イザナ編




十二年前の八月三十一日、オレはこの先も忘れることはないだろう。

「ねぇねぇ、今度一緒に行ってほしい神社があるの」
「神社?」
「そう!最近知った神社なんだけど、その神社がある森がすっごくて!ただその場所がちょっと遠いから、行くなら一緒に行ったほうがいいかなって思ったんだ」

アイツはたまに自然を見に行きたいと言うことがあった。アイツ曰く“自然の中にいると気分がリセットされる”のだとか。
何か嫌なことがあった時、疲れた時、なんとなく気分が悪い時……その時々によって理由は違うが、アイツが“一緒に行ってほしい”と声をかけてきた時は必ず付き合っていた。正直オレはそういうのに特別興味はないのが、アイツ一人でどこかへ行かせるのが嫌だった。

次の休日、いつものようにアイツを後ろに乗せて目的地の神社がある森へと向かっていた。
その森は少し遠くの郊外にあり、目的地に近づくにつれて景色がビル街から住宅街へと変わっていった。

「次はどっちだ?」
「えーっと……ここは右!」

後ろのアイツの道案内でたどり着いたのは、鬱蒼とした森の前だった。森が近いこともあり、いつもいるところよりも数倍はうるさく鳴り響く蝉の声が反響して聞こえる。森の中央には、長い年月を経て生まれたのであろう苔むした石の階段が森の奥まで続いていた。おそらくここが神社への入り口なのだろう。

「わぁ……!綺麗!」
「すげぇ森だな」

鬱蒼とした森の中に築かれた石段を登りつつ、目的地の神社へを向かう。
右も左も見渡す限りは太さも様々な木々ばかり。森の中に入って思う、入り口ですでに騒がしかった蝉の鳴き声が今ではもう、全方向にスピーカーが設置され、そこから爆音で流されているんじゃないかと思うほどの大きさで、重なりに重なった蝉の鳴き声がグワングワンとオレの頭を揺らしてきた。
太陽光が木漏れ日として落ち、森の中を照らす。少しだけ風が吹いているので、多少の涼しさは感じるものの今は夏。それなりの暑さで汗が流れ始めた。

「おいナマエ、あとどれくらいなんだよ」
「あと、もーちょい……」
「もうちょいって、どれくらいだよ」
「うーん……分からないけど、あと少し歩けば着きそうな気がする」

その時のアイツの様子が少しおかしいのを、この時気づいていれば……。何度もそう思った。だけど当時のオレは暑さと多少の疲労、そしてまだ着かないということに対しての小さな苛立ちにより、その様子に気づくことができなかった。
ようやく現れた平坦な道を二人並んで歩いていると、少し先に鳥居の姿が見えた。

「あっ、あれ!」
「やっとか……」

アイツは嬉しそうにオレの手を引きながら少し早足になりならが鳥居へと向かっていった。
鳥居もかなり長い間ここに立っていたものらしく、鳥居全体に塗装された朱色は色褪せ、所々剥がれて木が剥き出しになっていた。
アイツに口酸っぱく言われたせいで自然とやるようになった、神社に入る前に行う鳥居への一礼を済ませてから、アイツとともに道の左側に寄って鳥居を潜った。

「神社は……あ、あれっぽいね」
「さっさと行くぞ」

風があろうと木漏れ日であろうと暑いものは変わらず暑くて、そろそろ耐えるのも限界になってきたオレは、アイツを急かして神社へと向かった。
この時、オレがそのままアイツを連れて帰っていれば、あんなことにはならなかったのかもしれない。

たどり着いた神社もまた、鳥居と同じように古ぼけていてあちこちボロボロだった。入り口の手前で再び一礼をし左端を歩く。 手水舍てみずしゃで手や口を清め、そして拝堂の前へ。賽銭箱の上の鈴を揺らして鳴らしてから賽銭箱へ小銭を投げ入れ、これまた彼女に口酸っぱく言われた通りに参拝をした。

オレ自身は神なんてものは信じていなかったが、とりあえずと“これからもコイツといられるように”と願っておいた。

「……よし!じゃあ帰ろっか!」

満足したアイツがニコリと笑う。アイツの手を取って二人で神社を出ようとしたその時。

「え――」

一陣の突風が吹いた。

「ナマエ?」

突風が吹き付けてきた瞬間、アイツの小さな声が聞こえた気がした。なんだか嫌な予感がしてアイツの名前を呼んだが返事がなかった。
風が止んだ後、オレは隣で手を繋いでいたはずのアイツがいた方を見た。そこにはもう、アイツの姿はなかった。手にはアイツの手の微かな温もりが残っているのに、まるで最初からいなかったかのようにアイツの姿は消えてしまった。
オレは慌てて神社の敷地内を探し回った。見れる場所は隅々まで見たものの痕跡すら見つからない。来た道を戻りながら、アイツの名前を叫びつつ姿を探す。

