帰省とお祭り
「やっぱり人、多いね」
「そりゃあまぁ、お祭りだからね」
夏休みを利用して六本木にある実家に帰省していた彼女は、地元の友人と共に六本木にある神社のお祭りに来ていた。
事前に二人で買った色違いの浴衣を身にまとい、カランコロンと下駄を鳴らしながら神社の中を歩く。有名な建物などが多いせいか、はたまた単純にここが都心だからか、神社はどこもかしこも人で溢れかえっており、着慣れていない浴衣と履き慣れていない下駄の影響で少々動きづらい二人は、気づけば人混みの中ではぐれてしまった。
「困ったな」
かき氷店に着いていたのは彼女だけで、かき氷を買い終えた頃にはもう友人の姿はどこにも見当たらなかった。
かき氷が溶けてしまうので、早く食べるためにも一旦人混みを抜けたい。そう思い、彼女はかき氷を片手になるべく人が少ない道を探して歩いていた。
流石に店の裏を通るのはちょっと|憚《はばか》られたので、そこを通らないようにしつつも歩いていると、いつの間にか神社から離れたところにいた。
仕方がないので近くのベンチに腰掛け、かき氷を食べつつ合間で器用に携帯を操作して友人にメールを送った。
「んー……困ったな。大丈夫だといいけど」
大丈夫かどうかを心配されるのは、神社から離れた彼女の方だろう。
とりあえず連絡は送った、あとは返信を待つだけ。と思った彼女は、携帯を持っていたカゴ巾着の中にしまい再びかき氷を食べる。
珍しいなと思って買ったブドウ味のかき氷は存外美味しく、パクパクと食べ進みあっという間になくなった。
空になったかき氷のカップを横に置き、携帯を確認する。特に連絡が来ていないので、友人は気付いていないのかもしれない。彼女は友人に電話をかけたが、友人が出ることはなかった。
「困った。勝手に帰るわけにはいかないし」
困っているようで実は“まぁでも何とかなるだろう”と呑気に思っている彼女は、空になったカップを手に神社に戻ることにした。
しかし、ここで問題が一つあった。実は彼女は少しだけ方向音痴なのだ。家に帰ることは出来るのだが、家以外のところとなると年単位で通っていない限りは一人だと迷子になりがちなのである。
「んー……これがこうでこうだから、あっちかな?」
近くの地図看板と睨めっこをしながら、元居た神社へ行ける道を確認する。その道が実は神社とは真逆であることに気づかない彼女は、その道であろうと信じて進み始めた。
しばらく進むと、先ほどと同じように地図看板が立っていたので確認すると、自分が神社とは反対に行っていることに気づいた。彼女は小さくため息を吐くと、来た道を戻った。
「……いたっ」
来た道を戻っている最中、突然足に痛みが走った。痛みの走った方の足の下駄を脱ぐと、鼻緒で親指と人差し指の間が擦れて血が滲んでいた。
道の端に寄ってしゃがみ、カゴ巾着の中から準備しておいた絆創膏を取り出す。包装紙を剥がし、絆創膏の裏側の紙を少し剥がしながら指の間に持っていく。
「……あー」
見事絆創膏は粘着部分がガーゼ部分などに貼り付いてしまい、ぐしゃぐしゃとなってしまった。これはどうやっても元には戻せないだろう。
仕方がなく使えなくなってしまった絆創膏を、包装紙に適当に包んでカゴ巾着の中に入れた。まだ絆創膏はないかと巾着の中を探してみたが、どうやら今のダメにしてしまった絆創膏が最後だったようだ。
仕方がない、近くのコンビニかどこかで買おう。そう思った瞬間、横から声が降ってきた。
「そんなところでうずくまって何してんの?」
声のした方を見上げると、そこには長身の男がこちらを見下ろしていた。
暗いことと少しの逆光で顔が見えにくいが、水色と黄色の髪色をしているのと丸メガネをかけていることだけは分かった。
「実は指の間が鼻緒で擦れちゃったみたいで……。絆創膏を貼ろうと思ったんですが失敗しちゃったので、これから買いに行こうと思っていたんです」
