行かなそうな危険な場所であれば一旦引き返すことも頭の隅に置きつつ、辿り着いた扉をゆっくりと開けた。

中に入ると人一人が通れるほどの細い通路があちこちに見えた。壁と通路の雰囲気的にこの部屋は迷路になっているのだろう。
目の前の壁にあった張り紙にはラビリンス≠ニだけ書かれていた。

「ラビリンス=c…って迷路とか、そんな意味のことだったっけか」
「うん、確かそうだったかも」
「ってことは、おそらくこの部屋は迷路なんだろうな」
「……ねぇタカちゃん。なんか音しない?」
「音?」

そっと耳を澄ましてみると、少し離れたところでコツ、コツ、と硬いもので何かを叩いているような音が一定のリズムで聞こえた。

「確かにそうだな……」
「私たち以外にも誰かいるのかな」
「もしいるとして、それがオレたちの味方だったらいいけど……きっとちげぇだろうな……」

なんとなく音がこちらに近づいてきている気がする。嫌な予感がしたのでオレたちはすぐに部屋を出た。

「ここは一旦後回しにして、別の部屋を探してみるか……」
「うん……」

部屋を出たオレたちは右と左、どちらに進むかを悩んだ。相談した結果、右手側の角の方へと進むことにしたオレたちは、抱いた不安を少しでも抑えようと繋いだ手に少しだけ力を込めた。

右手側の廊下にたどり着くと、前方に伸びる廊下の床のあちこちに目が現れ、ギョロギョロと動いて辺りを見ていた。一応通れそうなスペースは空いているものの、ここ不気味な光景を見ては流石に進むのは戸惑われた。
隣にいる彼女に視線を向けると少し青い顔をしていた。おそらくこの廊下の不気味さにやられて恐怖を抱いているのだろう。……正直オレも怖い。

「とりあえず一旦――」
「ねぇ、タカちゃん。あそこの目……赤くない?」

そう言って彼女が指を指したのは少し離れた場所にいる目だった。確かに他のと比べるとどことなく赤い色をしているように見える。きっと目に何か起こっているんだろう、だからそれを解消してやれば道が開かれて新しいヒントが手に入るはずだ。今までの流れからするとその可能性が高い。

目が赤くなっているということはおそらく充血しているということだろうが、あいにくオレたちの手持ちには目薬がない。ということはこの部屋の中から目薬を探さなければならないのだろう。やることが増えてしまったが、これは指輪を見つける≠ニいう当初の目標に近づくための要素だ。決して無駄な行為ではない。

「この廊下は通れそうだけど、この先のところは別の廊下でも行けそうだし……一旦また別のところを見に行ってみるか」
「うん。でも少しだけ休憩してもいい?ちょっと疲れちゃって……」
「バラを回復してからすぐ歩き出したもんな……。ごめんな……」
「ううん、私も思っていた以上に体力が回復してなかっただけだから……。ごめんね、ありがとう」

オレたちはあのノートと羽ペンが置かれているテーブルのところまで戻り、壁に寄りかかってその場に座り込んだ。
ここには館内BGMのような音楽が流れていないので、オレたちが歩いたり喋ったりしなければ基本は無音だ。その無音がこの場所の不気味さを増幅させ、じわりじわりと不安と恐怖に心が蝕まれていく。それを少しでもなくそうと、オレは口を開いた。

「あー……。あの、さ」
「ん?」

彼女は穏やかな顔でこちらを見た。
彼女の返事を受けてはっと我に返る。本当は彼女を休ませてあげないといけないというのに、自分の不安と恐怖を少しでも軽くするために話しかけてしまったなんて、我ながら気が回らないやつだと思った。それと同時に、疲れているのにも関わらず優しく返事をしてくれた彼女は本当に優しいやつだとも思った。

「どうしたの?」
「……いや、なんでもねぇ。ただ、改めてナマエのことが好きだなーって思ってさ」
「すっごい急だね。ありがとう、私もタカちゃんのこと好きだよ」
「……ありがとな」

それから少しして探索を再開した。次に向かうことにしたのは今いる場所のすぐ近く、ここから少し歩いて右手側の通路だ。その通路をしばらく進むと、右手側に通路と灰色の扉が見えた。

