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 のぼせる前に、とそれぞれ身体を洗って風呂から上がる。先に上がった彼女が窓辺の椅子に腰掛けて持ってきていたドライヤーで髪を乾かしていると、後に上がったイザナが首にかけたフェイスタオルで自身の髪をぐしゃぐしゃと乱雑に拭きながらソファに深く腰掛けた。

「私髪乾かし終わったし、使う?」
「めんどくせぇ」
「風邪引いちゃうし、せっかく綺麗な髪なんだから手入れした方がいいよ」
「ならお前がやれ」
「……後で文句言わないでよ」

 彼女がドライヤーを片手に椅子から立ち上がれば、ソファに腰掛けていたイザナが立ち上がって彼女が先ほどまで座っていた椅子に移動した。椅子に深く腰掛けた彼が自身の横に立つ彼女を一瞥する。
 その視線を受けた彼女はわざとらしいため息を一つ吐くと、近くの台の上にドライヤーを置き、代わりにドライヤーと一緒に持ってきていたクシを手に取った。

 クシでイザナの乱れた髪を梳かして整えると、クシをドライヤーの隣に置いてヘアオイルのミニボトルを手に取った。キャップを取って手の上に少量出す。クシの隣にミニボトルを置いた彼女は、片手に取ったヘアオイルを両手に延ばして彼の髪に塗布し始めた。
 ふわりと香る甘い匂いに気づいた彼が「おい」と言えば、彼女は「文句はなしね」と返答した。

 ヘアオイルの塗布が終わったところで一度ティッシュで軽く両手を拭いた彼女は、ドライヤーを手に持った。カチカチ、と音を鳴らしてドライヤーの電源を入れる。ブオオと強い温風を吐き出したドライヤーを器用に片手で扱いながら、空いているもう片手でほぐすように軽く指先でわしゃわしゃと髪を揺らす。

 最後にクシで丁寧に梳かしながら弱い冷風を当てていけば、つい数分前までぐしゃぐしゃで乱れ切っていた彼の髪が綺麗に整い、世の女性も羨みそうなほどの艶が宿った。

「はい、おしまい」
「変なモンつけやがって」
「文句はなしって言ったでしょ。嫌だったら自分で乾かしてよね」
「……チッ。後で覚えておけよ」

 眉を顰めたイザナはそう言って再びソファへと戻った。どうやらこの部屋のソファを気に入ったらしい。残された彼女は再びわざとらしいため息を小さく一つ吐いてから「しょうがないなぁ」と呟いて片付けを始めた。

 適当な番組を流しながら、お互い特別何かすることもなくただゆったりとソファに座ってくつろいでいると、彼女はあくびをした。それに気づいたイザナが「寝るか?」と声をかけると、彼女は眠そうな声色で「うーん」と唸ってからゆるりと彼の方へ顔を向けた。その顔は眠気のせいかとろりと蕩けている。

 イザナが無言で少し腕を広げると、彼女は待っていましたと言わんばかりにその腕の中に自身の身体を滑り込ませた。彼女が彼に抱きつき、甘えるように胸元に額を押し付ける。彼は彼女の身体にゆるりと自身の腕を回し、慣れた手つきで彼女の髪を手ぐしで梳かしていた。

 手入れの行き届いた彼女の艶のある髪が指の隙間から抜けていく感覚を楽しみつつ、彼が腕の中の彼女に声をかける。

「寝るなら寝る支度を終えてからにしろ」
「んー……まだ、ねたくない」
「今にも寝そうじゃねぇか」
「がんばって、おきる。だって、初めての二人きりの旅行だから……」
「……なら起きろ」

 イザナがそう言うと、彼女がゆるゆるとした動きで彼の胸元から顔を上げた。相変わらずとろりと蕩けた顔をする彼女がぼんやりと彼の方を見つめていると、彼が彼女の後頭部に手を回してグッと引き寄せた。直後、彼女の緩まった唇に口づけが落とされる。最初は触れ合うだけだったが、何度目かの口づけは深いものへと変わっていた。

 ただのBGMと化しているテレビ番組の音が、二人の間から漏れる吐息とかすかな水音をかき消す。イザナが彼女から顔を離せば、そこには顔を紅潮させ、潤んだ瞳で彼を見つめる彼女の顔があった。

「目は覚めたか?」
「さ、さめた……覚めました……」
「ならさっさと起きやがれ」

 彼女がそそくさとイザナの上から退くと、彼がゆっくりと身体を起こした。少しだけ居心地が悪そうな彼女の頬をするりと撫でて彼が立ち上がる。それを彼女が目で追う。彼女の視線がバチリと彼と交わったところで、二十歳という歳からはイメージのできない色気が彼の視線に乗り、彼女の瞳の奥へと流れ込んできた。

 こうなるともう目なんて離せないし、彼が「立てよ」と手を差し出せて言えば、その手を取って立ち上がってしまう。抗うことなどできない。色気と共に流れ込んできた彼の濃縮された、ひたすらに濃く深い愛情が彼女を素直に動く娘にさせていた。

 手を引かれて向かう先は並んで置かれた二人分のベッド――の片方。本来であればイザナが使う方のベッドだが、彼はそこに彼女を誘導して上に上がるように促した。大人しく彼女がベッドの中央あたりまで上がると、一歩遅れてイザナがベッドに乗った。ギシリ、と二人の下にあるスプリングが鳴る音がした。

「ナマエ」

 イザナが優しく静かな声で彼女の名前を呼ぶ。それに返事をする代わりに真っ直ぐ彼の薄紫を見つめれば、それを返答と受け取った彼が彼女の肩に片手をかけてベッドの上に押し倒した。片手を彼女の頭の横に突いて見下ろせば、先ほど彼女によってサラサラになった彼の絹のような銀髪がはらりはらりと垂れて揺れ、まるで短いカーテンのようだった。