間に合わなかった愛
「誕生日、おめでとう。真一郎」
お墓の前でしゃがんだ彼女は、手に持っていた自分用のカップ酒を開けた。そして優しく微笑んで目の前に置いていた彼用の蓋を開けられたカップ酒に自身のカップ酒を軽くぶつけた。カンッというガラス特有の硬い音が一瞬響いた。
ここはとあるお寺の墓地。彼女の前にある墓の墓石には佐野家之墓≠ニ掘られている。彼女はそれを寂しげに、そして愛おしげに見上げた。
この墓には彼女の幼馴染であり想い人が眠っていた。二十四という若すぎる年齢でその生涯を終えてしまった彼、真一郎はタバコの匂いとバイク、そして人懐っこさのある優しく可愛らしい笑顔が特徴的な人だった。巷じゃ有名で今も伝説と云われている暴走族の頭をやっていた男だったが喧嘩がとても弱かった。いつだって体のあちこちに生傷を作っていて、それを見た彼女はいつも彼の手当をしていて、彼の周りの人たちからは真一郎専用の看護師≠ネんて呼ばれたこともあった。
彼が総長を引退してバイク屋を始めたと聞いた時、彼女は驚きつつも安堵もした。これで彼が生傷を作って帰ってくることも、大怪我をすることもないのだと思ったからだ。
だけどそれから少しして彼の訃報が飛び込んできた。今までたくさん怪我をしてきても、笑って帰ってきた彼が、死んだ。彼女はそのことを聞いた日、幼子のように泣いた。声を上げ、全身の水分がなくなってしまうのではないかと思うほど涙を流した。
真一郎が亡くなって数年が経った。彼を失った彼女の心の傷はまだまだ開いたままで悲しみを流している。
「ねぇ真一郎。今日であの日から十一回目の誕生日だよ」
あの日≠ニいうのは、まだ真一郎と彼女が幼かった頃、彼が彼女にとある宣言をした日だった。
『オレ、やっぱりお前のことめちゃくちゃ好きだ!だからオレの彼女になってくれ!』
『ごめん。何度も言うけど、私も好きではあるけど多分真一郎とは違う好きだから……』
『……なら毎年オレの誕生日にお前に告白する!お前がオレの彼女になってくれるまで、毎年!』
あの日のことはもう随分と昔だというのに、彼女は昨日のことのように覚えていた。
当時の彼女は本当に恋愛などよく分からなくて、誰か一人を特別視する気持ちもよく分からなかった。周りの子たちは誰が誰を好きだとかなんだと惚れた腫れたで盛り上がっていることが多かったが、彼女だけはそれが分からず話に入れていなかった。そのため、真一郎とは記憶が朧げな頃からずっと一緒にいた幼馴染という認識だったため、彼から「彼女になってくれ」と言われてもピンと来なかったのだ。
もちろん彼のことは好きだった。だがその好きはあくまでも「幼馴染として」にすぎず、彼の言う「好き」と違うことだけは分かっていた彼女は、彼の告白を断った。だが彼はそこで諦めることはなく、宣言通りその次の年の自身の誕生日から毎年彼女に告白をしていた。それに加えて誕生日以外の何でもない日であっても、何か彼の中でグッとくることがある度に告白をされていた。
途中、彼女が「私以外の女の子も見てみて、それでも好きだと思うならまた誕生日に告白して」と言った時があったが、真一郎はそれに首を横に振って「オレはあの時ずっとお前のことが好きだったんだって気づいたから、今更お前以外の女のことは見れない」ときっぱり言い張った。
その言葉を受けた彼女は、そこから少しずつ彼のことを意識し始めた。しかし当時は成人済み。初めて告白を受けた時からそれなりに時が経っており、今更素直になるのが少し恥ずかしくて、ここで告白を受け入れたらなんだか負けたような気がして、素直に頷くことができなかった。
そして真一郎が自身の誕生日に彼女に告白をするようになってから十回目の誕生日、彼女は彼から告白を受けた。彼女は毎年素直になれず頷けていなかったため、今年こそは、と並々ならぬ覚悟を決めてきていた。結果、言葉でこそ返せなかったが、首を縦に振って告白を受け入れた。その時の彼は目を見開いて咥えていたタバコを地面に落とし、数秒の硬直をした後に全力でガッツポーズをして、それはもう人生で最大の喜びを得た人のように喜んで彼女を抱きしめた。
しかしそこから数日後、彼は突然この世を去ってしまった。
「もっと早く、頷いていればよかったよね。ごめんね」
手に持ったカップ酒を一口飲み、ぽつりと呟く。彼女はずっと後悔していた。自分の気持ちに気づいた時に素直になっていれば良かったと。そしたらきっと、彼と早く恋人同士になれたし、恋人らしいことも気持ちを伝えることも、いっぱいできたのにと。
全て後の祭りだった。真一郎の訃報を聞いた日、大切なものの大切さは失ってから初めて気づくのだと思い知らされた。
「私さ、きっと真一郎のこと昔っからずっと好きだったと思う。昔、たまたま真一郎が同級生の女の子と仲良くしてたところを見かけて、胸が苦しかった時があってさ。当時はなんでなんだろう、って思ってたけど……今考えると、あれはきっと小さな嫉妬だったのかもしれないな、って思うんだ」
カップ酒を飲み終えた彼女は、腕にかけていた小さなレジ袋の中に空になったカップ酒の容器を入れて立ち上がった。彼女の首筋に汗が流れる。
彼女は邪魔になると閉じて立てかけておいた日傘を手に取ってバサリと広げた。その場に彼女を中心として丸い影ができた。
「バカだよね、今更になってこう色々と気づくなんてさ」
ふわり、と夏の暑さを孕んだ柔らかい風が彼女の髪を揺らした。近くの木に蝉が止まったのか、先ほどまで遠くの方に聞こえていたはずの蝉の鳴き声が近くから鳴り始めた。
彼女は目の前の墓石をそっと触れた。夏の太陽に熱せられた墓石はとても熱く、とてもじゃないが長くは触れられなかったので、彼女はすぐに手を引っ込めた。
「真一郎の誕生日はいつも暑いね」
彼女はそう言ってふわりと微笑んだ。近くの木で鳴いていた蝉が鳴くのをやめ、どこかへ飛んでいった。
「また来年も……いや、また近々遊びに来るね。私、真一郎に伝えられてないことや言いたいこととか、いっぱいあるからさ。……だから、よければそこで聞いててほしいな」
彼女の言葉に誰も答えることはない。だけど彼女は彼がそこで微笑んでくれているような気がして、それに返すように微笑んだ。その微笑みは穏やかで優しく、微かに幸せそうだった。
「またね、真一郎」
別れの挨拶をして、彼女は水が入っていた佐野家≠ニ書かれた手桶を手に持ちその場を去った。
「またな、ナマエ」
彼女が去った後の墓の前には誰もいなくなった。遠くでは蝉が鳴き、真夏特有の温風がふわりと吹く。眩しいくらい真っ青な青空には背の高い真っ白な入道雲が浮かんでいた。