もうあなたの手中
未だにどうして彼が自分に対して告白をしてきたのかが分からない。
確かに彼と彼女は同じ学校同じクラス、なんだったら隣の席だった。多少雑談はするようになったが、それも告白を受ける少し前からだ。
好かれるようなきっかけなんてこれといってなかったはず。それなのに、どうして彼に“付き合って”なんて言われたんだろうか。
彼女は心の中でフクロウのごとく頭をぐぐぐ、と回した。
「ねぇ、何考えてんの?」
「え?いや、特には……。ちょっとぼーっとしてただけだよ」
「オレと居るのに?」
「ごめんね、もしかしたらちょっと疲れてたのかもしれない」
「ふーん、そう。じゃあ一緒に昼寝でもする?」
「いいの?」
「オレも眠いし、ちょうどいい」
「そっか、じゃあお昼寝しよ」
一虎から告白を受けた時、大した会話もしていない、今まで全くと言っていいほど関わりのなかった自分になぜ?と彼女は大きな疑問を抱いた。
特別深い交流もなかったし、昔からの付き合いでもない。加えて、彼女が彼のことを知ったのは中学に入学してから聞いた風の噂だけだった。
不良との関わりなんて一切なかったナマエにとって、ただの風の噂だとしても“羽宮一虎”に対する第一印象はとんでもなく怖い不良、というものになってしまっていた。
しかし、実際同じクラスの隣同士になってみて分かったのは、“普段は特に怖くはない”ということだった。
彼の機嫌を損ねるようなことさえしなければ、至って普通の同級生だった。……損ねるようなことさえしなければ。
誰かが機嫌を損ねさせれば、途端に彼は態度も雰囲気を一変させ、教師を含めたクラス全員が恐怖した。
そんな爆弾のような扱いを受けていた彼のフォロー役(という名のストッパー係)として抜擢されたのが、隣の席だったナマエだった。
最初こそ不機嫌ポイントが分からず、たまに不機嫌にさせてしまっては彼から鋭い視線を浴び、クラスの人たちからも複雑な感情のこもった視線を向けられた。
だが、途中から何となく彼の不機嫌ポイントが何となく分かるようになり、ちょうどいいタイミングで必要最低限の会話をするようになった。
おかげで鋭い視線を向けられることは減ったが、それでも時折見せる“不良”としての顔や雰囲気があまりにも怖くて、緊張の糸は張り詰めたままだった。
結果として、教師も含めて一虎と一番上手く付き合っているのはナマエとなった。
彼に対する用事は、全てナマエを通して行われ、彼からの返答なども本人を通して行われた。
彼女本人も彼と接することには慣れ、気づけば少量の雑談程度ならできるようにはなった。
第一印象である“とんでもなく怖い不良”は覆ってはいないものの、“自分と同じ中学生なんだな”という感情も抱くようになっていた。
「あ、やっぱ昼寝やめた。ナマエ、膝枕して」
「いいよ」
「やったー、じゃ遠慮なく」
そんな彼から告白を受けたのは数週間前のこと。
放課後、掃除当番と日直が重なったナマエが1人、教室で日誌を書いているところに一虎がふらっと現れた。
彼は何も言わずに自席である彼女の隣の席に座ると、机の上に頬杖をついて日誌を書いている彼女を見つめていた。
教室に響くは規則正しく進む時計の針の音と、紙の上を走る彼女のシャーペンの擦れる音だけ。
そんな静寂を壊したのは、彼の声だった。
「ねぇ、ナマエって今彼氏とかいんの?」
「えっ!?」
意外な質問をされ、ナマエは驚いてシャーペンを床に落とした。
自分の足元に転がってきた彼女のシャーペンを拾い上げ、“はい”と手渡す彼の表情は穏やかな微笑みだったが、真意が読めなかった。
「ありがとう……。どうしてそんなこと聞くの?」
「んー、気になったから。というか、別に居たら居たで潰すだけなんだけど」
「えぇ……」
「で、どうなの?居るの?居ないの?」
「……居ないです」
「へぇ、意外」
別に居なくても問題はないし、いいじゃないか。なんて思いつつ受け取ったシャーペンを持ち直し、日誌の記載を再開する。
変わらず頬杖をついて微笑んでいる彼が少し怖くて緊張する。あ、文字が少しブレた。
そんな姿を見ながら、彼は先ほどと変わらない声色で言葉を発した。
「じゃあさ、オレと付き合って」
「えっ!?」
「いちいち驚いて面白いね。はい、これ」
「あ、りがとう……」
「で?どう?もしかして――」
「お願いします」
「そう、よかった。それじゃあこれからナマエはオレの彼女ね」
“これを断ったら”と考えただけで怖くて、何をされるのかが分からなくて、ナマエは彼の言葉を遮って“YES”を示す返答をした。
その時の彼の顔は、今まで見た笑顔の中で一番優しかった。だが、それもまた彼女は怖かった。
