『夢』だった、で終わらせてやるものか



なんで、どうして、
驚愕に染まった瞳がこちらを見ていた。
───可哀相に。そう思う、心から。
簡単にあんな言葉を、約束を、なにも疑わず信じてしまうなんて、可哀相に。







気が付くと知らない寝具に横たわっていた。

「……、!?」

薄暗い視界の中慌てて身体を起こそうとして、動きを押さえつけられた。強制的に静止させられた身体に瞠目して、見れば先程まで談笑していた相手が目の前にいた。
しぃ、と音を抑えるよう指示を受ける。はっとして彼を見る。
裏の住人であった彼はこの異常事態に努めて冷静だった。
落ち着くよう触れられた手のひらに動きを止めれば、彼は音を立てずに素早く身を起こし周囲を警戒する。

天蓋を張られた寝具。それに二人で横たわっていた。
掌から伝わる布の質感からして品質は悪くなく、華美ではない落ち着いた装飾を施されている。自身の使用している物と同等かそう遜色ない、貴族が使うものとして全く申し分ない代物。
自分達は椅子に座して晩酌していた筈である。
それがどうして今のように見覚えの無い寝具に横になっているのか、全く記憶になかった。
まるで記憶を奪われたかのような、もしくは御伽噺で語られる空間転移でもさせられたかのような感覚。
そのまま、動かないようにと目配せされ、頷く。
流石は元暗殺者というべきか、音もなく寝具を移動し張られていた天蓋の幕目から外の様子を窺う。慎重に周囲の気配を探り危険の有無を確認した彼が、そっと布の合わせを分けた。

「っ!」

天蓋の外は明るいようで幕の合間から寝具の上に一筋の光が射した。

「……アルベルトさん、こちらに」

ある程度警戒を解いた彼の声で留めていた身体を起こし、初めて幕の向こうを目にする。 

窮屈な部屋。

それが寝具を降りた先の部屋の感想だった。
白塗りの壁と床に引かれた毛足の長い絨毯、中央に置かれた光沢のある机と椅子、片隅に設置された棚。これらは王族の目から見ても質の高い物で整えられている。
しかし部屋はそう広いものではなく、高価な家具が余裕無く無理に押し込められている印象を受ける。その不釣り合いな装飾が表現しがたい奇妙な感覚を沸き起こさせた。

「何か、見覚えはありますか?」
「いいや……見たことがない部屋だね」

そうですか、と彼が言って周囲を見渡す。
白い壁に嵌められた木枠、本来であれば扉が存在するであろう場所。その前で彼が構えを取る。

「───っ」

念の為、と塞いだ耳を轟音が抜けた。

「……やはり魔術で閉じ込められたのでしょうね」

手を払った彼が冷静に言葉を落とす。その言葉には同意だった。彼の技を受けて割れた壁は、しかし忽ち元の姿へと修復していく。
このような空間系統魔術は聞いたことがなかった。魔術を行使するには魔術師と術式が必要だ。今回はどちらもが不足している。
ただ彼には覚えがあるようで、条件付けをされた結界、ということだ。入って来た者を閉じ込める、新たに危害を加えることは無いが、課された条件を満たせれなければ脱出は難しい結界のようなもの、らしい。
逆にいえば条件さえ果たすことが出来れば安全に脱出することが可能だということだった。
この部屋の様子からそう厳しいものではないと予測を立てた彼は今、慎重にその『条件』を探している。自分も探索を、と訴えたのだが罠の可能性が皆無という訳ではない、万が一の事を考えてと丁重に素気無く断られてしまった。
何故自分たちが閉じ込められたのか、その理由は考えても解らないため放置されている。出るための条件を見つける方が先だった。

「条件を果たしさえすれば何事も無く出られる筈で、すが……」

そこまで言って急に言葉を止めた彼は、棚の中を見ていた。
しずかに、音を立てないよう抽斗を閉じる。
どうしたのだろうと彼を見る。何か、外へと繋がる手掛かりを見つけたのだろうか。
しかしそれにしてはあまり、表情が明るくないように思った。

「アルベルトさん、」

彼は何か、言いにくそうな様子で声を上げた。

「此処に来る前、空けようとしていた酒は……どなたから頂いた物ですか……?」

彼が恐る恐る、といった風情で言葉を落としたので思わず眉に力が入る。
この場に来る前、記憶では確かに自分は酒を開けようとしていた。頂き物の秘蔵酒。それが何か関係あるのか。

「……父上から頂いた物だ。だから、何かが入れられている可能性は無いよ」

断言する。国王陛下から直々に渡されたものだ。おかしな点などあるはずが無かった。
そう、なにかあるはずがない。

「その、頂いた時…何か仰っていませんでしたか……」

それでも彼は疑念を払えないようで、細々と、小さく唇を動かす。

「何って、貴重な物だから飲む、なら…大事な…相手と、と……」

下賜された当時を思い出して、言葉を。喉を震わせる度に、何かが。静かにゆっくりと。
背筋を這い登ってくる、何か取り返しのつかないことを仕出かしてしまったかのような予感、悪寒。

