7話




絵画が二枚飾られた小部屋を通って奥へと進む。小部屋の奥にあった灰色の扉を抜けると、そこには真っ白い陶器で作られた不気味なマネキンの頭が廊下の両端に並んでおり、壁には文字通り真っ白な顔をした人の絵が飾られていた。

「なにこれ……」

一歩後ろにいた彼女が怯えた声で呟く。彼女を少しでも安心させようと繋いだ手に少しだけ力を込めて大丈夫だ、と声をかけた。その言葉は、同時にオレ自身を安心させる意味もあった。
きっと何も起きることはない、ただ不気味なだけで何事もなくこの先へ進める。そう頭では考えていても、心にはそう思えるほどの余裕がなかった。

すぐ近くにはあの記録用のノートが置かれたテーブルがある。だが今のオレと彼女には、今までのことを記録するために数分留まれるほど、余裕がなかった。
一秒でも早くこの不気味なマネキンの頭が並ぶ廊下を抜けて次の部屋へと行きたい。その思いがオレの足をノートの方ではなく、マネキンたちの間に伸びる通路の方へと動かした。

「ナマエ」
「なに?」
「今からここを一気に走り抜けようと思うんだけど、走れそうか?」
「……うん。大丈夫」
「よしっ。三、二、一で行くぞ。いいな?」
「うん」
「三、二、一 ――走れッ!」

その声とともにオレたちは地面を蹴って走り出した。彼女の足に合わせながらもできるだけ全速力でマネキンの頭たちの間を駆け抜け、その先にある灰色の扉へと向かう。

「っはぁ、はぁ……大丈夫だったか?ナマエ」
「う、ん……だいじょうぶ……」

駆け抜けた勢いのまま扉を開き、その先へ転がり込んで扉を閉めるとバタン、という大きな音がしんっと静まり返る灰色の部屋に響いた。
扉のすぐ横の壁に寄りかかりそのままズルズルと下へへたり込む。緊張が解けたせいか、膝どころか足全体に上手く力が入らない。

「ちょっと休憩、するか……」
「そうだね……」

薄暗い静まり返る部屋にある音はオレと彼女の小さな呼吸音のみ。色の抜け落ちた灰色の部屋は乱れた心を怖いほど落ち着けてくれた。

「……そろそろ行くか。立てそうか?」
「うん。大丈夫だよ」

隣に座っていた彼女の手を取って彼女の体を引き上げる。そのまま彼女と手を繋ぎ、左右に広がる長い廊下へと出た。
左右どちらに進むかを決めるために両方見てみたがどちらもかなり先まで続いており、部屋の薄暗さも相まって廊下の先に何があるのかよく見えなかった。

「……よし。右に進もう」
「わかった」

どうこう悩んでも仕方がないと思ったオレは、何となく惹かれた右手側の廊下へと進むことにした。

◆◆◆ ◇◇◇

「ひっ!」
「っ……大丈夫だ。こいつらは動かないタイプみてぇだから、襲ってこねぇはずだ」

廊下を進んで突き当たりを左に曲がると新たな廊下が広がっていたのだが、そのすぐ手前にあの頭のない黒いマネキンが立っていた。そのマネキンはこれも含めて四体あり、オレの左手側に等間隔に並んで立っていた。
もしこれらが襲ってくるものであれば、きっとこの距離にいる時点で襲ってきているはず。だが手前のものも含めてマネキンたちは一切動く気配がなかった。

「本当に、襲ってこないよね……?」
「あぁ。もし襲ってくるタイプだったら、この時点で襲ってきてるはずだ。でも今はどれも動く気配がない。ってことはこいつらは本当にただのマネキンってことだ」

よく見てみるとマネキンたちの間には新たな廊下がある。この部屋、今まで通ってきた部屋よりもだいぶ広いとは思っていたが、思っていた以上に広いのかもしれない。
だがまずはその廊下よりも、前に続くこの廊下の先に進んだ方がいいだろう。オレは彼女の手を引きそのまま真っ直ぐ前へと進んでいった。