それからというもの、ナマエに少しでも近づいた男は全員、隣にいる一虎から鋭い視線を向けられた。
女子生徒であればまだ許されてはいたものの、あまりにも長いと不機嫌になるので、次第にナマエ自身も腫れ物のような扱われ方をされ始め、若干学年で浮き始めていた。
流石にそれはナマエ本人も辛く、どうにかして元の生活と人間関係に戻れないだろうか。と日々考えていた。
「ナマエ」
「なに?」
「お前、オレのこと怖いんだろ?」
「そんなことないよ」
「オレだってそれくらい分かる。ナマエはオレのことが怖くて、オレの告白を受け入れたんだろ?別に怒っちゃいねぇから素直に答えろ」
「……そ、うです」
「やっぱりなー」
ナマエの膝の上に頭を乗せて横になる彼は、あっけらかんとした表情でそう言った。
一瞬の沈黙の後、彼はゆっくりと彼女の顔に手を伸ばし、そっと頬に触れた。その手が優しくて、ナマエは胸が締め付けられた。
「お前も他の奴らと同じようにオレのことを怖がってたのは知ってた。それでも、ちゃんとオレと話してくれたのはお前くらいだったからさ。気づいたら好きになってたし、それが分かったからオレのものにしたかった」
その表情がどこか寂しげで、ナマエは思わず彼の頭を撫でた。
見た目とは裏腹のふわふわで細い毛が指の間を通り抜ける。
「一回だけチャンスやるよ。もしナマエがオレから離れたいなら、オレが起き上がって10数える間にここからどっか行って。10数えてもどこにも行かなかったら2度と離さない。いい?」
有無を言わさない目。その目にナマエは弱かった。
むくり、と彼が起き上がり、彼女の膝の上は空席となる。
「じゅー、きゅー、はーち」
ナマエの返答も待たず10カウントが始まる。
一虎はナマエの隣であぐらをかき、片膝の上に頬杖をついていた。
今だったら彼の束縛から離れられる。今この場から去れば彼との恋人としての関係を終えられる。また今まで通り、他の皆と話したりすることができる。誰からも避けられることもなく、普通に残りの学生生活を送ることができる。
「ごー、よーん」
自身の隣にある鞄の持ち手を強く握る。
「にー、いーち」
“ぜろ”
「いいの?オレはちゃんと言ったからな。もう逃してやんねーから」
ナマエはその場から離れなかった。
強く握っていたはずの鞄の持ち手は既に彼女の手から離れている。
嬉しそうに笑った一虎がナマエに抱きつくと、控えめながらも彼女が抱きしめ返してきた。そんなことは初めてだったので、思わず彼も驚いた。
「一虎君が言ってた通り私は一虎君のことが怖かった。正直今もちょっと怖い。だけど、気づいたら一虎君のこと好きになってたみたいでね、さっきの一虎君の言葉で確信したの。“私は一虎君のことが好きなんだな”って」
ナマエに一虎の思いが伝わっていなかったわけではなかった。
付き合ったその日からスキンシップや言葉で伝えられる彼からの“好意”は、恐怖ばかりだった彼女の心を少しずつ変えていっていた。
それでも、一緒にいる分彼の“怖い”一面も見るため、彼女の感情は複雑に絡み合っていた。
それを解いたのが先ほどの一連の一虎の言葉だった。
真っ直ぐに“好き”を伝える言葉、彼の性格からして考えられない“逃げるチャンスを与える”行為、それらが“どれだけ自分を好きでいるか”を示しているように感じた。
だからこそ、彼女は立ち去らずにこの場に残ったのだ。
「今までごめんね」
「いいよ、これから返してくれれば」
「頑張ります。……ところで、もしあの時私がここから去ってたらどうするつもりだったの?」
興味本位に、選ばなかった選択肢の答えを聞いてみる。彼は彼女の肩に頭を乗せたまま、耳元で小さく笑った。
「その時は、もう一回捕まえてやるつもりだった。そんで、完全にオレに落としてやろうと思ってた」
「えっ……それって」
「そ。元から逃す気なんて更々なかったってこと。捕まるのが早いか遅いかの違いだったってわけ」
「もう捕まってたのね、私」
「まぁほらオレ、“虎”だし?肉食獣がそう易々と獲物を逃したりなんてしねぇと思うんだけど?」
そう言って一虎はナマエの首筋を甘噛みした。
ちくり、と痛みが一瞬走る。彼が口を離すと、そこには赤色の噛み跡が綺麗についていた。
「あー、なんかこれ“オレの”って感じがしていいなぁ」
「噛まれた側としてはかなりびっくりしたけど……。というか、ここって襟で隠せない部分じゃん!」
「いいだろ?オレのって印」
「……一虎君、かなり独占欲強いよね」
「今更?当たり前だろ、ナマエはオレのもの。他の誰にもやってたまるかよ」
「私のことを狙う人は誰もいないと思うけど……」
