第七王子の一日【頒布版】



朝、目が覚めた。
柔らかい寝具に寝転がったまま気怠い身体を伸ばして、止まった息を深く吐く。
窓掛けに朝日を遮られた部屋は青白い。こんな朝早くから一人で起きられたのは随分と久しぶりのような気がして、もう一度伸びをする。
「……ん?」
なにか、変な感じがした。
目を擦り改めて部屋の様子を見る。しん、と静まり返った部屋。記憶と何も変わらない、いつもの風景。
それでも微かに刺さる違和感が僅かにあった。原因が何なのか考えて、答えが導き出されるよりも早く、控えめに戸が叩かれた。木製の重厚な扉を指で叩く高い音の後、名前を呼び起床を確認する声。城の使用人のものだった。
「おはようございます」
入室を許可すれば使用人が扉を開き入ってくる。
「あら、今日はもう起きていらっしゃるのですね」
使用人は少し驚いた様子を見せ、ふふ、と笑った。
「今日は良いお天気ですよ。お外で遊んでみては如何ですか?」
柔和な笑みを浮かべたまま使用人は広い部屋の中央を抜け、窓掛けを払って窓を開けた。眩い日の光が広々とした部屋を照らす。言葉の通り窓の外には青い空が広がっていた。雲もない空はよく晴れており、目に痛いと思うほどだった。
射し込む日の光を眺めていると廊下から身支度の調度品を持ち込み終えた使用人に名を呼ばれた。
「どうぞこちらに」
促され横になっていた寝具から台に置かれた桶の前に移動する。冷たすぎず熱すぎず、ちょうど良い温度に調節された水が桶に用意されている。面倒に思いながらもそれを手で掬って顔を洗う。何度か繰り返して、もういいだろうと顔を上げればさっと差し出された布で水気を拭われ、ついでに体調を診られる。掛けられる問診に適当に答えてなにも問題ないことを示す。着たままだった寝間着を着替えさせられ、最後に寝癖の付いた髪の毛を櫛で梳かれて紐で結われる。
いつもの朝だった。
そして、こんなんだっけ、とおかしなことを思った。
何も変わらない普段の朝の筈だった。
ただ、何かが足りない気がして、そう、いつもより何もない、静か過ぎる気がした。
「ロイド様?どうかされましたか?」
普段と違う様子を見抜かれたのか使用人が熱を確認するため額に触れようとするのを留める。そうですか、と穏やかに返された笑みに、また変な感覚が蘇った。もやつく感覚を抱えながらも取り敢えず用意された朝食に手を付ける。豪奢な皿に盛られた色とりどりの料理たち。おかわりは如何ですか?という言葉に首を振って、変わりに淹れられた食後の茶を啜る。立ち上がろうとして、食器と引き換えに歯磨きの道具を渡された。
「……」
「ちゃんと歯磨き出来て偉いですね」
小さな子供に言い聞かせるように大袈裟に褒められる。無心で磨いて終わらせ、やっと開放された。
そうしてようやく朝の支度が終わり、使用人が片付けに取り掛かり始める。片付けを続ける使用人の後ろをひっそりと抜け、部屋から飛び出した。
「あっ……もう、ロイド様ったら」
後ろから使用人の、本ばかり読んではいけませんよ、という言葉がかけられた。
のんびりとした声音で、追いかけてくる様子はなかった。




継承権の無い七番目の王子に対して関心を向ける者はそういない。忙しなく働く使用人達の間を縫って廊下を駆ける。歳の離れた兄姉達は後継者としての教育で忙しく、外交や留学等で城を留守にしている者も多い。
長い廊下を進む。自由に城を闊歩出来る身ではあるが、書庫以外の建物にそそられる物は殆どなかった。唯一楽しいといえる訓練場は、残念ながら一人では入れない。
となれば行くところなんて決まっている。
「……ん?」
廊下を進む中で、不意に赤の外套を身に纏った人影が目に入った。
「アルベルト兄さん」
「やあロイド、お早う。今日は早起きだね」
寄れば九つ上の兄が頬を緩ませて笑む。お利口さんだ、と頭を撫でられた。
「また書庫に行くのかい?ロイドは本当に魔術が好きなんだなあ」
にこやかな笑みを浮かべる兄は、すぐ少し困ったような顔をした。
「もっと話したいんだけど……これから公務なんだ」
残念だなあ、と零して、もう一度だけ頭を撫でられた。
「今度また時間を作るから、その時ゆっくり話そう」
ぬくもりが離れて足音が遠ざかっていく。
目にかけてくれている第二王子も、最近は一言二言話すだけで足早に去ってしまう。最近務めるようになった公務で忙しいらしい。訓練場に連れて行ってもらって魔術の実験をすることは当分無理そうな様子であった。




誰かに呼び止められることも無く入り込んだ書庫の中で、人気の無い片隅に陣取る。棚から適当に抜き出した魔導書を開いた。この本を選んだのに理由なんてない、ただ一番手に取りやすい位置にあったというだけだった。
しかし読み進める度に、妙に覚えのある冒頭、文言が目につく。珍しい、と思った。記憶を消す魔術を使えるようになってからはこの感覚に襲われることは殆ど無かった。つまりこの本は『忘却』を覚えてから長く読まれていないということになる。
ほお、と感慨深くなって、そのまま読み始める。記憶を消して新しい心のままに読み進めるのも良いが、記憶を辿って新しい発見を出来るかもしれないからだった。

そうして本を読み続けて。

魔術に没頭して。

───もう何度同じように過ごしたことだろう。
それがいつも繰り返される日々で、代わり映えのない一日だった。

つまらない、と思っているわけじゃない。
だって今いる環境は、かつてのことを思えば夢のような日々だからだ。
まだまだ魔術には知らないことが沢山あって、いつも胸を躍らせてくれる。

ただ、

新しい魔術を研究すること。
得た知識について論じること。

それらを実現することは難しくて。

だから。

なんとなく。

……退屈だな、と思った。







「ロイド様!まーだ寝てるんですか!」

張り上げられた声に意識が覚醒する。

「ほら早く起きて!レンたちがもう来ちまいますよ!」

目を開けば、子山羊が宙に浮いて起床を促している。二つの角を持ち、桃色の毛並みをしたそれは使い魔の魔人だった。
その後ろでは魔犬と金色の鳥がじゃれ合っている。

「ちょっと早く支度してくださいよ、また剣術ごっこに付き合わされちまいますよ?」

また魔人に急かされてしまった。
呆れたように投げられた言葉に、昨日の記憶が蘇る。久しく剣の練習をしていないと主張する教育係に捕らえられ、朝から晩まで剣の指導を受けさせられたのだった。いつもなら終わる時間でも解放されず、教育係の気が済むまで付き合わされた。そして教育係は、まだ満足していない。思い出して、急いで寝間着を脱ぎ渡された服に腕を通す。
前の釦を留めていると、櫛を取りに行った魔人が天使に邪魔をされたようで口論を始めた。それを見た魔犬が楽しそうに周りを駆け回る。

部屋の中は騒がしい。

「……うん、やっぱこうじゃないとな」
「はい?何か言いました?」
「いいや、今日は楽しくなりそうだなって」

天使に打ち勝ったらしい魔人へ笑って返す。

さあ、今日は何をしようか。



前日に頒布PDFにまとめようとして、長すぎて16頁に収まらなかったんですよね
慌てていい感じに削ってねっぷり登録したんですよね…焦ったな〜
でもこっちも割と好き




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