四体のマネキンの前を通り過ぎ先へ進むと、小窓のある小部屋が左手側に現れた。その小部屋の扉のすぐ横にはあのノートが置かれたテーブルもあった。
まずは灰色の扉の前へ行く。ドアノブを捻って開けようとしたものの鍵がかかっていて開くことはなかった。まぁここは想定内だ。
ノートにこれまでのことを記載し、テーブルの横にある部屋の小窓の前へと移動する。

「わっ!」
「うおっ!」

窓の前に立った瞬間、黒い棒人間のようなものが小窓に映ったかと思うとそれは窓の下枠を蹴ってどこかへ飛び去るように窓枠の外へと消えていった。
あまりに突然のことに驚いたオレたちは一瞬その場で固まったものの、ふっと我に返り探索を再開した。

小部屋の前を通り過ぎると左手側に真っ直ぐ伸びる廊下がある。よく見れば右手側にも通路の入り口のようなものが見える気がする。さてどちらに進もうか。
左側の通路の先には先ほども見た黒いマネキンが立っている。もしあれが襲ってくるタイプのマネキンであれば、逃げるのは至難の業だ。となれば――

「あっちから見ていこう」

こういうのは隅から探索するというのが常套句だろう。オレは右手側にちらりと見えた通路の方へと向かった。

「……これは、やべぇな」

右手側に進むと、案の定そこには少し細い通路があった。
だがその通路を作る左右の壁のうち左側の壁には、彼女のバラを奪って花占い≠していたヤツと同じ見た目をした青い服の女が、その隣にはオレに襲いかかってきたヤツと同じ見た目をした赤い服の女が飾られていた。

あいつらは近づくと襲ってくる。この通路の細さからして、前を通ったら襲ってくる可能性は十分考えられた。

二つの女の絵が飾られた壁の間には、人一人が通れるほどの通路があった。仮に襲われたとしても、その通路を使えば撒けるかもしれないが、それはオレ一人だったらの話だ。彼女を守りながら逃げるとなると、果たして守りきれるかどうか分からなかった。

下手したらどちらかのバラが奪われて最悪の事態になりかねない。そう考えたら危険を冒すよりも別のところを探索した方がいいだろう。

「一旦ここからは離れて、他の場所を見てみるか……」
「うん……」

オレたちはその場を足早に立ち去り、先ほど選ばなかった左手側に続く廊下の方へと歩き出した。

◆◆◆ ◇◇◇

一通り見れるところを見て回った結果、この部屋にはかなりの数の女の絵とマネキンが展示されていることと、鍵のかかった部屋ばかりであることの二つがわかった。
見かけた鍵のかかった部屋のうち、二つはパスワードを入力するタイプの鍵だったので、おそらくこの二つの扉が現時点で開けられる扉なのだろう。

「この部屋にある 女の絵の数を答えよ≠ニ入力せよ=Aか……」
「先に開けられそうなのは、女の絵≠フ方だと思う。だけど数えるってことは、部屋の隅々まで確認しないといけないんだよね……」
「そうだな……」

悩みの種の一つである二つの扉を前にして、オレたちは頭を抱えた。
彼女の言う通り女の絵≠フ方が解除が簡単なのは明白だ。単にこの部屋に飾られた女の絵を数えればいいだけだから。だが問題はその絵を数える≠アとだった。
あの女たちは近づいたら襲ってくるためできるだけ距離を取りたいのだが、女の絵が飾られた通路はどれも細く、距離を取ろうにも取りにくかった。

彼女を守りながらとなると中々に難しいが、かといって彼女にどこかで待っていてもらうのも、もしオレから注意を逸らした女が彼女の方へ向かってしまったら、守りきれる自信がない。
オレが囮になって彼女に数えてもらうという手もあるが、仮に彼女が数を数えている際に襲われたらどうしようもない。

「タカちゃん」

どうしたものか、と悩んでいると隣にいた彼女がオレを呼んだ。

「どうした?」
「女の絵の数、数えに行こう」
「でも、そしたら――」
「いつまでもここにいるより、危なくても動こう。……正直怖いけど、でもタカちゃんが一緒にいるから大丈夫だよ。襲われたら一緒に逃げよう」

