たとえ推しであっても



今日は彼女がずっと楽しみにしていたネイルサロンの予約日。
天気も快晴で過ごしやすく、気温も春らしい暖かさ。今日は絶対これ、と前日から決めていたラベンダーカラーの春物ワンピースが風に靡く。
ナマエは、今日にピッタリの曲を詰めたプレイリストの中身を聴きながら軽やかな足取りで目的地へと向かっていた。

「いらっしゃいませ〜」
「こんにちは、今日は宜しくお願いします」
「はい、今日はこちらの席になります」

ここは都内某所にあるネイルサロン。ずっと行きたいと思っていたお店だが、ここしばらくは仕事が忙しかったりして中々予約が取れなかった。しかし、ようやく仕事に余裕が出来始めたので満を辞して予約していたのだ。
案内された席に座り今日の担当を待つ間、スマートフォンを操作してネイルのための準備をする。

「お待たせしました〜!今日はどうされますか〜?」
「今回はモチーフネイルをお願いしたくて……。この画像の2人のモチーフでお願いします」
「ちょっと失礼しますね〜。……はい、ありがとうございます。ではすみませんがパーツなどを準備しますので、また少々お待ちください」

店員の女性はナマエのスマートフォンに表示された画像をスマートフォンで写真を撮ると、それを片手に今回のネイルに使用するカラージェルやパーツを取りに、再び席を立った。

このネイルサロンは“痛ネイル”が有名なお店である。
ナマエを含めたお客も、ネイルを担当してくれる店員も皆何かのファンやオタクなので、キャラクターの顔を描いた“痛ネイル”、キャラクターやグループなどのモチーフデザインを施す“モチーフネイル”を気軽に注文できるのが特徴だ。
そして今回ナマエが注文したのは、彼女が最近特に熱を入れている作品のとある2人組ユニットのモチーフネイルだった。

「お待たせしました〜!では早速始めさせていただきます、宜しくお願いします」
「はい、宜しくお願いします」

まず初めに、爪全体を整える作業から始まる。
今回は爪の形を丸型にするため、ヤスリで先端が丸くなるように削っていく。その後、先端の細い研磨機で爪の甘皮を削り、爪表面を整えていく作業に移った。

「最近この作品の痛ネイルやモチーフネイルをご注文されるお客様がいらっしゃるんですよ〜」
「えっ!そうなんですか?!」
「えぇ。それこそ、この2人をご注文された方もいらっしゃいましたよ」
「そうなんですか!……実は私の周りにこの作品を知ってる人や好きな人がいなくて、知名度低いのかと思っていたんです」
「そうだったんですか〜。でも私、結構名前を見聞きしているので、決してマイナーではないと思いますよ!」

爪を整える作業が終わり、いよいよネイルの施術作業に移る。
まずは基調となるカラーとラメを混ぜ合わせる。ある程度混ぜたらそれを筆で丁寧に塗り、ある程度塗り終わったところで硬化用UVライトの機械に手を入れる。何度か繰り返したら今度はストーンなどのパーツを載せたり、別の色を上から重ねて塗ったりしていった。それを何度か繰り返しながら店員と会話していたら、あっという間にネイルが完成した。

出来上がったネイルはユニットのイメージカラーである紫を基調としており、その上に2人それぞれの衣装の色や髪色を使ったデザインが施されていた。
ネイルに散りばめられたストーンやチェーンなどの金属パーツ、そしてネイル自体に混ざるラメがライトに反射して煌めく。そして両手の親指には2人がそれぞれ身につけている蛇のピアスが、中指には2人のサインが銀色のカラージェルで描かれていた。

「どこか気になるところとかありますか?」
「いえ、大丈夫です!うわぁ……すっごく可愛い……!」
「ありがとうございます。お写真撮られますか?」
「はいっ!お願いします!」

写真を撮ってもらってからお会計を済ませて店を出る。その足取りは店に向かっていた時よりもずっと軽やかだった。
今日は最高の日だ。このまま気になっていたカフェにでも行ってみようか。なんて考えながら歩いていると、前方によく知った人の姿を見つけた。

