これからも隣に
「ナマエ、アンタ宛に手紙が届いてるよ」
「ありがと!」
彼が二度目の逮捕をされてからしばらくして、獄中の彼からナマエに手紙が届いた。
彼女と彼は恋人同士だった。二人はそれはとても仲が良く、誰が見ても相思相愛であったことは明白で、彼が十月三十一日に起こった事件により逮捕されてからも彼女の想いは変わらず、彼女は彼に向けて何通かの手紙を出していた。
しかし、彼からは何の返事もこなかった。
それでも彼女はめげずに何度も彼に手紙を書いた。相変わらず返事はなかったが、今日、ようやく彼から手紙が届いた。
彼女は嬉しさのあまり笑みが溢れ、急いで封筒の封を切った。入っていたのは綺麗に折られた2枚の便箋。どんなことが書いてあるんだろう、期待に胸を膨らませつつ彼女はそっと便箋を広げた。
「……そっか」
手紙を読み終えた彼女は、寂しげに微笑んだ。
彼からの手紙は、自分に手紙を送ってくれたことに対する感謝から始まり、彼女が彼にかけた言葉に対する感謝、今の日々の生活についてのこと、そして別れたいという旨が書かれていた。
『あの事件の少し前から思ってたことがある。もうお前と一緒にいたくない。昔は好きだったけど、もうお前のことは好きじゃない。だから別れてくれ。そしてもう二度と、オレに手紙を送ってくるな。』
彼女はその手紙を入っていたときと同じように綺麗にたたみ、封筒にしまった。そしてそれを自分の机の鍵付きの引き出しにしまって鍵をかけた。
それは自身の想いに対しても鍵をかける意味もあった。手紙と共に、彼へのこの想いにも、鍵をかけてしまったのだ。
◆◆◆ ◇◇◇
オレは彼女に嘘を吐いた。
ナマエのことは出会ってから今に至るまで、ずっと好きだった。きっと彼女以上に好きになれる女はこの先もいないだろう。そう思うくらい好きだった。
だけど、こんなオレにこれ以上彼女を付き合わせるわけにはいかないと思った。彼女はオレみたいな存在に縛り付けられているよりも、オレよりもずっといいやつと一緒になって幸せになるべきだと思った。
彼女から送られてくる手紙には、いつも“好き”という言葉と“いつまでも待ってる”という言葉があった。その言葉が本当に嬉しくて、胸が苦しくなって、申し訳なさでいっぱいになった。
何度も返事を書こうと思った。だけど書こうと思ってペンを持ち、便箋に向かってもどうしても書けなくて、時間だけが過ぎていった。
そんな中で必死に書いた手紙が、オレが彼女へ送る最初で最後の手紙になった。本当は書きたいことがいっぱいあった。それでもそれを言葉にして彼女に伝えてしまったら、また彼女をオレに縛り付けてしまうと思った。
だから、彼女に別れを告げた。嘘まで吐いて、彼女をオレから無理矢理引き剥がした。
手紙を出してからも、オレは毎日彼女のことを考えてしまっていた。
終わりにしたのはオレなのに。無理矢理解放したのはオレなのに。それでもなお、彼女のことを想ってしまう自分が嫌いだった。
彼女は付き合ってからずっと、オレにたくさんの愛をくれた。いや、オレには“愛”っていうのが分からないから、もらったコレが“愛”なのかは分からないけど、きっとそうなんだと思う。
彼女がくれた愛は、オレにはもったいないくらいに優しくて暖かかった。それら全てに対してオレが同じくらいの愛を返せていたかは分からない。いや、多分返せていなかっただろう。なにせオレには“愛”が分からないから。
彼女からもらった愛は、どれだけ月日が経ってもオレの中に残っていた。両手から零れ落ちそうなほどの量で、触れてしまえばその暖かさにオレの指先が焼けてしまいそうなくらいのソレを、オレにはもう持つ資格がない。だからオレはそれを捨てようと思ったのに、どこにどうやって捨てればいいのかが分からなかった。
捨て方も分からず、かといって受け入れることも忘れることもできない。そんなコレを、オレはこの先も抱え続けなければいけないのだろうか。
でもきっと、それもまたオレへの罰なのかもしれない。そう思ったら、焼けるようなこの胸の痛みと苦しみだけは受け入れられた。
それから年月が経ち、オレは出所した。逮捕されてから出所されるまでの間に、外の世界はだいぶ変わっていて気持ちは浦島太郎だった。
