触れて初めて



第二王子は疲れていた。

街の損害状況、難民の所在、復興の順序、魔術師の配備。
葬儀の準備、就任式の用意。
確認しなくてはならない書類の数々、問題事等々。
更に貴族達の反発、理解を得るための社交会。

そして普段の公務が待っている。

しかしなんとか前教皇の葬儀を終え、新教皇の就任式も無事終えることが出来た。


束の間の休息。
久しぶりに会う弟妹、共に戦った仲間達。
疲れを忘れた。
様々なことを話した。

そして、

───それから?





「───……」
「───、───」

細々とどこかで続いていた会話が途切れた。扉の閉まる音がする。遠ざかる足音。
ぼんやりしていると、少ししてかすむ視界の中で一つの人影が側に寄ってきた。
二つ下の弟だ。目の前に差し出されたその丸い頭に手を伸ばす。うんうんお兄ちゃんが撫でてあげよう、
「えっ」
短い悲鳴が上がる。
想定していたよりも柔く滑らかな感触。
よく知る硬さのある黒髪ではない、ふわふわとした心地良い指通り。
かすむ視線の先で揺れた髪の色は、黒ではなかった。
「……ッ?」
驚愕に緑の瞳を丸く開いた青年がそこに居た。
末弟の従者の一人、巨鼠と呼ばれる青年。

───彼に、触れている。

当初離そうとした掌は、触れた柔らかさに絡めとられ心惹かれるままに彼の頭の形をなぞっていく。
「え、えっちょまっ、待ってくださ……!」
弟と同じように優しく撫ぜれば彼は初めて聞くような声を上げて自身の頭を好きに掻き回す腕を掴んだ。
掌が浮いて、温もりから離されて、逃げられる、と思った。投げ出していた反対の手も伸ばして捕らえる。
頬に触れれば、びくりと大げさなほどに目の前の身体が跳ねた。息を呑む音がして腕を掴んでいた指が解ける。
固まってしまった彼は、小さく震えていた。

ほのかに朱を差したかおが見上げてくる。困ったように、照れたように寄せられた眉が。絡んだ視線にすぐ逸らされた緑のひとみが。恥ずかしさからか縮められた肩が。

───かわいい





「───いや、可愛いって何だよ…」

声が漏れ出ると共に目が覚めた。
普段と変わらない天井が自分を出迎える。
同時に、昨夜の記憶が襲ってきた頭を両手で押さえた。
年下とはいえ大した年月が離れているわけではない、同年代の青年に何をしているのだ自分は。細いとはいえそう背丈も変わらない相手に、ああいや、自分と同じような体格の弟達が脳裏を過ぎる。どんなに大きくなったとしても弟は、勿論妹だってずっと可愛いのだが。
弟では決してない。家族でもない。弟の従者で、大切な友人。そんな相手にあんな真似をしてしまった。申し訳ないと思う。
昨夜を思い浮かべる。
記憶ははっきりしない。疲れた身体に酒を入れたせいだ。
最後に見た光景は何だったか、

『早く寝て下さい……良い夢を』

落とされた言葉は優しく、柔らかだった。

「っああああ…」
本当に、年下の相手に、何をさせてしまっているのか。
押さえつけていた頭を抱えた。
そういえば、あんなにも酒を呑んだというのにその気怠さが無い。
彼が御使いから授けられたという神聖魔術を施されているようだった。
自分の不甲斐なさに折角治してもらった頭が痛んだ。





───彼は

料理が上手で

気遣いが出来て

仲間思いで

そして

強くて

決して折れない心を持っていて

弱った所を見せなくて

だから

偶に

とても

「………」

とても、かなしい





公務を終え淹れられた紅茶を一息に飲む。
控えていた使用人の、何故か狼狽える気配を感じたが気にせず器を置いた。
今日は彼が登城している。
謝罪するには絶好の機会だった。


「っバビロンくん」
名を呼べば、彼は大きく瞳を開いて、驚いた表情をした。言葉を続けようとして、大丈夫ですか?と心配した声音に遮られる。
顔が赤いですよ、とそこまで言って彼はああ、と納得してみせた。
「また酔っていらっしゃるんですね」
ため息を吐くように言葉を落とされる。違うのに、酔ってなどないのに軽くあしらわれ近くの長椅子へ座るよう勧められた。
今度は酒を呑んでいない。本当に酔っていない筈なのに、赤いと言われた顔で酒に弱いふりをして彼の側に居ることを許して貰っている。

大丈夫、問題ないよ

そう応えるだけで良かった。
そしてあの日の謝罪と弁明を。
けれど喉の奥から言葉は発されないままで、彼の介助をなすがまま受けている。
何か冷たい物を、と離れようとする彼を引き留めた。
そう力を込めたものでも無かったというのに予想外だったのか彼の軽い身体はすとんと隣に落ちた。
警戒を感じさせないそれに、胸が熱くなって、肩を引いて椅子の背に押しつける。
見開かれた緑玉。
閉じ込められた腕の中、何処にも逃げ場なんて無いのに、身を引こうとする彼の、上げられた腕を捕えた。
「……っ」
柔い緑の髪に、その滑らかな頬に触れる。
輪郭を辿る指先に彼は一瞬身体を緊張させて動きを止めた。

───嗚呼、と思う

戸惑ったように向けられる視線。困惑に薄く開かれた唇。身を竦ませて動けなくなっている彼はとても。

そう

とても

いとけなくて

あいらしくて

かわいい

───すきだ


そう思った。





触れて初めて

(気付く恋もある)



短くなっちゃったけど割と好きな話、自覚する話
バビロンくん目線も書いてるんですけど全然進まない〜…




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