イヌピー編
十二年前の八月三十一日。この日、オレは大切な存在を失った。
「今度この神社でやるお祭りに行こうと思うんだけど、一緒に行かない?」
そう言って彼女が渡してきたのは、都内某所にある神社で行われる夏祭りのチラシだった。その祭りは地域の人たちによってさまざまな絵が描かれた行灯を飾り、午後の六時頃から順に灯が灯されていく、それはそれは幻想的なものだった。
「分かった、行こう。いつにする?」
「うーん。夏休み最後の思い出作りにしたいから、三十一日がいいなって考えてるんだけど……青宗はどう?空いてる?」
「確認する。……あぁ、空いてる。問題ねぇよ」
「じゃあそこで!六時から点灯していくらしいから、六時頃に神社に着くように行こう!当日は――」
それからオレと彼女は当日の予定を組み始めた。彼女のことはオレが家に迎えに行くことになったが、彼女が“当日は浴衣を着る予定なんだ”と言ったので、迎えはバイクではなく徒歩となった。
近くのバス停などを調べ、神社への道のりも確認したところでこの日はお開きとなった。
そして当日、宣言通り彼女は浴衣を着ていた。綺麗な薄い黄緑色の生地に、赤や青のラインが入った白い花弁の朝顔や、緑色の菊のような花が描かれた少し大人っぽいそれは、彼女にとても似合っていた。
「これね、ちょっと青宗の目の色に近いかなぁって思って選んだんだ。本当はもっと青緑っぽいのが良かったんだけど、いいのがなくて」
「……嬉しい。ありがとな。よく似合ってる、可愛い」
「えへへ……ありがとう」
手を繋ぎ、慣れない下駄を履いて歩く彼女に合わせ、ゆっくりと歩きながら目的地へ向かう。目的地に近づくに連れて人が増えていくので、この祭りが人気なのだということが分かった。
歩きづらく足も遅くなってしまう彼女がはぐれないよう、繋いだ手に少しだけ力を込め、増える人たちの間を抜けていった。
「ここなら少し休めるだろ。足は大丈夫か?」
「ありがとう。怪我とかはしてないけど、ちょっと疲れちゃったからちょうど良かったよ」
「そうか。なら少し人が減ったらオレたちも行灯を見に行こう」
「うん!」
ズラリと並ぶ行灯たちを少し離れたところで眺めていると、端の方からぽつぽつと灯りが灯されて行くのが見えた。
この神社の巫女たちが一つずつ手で灯りを灯して行き、ぼんやりと明るくなった行灯。この流れだけでとても幻想的で絵になっていた。
横にいる彼女を見れば、この光景にすっかり目を奪われており、キラキラした瞳で行灯が灯っていく光景を見つめていた。
しばらくして行灯を見る人たちの数が少し減ったので、隣にいるナマエに“そろそろ行くか?”と声をかけた。しかし彼女からの返事がなく、いたはずの場所を見ると彼女の姿がどこにもなかった。
手を繋いでいたはずなのに彼女が手を離していなくなったことに気づかないなんて、オレもかなり行灯に魅入っていたんだろうか。今でも、これが全ての原因だと悔やんでいる。
急いで辺りを探す。人混みを掻き分け、彼女の名前を呼びながら必死に探していると、少し離れた場所に彼女の姿を見つけた。
ズラリと並んだ鳥居の中へ彼女がゆっくり進んでいくのが見えたので、急いでオレもそこへ向かった。
「ナマエっ!!」
オレが鳥居の前に辿り着いた頃には、彼女はだいぶ奥まで進んでいた。何だか嫌な予感がする。彼女の様子が変だ。オレの直感がそう叫んだ。
急いで鳥居の中を進み、前方にいる彼女を目指す。幸いそんな距離もなかったのですぐに彼女の元に辿り着いたが、彼女はオレに気づいていないのか、ずっとオレに背を向けたままだった。
「ナマエ?」
ぐるりと彼女の前へ周りこんで顔を見る。目に焦点が合っていない。明らかに様子がおかしいので、彼女の意識を戻すために少し体を揺すろうと彼女の両肩に手を伸ばした。
「……は?」
彼女の両肩に伸ばしたオレの手は、彼女の肩に触れることなくそのまま彼女の身体をすり抜けた。おかしい、彼女は確かに前にいるのに、名前を呼んでも触れようとしてもまるで彼女に届かなかった。