外に出ると、すっかり成長し髪も黒に染めた千冬が車と共に待っていた。何とも言えない思いになったが、千冬が“おかえりなさい”と言って微笑んだので思わず涙が滲んだ。
「いろいろと言いたいこととかはありますけど、一旦置いておきます。とりあえず乗ってください」
「……ありがと、千冬」
「……ベルト、締めてください。出しますよ」
車を走らせている間、オレたちは終始無言だった。だが、車を走らせて少しした頃、ちょうど赤信号に捕まって止まったときに千冬が口を開いた。
「一虎君、あなたには今向かっている場所である人と会ってもらいます」
「ある人?」
「えぇ。――ナマエさんです」
彼の口から彼女の名を聞いた瞬間、オレは目を見開いた。ナマエだって?どうして。だってアイツは十年以上前に送った手紙で別れを告げたはず。それなのにどうして今、十年以上も経った今、会うことになってんだよ。
「これを最初に伝えたら、きっとあなたはどうにかして逃げると思いました。だから何も言わず、車に乗ってもらいました」
「な、んでだよ!オレは、やっとアイツのことをっ……!」
「ナマエさんはっ!……彼女は、あなたからの手紙をもらってからもずっと、あなたのことを想い続けて待っていたんですよ」
そんな、だってオレはあの時手紙で、嘘を吐いてまで彼女をオレから解放したのに。なんで……。
「千冬、待って――」
「待ちません。あなたは彼女とちゃんと向き合うべきだ」
「勝手なこと言うんじゃねぇ!オレはアイツのことを、ナマエのことを思ってっ!……思って、別れを切り出したんだ……!こんなオレなんかに何年も縛られて欲しくなかったから、ナマエには幸せになってもらいたかったから……だからオレはっ」
「なら、それをオレではなく彼女に伝えてあげてください。……十数年前にアンタから別れを切り出したというのに、そんなに辛そうに言うってことは、アンタもずっと彼女のことを想い続けていたって証拠じゃないですか」
そうだ。千冬の言う通りだ。オレはオレから別れを切り出してアイツを手放したというのに、身勝手にもアイツを想い続けていた。
捨てようと思っていたアイツからの愛も、アイツに渡したかったオレの愛も、全てオレの中に今でも残っていた。
それでもオレは、それを認めることができなかった。認める勇気がなかった。
それを認められないくらい、オレは弱い奴だった。
「……オレは、会わねぇからな。アイツのことは手紙を書いた時から忘れてたし、今は好きでもなんでもねぇ」
嘘だ。
「確かに当時のオレはアイツを思って別れを告げた。これは本当だ。でも、今のオレがアイツのことを何とも思っていないのも本当だ。アイツがどこの誰と一緒になっていようと、もうオレには関係ねぇ。どうでもいいことだ」
嘘だ。
「オレはもうアイツに会いたくねぇんだよ」
嘘だ。
嘘を吐く度に胸が締め付けられる。苦しくて痛くて、口から何かが出てきそうだった。
それでも、オレはナマエに会うべきではないと思った。もしかしたらアイツはオレと離れてから、誰かと結ばれて幸せになっているかもしれないのに、過去を思い出させるオレなんかと会ったら、アイツを苦しめてしまうかもしれない。枷になってしまうかもしれない。
そして何より、オレが彼女にもう一度手を伸ばしてしまうかもしれない。そう思った。
「オレは、もうアイツとは無関係だ」
「……さっきから黙って聞いていれば、なんだよそれ。今言った言葉全部がナマエさんのことを否定して、ナマエさんの想いを!気持ちを!踏みにじっているのがわかんねぇのかよッ!」
誰もいない住宅街の路地で、千冬が吐いた言葉の勢いと共に急ブレーキをかけて停車した。その勢いでガンッと身体が前につんのめった。
抗議しようと横を見れば、怒りと悲しさが混ざったような表情をした千冬がこちらを見ていた。
「ナマエさんは、中学を卒業してからもずっとオレと連絡を取ってたんだ。自分からじゃアンタの近況を聞けないから、少なからず連絡を取っていたオレからアンタの近況を聞くためにな。そんな彼女の想いを踏みにじるようなことだけは言うな」
「……ごめん」
「それにアンタ、いろいろゴチャゴチャ言ってたけど一度も“嫌い”とは言ってないですよね。いい加減認めたらどうなんですか?」
“彼女はここにいます”。そう言って千冬は運転席の窓の先に視線を投げた。
