深夜零時、特別な場所でささやかなお祝いを



彼女の持つ携帯のディスプレイに表示された時刻が、九月十六日まであと一時間を示している。
人々が寝静まる深夜、二人しかいないこの場所は上空に浮かぶ月の明かりによって照らし出されていた。
ここは寂れた団地の階段。ここいらの団地はみな再建対象となり再建がされている真っ只中で、この団地もいずれは再建され綺麗に生まれ変わる予定だ。

「この時期の夜って意外と暑いね」
「……」

まだ未成年の二人がどうしてこんな深夜に家を抜け出し、こんな場所にいるのか。理由は大小様々あり、それらが重なった結果が現在だ。だが主な理由は二人とも一緒だった。
家にいたくない=B年頃故の反抗期、親との気持ちのすれ違い、思春期特有の自身の感情をうまく表現できないことからの衝突……それらから二人は深夜にそっと家を抜け出し、お互いの家から少し離れたこの場所にやってきた。

寂れた団地の二階から三階に続く階段の一角、そこが二人の特別な場所だった。
ここにいる時だけは、お互いが個々の人としていられる気がした。上下関係などなく、軋轢や確執もなく、ただ一人の、同い年の人としていられた。それに気づいて以来、二人は度々ここで会って、何のしがらみもない時間を過ごしていた。

「やっぱり眠いの?」
「……ちげーって言ってんだろ」
「うーん、そう」

二人が座っている段の一つ下の段には飲み掛けのペットボトルが二つと、パーティーパックのお菓子が未開封で一袋置いてあった。
零時まで一時間を切った、次の日までのカウントダウン。時の流れは普段より少しゆっくりで、彼女は世界全体の流れがゆっくりで穏やかなものになったようだ、と思った。

明日、十六日は今彼女の隣に座り、彼女の肩に頭を預けている彼――一虎の誕生日だった。
だがそれを知ったのは今日、それこそ珍しく来た一虎からの電話でサラリと言われた数時間前だった。
今から準備と言っても学生ということもあり大したことはできないので、結果、コンビニで飲み物とお菓子を買って日付が変わったと同時に二人きりでお祝いをしようということになった。

「そろそろ肩が辛くなってきたんだけどな」
「別に大したことねーだろ」
「いや、人間の頭の重さ分かってる?十キロくらいはあるんだよ」
「知らねー」

買い物を終え、ここに着いたのは今から三十分ほど前。最初こそいつも通り適当に雑談をしながら飲み物を飲んで時間を潰していた。しかしちょうど十一時頃から突然一虎が口数を減らし、リン、と片耳に下がる鈴を鳴らして彼女の肩に頭を預けた。
頭を預けてからの一虎は、彼女もびっくりするほど静かだった。彼女が声をかけてもあまり返事をせず、ただ静かに目を伏せているだけだった。
その様子を見て、一虎は眠いのだろうと考えた彼女が「おやすみ」と声をかければ「寝ねーよ」とすぐに返答が返ってきたので、彼女は困ったものの仕方なくぽつぽつと一虎に声をかけていたのだ。

「……まだ?」
「あと三十分くらいはあるよ」
「なっが」
「数時間前に突然呼び出したのは一体どこの誰かな」
「オレが悪いの?時間の流れが遅いのがわりーだけだろ」

言い合いをしているように見えるが、実際二人は特段苛立ちなどを抱えているわけではない。もちろん不満もない。
こんなやり取りは二人にとって日常茶飯事だった。そこらの人たちが行う、取り留めもなく特別意味もない雑談と同じもの。そこに負の感情はなく、特段意味もない。ただの暇つぶし。

零時まで残り二十五分。大した内容もない言葉の交わし合いが五分も続いただけでもよかった方だ。
一虎は相変わらず彼女の肩に頭を預けたままでいる。時折微かに動くので、その度にリン、という小さな音が鳴った。

「そろそろ肩貸すの、交代してよ。私がやってもいいでしょ」
「ムリ。ダメ」

小さなため息が彼女の口から吐き出された。こういった一虎のワガママや自分本位な言動には慣れているものの、肩へかかる負担は全くの不慣れだった。おかげでそろそろ彼女の肩は悲鳴をあげ始めていた。

「一虎重い。一旦退いて」
「は?オマエよりは軽いっての」
「失礼。ってか頭の重さは同い年なら大体一緒だって。ほら、退いて。一旦肩の休憩させて」

一虎の頭に手を乗せ、軽く押す。しかしそれに抵抗した一虎が彼女の肩に重心をかけ、更に負担をかけた。耐えきれなくなった彼女が無理やり自身の肩を引き抜けば、一虎の頭がガクリと下に下がり、リンッと鈴が鳴り響いた。
彼女が引き抜いた自身の肩を労わるように撫でたり揉んだりしていると、隣の一虎が不満を全面に出した表情をして彼女のことを見ていた。