何度も触れようと試した。声もかけたし名前も呼んだ。それでも彼女に反応はなくて、どうすればいいのか分からなくなったその時、ぶわりと強い風が正面から吹き付けてきて、オレは思わず目を伏せた。
風が止み、伏せた目をそっと起こすと――
「ナマエ?!」
先ほどまで目の前にいたはずの彼女の姿が消え去っていた。
人混みの中、そして神社の敷地内に加えてその周辺も必死に探し回った。それでも彼女の姿を見つけることはできなかった。
「あの、どうかされましたか?」
再び神社の敷地内に戻って彼女が消えた鳥居の並び立つ場所のすぐ近くで呆然としていると、巫女の格好をした女が声をかけてきた。そいつはこの神社の巫女らしく、様子がおかしかったオレを見つけて思わず声をかけたらしい。
「何かありましたか?」
「……オレの彼女が、この鳥居の中で消えたんだ」
「この鳥居の中で……ですか?」
「あぁ。姿は見えてたのに触れねぇし、声をかけてもまるで聞こえてねぇし……。風が吹いてきたと思ったらもういなくなってた」
「……おそらく、それは“神隠し”かもしれないですね」
「神隠し……?冗談はやめろ、そんなものあるわけねぇだろ」
「でも、貴方から聞いた話から推測するとそれしか浮かばなくて……。ただ、十数年前にもここで神隠しがあったそうですよ」
その後、女は同じ格好をした別の女に呼ばれその場を去った。残されたオレは先ほど女の口から出た“神隠し”という言葉が頭に残って離れなかった。
もし本当に神隠しだとするならば、どうしたら彼女は帰ってくるのだろうか。そもそもどうして彼女が神隠しになんて遭わなきゃいけなかったのか。内心かなり苛立ってはいたが、例えここを壊したとしても彼女が帰ってくる保証なんてどこにもない。ここに祀られている神に祈ったところで帰ってくる保証はない。というのも頭のどこかでは分かっていた。
考えた結果、ここに毎日通うことにした。神頼みとかなんてする気はないから、本当にただ、入れる日にここに来て彼女が消えたあの鳥居の前に立ち尽くすことしかできなかったが。それでも、毎日ここに足を運んであの鳥居の前に立つことであの時のことを忘れずにいられる気がした。
――あの日のことを忘れないでいること、それがオレにできる唯一の罪滅ぼしだと思っていたんだ。
時は経ち、今年で十二回目の八月三十一日となる今日は、あの時と同じように夏祭りが開かれていた。
彼女が“綺麗”と言っていた行灯が並び、あの時と同じ午後六時から点灯が始まった。ぽつぽつと、音もなく灯りが灯されていく行灯を少し離れた場所から眺める。それだけであの日、行灯の柔らかい光を目に写していた彼女の姿を思い出した。
「もう、いいだろ」
彼女が消えた、並び立つ鳥居の前で呟く。行灯の灯りはこちらにも少しだけ漏れていて、オレの足元がぼんやりとした柔い光に照らされていた。
遠くにいる男女が仲睦まじげに並び、灯りの灯った行灯を眺めている姿が見えて思わず目を逸らした。もしかしたら、あの男女のようにオレも彼女とまたここに見に来ていたかもしれない。そんな考えが浮かんできてしまい、どうしようもなく胸が苦しくなった。
「もう、返してくれよ」
再び呟く。オレの声は彼女にも、そして彼女を攫ったであろう神様とやらにも届かないのだろう。オレの口から吐き出された言葉は夏の夜風に吹かれて星も見えない夜空に消えていった。
最後の行灯に灯りが灯され、それと同時に小さな歓声が聞こえた。彼女がいたら、きっと同じように声をあげていたんだろうなと考えたところで改めて、十二年経ってもオレの中から彼女の存在が消えていないことを実感した。
遠くのざわめきが時折吹く風の音に紛れて掻き消える。なんだかここだけ世界から切り離されているように思えた。今なら消えてしまった彼女の元に行けるだろうか。