シートベルトを外しドアを開けて外に出ると、柔らかい風が吹いて髪を揺らした。気分は未だ晴れないが、行くしかない。オレは重い気持ちのまま千冬が視線を投げた方へと向かった。
千冬が視線を投げた先は昔彼女とよく来た公園だった。公園の中に踏み入った瞬間、この公園で彼女と過ごした頃の記憶が次々と思い出された。自販機で買った飲み物を飲みながら、他愛もない話をしたこと。オレが家に帰りたくないと言ったら、“付き合うよ”と言って夜まで一緒にいてくれたこと――。
その記憶に背を押されるように公園の奥にあるベンチへ向かう。そのベンチはちょうど公園の遊具に隠れる場所にあった。
遊具を通り過ぎ、先にあるベンチへゆっくりと視線を向ける。ベンチのすぐ横に立つ街灯のぼんやりした光と、それに照らされた人影が見えた。
「おかえり、一虎」
振り返った彼女の微笑みは、オレの記憶にある彼女の微笑みと何一つ変わりなかった。
「ナマエっ……」
涙が溢れて止まらなかった。拭っても、唇を噛み締めても、涙は止めどなく流れ落ちていく。それを見た彼女が困ったような笑みをしながら、取り出したハンカチで目元や頬を優しく拭ってくれた。
「なんか、泣き虫になった?」
「るせぇ……」
「……ねぇ、ちょっと座らない?」
かつて並んで座っていたベンチに二人で腰掛ける。何とか涙は止まったものの、きっとオレの目元は真っ赤になっているだろう。
彼女は穏やかな顔をしてオレを見た。なんでそんな優しい顔が出来んだよ。オレはお前のことを振ったんだぞ。顔も見ず、直接言わず、文面だけで振ったんだ。お前の返事すら聞かずに。それなのに、どうして――。
「“なんで”って思ってるでしょ」
「……あぁ」
「あの日、届いた手紙を見た時になんとなく一虎の考えてることが分かったんだ。多分これは本心じゃないんだろうなって」
「何言ってんだよ。あれは――」
「本当に嫌いになって別れたいって思ってたなら、そもそも手紙に返事なんてしないでしょ?」
“そうだ”と言いかけて言葉を飲む。駄目だ、ここでオレが肯定してしまったらせっかくオレから解放された彼女を再びオレに縛り付けてしまう。
彼女はそんなオレの中を全て見透かしてしまいそうなほど、真っ直ぐな瞳でオレを見つめたまま、言葉を続けた。
「私ね、一虎の想いを汲んで一虎のことを忘れて他の人を探してみたの。だけど、やっぱり誰とも上手くいかなかった。付き合ってみても長続きしなくてさ」
「なんで……」
「だって、一虎よりいい人がいなかったんだもの」
そう言って彼女が笑うから、気づいたらオレは彼女を腕の中にしまっていた。
十数年振りの彼女の温もりと匂いは、あの時から今日までオレが抱えて続けていたものを吐き出させた。
「ごめん。オレ、やっぱりナマエのこと大好きなんだ。でも好きだからこそ、ナマエには幸せになってもらいたい。オレじゃナマエのことを幸せにできないから」
「罪は消えないし、背負わなきゃいけないものは一生背負わなきゃいけない。だけど、だからといってそれを一人で背負って歩き続ける必要はないと思うんだ」
「どういうことだよ」
「これから一虎が背負っていくものを、私は一緒に背負うことはできない。だけど、隣で支えることならできる。……これから先、死ぬまで、隣で一虎のことを支えたいの」
「……きっとこの先、一緒にいたらお前も白い目を向けられるかもしれない。辛いこととかもあると思う。それでもいいのか?」
「その覚悟はできてるつもり。だから千冬くんにも協力してもらってこうして会う機会を作ったんだよ」
オレは力一杯彼女のことを抱きしめた。こんなにも想ってくれていたのに、オレは勝手に彼女のことを判断して決めつけて一方的に別れを告げたのか。
「なぁナマエ。もう一度、オレと一緒にいてくれる?」
「もちろん」
「……ありがとう」
オレたちは誰もいない公園の片隅で、静かに抱きしめ合っていた。
あの時から止まっていたオレと、その先にいる彼女との間にある空白の期間は簡単には埋まらないだろう。それでも、埋めるためのものはきっともうある。この両手から零れそうな“愛”、それがオレたちの隙間を埋めるものだ。
正直まだ怖いというのが本音だ。だけど、覚悟を決めて“オレの隣にいる”と言ってくれた彼女に、今度こそはちゃんと応えたいと思った。
「ナマエ、愛してる」
「私も、愛してるよ。一虎」