ナホヤ編




十二年。それは長いようであっという間だった。
それでもあの日のことは今でも昨日のことのように思い出せる。

十二年前の八月三十一日、あの日オレは彼女を置いてきてしまった。

「ねぇねぇ、明日あそこの神社で夏祭りやるらしいんだけど、一緒に行かない?」
「もうそんな時期か。お前が浴衣着てきてくれんだったら、行ってもいいぜ」
「もちろん!新しい浴衣買ったから、それ着てくよ!」
「へぇ?そりゃあ楽しみだな」
「ふふん、楽しみにしといて!じゃあ、明日の午後六時に、いつもの橋の手前で待ち合わせね!」

次の日、彼女は淡いオレンジ色の少し大人びた浴衣を身に纏って、待ち合わせの橋の前に立っていた。
髪も化粧も浴衣に合わせたものとなっている。後ろ髪が上がっていることもあり、普段はそれほど見えないうなじがよく見える。そのうなじに少しだけ残る後れ毛が、少し色っぽくて思わずドキリとした。
彼女にバレないようにそっと一枚写真を撮ってから、彼女の元へと向かう。

「よく似合ってんじゃん」
「本当?ありがとう!これ一目惚れだったんだー。これ見た時、ナホヤのこと思い出してね」
「へぇ、嬉しいこと言ってくれんじゃん」
「そりゃあほら、好きな人だし……?そ、それより早く行こ?りんご飴とかなくなっちゃうっ」
「自分で言って恥ずかしがんのかよ」
「う、うるさい!」

耳を赤くした彼女に手を引かれ、人混みの中に入る。
ここの夏祭りは毎年多くの人で賑わっていて、今年も例年通り人が多く、少し気を抜けば彼女とはぐれそうだった。
彼女とはぐれないよう、ゆるりと繋がれていた手に力を少し込めてしっかり握り、どこかへと向かう彼女の後を追う。少ししてたどり着いた場所はりんご飴を売る屋台の前だった。

「ナホヤも食べる?りんご飴」
「んー……オレはいいや」
「そう?じゃあおじさん、りんご飴一つ」
「あいよ!」

小銭と引き換えに小ぶりなりんご飴を受け取った彼女は、嬉しそうな顔でりんご飴に歯を立てた。しかし屋台で売られているりんご飴だからか、りんごも飴も思っていた以上に硬かったらしく、“食べられない”と眉を下げて残念そうに呟いた。

「どうしよう……」
「取り敢えず、座って食えば?歩きながらじゃ食いづれぇだろ」
「うん、そうする……」

屋台の並びのすぐ近くにあった簡素なベンチに並んで腰掛けると、彼女は空いている片手の指を少しだけりんご飴の平たい部分へ当て、もう一度かぶりついた。

「……んー!美味しい!」
「飴で口ン中怪我すんなよ?」

そう声をかければ、彼女はもぐもぐと口を動かしながら首を縦に振った。ホント、美味そうに食うなぁコイツ。
りんご飴を食べ終わった彼女は満足そうに笑って“ごちそうさまでした”と言った。そんな彼女の口端に付いていた赤い飴の欠片を、指で掬い取って口に含めば、彼女の顔がさっきのりんご飴に負けないくらい真っ赤になった。

再び彼女と手を繋ぎ、今度はオレの目的へと向かう。向かう先は焼きそばの屋台。屋台に着くと、やはりそれなりに長い人の列ができていた。

「やっぱり結構並んでるね」
「待てそうか?」
「うん。大丈夫だよ」

しばらく並んでようやく焼きそばを二つ買ったオレたちは、それを片手に今度はじゃがバタの屋台へと向かった。
オレは焼きそばを、彼女はじゃがバタを両手に持って先ほどいたベンチへ戻ったものの、既に別の人が座っていたので、諦めてベンチの横にある石段へと向かった。
その石段の先には古ぼけた小さな祠があった。そこには近所の爺さん婆さんたちが参拝にくるから、という理由で祠の敷地内にベンチや椅子が置かれていた。

「石段とベンチ、どっちがいい?」
「んー……石段かなぁ。下駄だし」
「ん、分かった」

石段の中腹あたりまで登り、端に寄って腰掛けた。オレと彼女の間には買ってきたじゃがバタと焼きそばが置かれている。
オレは焼きそばを、彼女はじゃがバタを膝の上に置き声を揃えて“いただきます”と一言。プラスチックパックのフタの上に輪ゴムで固定されていた割り箸を取り、続いて輪ゴムを外す。フタが弾かれるように開かれ、フタに少し付いていた紅生姜が視線の先に飛んで行った。あーあ、まぁいっか。
隣にいる彼女は、四等分にされたじゃがいもを割り箸で器用に一口大に切り、溶けてトレーの下に溜まったバターを付けながら食べていた。一口食べて幸せそうに笑っているから、きっと美味しかったんだろう。