そう言って彼女はオレの手を握って微笑んだ。その手は微かに震えていて、向けられた微笑みもどこか硬い。
あぁ、情けねぇな、オレ。こういうことはオレがするべきだって言うのに――

「……そうだな。ここでずっと悩んでても先に進めねぇし外にも出れねぇ。……ありがとな、ナマエ。もし襲われても一緒に逃げよう。それでももしものことがあれば、オレがぜってぇ守るから」
「うん。この部屋、広いし壁も多いからきっと走れば逃げ切れるよ。だからもしも≠ネんてきっとないよ」
「……そうだな」

オレたちは繋いだ手が離れないように力を込め、女の絵を数えに向かった。

まず数えに行ったのは女の絵が一番多く飾られている、部屋の右側部分だった。
右側は展示スペースのようになっていて、広い空間を壁で大まかに区切って通路が作られていた。そして通路を作る壁の片側に女の絵が等間隔で飾られている。

「いち、に……。ここは二枚だけだね」

奥から順に数えようとなり、向かったのは廊下の左側。部屋の奥に当たるところの通路だった。
その通路の壁には赤い服の女と青い服の女の二枚だけが飾られていた。通るときはお互い無意識に繋いだ手に力が入り、じわりと手に汗が滲んでいた。だが幸いにも襲われることはなかったので、通路を通り過ぎた後は二人で深く息を吐いた。

「もしかしてここの絵って本当に飾られてるだけなのかな」
「かもしんねーな。でも油断はできねぇから、数え終わるまでできるだけ気を緩めるなよ」
「うん」

通路の先は曲がり角で右に通路が続いていた。それに沿って右に曲がれば、今度は通路が左右に分かれていた。右の通路の壁には絵が飾られており、左の通路はまた曲がり角となっている。なんだか入り組んでるな、ここ。
左側の通路の先も気になったが、今は女の絵を数える方が先だとして右の通路に進むことにした。

二本目の通路も終わり、三本目の通路へと移る。手前から一、二、と数えて四枚目の絵のところまでやってきたところでオレたちは足を止めた。

「あれ?これだけ違う絵だ」
「吊るされてる男、か」

四枚目の絵は、赤い紐で両足首を縛られて逆さに吊るされている痩せこけた男の絵だった。
パッと見はただの少し不気味な絵だが、服の部分をよく見てみると白地となっている部分に何やら数字が書いてあった。

「5629=c…?」
「これ、さっきあった扉の入力せよ≠フ扉のパスワードかもしれないな」
「そっか!じゃあこれを入れたらあの扉が開くかもしれないんだ。まさかこんなところで見つけられるなんて、ラッキーだね」
「あぁ。これであの扉のために改めて探索をしなきゃいけない、ってことも無くなったしな。手間が省けた」

二人で笑い合い、小さくハイタッチをする。その一瞬だけだが緊張で張り詰めていた心が少しだけ緩んだ。
他に見落としはないか、と男の絵を再度眺める。全体を見て、服を見て、そして最後に顔を見ると――

「うわっ!……光った?」

空洞のように真っ黒な男の目が一瞬キラリと光った。

「どうしたの?」
「わ、わりぃ。ちょっと驚いただけだ」

どうやら彼女は見ていなかったようで、不思議そうな顔でこちらを見ていた。まぁ、よかったのかもしんねぇな。見えてなくて。

結局男の絵には服に描かれた数字以外特に何もなかったので、オレたちはその場を離れ、次の廊下へと進んだ。
最後の廊下に飾られた絵を数え終わり廊下から出ると、少し前にいたあの小部屋の前に出た。別の場所を探索する前に、今数えた女の絵の合計数をノートに書いた。

「右側の方は終わったから、次は左側だな」
「左側の方、最初に通ってきた方だよね。縦に長い廊下がいくつかあったし、広そう」
「そうだな……。でも廊下の前を通った時にチラッと見たけど、絵が飾られてそうだったのは廊下の一番奥の壁だけだったと思う。だから、全部の廊下を通らないといけない、ってことはないはずだぞ」
「そっか。ならすぐ終わりそうだね」

オレたちは再び手を繋ぎ、部屋の左側のスペースへと向かった。
何事もなく数え終われることを願いながら。