「ふーん」
至極興味がない、と言った感じの返答だったが、その男はその場でしゃがみこんで怪我をしている彼女の足を見た。
しゃがんだことで男の姿がよく見えるようになった。少し雰囲気は怖いが、綺麗な顔立ちをしているしタレ目が少し可愛いかもしれない。そんな呑気なことを考えていると、男が再び立ち上がった。
「ちょっとここで待ってろ」
それだけ言うと、彼は足早にどこかに去っていってしまった。残された彼女は、彼に言われた通り大人しくそこで待つことにした。
ちょっと怖そうな雰囲気はあったが、特段悪い人ではないのだろう。そう思っていたのだが、そのイメージは数分後に壊れて崩れ落ちることを彼女はまだ知らなかった。
「ねぇ、お姉さん一人?」
「足怪我してんの?俺がおぶってってやろうか?」
「いえ、人を待ってるので……」
足が痺れてしまう、とその場に立って男のことを待っていると、見るからにガラが悪い男二人が話しかけてきた。
逃げようにも足は痛いし、道端だから自分よりも大きな男二人が前にいるだけで閉じ込められたも同然だし、何よりここで彼が“待ってろ”と言っていたから、彼女はその場で動くことができなかった。
片方の男が下品な笑みを浮かべながら彼女の肩に手をかけようとしたその時、その男の体が横に吹っ飛んだ。
「え?」
「お前ら、邪魔」
もう一人の男も横に吹っ飛ぶ。そして男たちを吹っ飛ばした張本人である先ほど“待ってろ”と言った男が、まるで何事もなかったかのように表情ひとつ変えず、彼女の元へとやってきた。
「絆創膏、買ってきた。近くにベンチあっからそこまで行くぞ」
「……あ、はい」
数分前まではちょっと可愛いかも、なんて思ったのに。
突然の出来事に呆気に取られた彼女は、少しだけぼーっとしていたが彼に声をかけられたことで我に返り、慌てて返事をした。
足の痛みを耐えつつ、彼の背を追う。彼は自分の一歩先を歩いているが、歩みは自分に合わせてくれているようで、一定の距離が保たれたままベンチへと着いた。
「そこ座って」
「はい」
「自分で貼れる?」
「あー……はい。多分」
「じゃあこれ。お金は別に要らない」
ぶっきらぼうにそう言った彼は、ぶら下げていた小袋を彼女に押し付けるように渡すと、足早にどこかへと行ってしまった。
残された彼女は少しその場で固まっていたが、やがて意識を取りもどし彼から受け取った絆創膏の箱を開けた。
「優しい人、だったのかな」
上手く貼れた絆創膏を見ながら、彼女はそう呟いた。
「お前、あそこまで行って貼ってやらなかったの?優しくねーなー」
「あの女が自分で貼れるって言ったから貼らなかっただけ!」
「いや、それは社交辞令かもしんねーじゃん。馬鹿だなぁ。連絡先を聞くのも忘れたんだろ?」
「……どうせまた会うだろ。この辺に住んでるんだろうし」
兄にからかわれた弟は、あからさまに不機嫌な顔をした。そんな姿もまた面白くて笑うと、弟が笑うなと怒った。
まさか弟が一目惚れをするだなんて思わなかった兄は、今後の展開を想像して再び笑みを浮かべた。
「ま、精々頑張れよ〜。兄ちゃんは応援してっぞ〜」
「……絶対応援してないだろ」
「そんなことねーよ。まぁ、また会えるといいな」
それから数日後、再び出会った彼女は大きな荷物を引いていたので、思わず声をかけ荷物のことを聞いた。そして彼女が“夏休みを利用してこちらに帰省していた”ということを知った彼は、慌てて連絡先を交換し、次はいつこっちに帰ってくるのかと聞いた。
「んー、次は冬休みですかねー」
「は?冬……?遅すぎだろ」
「いやいや、仕方ないじゃないですか。長期休みでもない限りこっちには帰ってこれないんですよ」
「じゃあ次こっちに帰ってくるときは連絡して。……また会いたいから」
「分かりました。それじゃあまた」
彼の恋路は始まったばかり。