「んー……」
「どうした?」
「……じゃがいも食べたから、喉乾いてきちゃって。さっき飲み物買ってくればよかったなぁってさ」
「じゃあ買ってきてやるよ。何がいい?」
「お茶!」
「緑茶?麦茶?」
「んー……麦茶で!」
「りょーかい。じゃあちょっとそこで待ってろよ。誰かに声かけられても付いてったりすんなよ、いいな?」
「もー、私は小さい子じゃないんだけどー!」
「はいはい。さっきそこに自販機あったから、すぐ買って帰ってくるなー」
「はーい!よろしくー!」

オレは小走りで階段を降りて、すぐそこの自販機に向かった。
この時のことを思い出す度、“一緒に行けばよかった”と後悔の気持ちで胸がいっぱいになる。
自分用と彼女の麦茶を買い、早足で石段に戻る。

「ナマエ?」

戻った石段の中腹には二人分の焼きそばと一人分のじゃがバタだけがあり、彼女の姿はなかった。
手に持っていた麦茶のペットボトルが石段を落ちていく音が遠くに響く。彼女は、アイツはどこに行ったんだ。
急いでポケットに入れていた携帯を取り出し、彼女の携帯に電話をかけた。

「出てくれ……。出てくれよナマエッ……!」

何度かけてもプルプル、という呼び出し音だけがオレの携帯のスピーカーから流れるだけで、一向に彼女が電話口に出る気配がなかった。
その後、人混みの中を掻き分けて必死に彼女の姿を探した。屋台の店員や周りの奴らに聞いても返ってくるのは“知らない”、“見ていない”ばかり。
嫌な汗が首筋を伝う。もしかして実は入れ違いになってただけで、あの場所に戻ってきているかもしれない。そう思って石段に戻ったが、やはりそこに彼女の姿はなかった。

石段に腰掛け頭を抱える。彼女がいなくなったのは全てオレが一人にしたせいだ。あの時、オレが彼女と一緒に飲み物を買いに行っていればこんなことにはならなかった。
自責の念に囚われている中、ふと背後にある祠が気にかかった。そういえば屋台の方は探したけど祠の方は探していなかったな。そう思って石段を上がった。
石段を上まで上がると、そこには赤色の鳥居が立っていた。見た目からするにかなり古いものだろう。その鳥居を潜って祠の敷地内に入ると、古ぼけた賽銭箱の奥に佇む、年季を感じる祠本体のところに小さな光が点滅しているのが見えた。
気になってそこまで行ってみると、彼女の携帯が落ちていた。点滅していた光の正体は彼女の携帯の不在着信を示す光だった。

嫌な予感がして、急いで祠の裏へ回る。もしかして暴漢に襲われたりしたのではないか、と思ったが結局祠の周りを一周しても人の気配はおろか、オレ以外の人が入った様子はなかった。
祠の周りは林となっていて、今の時間から探しに入るのは危険だった。それでも、万が一があるかもしれないと考え、その林に入ることにした。
明かりは携帯の微かな光だけ。携帯のキーのバックライトを付けっぱなしにして、それを片手に持ちながら林の中を歩いて探した。

「ナマエー!いたら返事しろー!ナマエー!」

彼女の名前を叫びながら林の中を歩き回る。結局探せるだけ探したが彼女の姿はおろか、彼女の痕跡すら見つからなかった。
途方に暮れながら祠へ戻ってくると、先ほどまではいなかった見知らぬ爺さんが、祠の敷地内に設置されたベンチに腰掛けていた。

「お前さん、そんな顔してどうしたんだい」
「あ?あっ、なぁ爺さん。オレの彼女見てねぇ?髪はこう、上にまとめ上げてて、オレンジの浴衣着てたんだけどさ」
「……いや、見た記憶はないのぅ」
「そう、か……。あんがとな、爺さん」
「待て」

オレがその場を去ろうとした時、その爺さんがオレを呼び止めた。振り返ると、こっちに来いと手招きしていた。
なんだ?と思いつつもその爺さんの方へと戻ると、自分の隣に置かれた一人用の椅子に座るように言われた。

「なんだよ、オレ今から彼女探しに行かねーといけねぇんだけど?」
「お前さんの彼女さん、最後はどこにいたんだ?」
「オレが見た時は、この祠に続く石段の中腹の端だったな。でもそれがどうかしたのか?」
「彼女さん、さぞかし別嬪な嬢ちゃんだったんだろうなぁ」
「そりゃオレの彼女は誰よりも可愛いけど、それが何だよ」
「ここの祠に祀られてる神様のこと、知っておるか?」
「神様とか興味ねーから知らねー」