いない、いない、いない。

アイツの姿は日暮れまで探しても見つからなかった。
憔悴し切ったオレが石段を降りて森の入り口まで戻ってくると、近くに見知らぬ婆さんがぽつんと立っていた。

「お前さん、この森の奥に行ったのかい?」
「あ?……だったなんだよ」
「そうかい……。この森ではね時々神隠しが起きるんだよ。お前さんが無事でよかったよかった」
「神隠し……?」
「そうじゃよ。この森に住まう神様は、時折人を自分の元へと“呼ぶ”のじゃ。そして、その呼びかけに応えた者を、自分の元へと攫う。そういう言い伝えが昔からあっての。実際に何回か神隠しに遭った子もいるんじゃ」
「神隠しとか、何かの冗談だろ……?ふざけんのも大概にしろよ、ババア」
「……もしかしてお前さん、誰かと一緒にここに入ったのかい」
「……そうだよ。そうだったならなんなんだよ。アイツがいなくなったのは神隠しだって言いてぇのか?」

婆さんは神妙な面持ちでオレから視線を外し、薄暗くなった森の方を見た。
婆さんによると、この森にいる神様とやらは神様としては珍しく人間が好きだそうで、自分が興味を持った人間を攫うらしい。そして攫われた人間は、二度と帰ってこないか、幾ばくかの歳月が流れたある日、突然帰ってくる時の二パターンがあるらしい。
つまり、アイツはここの神様とやらに気に入られ“神隠し”にあった。これが婆さんの言っていたことだった。

「なぁ、どうやったら神隠しされたヤツが帰ってくるんだ」
「それは私にも分からないんだ、すまないね。でもきっと、この森で彼女を探し続けていたら、神様も気づいて離してくれるかもしれないね。ここの神様はとてもお優しい方だから」
「それ、嘘じゃねぇよな」
「……昔、ここで神隠しに遭った弟を毎日探した姉がいたんだ。毎日毎日弟の名を呼んでは森の中を探し歩いた。そして奥にある神社で“どうか弟を返してください”と祈ったんだ。すると数年後、弟は成長した姿で戻ってきたそうだ」
「……そうかよ」

その話を聞いたオレは、次の日から森に向かってはアイツを探し、ばあさんの話の通り神社で“ナマエをさっさと返せ”と手を合わせていた。
それを始めてから年月が流れ、今では仕事もあって毎日は行けなくなったが、それでもアイツがいなくなった八月三十一日だけは必ず森に向かっていた。

「今日も、行くのか?」
「ああ」
「……気をつけて行ってこいよ」
「ああ……」

真一郎の言葉を背に受けつつ、オレは今日もバイクを飛ばした。もちろん目的地はあの森、そして森の奥の神社だ。
八月三十一日。今日もあの日と同じくらい暑く、そして騒がしい蝉の声であふれていた。

「ナマエ……」

アイツが神隠しに遭ってから今日で丸十二年が経った。今日こそアイツを、ナマエを返してもらうからな。そんな意気込みで、何十回と踏み締めた石段に足をかけた。

「ナマエ!ナマエー!」

相変わらずグワングワンと頭を揺らしてくるくらいうるさい蝉の鳴き声が森の中に響いている。自然の立体音響か、と言いたくなるほど三百六十度から鳴り響いているそれがうざったい。
鳥居を潜り、先にある神社へ向かう。これも神様への“お願い”のためには必要なんだよ、と記憶にあるアイツの言葉が蘇る。腹立たしいがそれに従って、鈴を鳴らしてから数枚の硬貨を賽銭箱に投げ入れ、いつものように参拝した。

参拝を終え、踵を返して拝堂に背を向けたとき、あの時と同じ強い風が後ろから吹き抜けていった。
ハッとして後ろを振り返ると、そこには姿を消した時よりも随分と大人びた姿をしたナマエが立っていた。

「ナマエ……?」
「……もしかして、イザナ?」

オレは急いでナマエの元へ行くと、そのまま力一杯抱きしめた。密着した腕や体に彼女の温もりを感じる。間違いない、ナマエは今ここにいる。ここに存在してる。戻ってきたんだ。
目から止めどなく流れる生温かい涙が彼女の着ている服の肩に落ちてシミを作った。

「イザナ、大きくなったね」
「当たり前だろ、あの時から何年経ったと思ってんだよ……!」
「……どれくらい?」
「十二年」
「えっ」
「お前が神隠しに遭って姿を消してから、今日で丸十二年経ったんだよ」

思っていた以上の時の流れに強い衝撃を受けたナマエは、目を見開き両手で自身の口元を覆った。目からポロポロと涙が溢れる。
それもそうだ。神隠しに遭って帰ってきたら、そこは十二年後だったなんて誰だって驚くし衝撃も受ける。オレが同じ立場だったら到底受け入れられないだろう。

