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 手を繋いだ二人が、周りが見ればイザナ一人が、街頭に照らされた道を歩いている。二人の足元に落ちる影は一つだけ。二人はお互い黙ったまま、目的地まで歩いていた。
 その時、不意に携帯の着信音が鳴り響いた。発信源は彼の携帯で、ポケットから取り出したそれを耳に当てながら、彼は電話越しの相手と話し始めた。

「あと数分で着く。……あぁ、最後はオレがやる。だからあんまやりすぎるな。いいな」

 短い会話が終わり、携帯をポケットに戻す。彼女はどうにも物騒な会話の内容がとても気になったが、自分が彼以外の人間に見えていないため、今ここで彼に話しかけてしまったら、もしかしたら彼が変な人に見られてしまうのではないか、と考えて口をつぐんだ。
 公園から出て十分も経たないうちに、彼はある場所で足を止めた。それに合わせて彼女も足を止める。一瞬、彼が一歩後ろで止まる彼女に視線を投げた。

「ここ……」
「オマエの身体がいる病院だ」

 前方には、大きな建物があった。暗闇の中でも分かる白いそれが、大きな市民病院であることは、彼女にも分かった。
 イザナが再び歩き出したので、彼女もそれに着いて行く。時間帯的にも正面玄関は閉まっている。そこを横切り、彼は街頭の少ない暗闇を歩いた。

「どこ行くの?」
「夜間の入り口だ。そこにオレの部下がいる。そいつと合流してこの中に入る」
「部下……」

 少しして、真っ暗だった中に明かりが見えた。赤色灯と、室内から漏れ出す青白い明かり。その下にはガラス製の自動ドアがあり、そのドアの真横の壁には『夜間・休日入り口』と書かれた看板が貼られていた。

「待ってたぜ」

 入り口の方まで行くと、そこには独特な髪型と蛇のような目が特徴的な青年が立っていた。青年はイザナに軽く声をかけると、自動ドアの方へと歩いて行った。
 中に入ると、青年は警備室内にいる警備員から入館証を受け取って、イザナのところへと戻ってきた。受け取った入館証を首にかけると、そのまま薄暗くて人気の少ない院内を進み始めた。

「アンタが探してた女の病室は四〇五号室だ。幸いまだエレベーターは動いているらしいから、それで四階まで行く」

 近くにあったエレベーターに乗り込み、青年が四階のボタンを押した。静かにドアが閉まって上へと登っていく。その間、彼女は言葉に出来ない、でも確かな不安と恐怖で胸がいっぱいになっていた。ドアの上部にある回数を示すライトが一つずつ上がっていくごとにその不安は大きくなり、四階に着く頃には呼吸が乱れていた。

「まって。……このさきにいくのが、こわい」
「行かないのか」
「……行くぞ」

 外に出ようとしないイザナに、青年は扉の開くボタンを押したまま、少しだけ眉をひそめて声をかけた。それを受けた彼は、今も怯える彼女の手を掴んだままエレベーターから降りた。病院に着いた現在も、二人は触れ合えてなどいないが、怯えていた彼女は、彼の背に着いていくように、震える足でエレベーターを降りた。

「病室はここから真っ直ぐ行った先の左手だ。あとは一人で行くんだろ、オレはここで待ってる」

 そう言って青年はエレベーターの扉横にある壁にもたれた。イザナは無言で踵を返すと、カツカツと靴の踵を鳴らしながら、彼女の身体がある病室へと向かった。
 静かな病棟には彼の靴音だけが響いている。彼の後ろにいる彼女は、この空間に響く音を出すことはなかった。そして今、冷や汗をかいて震えていることも、繋がったように見える彼の手には少しとて伝わることはなかった。
 少しして、彼が一つの扉の前で立ち止まった。ここで初めて、院内に入ってからほぼ一言も発していなかった彼が、彼女に声をかけた。

「この先に、オマエの帰るべきところがある。ここまで連れてきてやったんだ、ちゃんと帰れ」
「……あなたは、この先にある私の身体、見たことある?」

 彼女は、そうイザナに聞いた。彼女はここまで来て、ようやく分かったのだ。自身の心を埋め尽くした不安と恐怖の正体が、この先にある自身の身体を見ることである、と。

「もうずっと見てないから、分からないの。どんな姿をしているのかも、どんな様子になっているかも、何も分からない。私の記憶には、あなたを待っていたことと、自分の名前しかない。他は全部赤色で塗り潰されてる。……ねぇ、怖い。怖いよ。私、この先に行きたくない。私のことを、見たくない」
「……入るぞ」

 イザナは彼女にそれ以上有無を言わせずに病室に入った。
 真っ暗な室内で、医療機器が発するぼんやりとした明かりが浮かんでいる。どのベッドもカーテンで覆われていて、どこに誰がいるのかが分からない。だが、彼は迷わず一つのベッドへと向かった。

「ここだ」

 カーテンの向こうは見えない。だが彼女は直感で分かった。『この先に自分の身体がある』と。
 彼女の隣に立つイザナの顔は、明かりのない室内ではもう見えなくなっていた。それが彼女の不安をさらに煽る。行きたくない、怖い、と彼女の心が叫ぶ。だがそれとは裏腹に、彼女の手は目の前にあるカーテンへと伸びていた。

「あ……」

 カーテンの先にいたのは、酸素マスクを付けられた彼女の姿だった。筋肉もほとんどなく、文字通り皮と骨しかない彼女の身体だった。

「……わ、たし、だ」
「あぁ、オマエだ」

 呼吸音も、肺辺りの上下運動も、何も分からなかった。生きていることを示すものが何もなかった。生きているのではなく、生かされているという言葉の方が正しいだろうその姿に、彼女は静かに涙を流していた。

「早く戻れ、そのためにここに連れてきたんだ」
「……私、戻ったら死んじゃうのかな」

 その言葉に、イザナは答えなかった。それを返答と受け取った彼女は、ボロボロ涙をこぼしながらそっと口を開いた。

「もし生まれ変わったら、また私と会ってくれる?」
「……さぁな」
「『昔』と変わらないね」

 彼女は涙の跡を残したまま微笑むと、そっとベッドの上の自身の手に触れた。隣に立つ彼女の姿が少しずつ消えていくのを、イザナは静かに見ていた。

「さよなら、イザナ」

 その言葉を最後に、彼女の身体は溶けて消えてしまった。それを見届けた彼は、ベッドの上で静かに眠る彼女に視線を向け、一言呟いて病室を出た。
 暗く誰もいない廊下に、カツンカツンという靴の踵が鳴る音が響く。だがその音も数回響いてから消えた。
 廊下には、もう誰の姿もなかった。