「隆君!」
「ん?おぉ、ナマエ」

それはナマエの彼氏である三ツ谷だった。
彼の片手には、彼がよく買っているパン屋の紙袋がある。きっと昼食を買いに外に出ていたのだろう。
彼の隣に駆け寄ったと同時に歩行者信号が青になったので、2人で並んで信号を渡った。

「やけに楽しそうだな。何かいいことでもあったのか?」
「ふふっ、分かる?実はね、今さっきネイルサロンでネイルしてきてもらったんだー!」
「へぇ、ネイルか。どんなデザインなんだ?」
「これこれ!すっごく可愛いでしょ?」

彼女ははにかみながら自身の両手を彼に見せた。太陽光を反射して爪が煌めく。
彼は煌めく彼女の片手を取り、その先をまじまじと見た。

「これ、なんかのモチーフだよな?」
「よく分かったね?そうだよ!」
「まぁな。んで、何をモチーフにしたんだ?」
「最近友達からおすすめされてハマった作品の、一番好きなユニットだよ」
「へぇ?」

ナマエはポケットから取り出したスマートフォンを操作し、今回のモチーフの元になった画像を彼に見せた。
画面に映るのは双子の青年。髪を結んだ青年が、黒い帽子を被った青年を抱き止めているような絵だった。
それを見た彼は一瞬すっと目を細め、また先ほどと同じ笑みに戻った。

「この2人って、最近よく聞いてる曲のやつか?」
「そうなの〜!2人のデザインとかカラーとかすっごい好きで、仕事が落ち着いたらモチーフネイルを頼もうって思ってたんだ〜」
「なるほどなぁ。よかったじゃねぇか、ネイルも可愛くてナマエに似合ってる」
「ありがと!実は今日の格好も2人をイメージしたコーデなんだ〜」

楽しそうにはにかむ彼女を見ながら、三ツ谷は複雑な感情を抱いていた。
彼自身としては、彼女の趣味や、それに影響を受けてモチーフネイルをしたり、服を買ったりすることに反対する気持ちはない。それは彼女が好きで行っていることで、彼女が楽しいと思っている趣味だからそれを自分に抑える権利はないと考えているからだ。

しかし、そのネイルを自分がやったのではなく、他の誰かに頼んでやってもらったのだから少し引っかかっていた。
長年付き合っていたからこそ、彼女の節々に自分の色があった。それはヘアアレンジ然り、コーデ然り。だがそこに自分以外の色、自分以外の人が考えたデザインが入ったことに嫉妬したのだ。コーデだってヘアアレンジだって、それにネイルだって、自分に言ってくれたら……。そんな、独占欲からくる思い。

そして同時に、架空の存在だったとしても自分以外の男をイメージしたコーデやネイルをしていることに少しもやっとしていた。
彼女の趣味を否定したり、抑制させる気はもちろんないし、彼女の意思を尊重する考えではある。それでもやはり1人の男、そして彼女の“彼氏”という立場である以上、どれだけ頭では分かっていたとしても、少しは嫉妬するのだ。

「これ、ジェルネイルだよな。結構長持ちするらしいけど、どれくらい付けてるんだ?」
「うーん。直近のライブのためにしたから、終わってからしばらくはつけてると思う。爪が伸びて不恰好になってきたり、剥げたりしてきたら行こうと思ってるよ」
「ふーん。なぁ、それ今度オレがやってみてもいいか?」
「え?でも隆君、今忙しいんじゃ?」
「あぁ。でも少し余裕が出てきてな。息抜きにやってみたいと思ってさ、付き合ってくれね?」
「うん!勿論!ってことは、色々と道具を準備しないとだね」
「え、そうなのか?マニキュアみたいにそれ一本買ったら終わり、とかじゃねぇのか」
「そうだよ〜。ってことで今度の休みに東急ハンズとかに行って、もの探してくる!」

後日、三ツ谷は無事ライブを終えた彼女に頼んで、ジェルオフをしてもらい、買い揃えた道具を用いて彼女の爪にジェルネイルを施したのだった。

「……よし、じゃあ次はこっちな」
「はーい。さすが隆君だね、お店の人がやったみたいに綺麗」
「まぁ、細かい作業は慣れてるからな」
「じゃあ今度のネイルは隆君にお願いしようかなぁ」
「おう、任せとけ。推しのモチーフネイルでも何でも、やってやるよ」