「また扉だ」
「覗いてみる?」
「あぁ」

通路を右に曲がり扉の前へと行く。ガチャリと開けて中に入ると、そこには木製の背の高い椅子と、同じ絵が描かれた紙がセットされている絵を描く時に使う台のようなものが部屋中に置かれていた。

「凄いね、この部屋」
「そうだな。でもこれ、どうしろっていうんだろうな?」
「うーん……」

この部屋ですべきことが分からず悩んでいると、不意に彼女が近くに置かれた台に近づいて、置かれている絵をじぃっと見始めた。気になったオレも彼女のところへ行き、同じように絵を見つめた。
描かれていたのは青色の何かの絵だった。うーん、何かが入った小さな入れ物のように見えるな。でもこれって一体なんだ?

「……あ!」
「うおっ!どうした?」
「あ、ごめん……。これってもしかして、目薬じゃない?」
「目薬?」

もう一度絵を見てみる。うーん、目薬と言われれば目薬っぽいが……わざわざ目薬を絵に描くのだろうか。この部屋には少なくとも同じ絵が十個以上はあるから、それだけ同じ目薬を描いたということだろう。……いやいや、こんなに描く必要あるのか?オレにはさっぱり分からねぇ。
でも仮にこれが目薬の絵だとしたら、この部屋で行うことのヒントになっているのかもしれない。

「目薬目薬……。あっ!」
「わっ!どうしたの?いきなり大きな声出して」
「わりぃ、驚かせた……。この目薬の絵がこの部屋にある理由が分かったかもしれねぇ」
「そうなの?」
「あぁ。ほら、さっき目がいっぱい並んだ通路に行っただろ?その時に、一つだけ赤い目があったの、覚えてるか?」
「うん、あったね」
「あの目は多分何かが理由で充血してるんだと思う。で、目が充血した時って目薬使ったりするだろ?そしてこの絵に描かれているのは目薬。ってことは?」
「この部屋に目薬がある、ってこと?」
「そういうこと。多分この部屋の奥に絵と同じ見た目をした目薬があるんだと思う。それをあの充血した目に点してやれば何か起きるんじゃねーかな」

そこまで答えが出たのはいいが、問題はここからだった。この部屋を探索しようにも、あちこちに置かれた絵と椅子が邪魔で今いる場所からほとんど動けないのが現状だ。絵はどうしようもないが、椅子なら乗り越えていけるだろうと考えたものの、オレが行けても彼女にそれをさせるのは少し酷かもしれないと思った。そのため椅子を乗り越える案は却下となった。

安全に行く道はないのだろうか。そう考えながら近くの椅子にもたれかかると、椅子が小さく音を立てて後ろへと下がった。慌ててバランスを立て直そうとしたが上手く直せず、そのまま後ろへ倒れて椅子の脚に後頭部を打ちつけた。

「いって!」
「大丈夫?!」
「あ、あぁ……なんとか。それより今、椅子動いたよな?」
「うん、動いた」
「だよな。ってことは、こいつらを上手く動かせば奥に行けるんじゃねぇか?」
「確かに。でも上手く動かさないと途中で進めなくなっちゃいそうだね」
「退かす時は慎重に、だな」

試しに押した椅子を引いてみたがびくともしなかったので、この椅子は押す以外のことはできない仕組みになっているようだ。つまり、失敗してもやり直すことができないということ。なおのこと慎重にやらないといけないと思い、少し緊張する。

二人で椅子の移動先と他の椅子や絵がある位置を確認しながら慎重に進んでいき、なんとか部屋の奥までたどり着くと案の定そこには絵と同じ見た目をした目薬らしきものがあった。
それを持って部屋を出たオレたちは、一旦あのノートのところに寄って部屋での出来事をメモしてからたくさんの目がある廊下へと向かった。

気味の悪い目たちの横を通って充血した目のところまで行き、持ってきた目薬を点してやると、その目の充血は綺麗さっぱりなくなった。するとその目はパタリと瞼を閉じ、そのままオレたちの足元を通って後ろへと行ってしまった。
オレたちはその目の後を追うように廊下の奥へと進んだ。目はちょうど突き当たりの手前の壁の横にいて、壁の方をじっと見ていた。

