1
カランカラーン、と年季の入ったハンドベルが鳴る音が辺りに響き渡る。
「おめでとうございます! 一等、温泉旅行ペアチケットです!」
「……は?」
ガラガラを回して一等を示す金色の玉を出した彼は、困惑した表情のまま、ハンドベルを持って嬉しそうに笑うおばさんのことを見ていた。
◆◆◆ ◇◇◇
「わっ! イザナすげー! 一等当てたのかよ!」
「ニィ、クジ運いいんだねー!」
イザナが困惑したまま受け取ったペアチケットの入ったチケットホルダーを片手に家に帰れば、マイキーとエマが彼の手にあるそれを見つけて「これは?」と聞いてきた。イザナがくじ引きで引き当てたことを含めて簡単に説明すると、二人は目を輝かせて「すごい!」と彼のことを称えた。
「でもこれ、誰と行くの?」
「ペアってことは二人だろ? ってことはやっぱり……嫁と行くの?」
「……お前らには関係ねェだろ」
「あっ! 図星でしょ! いいないいなー!」
「うるせェ」
勝手に色々想像して騒ぐ弟と妹を背に、イザナはお使いで買ってきたものを居間のテーブルの上に無造作に置いてからすぐに自室へと戻った。
自室に戻った彼はベッドに寝転がり、ペアチケットが入った紙のチケットホルダーを見ながら改めて「誰に渡そうか」と考えた。
まず兄である真一郎に渡そうかと考えたが、『二人で行く』となった場合の相手がいなさそうだったのでやめた。弟のマイキーは論外。妹のエマは好きな人がいるようだが、おそらく二人だけで行くことを真一郎や祖父が許さないかもしれない。なんなら自分自身もあまりいい思いはしない。
なんだかんだ今もつるんでいる人たちも何人か考えたが、どれもこれもどうにも渡したくなかったり相手がいなさそうだったりして自然と除外されていった。
そして残ったのは――
「……アイツ、か」
本当は初めから彼の中で答えは浮かんでいた。だけど先ほどのやり取りで図星を突かれたこともあってか、無意味に譲渡先を探してしまったのだ。
彼はポケットに入れていた携帯を取り出すと、慣れた手つきで自身の彼女に電話をかけた。コール音が二回鳴ったところで彼女が電話に出る。聞き慣れた「もしもし」という声が聞こえると、彼の口角が自然と少し上がった。
「俺だけど」
『どうしたの?』
「お前さ、今度の土日暇か?」
『急だね。うん、空いてるよ』
「なら今度の土日、旅行行くぞ」
『えっ!?』
「一泊二日だから、準備しとけ」
伝えることだけ伝えたイザナは、彼女の戸惑う声を無視して電話を切った。
彼と彼女は付き合って長いが、これまで一度も二人きりの旅行はしたことがなかった。なので今回が初めての『お泊まりデート』なのだ。
携帯の液晶画面で今日の日付を確認する。予定日である今度の土日まではまだあと数日ある。彼は「早く土日になれ」と思いながら携帯を閉じ、ベッドの上に放り投げた。
* * *
「お待たせ!」
「おせェ」
待ちに待った土曜日。事前に伝えていた待ち合わせ場所に約束の時間の五分前に到着した彼女が荷物の入った可愛らしい紫のパステルカラーキャリーケースを片手に、既に到着していたイザナの元へと駆け寄った。
彼は口でこそ小さな文句を言ったが、実際そんなことは微塵とて思っていない。要は照れ隠しだ。彼女に連絡を入れたあの日から今日まで、ずっと楽しみにしていたこと。当日になって柄にもなく気持ちが浮つき、待ち合わせ時間の二十分前に到着してしまったこと。彼女が愛らしい笑顔でこちらに駆け寄ってきたことに自然と愛しさが溢れたこと……。
それら全てが言動や行動などに出ないようにした結果だった。だけど長年彼の隣にいた彼女にとって、そんな言動など可愛らしいもの。その言葉が彼の照れ隠しから出たものだとちゃんと気づいていた。