「ナマエ、本当はいろいろ聞きてぇことはあるけど、まずは帰るぞ」
「うん」

彼女の手を握り、森の外へと出る。入り口の近くに停めていたバイクの元まで行くと、十二年前の彼女が使っていたヘルメットを取り出して渡した。これは彼女がいつ戻ってきても後ろに乗せられるよう、ずっとバイクの収納スペースに入れておいたものだ。

「乗れ。お前の両親も、真一郎たちもずっと心配してたんだ。かっ飛ばして帰るぞ」
「……安全運転で、ね?」
「……善処してやる」

十二年振りに背と腹部に感じた彼女の温もりが、再度彼女の存在を教えてくれる。それだけで柄にもなく泣きそうになった。

彼女の要望でなるべく安全運転を意識しつつもかっ飛ばして家に帰ると、真一郎が驚いた顔で立ち上がりこちらへとやってくると、涙を流しながらも笑って“おかえり、ナマエちゃん”と言った。

それからはもう祭りと言ってもいいほどの騒がしさだった。ナマエの両親はもちろんだったが、十二年前からナマエに懐いていたマイキーやエマ、さらには東卍の連中たちまでもが集まり、全員でナマエの帰還を喜び祝った。

「な、なんか凄いことになっちゃったね……。イザナ、騒がしいの苦手なのにごめんね。大丈夫?」
「気分は良くねぇけどお前のせいじゃねぇだろ。……それに、お前が隣にいるから別にいい」
「……ごめんね、突然いなくなって」
「もうぜってぇオレの前から黙っていなくなんなよ」
「うん」

居間でワイワイしている人たちの声を背に、薄暗い縁側に二人並んで座っているこの時がとても幸せに感じた。
オレとナマエの間にある手はしっかりと繋がれている。もう絶対に離さない、絶対に守る、そんな思いを込めてオレは少しだけ握る手に力を入れた。

「神隠しに遭ってた時、どこで何してたんだ?」
「え?あー……実はさ、あんまり覚えてないんだ。誰かと一緒にいて、何か話したり手伝ったり、みたいなことをした記憶はうっすらあるんだけど……」

彼女は空いている片手の人差し指をこめかみに当て、俯いた状態で小さく唸りながら必死に思い出そうとしていた。少しして“あっ”と何かを思い出したように小さく声を出してパッと頭を上げた。

「ちょっと思い出した」
「なんだ?」
「私と一緒にいた誰かがね“ずっとお前の名を呼んで探している男がいる”って言ったことがあるの。で、きっとイザナのことだろうなって思ったから“その人は私の大切な人です”って答えたんだ」
「それで?」
「そしたらその人“随分と愛されているんだな。ならもうそろそろ帰してやらないといけないな”って言ってね。その会話のあと、気づいたらあの場所に立ってたんだ」

“不思議な体験だったなぁ”なんて悠長言いのけたナマエ。こっちはどんな気持ちでお前を探してたと思ってんだ。と言いたくなったが、それを一旦飲み込んで、代わりに彼女の名を呼んだ。

「どうし――」

振り返った彼女の唇をそっと塞ぐ。そのまま唇を甘噛みしてから、ちろりと舐めて顔を離せば、真っ赤な顔をしたナマエの顔があった。

「み、皆いるところでそういうのしないでよ……!」
「こっちは十二年も一人の女も作らず、一切諦めず、お前のこと探し続けてたんだ。しばらくはオレとずっと一緒にいろ。それから――」

一瞬言葉を切り、彼女をの耳元へ口を寄せる。

「今夜は寝かせねぇ。覚悟しとけよ、ナマエ」

そう囁いた。

柄にもなくどうしようもない不安に駆られたうえに、何度も折れそうになった。彼女の両親が死亡届を出そうかと考えていて、それを必死に止めた時だって胸が張り裂けるくらい辛かった。

オレの中に積み重なったそれらが、彼女と再会したあの時に堰を切って溢れだしていたのだ。
本当は今すぐにでもキスもハグももっとしたかったし、ドロドロになるまでナマエを抱きたかった。
でも、帰ってきた彼女が“皆に挨拶だけはしたいから”と言うので、仕方なく少し待ってやったのだ。

「真一郎、オレとナマエは先に戻るから。他の奴らにも言っておいてくれ」
「ん?おう、分かった。……手加減、してやれよ」
「……うるせぇ」

ニシシ、と笑う真一郎を一瞬睨んでからオレは彼女の腰を抱いて自室へと向かった。

「アイツにも、オレたち以外の“大切な人”ができて、本当によかった」

そう言って真一郎が微笑んでいたのを、後でナマエから聞かされたオレは、小さく笑ったのだった。