ふと横を見る。暗い中並び立つ朱色の鳥居たちはどこか不気味で、暗くてよく見えない鳥居の先はここではないどこかに繋がっているのではないかと錯覚させた。
オレもこの鳥居の先に行ったら、彼女の元へ行けるのだろうか。もしかしたらオレが行けば、彼女がこっちに帰って来れるんじゃないか。そんなことが頭によぎった。
気づけば足が動いていて、オレは鳥居を潜り始めていた。視線の先は暗闇でよく見えない。その先に行ったって何もない、そんなことは分かっていたがどうしても進む足を止められなかった。
ちょうど立ち並ぶ鳥居の中間あたりに辿り着いたところで、ふと足を止めた。何か見つけたわけでも、何かが前にあるわけでもない。ただ、なんとなくそこで足を止めようと思った。
「ナマエ」
彼女の名前を呼ぶ。いないのは分かっているのに、呼んだって届かないのに、ふと口から彼女の名前が零れ落ちた。
「青宗……?」
視線の先の暗闇からオレの名前を呼ぶ声が聞こえた。ぼんやりとしていた意識が一瞬で鮮明になる。間違いない、彼女の声だ。
「ナマエ、そこにいるのか?」
声が聞こえた暗闇に声をかける。すると、その暗闇からじょじょに人影が見えてきた。人影がカランコロンと下駄を鳴らしながらこちらへ近づいてくる。雲に隠れていた月が少しずつ顔を覗かせきて、オレのいる鳥居のあたりに月光が落ちてきた。
鳥居の隙間から降り注ぐ柔く白い明かりに照らされ、見えていなかった姿が見えてきた。黒い下駄に薄緑色の浴衣。浴衣をよく見ると、赤や青のラインが数本入った白い朝顔や緑色の菊の花の柄があった。間違いない、間違えるはずもない。紛れもなくあの日姿を消した彼女だ。
「ナマエっ!」
オレは前方にいる彼女に駆け寄り、そのまま強く抱きしめた。その腕はもう彼女の身体をすり抜けなかった。ちゃんと温もりも感じる。ふわりと香った匂いも彼女のものだ。
帰ってきた。十二年後の今日、彼女はようやくここに、オレの元に帰ってきてくれた。
「ナマエ……。今までどこ行ってたんだよ」
「えっとね、ここに祀られた神様のところだよ」
「は?……聞きたいことは山ほどある。でもあとで聞くから、今だけはこうさせてくれ」
彼女を強く抱きしめる。肩口で彼女が“苦しい”と言っていたが、今回は少し我慢してもらうことにした。
少しだけ意識して呼吸をする。ずっと、この十二年間ずっと言いたかった言葉を、今日ようやく伝えることができる。
「おかえり、ナマエ。帰ってくるの、遅すぎだろ」
「……ただいま、青宗。ごめんね、帰るの遅くなって」
「十二年も待たせやがって……」
「……え?今なんて?」
「十二年。ナマエがいなくなったのはちょうど十二年前の今日、ここでだ。覚えてねぇのか?」
「い、いや覚えてる!ここで連れて行かれたのは覚えてるんだけど、まさかそんな時間が経ってたなんて……。でも、言われてみれば青宗すっごい大人っぽくなったね」
「当たり前だろ。オレも十二年経ってんだ、いい歳になってる」
そう言って小さく笑えば、彼女も“そっか”と言って小さく笑った。
その後、オレは彼女の手を引いて十二年前にオレに声をかけてくれた巫女のところへと向かった。
「なぁ、そこの巫女さん」
「はい。あら、貴方は。……もしかして、後ろの方が?」
「あぁ。ようやく帰ってきてくれたんだ。アンタにもいろいろ助けてもらったから、一応報告しておこうと思ったんだ」
「そんな、いいんですよ。私に挨拶をしているより、ようやく会えた彼女さんとの時間を大切にしてください」
「ありがとう。それだけだ、もう行く」
「よければまた、こちらにいらしてくださいね」
彼女の手を引き、近くの人気が少ないベンチに並んで腰掛ける。彼女の話を聞くに、彼女は彼女を攫った“神様”の元で手伝いをしていたらしい。手伝いと言っても雑務が多かった。だがそんなある時、突然その神様が彼女に“これからお前を現世へ帰す”と言われ、それからはあれよあれよと帰る準備が行われ、結果無事こちらに戻ってこれたそうだ。