「引き抜くなよ、あぶねーだろ」
「退かない一虎が悪い」
「うざ。オマエの肩はオレの枕なんだよ」
「何それ。私の体は全部私のですー。肩は貸してあげてるだけ」
「その骨しかなくて寝心地が悪い肩をわざわざ借りてやってんだから、ありがたく思えよ」
「私は別に使ってください≠チて言ってませんけど?」
「オマエほんと可愛くねーな」
「可愛くなくて結構。一虎に可愛いって言われたいとは思ってないんで」
「ナマエのくせに生意気」
「そっちこそ。一虎のくせに生意気」

お互いの表情は不満さを表に出したものだったが、内心は言葉の強さやトゲとは反して凪いでいた。
少々自分本位でわがままを言っても、どうしてか本気の喧嘩や言い合いになることがない。むしろ少しだけ楽しかったりもする。そんなやり取りができるのはお互いがこの場所にいる時だけだった。

◆◆◆ ◇◇◇

同性の友達とは明確に違う。普段周りにいる同級生たちとも明らかに違う。異性の友達、という言葉だけでは表現できないこの関係は、きっとこの世界のどこを探しても一虎との間にしかないだろう。

「肩、使う?」
「ん」

先ほどより少し楽になった肩を少し揺らして聞けば、一虎が小さく頷いて再び肩に頭を預けてきた。リン、と鈴虫の鳴き声を思い出す綺麗な鈴の音が一瞬響いて消えた。
一虎の誕生日まで残り十五分。月はもう随分と傾いて姿が見えない。差し込んでいた月明かりも半分くらいになってしまい、ここは随分と暗くなってしまった。

ここの階段が繋ぐ二階と三階の部屋は既に全て空家で誰もいない。だから声をひそめて話す必要もなく、少々音を立てても大丈夫だった。
肩に乗る一虎の頭に視線を向ける。髪の隙間から見える顔は穏やかで、綺麗な顔立ちだからとても絵になっていた。

「一虎ってほんと顔はいいよね」
「顔以外もいいだろ」
「いやうーん……」
「いいって言えよ」
「……そうね。いいと思うよ」

一瞬悩んだことが分かった一虎が、無言で再び私の肩に少し重心を傾けて負荷をかけてきた。一瞬悩んだことにより開いた不自然な間が気に食わなかったのだろう。でも気に食わないのなら口で言ってほしいものだ。

片手に持っていた携帯の画面を見る。当たり前だが時間はそこまで経っていない。何もしないで過ごす十分ちょっとの時間はいつもよりずっと長く感じるもので、深夜ということもあり流石に眠気が顔を見せ始めた。

「ふぁ……」
「ねみーの?」
「んー……ちょっとね。暇だし、夜遅いし」

あくびをしたことで体が揺れたせいか、一虎が声をかけてきた。私の回答を聞いた一虎は、何を思ったのか静かに私の肩から頭を退けた。

「仕方ねーからオレの肩、貸してやってもいいけど」
「……じゃあお言葉に甘えて借りる」

一瞬ちょっとだけ噛み付くようなことを言いそうになったが、それを飲み込んでそう返答すれば、一虎は少しだけ目を見開いた。元々猫みたいだと思っていたが、驚いた時などに目を見開かせたところを見ると、なおのこと猫に思える。そういうところは愛らしいのだけれど。

私が一虎の肩に頭を預けると、一瞬だけピクリと一虎の身体が震えた。
預けてみて思ったが、肩に頭を預けるときはやはり自分の座高より高い人が姿勢が楽に思える。もちろん預け方にもよるだろうけれど、少なくとも私は自分より身長が高く、必然的に座高も高い一虎の肩に頭を預けることは、姿勢的にも首的にもとても楽だった。
ここでふと思った。もしかして一時間以上私の肩を借りていた一虎は、姿勢も首も辛かったのではないか。

「ねぇ一虎」
「なに」
「私の肩、低かったんじゃない?首とか平気?」

一虎は黙ったままだった。もしかして「今気づいたのかよ、遅ェな」なんて思っているのだろうか。でも仮にそう思っていたのなら一虎の性格的にそれを言葉として出しているはず。まさか無言の肯定?