「ごめんね、待たせちゃって。乗っていたバスが少し遅れちゃって」
「……別にいい。さっさと行くぞ」
イザナは自身の荷物が入った黒のキャリーケースの取っ手を片手で握り、空いているもう片手で彼女の空いている片手を取った。そしてちらりと彼女を一瞥し様子を伺うと、最初に乗る電車がやってくる駅へと向かって歩き出した。
電車を乗り継いで二時間半。最後に乗った私鉄電車を降りると、そこは普段見ている池袋周辺や横浜周辺とは雰囲気が異なる、栄えているけど都会のような喧騒があまりない穏やかな風景が広がっていた。
「わぁ……!」
改札を出るなり、彼女は小走りで近くの窓から外を眺めた。知らない土地に普段とは全く異なる風景に空気。眼下に広がる穏やかな雰囲気の町並み。そして何よりイザナとの初めてのお泊まりデート、それも温泉旅行。それら全てが彼女の心を震わせ、瞳をきらきらと輝かせた。
「行くぞ」
「えっ。ちょっと待ってよ!」
そんな彼女を横目に、イザナは少し呆れた顔をしながら少し行った先にあるエレベーターへと歩き出した。置いて行かれた彼女は慌ててキャリーケースの取っ手を掴むと、先へと行く彼のことを小走りで追いかけた。
エレベーターで下に降ると、先ほど彼女が駅の窓から覗いた時には看板やのぼりが少し見える程度だった店々の姿が見えた。その店の並びは二人がいる歩道の向かい側にあり、日中だからか多くの人が行き交っていた。
「凄い人だね」
「そうだな」
「あ、あっちにもお店あるみたい」
「どうせ土産屋だろ」
「多分そうだろうね。イザナが良ければ、旅行の帰り際に見に行ってもいい?」
「……少しなら付き合ってやる」
「ありがとう!」
土産屋だと分かっていても、やはり見知らぬ土地にある見知らぬ店。あちこちがキラキラして見えるくらい心が躍っている彼女は、ただの土産屋だとしてもとても興味が引かれるものだった。
対してイザナは慣れない電車での長時間移動に加え、元々あまり得意ではない人混みということで既に少し疲れてしまっていた。そのせいか、思わず少し眉間に皺が寄る。それに気づいた彼女が彼の近くへ行き、そっと空いている手を取った。
「ごめんね、疲れてるよね。確か泊まる予定の旅館はもう少し先だったよね、早く行こっか」
「……あぁ」
最初とは打って変わり、今度は彼女がイザナの手を優しく握って前を歩いた。
二人が泊まる予定だった旅館は駅から少し離れた場所にあり、今いるところからはもう少し歩かなければならなかった。
彼女は繋いだ手の先にいるイザナの様子を伺う。相変わらず眉間に皺を寄せていて、顔には少々疲労の色が見えた。
「ねぇイザナ。お腹空かない?」
「腹? ……減った」
「よし。そしたら少し早いけどお昼にしようよ。そしたらお店で少し休めるし。どう?」
「あぁ、そうする」
疲れからなのか単にそういうタイミングだったのか、イザナは珍しく素直に返事をした。普段だったらもう少しツンの面が出た返答が返ってくるのに、と思った彼女は、その小さな機微で『今イザナはそれなりに疲れている』ということを察した。
彼女は辺りを見回してすぐに入れそうな飲食店を探した。相変わらずどこを見ても人が多い。辺りを見回しつつも少しずつ歩みを進めていると、ふと右手側に緑に覆われた建物を見つけた。建物の二階部分にはレトロを感じさせるおしゃれで大きな窓が三枚ある。その雰囲気はまるで『隠れ家的純喫茶』だ。
その建物はどうやら喫茶店だったらしく、出入り口の手前には『自家焙煎』という文字が強調して書かれた立て看板が置かれていた。
「イザナ、ここどうかな?」
「……悪くねェ」
ちょうど人もあまりおらずすぐに入れそうだったので、二人はすぐに二段の段差を上がって店内へと入った。