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 彼女が目を覚ますと、そこには見知らぬ拝殿があった。彼女は拝殿の前に倒れていた。
 ゆっくりと体を起こして辺りを見回してみると、少し離れた場所にのぼりが立っているのを見つけた。風に揺らめているそれには、太くしっかりした毛筆で「武蔵神社」と書かれていた。

「……どこ?」

 彼女はその神社の名前に見覚えも、聞き覚えもなかった。そして、自身がここで目覚める前の出来事のこともあり、なおのこと現状が理解できなかった。なぜなら、彼女にはここで目を覚ます前の直近の記憶がなかった。まるで穴が開いたかのように、直近の記憶だけが抜け落ちていた。そのため、ここで倒れていた理由も、ここまでどうやって来たのかも、まったく分からなかった。

「私、なんでここにいるんだろう……」

 どれだけ記憶をたぐっても、何も引っかからない。彼女は現状が呑み込めずに困惑し、その場で立ち尽くしかなかった。そのため、後ろから人がやってきていることにも気づかなかった。

「……ナマエ?」

 やってきた男は、驚いた顔で彼女の名前を呟いて駆け寄った。しかし、呆然としてる彼女は男がやってきたことにも気づいていなかった。
 男は何度か彼女に呼びかけたものの何も反応がなかったため、仕方なく控えめに彼女の肩を叩いた。

「わっ!?――あ、え……誰……?」
「は? オレだよ。覚えてねぇのか?『シンイチロー』だよ」
「えっと……ごめんなさい。私、あなたと知り合いだったんですか?」
「……あぁ、そうだ。オレたちはダチだ。何回か会ったこともあるんだぜ。忘れちまったのか?」

 彼女は必死に、目の前にいる男のことを思い出そうとした。どうにも彼の名乗った『シンイチロー』という名前が気にかかったが、それ以上のことは何も出てこなかった。
 彼女が申し訳なさそうな顔をしてうつむくと、『シンイチロー』はふっ、と小さく息を吐いてから彼女の肩を軽く叩いた。

「まぁ忘れてんじゃ仕方ねーよ。オマエが忘れても、オレはオマエのことをダチだと思ってるし、オマエが良ければ、またダチになろうぜ」
「は、はい……」
「よしっ! じゃあこれからオレとオマエはダチだ! ……で、なんでこんなところにいるんだ?」
「えっと、私にもよく分からなくて……。目を覚ましたらここにいたので……」
「なんだ、『また』か。でもその様子だと、今までとは少し事情が違うみてーだな」

 彼女は、彼の「また」という言葉が引っかかった。どうやら彼にとって、このような状況は初めてではないらしい。記憶のない彼女としては、自分はどうしてここにいて、なぜ『シンイチロー』は自分の名前を知っているのか。疑問と困惑、そして戸惑いでぐちゃぐちゃだった。

 そんな彼女の様子に気づいたのか、『シンイチロー』はすっ、と真面目な表情になり、穏やかで優しい声色で彼女に声をかけた。

「何があったかは知らねぇけど、困ってるならウチに来るか?」
「え?」
「あぁ、ウチって言っても実家だ。オレ一人の家じゃねーよ。妹もいるし、その辺は安心していいぜ」
「いや、だってそんな……私、自分で言うのもなんですが、素性も知らない人間なんですよ? そんな簡単に――」
「素性を知らなくたって、オマエが悪いヤツじゃないことは知ってる。それに、困ってる女を放ってなんていけねーよ」

 その時の『シンイチロー』の笑顔に、彼女は少しだけ目を細めた。彼女から見た彼は、暗闇の中に差した一筋の救いの光のようだった。