「壁になんかあるのか?」
「でも目の上には立てないよね」
「そうだよな……」

二人で目玉のすぐ横でうんうんと唸っていると、再び目が閉じた。これって、上に乗ってもいいってことか?
おそるおそる閉じた目の上に片足を乗せてみる。うん、ただの床と同じだ。
オレはそのままもう片方の足を乗せて目が見つめていた壁を調べた。なんとなく壁の一部を軽く押してみると、押した部分が少しズレて回転扉のように開いた。

「隠し通路、ってやつか」
「この先、行っても大丈夫かな。閉じ込められたりしないかな」

隠し通路を見た彼女が不安げに呟いた。確かに、この先に進んだら閉じ込められるという可能性も否定はできない。このまま二人で入って閉じ込められたら……。その考えが浮かんだオレは、何かあった時彼女だけでも先へ進めるように彼女をこの場に残すことにした。苦渋の決断だったが二人とも閉じ込められるよりはずっとマシなはずだ。

「……ナマエ、すぐ戻ってくるから少しだけここで待っててくれるか?」
「分かった……」
「心配すんなって、ちゃんと帰ってくるから。な?」
「……絶対だよ」
「おう」

彼女の頭を一撫でし、隠し通路の奥へと向かう。中は縦長の小部屋になっていて外よりも薄暗かった。慎重に一歩一歩歩いて中を見ていると、ちょうど部屋の奥の床に何かが落ちているのを見つけた。
拾い上げてみるとそれは野球ボールくらいのサイズの赤い玉だった。きっとこれも目薬同様どこかで使うはずだ。

「ただいま」
「おかえり。無事でよかった」

通路の出入り口まで戻ると、そこに待たせていた彼女が安堵した顔でオレを迎えてくれた。もしもを考えて待ってもらっていたが、やはりだいぶ不安にさせてしまったようだ。

「ごめんな、不安にさせて」
「ううん、大丈夫」

少し強がる彼女を抱きしめてやると、彼女がギュッとオレに抱きついてきた。そのままもう少しだけ抱き合った後、再び手を繋いで歩き出した。とりあえずはこの廊下の先、突き当たりから右の方へと進むことにした。

「いろんな絵があるね」
「だな。……これもちょっと変わった絵だな」

飾られている絵を見ながら進んでいると、少し先に大きな白い蛇の絵が飾られているのが見えた。

「すごいね、これ」
「そうだな。……ん?」

並んでその絵を観察していると、目の部分に窪みがあるのを見つけた。その窪みはちょうど先ほど手に入れた赤い玉が嵌まりそうな大きさだった。もしかしてあの玉を嵌めればいいのか?

「ナマエ、ちょっと下がっててくれ」
「うん」

何かあっても大丈夫なように彼女を一歩後ろに退かせると、オレは持っていた赤の玉を目の窪みに嵌めた。するとカチッと音がして、蛇の絵の右隣に飾られていた小さな絵が壁から外れ、カタンと床に落ちた。
落ちた絵は綺麗に裏面を晒していた。よく見てみるとそこには大きな木の後ろに……≠ニいう一文が書かれていた。

「大きな木の後ろに=c…。この部屋で木なんて見てないよね?」
「そうだな。……まだ見れてない場所がある、ってことか」
「でももう入れそうなところって入ったよね?」
「あぁ。さっきの隠し通路みたいな部屋があるのかもな」

蛇の絵の前にある通路を通り、ノートに今までのことを記述する。残る部屋はあと一つ。最初に入った部屋、ラビリンス≠セけだ。
あの小さな足音は確実にこちらに近づいてきていた。ということはあの中に長く留まっていたら危険だということだ。

「あとはあの部屋だけだよね」
「あぁ。……何かあってもぜってぇナマエのことは守るから」
「……何かあっても、二人で一緒に逃げようね」
「……そうだな。二人で一緒に逃げよう」