珍しくだんまりな一虎の様子が気になり、頭を上げようとした。が、頭を少し浮かせたところでやってきた一虎の片手により肩に押し付けられてしまった。これが地味に痛い。何せ一虎の肩だって薄手生地で作られた服と筋肉くらいしかないのだ。硬いし、脂肪に覆われているわけでもないので、時折骨が私のこめかみ付近に食い込むのだ。

「痛い痛い。一虎、ちょっとっ」
「日付変わるまでこのままでいろ。拒否権はないから」
「わかったから押さえつけるのやめて。骨がっ」

そう訴えれば、一虎は私の頭から手を退けてくれた。
未だこめかみ付近がジンジン痛むが、後に引いてくれるだろう。それよりも、一虎がだんまりだった問題が全く解決していないことの方が重要だ。

「ねぇ、首とか平気なの?痛くなったりしてない?」
「……してねぇよ」
「そう、ならいいけど」

再び携帯の画面で時刻を確認する。零時まで残り三分。ここまで来ると、時間が経つのはあっという間だと思うのだから不思議だ。

「あと三分だよ」

そう伝えれば「ん」という小さな返事が一つ返ってきた。
そういえば一虎の誕生日を祝うのはこれが初めてかもしれない。まぁ出会ってから一年も経っていないし当たり前ではあるのだが、初めてのお祝いがこんなちゃちなものでよかったのだろうか。

「ナマエ」
「ん、なに?」
「……なんでもね。寝るなよ」

何かを言おうとしてやめるだなんて一虎らしくない。なんて思ったが、一虎も人間だし何か言いにくいことがあってもおかしくはない。眠気でふわふわし始めた意識の中、そんなことを思いながら、必死に襲ってくる眠気と戦う。
困ったものだ。一虎のいるこの場所は本当に居心地が良くてつい安心してしまう。私だって馬鹿じゃないから、一虎が普通の学生じゃなくて不良なんだろうなってことくらいは想像がついていたけれど、そんなこと関係ないのだ。

素の自分でいられる場所がここだから、居心地がいいのもこんなにも安心してしまう。そしてそれはこの場所と一虎が揃っているから。二つのうちどちらかがなければ、変わってしまったら、この居心地の良さと安心感はなくなってしまう。

他の誰でもない、一虎だからいい。他のどの場所でもない、この寂れて静かなここだからいい。

「……あ」

一虎が小さく声を漏らした。どうしたのかと思い、落ちかけていた瞼を頑張って上にあげて一虎に声をかければ、眩しいくらい光る携帯の画面をずい、と目の前に出された。

「……あっ、日付」
「ナマエ、なんか言うことは」
「……誕生日、おめでとう。一虎」
「ん。……そろそろ退け。誕生日パーティー、すんだろ」

くっ、と頭を預けられていた肩が上に突き出される。私はゆったりと頭を退かすと、両腕を上にぐっと上げて身体を伸ばした。眠気覚ましに足元のペットボトルの中身を一口飲み、ずっと開けるのを我慢していたお菓子の包装の封を切った。

お互いが個包装されているお菓子を手に取って食べていると、私よりも先に食べ終えた一虎が私の方を真っ直ぐ見てきた。
一虎の瞳は片目が隠れがちだというのに、鋭い眼光にとても存在感があるから真っ直ぐ見つめられると、少しドキリとする。その視線を受けると、どうにも全てを見抜かれるような気分になるのだ。

「なぁ、ナマエ」
「ん?」
「……来年も、ここでオレの誕生日祝って」

目力は相変わらずのはずなのに、どこか弱々しげで不安の気配を感じた。珍しいこともあるものだ。いつだって自信があるような物言いだったりしていたのに、一虎もこういう一面があるのか。そう思ったらなんだかとても可愛らしく思えた。

「もちろん。来年もこの団地がこのまま残ってるかは分からないけど、来年もお祝いするよ」

そう返答すれば、一虎は安堵したのかふにゃりと柔らかい笑みを浮かべた。
顔だけは本当に良いから、笑顔なんてされたら何かが胸にくる。今だってそうだ。一虎のこの笑顔を見たら胸がキュッと小さくも確かに締まる感じがした。

「あ、でも。私の誕生日も祝ってよね」
「ん。考えといてやる」

これはいつもの笑みだ。少し意地悪そうな笑み。いたずらっ子のような笑みだ。それなのにどうしてか胸が少しざわつく感じがした。見慣れているのにどうしてなんだろう。

このざわつきが何かなんて今はどうでもいい。ただこの二人だけの静夜が、もう少しだけ続いてくれたら、それでいい。
もう少しだけ、あと少しだけ、このお菓子たちを食べ終えてペットボトルの中身をお互いが飲み干すまでの間、ここで一虎と一緒にいられればそれでいいと思った。

私たちがお互いに抱いていた感情に変化が起こるのは、まだもう少し先の話。