その爺さんの話によると、この祠に祀られている神様は随分と昔にこの近くの村の娘のことを気に入り、自分の元へと連れ去った――つまり神隠しをしたらしい。最初に連れ去られた村の娘は数年後に戻ってきたものの、行方不明になっていた期間の記憶が一切なかったそうだ。そして同じような“神隠し”がその後から現代に近い時代まで、度々起きていたらしい。
そして連れ去られる娘には、共通することがあった。それは容姿。特別美少女とかではないが、それなりに可愛らしく綺麗で、礼儀を重んじる娘。年齢はちょうどオレと同じか少し下くらいの年齢が多かったそうだ。

「なぁ爺さん、まさかとは思うけど、オレの彼女がいなくなったのって――」
「おそらく、この祠の神様に気に入られて神隠しにあったんだろう。とはいっても、ここの神様は神隠しで連れ去った娘は全員こちらの世界へ帰してくださっている。お前さんの彼女もきっと――」

オレの苛立ちはピークに達していた。何が神様だ、んなもんいるわけねぇだろ。仮にいたとして、なんで神隠しの対象を彼女にしたんだ。いつになったら彼女を帰してくれんだよ。

「なぁ、いつになったら帰してくれんの?そのカミサマってやつ」
「それはわしにも分からん。だが、神隠しに遭った娘の家族親戚は、毎日この祠に祈っておったそうだ。“どうかあの子を私たちの元へお返しくださいませ”と。他にも、今のお前さんのように、恋仲だった男があちこちを探し回ったりもしていたそうだ」
「それやってソイツが帰ってきたのはいつだよ」
「さぁ、そこまでは知らぬ。昔聞いただけの話だからな。……でもまぁ、やってみる価値はあると思うぞ」
「そうかよ……」

終始納得が行かなかったが、取り敢えずやれるだけのことをやっておくしかないと思い、オレはその場から立ち上がると祠の前に設置された賽銭箱の前へと向かった。
小さくて古ぼけた賽銭箱に硬貨を数枚投げ入れ、手を合わせて祈る。“一秒でも早くナマエを帰してくれ”と。
その日の夜、帰宅してすぐに彼女の両親に謝罪をしに行った。当たり前だがめちゃくちゃ怒鳴られたし怒られたが、最後は“自分たちも協力するから、君も見つかるまで全力で探してくれ”と言われ、首を縦に振った。

この日から現在に至るまで、オレはずっと彼女のことを捜索し続けている。彼女の両親からは“もういいよ”と言われたこともあったが、それでもオレがどうしても諦められなかった。過去の捜索の中では、アングリーや手の空いている東卍のメンバーたちも何人か協力して捜索や聞き込みをしてくれたこともあったが、それでも成果はあがらなかった。
捜索の始めと終わりには必ずあの祠に手を合わせることも欠かさず行った。存在は今も信じちゃいねぇが、それでも“神隠し”に遭ったのならば、彼女を攫ったのは“神様”となる。ならば神様に“ナマエを返せ”と言うのは正しいだろう。そう考えた結果、手を合わせるようにした。

「……っし、今日も探すか」

あの日から今日で十二回目の八月三十一日である今日も、オレは一人で周辺の捜索を開始した。十二年見てきたのだから、見落としはないだろうと思いつつも、隅から隅まで見回る。そして決まって最後は祠の後ろに広がる林の中だった。しかし今日もまた、彼女に関する手がかりは一切見つからなかった。
林の探索を終えて祠に戻ってくる頃には、もう日も落ちかけていて周辺は夏祭りで盛り上がっていた。
あぁもうそんな季節か。そう思いながら、あの日自販機で買ったものと同じ麦茶のキャップを開けて一口飲む。今でも鮮明に思い出す、待ち合わせ場所で会ったところから彼女がいなくなるまでのところ。あの時間は本当に楽しくて、幸せで、もう二度と手に入らないものとなってしまった。

「ナマエ……」

なぁ、もう十二年も経ったんだ。もういいだろ?返してくれよ。心労のせいかオレらしくもないことを心の中で呟く。
早く帰ってきてくれ、お前の両親もお前の友達も、東卍のメンバーやアングリー、皆お前のことを心配して帰ってくるのを待ってんだよ。

「ナマエ……帰ってきてくれよ……」
「ナホヤ……?」

背後から聞こえた声に驚き、跳ね返るように項垂れていた頭をバッと上へと上げた。まさか、彼女のことを想いすぎてついに幻聴が聞こえるようになってきたのか?オレは。
ゆっくりと後ろを向くと、そこには少し大人びた姿で、あの日と全く同じ格好と髪型をしたナマエが立っていた。

「お前、本当にナマエか……?」
「うん、そうだよ。ナマエだよ」

オレは急いで彼女の元へと行くと、力一杯彼女のことを抱きしめた。布越しに伝わる柔らかな体温、久々に香る彼女の匂い。本物だ。今オレの腕の中にいるナマエは、間違いなくナマエ本人だ。