誓い合うように手を握り直し、残る最後の部屋であるラビリンスへと向かった。

◆◆◆ ◇◇◇

じわりじわりと近づく足音から逃げるように早足で道を進む。高い壁と細い通路のせいで部屋全体が見えない分、いつどこで襲われるか分からない。その恐怖で嫌な汗が流れ、少しだけ呼吸が浅くなった。それでもここで少しでも取り乱したら彼女を危険に晒してしまう、という思いが恐怖に蝕まれるオレの理性を保たせていた。

通路を進んでいくと、一つのキャンバスが絵を描くための台に置かれているのが見えた。そのキャンバスには絵ではなく赤い絵の具から まっすぐ南へ≠ニいう一文だけが書かれていた。

その文の内容を頭に置きながら再び先へと進む。あちこち曲がりくねる道を進みつつ床に付いている赤い絵の具≠ヒントに歩いていくと、壁にスイッチのようなものがあるのを見つけた。押していいものかと一瞬悩んだが、足音が先ほどよりもずっと近くで聞こえていたのですぐにボタンを押した。

ボタンを押すと外で何か音が聞こえた。きっとあの目の時の隠し通路のように、どこかで隠し通路への入り口が開いたのかもしれない。
未だ近づいてくる足音を背に、オレは彼女の手を引いて急いでラビリンス≠フ外へと出た。

「っはー……。ナマエ、大丈夫か?最後急に走ってごめんな」
「ううん、大丈夫……」

そう言った彼女はヘナヘナと力が抜けたようにその場に座り込んでしまった。慌てて声をかけると、彼女は少し困ったように笑って安心したら力が抜けちゃった、と答えた。

「……少し休むか」
「うん」

近くの壁まで行き、寄りかかって休憩をする。無事に出れて良かったが、正直言って本当に怖かった。薄暗くて視界の悪い場所で逃げながら探索をするなんて、この先もう二度とやりたくないものだ。

「もう、怖いのは嫌だな……」

彼女がぽつりとそう呟いた。
彼女の呟いたことはごもっともなことだった。オレだってできればこんな怖い思いをするようなことなんて起きてほしくない。だがきっとまだしばらくここから出れないだろう。そして同時に、あの部屋のような精神を削ってくる恐怖をこの先でも味合わされるのだろう。

「……オレがぜってぇ守るし、隣にいる。だから大丈夫だ」
「……ありがとう」

彼女が立ち上がれるようになったので休憩を終え、あのノートの方へと向かった。すると、ノートが置かれているテーブルの左手側の壁に先ほどまでなかった灰色の扉があるのが見えた。
きっとラビリンス≠ナスイッチを押した時に聞こえたあの音は、この扉が現れた音だったのだろう。
ノートへの記述を終えた後、新たに現れた灰色の扉を開けて奥へと進んだ。

部屋の奥には大きなワイングラスのグラス部分を斜めに切り落とし、その中に赤色のクッションを入れたワインソファ≠ニいう展示品や、ドロリと溶けたような顔をした胸像などが置かれていた。
室内の電気は切れかけているのか壊れているのか、消えかけていて時折チカチカと不規則に点滅している。

これはこれで嫌な雰囲気だ、と思いつつ部屋の奥へと進んでいくと一番奥に木の彫刻が置かれていた。なんだか人の形にも見えるその彫刻、感情≠見ていたオレはふとある一文を思い出した。

「大きな木の後ろに……≠烽オかしてこれが大きな木=Aなのか?」
「確かにこれ、大きいね。それにこの部屋で木≠チぽいの、これしかないと思うし……」
「ってことは、この木の後ろを見れば……」

木の後ろにまわって何かないかと探すと、少し奥の枝にキラリと光る何かが見えた。手を伸ばして取ってみると、それは銀色の指輪だった。

「これってもしかして」
「結婚指輪だろうな。これをあの手に嵌めてやれば、次の部屋に進めるはず」

隠し部屋を出て向かうは最初に来た花嫁と花婿が居る部屋。細い通路を通ってその場所に戻ると、何かを求めて蠢く黒い左手に近づき薬指に先ほど手に入れた銀色の指輪を嵌めた。
すると指の動きが止まり、手の近くにブーケが落ちてきた。横にある花嫁の絵を見てみると最初と違ってとても幸せそうな笑顔をしている。きっとこの花嫁がブーケトスをしたということだろう。