「いる。例えば同じクラスの隅っこにいるダセェメガネかけた男とか、茶色の髪した暑苦しい男とか」
「え?うーん、そんな感じはしなかったかと思ってたけど」
「オレはそう思った。だからガン飛ばして近づけさせないようにしたんだけど?」
「あー、それで……」
思っていた通りといえば通りだが、やはり自身の元からどんどん人が離れていったのは一虎が原因だった。
ナマエは溜息を吐くと、一虎の後頭部を撫でながらお願いをした。
「一虎君の気持ちも分かるけど、私にも私の関係があるから、せめてガンを飛ばすのは控えてほしいな。流石に私の生活が大変だからさ。それに一虎君も周りに“怖い”って思われたままになっちゃうから」
「別に、ナマエに思われてなければいいし、ナマエが好きでいてくれるならそれでいいからやめねー」
「いや、うーん……」
「それに今更オレと連もうとか考える奴は、あのクラスにはいねぇだろ。何したって怖がられるだけで面倒。オレはナマエがいるから学校来てるだけだし」
“まぁでも、ナマエがどうしても困るっていうなら少し考えてやるよ”、そう言って一虎はナマエから体を少し離すと、そっと片手を彼女の頬に添えた。
「ナマエ、今まで誰かとキスしたことある?」
「私が覚えている限りは、ないかなぁ」
「じゃあ初めてってことかぁ、それは嬉しいな」
そう言って微笑んだ彼は、そっと彼女に口づけをした。
何度か触れるだけのキスを行った後、羞恥で顔を赤らめる彼女を見て、感情が抑えられなくなった一虎は間髪入れずに彼女に再びキスをした。
「口、少しでいいから開けろ」
「ん……ん!?はっ、んっ」
キスの合間を縫うようにそう言われたナマエは、言われた通り少しだけ口を開くと、狙っていたかのようにその隙間に彼の舌がねじ込んできた。
先ほどまでの触れるキスとは全く違う、深くて蕩けるようなキス。口の中を掻き乱され、ナマエの口端から少し唾液が垂れる。
唇が解放されると、彼女は軽い酸欠と多大なる羞恥の影響で真っ赤になった顔に、少し蕩けた瞳で一虎を見ていた。
「うわ、そそるような顔してんじゃねぇよ。今ここで喰われてぇの?」
「そ、れはなぁ……。まだ勘弁してほしい」
「じゃあいつならいいの?」
「高校生、とか?」
「そんな待てねぇんだけど」
「え、えぇ……」
「……まぁでもナマエにまた怖がられんのは嫌だし、仕方ねぇから少しくらいは待ってやるよ。でも今週までな。それまでにオレに抱かれる覚悟を決めろ」
「それはまた無茶な……。あ、はい。考えておきます……」
「じゃあ、取り敢えずそれまではオレと一緒にいること。いい?」
「あんまり周りにガン飛ばしたりしないでね?」
「さー。それは約束できねぇなぁ」
「お願い。少しだけ、ね?」
「……じゃあ、オレと3つ約束してくれたら、少しは我慢してやるよ」
その1、オレの呼び方を“一虎君”から“一虎”にすること。
その2、学校の中でも外でも、一緒にいられる時はずっと一緒にいること
その3、友達との交流はいいけど、あんまり近い距離にならないこと
「これを守ってくれるなら少し我慢してやるよ」
「1はいいとして、2と3はできるだけ頑張ります」
「もしオレ抜きで誰かとどっか行くなら、必ずオレが迎えに行く。だから誰とどこに行き、何をして何時に帰ってくるかをちゃんと連絡しろ」
「サプライズプレゼントを準備したい、ってときは?」
「うーん、じゃあオレにバレないようにやれ」
「それは難しそうだね」
「そこはお前が考えるところ」
「まぁ、うーん……そうっちゃそうだけど……」
「取り敢えず、ほら。呼んでみてよ、“一虎”ってさ」
期待するような目で見る一虎。ナマエは真っ赤な顔のまま小さく深呼吸をすると、意を決して彼の名前を口に出した。
「か、ずとら……」
「えー、小さくて聞こえねー。もっかい」
「絶対聞こえてたでしょ……!」
「聞こえなかったって言ってんだろー。ほら」
「ぐ……。一虎。……ほら、今度は聞こえたでしょ?」
「んー、もっかい」
「も、もういいでしょ!?恥ずかしい……」
「足りねーの。付き合ってから今日までの分呼んでくれねーと」
「そんなの無理っ!恥ずかしくって死んじゃうから!」
耳の先まで燃え上がったように真っ赤になったナマエが顔を背けるので、一虎は彼女の両頬に手を当ててグイッと自分の方へ無理矢理向かせた。
頬に触れている両手から、彼女の体温が直に伝わる。自分の体温より少しだけ暖かいのは、おそらく顔が真っ赤になっているからだろう。
「これからもオレを見てて、ちゃんと」
そう言って彼はもう一度彼女にキスをした。
「結構妥協してやったんだから、有り難く思えよな。1つでも破ったらぜってー許さねぇから、覚悟しとけよ」
「善処します……」