「おせぇんだよバカ!」
「再会の二言目がそれ?!」
「ったりめぇだろ!オレがどれだけ、どれだけ心配して必死に探し回ったか……分かってんのかよッ……」

十二年間の想いが涙としてオレの目から零れ落ちていき、彼女の浴衣にぽたぽたと落ちた。
柄じゃねぇとは自分でも思うが、それでもそれくらい、オレはナマエが帰ってきてくれたことが嬉しかった。
捜索を続けていく中で、何度も“もう生きてないんじゃないか”という言葉が頭に過った。女物の何かを見つけた時は、彼女のでないと分かっていても“もうダメなのかもしれない”という想いが小さく生まれた。
それだけ不安だったし、怖かったし、辛かった十二年間だったのだ。

「ごめんね、ナホヤ」
「ごめんで済むと思うなよ」
「そうだね……。ところでさ、ナホヤおっきくなったね?大人っぽい」
「大人っぽいもなにも、オレ今アラサーだからな?」
「えっ!?アラサー!?」
「お前が姿を消してから、今日で丸十二年経ったんだよ。そりゃオレもアラサーになんだろ」
「じ、十二年……?そんなに経ってたの……?」
「取り敢えずまずはお前の両親に会いにいくぞ。それからアングリーにも顔合わせておけ。東卍のやつらはオレの方で声かけておく」

それからは目まぐるしかった。まずは彼女の両親のところへと向かい、ナマエが帰ってきたことを知らせた。両親はそれはもう大泣きして、十二年振りに帰ってきた娘の存在を確かめるかのように何度も頭を撫で抱きしめていた。
次に、散々オレの捜索に協力してくれて、彼女とも仲が良かったアングリーに彼女が帰ってきたことを知らせた。アングリーはナマエを見るなり、年甲斐もなくボロボロに涙を零しながら、“おかえり、ナマエちゃん”と言って抱きしめた。本来なら引き剥がすところだが、今回ばかりは許してやった。
最後に、アングリーと同じく捜索に協力してくれた東卍のメンバーたちを集め、彼女が見つかった報告をした。マイキーたちは“無事で良かった”、“安心した”、“どこ行ってたんだよ”と口々に言いながら彼女の頭をわしゃわしゃと撫でたり笑いかけたりしていた。

一通りの報告と感謝を伝え終わったところで、オレはナマエと二人で近くのベンチに腰掛けて話をしていた。
この十二年間で変わったこと、前にはなかったものが主流になってきていること、オレが今アングリーとラーメン屋をやってることなどなど……。一通り伝えたいと思っていたことを伝えた後、ずっと気になっていたことを彼女に聞いた。

「なぁ、今までどこに行ってたんだ?」

そう聞くと、彼女は困った顔をオレに向けた。
どうやら彼女自身もどこで何をしていたのか、あの日から今日までの十二年間の記憶が一切ないらしい。ただ、どこかに連れて行かれて別の場所で過ごしていた、ということは何となく覚えているそうだ。

「本当に覚えてることねぇの?」
「うーん……あっ」
「なんかあった?」
「えっとね、時々ナホヤが私の名前を呼ぶ声が聞こえてた、かも」
「どういうこと?」
「なんかね、私ずっと真っ白でもやもやした感じの場所にいたの。右も左もよく分からなくて、夢を見てる感じだった。全部がぼんやりしてたから、私の意識もぼんやりして溶けていきそうだなぁって思ってたら、ナホヤが私を呼ぶ声がどこからか聞こえてきてね。声をたどって歩いてたら、一番大きく聞こえたところに着いて……そしたら戻ってきてた」
「……じゃあ、オレの声を頼りに戻ってきたってこと?」
「そう!ありがとう、ナホヤ。ナホヤが私の名前をずっと呼んでくれていたから、私はこっちに帰ってこれたの。遅くなっちゃったけど」

オレは堪らず彼女を抱きしめ、そのままキスをした。
久しぶりに感じるナマエは、オレの募らせた想いを雪崩のようになって押し寄せそして溢れ返させた。それは止まるところを知らず、気付けば片手は彼女の後頭部に手を回し、もう片方の腕は彼女の腰をしっかりと抱き込めた状態で、ドロドロに深いキスをしていた。

「なぁ……次の休日、空いてるか?」
「うん、大丈夫だと思う」
「ならさ、その日一日オレと一緒にいて」
「……うん。私もナホヤと一緒にいたい」
「オレの言った意味、分かっててそう言ってる?」
「うん……」

次の休日はもうすぐそこだ。それまではこの溢れかえった想いを抑えておこう。

「休日、覚悟しとけよ」
「……優しくしてね?久々なんだから」
「オレの理性が保ってたらな」

そう言ってオレは再び彼女の唇を奪った。