「綺麗だね、このブーケ」

彼女はそう言って床に落ちていたブーケを拾い上げた。ブーケを両手で持ち、少し目を伏せてピンク色の花を見つめる彼女を見て、ふと頭に彼女の花嫁姿がよぎった。絵の中にいる花嫁と同じ、純白のウェディングドレスを身に纏ったナマエがブーケを持って幸せそうに微笑んでいる――。

「タカちゃん?」
「――あ、わりぃ。ボーッとしてた」
「大丈夫?」
「あぁ、問題ねーよ」
「そう。……このブーケ、多分この後どこかで使うよね」
「そうだな。見たところこのブーケが落ちてきた以外なにもなさそうだし……。ここにはもう何もねーのかもな」
「ってことは、さっきいたあの部屋のどこかに次の部屋に続く場所があるんだよね」
「でもそのブーケを使えそうな場所なんてあったか?」
「うーん……」

とりあえず悩んでいても仕方がないと思い、再び細い通路を通ってあの広い部屋へと戻った。
ノートに今までの流れを記載し、次の行動を考える。とりあえず全部の部屋は回ったし、手に入れられるものは全て手に入れたはず。仕掛けとかもあれ以上はなさそうだと考えると、もうアテがなかった。どうしたものか、と頭を悩ませていると隣にいた彼女があっ、と小さく声を漏らした。

「目薬があった部屋、覚えてる?」
「この廊下の途中にあったあの部屋だろ?」
「うん。あの時、部屋で目薬を取ってからすぐ離れちゃったけど、確かもう少し道が続いてた気がするんだよね」
「……言われてみればそうだった気がするな。行ってみるか」
「うん」

廊下を進み、途中で右に曲がる。目薬のあった部屋の扉を通り過ぎて突き当たりを左に曲がると、真っ直ぐ伸びる通路があった。だがその先には扉はなく、代わりに黒い背景に青色でおどおどろしい目と口が描かれている一枚の絵が飾られていた。

「……あの絵とブーケって、何か関係あるのかな」
「さぁ……。でもこの部屋で見れてないのはアレだけだし……。ナマエ、ブーケ貸してくれるか?」
「うん……」

ブーケを受け取ったオレは、彼女に自分の背後にいるようにと言って通路の奥にある不気味な絵へと向かって歩き出した。

「えへへへへ へへへへへ はな……おはな いいなぁ……」

絵に近づくと、突然その絵が不気味な笑い声とともにそう言った。花≠ニいうワードに思わず身構える。コイツもあの赤い服の女や青い服の女のように花≠ェ好きなのだろう。ということは下手するとオレたちが持っているバラに危険が及ぶかもしれない。

「そのお花 くれたら ここ 通してあげるよ……えへへ。えへへ……お花 ちょうだい?」

やはり予想通りだった。だが渡せる花なんて――。

「そうか。……花が欲しいんだよな。なら、コレやるよ」
「えへへへ ありがとう…… いいにおいだなぁー……えへへ」

渡したのは先ほど手に入れたあのブーケだった。
ブーケを受け取った絵は嬉しそうに笑った。これでこの先へ行ける、そう思った瞬間だった。

「それじゃ いただきます」
「ひっ!」

絵は自身の口の中にあるブーケをむしゃむしゃと音を立てながら食べ始めた。美しかったブーケは目に見えて無惨な姿になっていき、床にピンクの花弁が数枚散らばる。もしもこれが自分たちの持っているバラだったら――そう考えただけで血の気が引いた。

「あー おいしかった えへへへ ありがとう ありがとう 約束だからね ここ通すよ」

その言葉の後、描かれていたはず目と口が消えて真っ黒になったところに、青色のドアノブが現れた。

「このドアで 奥に行けるよ それじゃあね えへへへへ」
「……進む、か」
「うん……」

オレは青色のドアノブに手をかけ真っ黒な扉を開き、奥へと進んだ。