彼女曰く、最後まで神様が自分を呼んだ理由と帰してくれた理由を教えてくれなかったらしいので、呼ばれた本人も呼ばれた理由も帰れた理由も知らなかった。
オレ自身内心は再び苛立ちでいっぱいになりそうだったが、それ以上に彼女が今横にいることが何よりも嬉しく、そして幸せだった。
「お前がいなかった十二年間で、世の中もオレも、そしてオレの仲間や友人たちも、皆変わったんだ」
「そうなの?えーっと、確か東卍ってチームにいたりしたんだっけ」
「あぁ。今は解散してるが、それでもたまに集まって呑んだりすることがある」
「そうなんだ。ねぇ、皆も元気そう?変わりない?」
「……オレが話したのがわりぃけどさ、今はオレだけを見て、オレだけを意識してろ」
彼女の顎に手をかけ、クイッとこちらを向かせる。神隠し中でも歳は取っていたようで、昔よりずっと大人びた彼女の顔がとても綺麗だった。
少し無言で見つめていたが、それからすっと彼女の唇にキスをした。
「綺麗になったな。それに可愛くもなった」
顎にかけていた手の親指でそっと頬を撫でれば、彼女は頬を真っ赤に染めて少し目を泳がせ始めた。
「青宗も、綺麗になったね。髪伸ばしたんだ。似合ってる、あと格好いい」
「……誉め殺しする気かよ」
「あ、あと口数も増えた気がする」
「それは……やっとお前に会えたから」
「いつもそれくらい話してくれてもいいんだよ?」
「……善処する」
それからオレは彼女と手を繋いで家へと送り届けた。彼女の両親は涙を流しながら彼女を抱きしめていて、十二年ぶりの再会を喜び合っていたので、オレはそっとその場を去った。当時、彼女を見つけられなかったオレに対して怒りをぶつけつつも“申し訳ないと思うなら、このことと娘のことを絶対に忘れないでくれ”と言っていた彼女の両親の姿を思い出したら、あの場にオレはいるべきではないと思ったのだ。
彼女を守れなかったオレは、もう彼女の隣に立つことはできないだろう。そう思いながら歩いていると、後ろから声が聞こえた。
「待ってくれ!」
振り返ると、そこには彼女と彼女の両親がいた。声的にオレを呼び止めたのは彼女の父親だ。
「あの時、君に感情のまま怒りをぶつけてしまったことを謝りたい。本当にすまなかった。今更になってしまって申し訳ない。それから、娘を連れて帰ってきてくれて本当にありがとう」
「……あの時、オレが彼女のことを守れなかったのは事実です。だから謝らないでください」
「……こんなことを私の口から言うのはおかしいかもしれないが、これからも娘のことを宜しく頼む」
「いいんですか?オレは彼女のことを守れなかったのに――」
「この十二年間、片時も娘のことを忘れず、ほぼ毎日あの神社に通っていたんだろう?そして無事娘のことを連れて帰ってきてくれた」
彼女の父親は優しい顔でオレの両手を握り、“娘のことをよろしく頼む”と言った。後ろにいる彼女の母親は、彼女の両肩に手を置いて微笑んで小さく頷いた。
「私、これからも青宗と一緒にいたい。青宗は?もう一緒にいたくない?」
「……いたいに決まってんだろ。……この先は、必ずナマエのことを守ります。これからも娘さんとお付き合いさせてください」
「君以外には任せられない。これからもナマエのことを頼む」
「なんだか結婚前の挨拶みたいね」
「お、お母さん!?」
「私はいつでも待ってるわよ、青宗君」
「……改めてお伺いします」
それから少しして、オレは彼女にプロポーズをした。彼女は一つ返事で承諾してくれて、その後すぐに彼女の両親へと挨拶に行った。
二人とも涙を流しながらも笑って“娘をよろしく”と言ってくれた。
「これからは、何があってもぜってぇ守る」
「これからはって……今までもずっと守ってきてくれたじゃない。だから、これからもよろしくお願いします。あっ、でも私も青宗のこと守るよ!」
「……ありがとな。これからも、よろしく」