『仲を深めたい相手と共に飲むのだぞ』

普段あまり見ない類の、父の表情。厳かに重々しく告げられた、厳重に保管せよという言葉。人払いをされた部屋で密やかに渡された、贈呈品。

その直後に呈された、誰か好い相手は居ないのかという苦言。

いや、そんな、まさか。
違うだろう、そのようなことは無い、筈だ。
しかし背後に設置された家具が無言の圧を掛けてくる。この狭苦しい部屋の中で一際、無駄を感じさせるまでに大きい、成人した青年が二人横になって有り余る広さの寝具。部屋の狭さに削ぐわない、目を引く大きさ。

───初めにこの部屋で目を覚ましたとき取り乱したのは転移に驚いたからではない。彼の肌が、緑の瞳が触れそうなほど近くにあったからだ。
もしかして、まさか、本当に、あれは『そういう』意図を持った物だったのか。
息を呑む。
彼が今どんな表情をしているのか見れない。ただ友として共に過ごそうとした、それ以上の何かなど無かったのに。

自分は、なんてことを。

過ちだと済む話でない、彼になんと言って謝罪すれば、

いやまず此処を出なければ……どうやって?
それは、勿論……

「アルベルト様」

呼びかけにびくりと身体が跳ねる。
目を向ければ彼は言いにくそうにしながらも口を開いた。

「此処は魔術で切り取られた場所です。現実には何の影響もありません」

確認するように。
言い含めるように。
有り得ないことを言う。
そんな筈無い。そんな筈が無い。魔術で造られた空間だからといって現実に影響が無いなんて、そんな事ある訳がなかった。
けれど彼は言葉を区切って、それでも言葉を続けた。

「何も無かったことになります」

『夢』のように
だから大丈夫です

語気を強めた言葉が静かな部屋に落とされる。
息を吸う音。 
それだけがやけに耳に響いて、でも彼は、青年は止めなかった。

私が受け手をしますので

事もなげにそう言った。
自分はただ、それを眺めることしか出来なかった。


彼は先程閉じた棚の抽斗を開いて何か探る。自分だけが動揺していた。

道具は揃っていますし魔術が使えないわけではないようなので準備もそうしなくて済みそうです

言葉が耳を過ぎていく。

道具って何だ
準備って何のだ
男同士だぞ
いや男同士でも出来ることはしっている
閨の知識が無い訳ではないのだ
貴族の嗜みとしてあった時代もある
ただ目の前の現実が事実として入ってこない
彼が言っている、言葉の意味を理解出来ない

理解、したくない

けれど彼は停止した自分を置いて迷い無く動く。
私に任せて下さい、という宣言の通り彼は手際良く動いてみせた。
寝具に促されて横たわる。
彼は、見えていると集中しにくいでしょうから、そう言って長い布を差し出してきた。目隠しを提案しているのだと理解するのに少し時間が掛かった。

アルベルト様、大丈夫です
全部私が済ませますので

彼はなんてことないようにそう言ってみせる。

何か不具合があれば直ぐに仰って下さい

彼が言葉を発したのはそれまでだった。
不具合、だなんて。酷く作業的な言葉だなと塞がれた視界で思った。




「ッ……!」

押し殺されたそれは間違いなく悲鳴で。
彼の表情は。
暴行を受ける子供のそれだった。

「───ごめん。バビロン君……すまない」

彼は困った顔をした。
血の気が引いた顔色だった。

体温を分けたくて腹に手を回す。
彼は静かに目を閉じて身体の力を抜いた。

心地良かった。
自分の腕の中に温もりがあることが。
誰かが。
彼が、自分の手で変わっていくことが。







最初の言葉通り、あの部屋でのことは無かったことになった。

腹の底に暗く重いものが溜まっていく。







お休みになられてはどうですか、発された言葉を聞き逃して顔を上げた。視線の先、老年の男は気遣わしげに続ける。
最近は仮眠室で過ごされてずっと働き詰めではありませんか、一度自室にお戻りになってゆっくりお休みになられては如何でしょう
そう忠言を容れ使用人は顔を伏せた。公務に討伐と忙しかった自分の身を案じているのだと解って、それでも容易く頷くことが出来なかった。
しかしそれを見越したかの様に、もう部屋は用意しておりますどうぞ移られて下さい、と案内の言葉が自分を急かす。
遅々として進まなかった書類を奪われて執務室を追い出された。
昼時を過ぎた城は活気に溢れている。忙しなく働く使用人達が眩く感じられた。
それらを避けて自室へと足を向ける。
暫く進んで、中庭の方から子供の甲高い声が聞こえた。楽しそうにはしゃいでいる声だ。
城にいる子供の声など弟かその従者くらいしかいない。そういえば弟とも最近会っていないなと思いながら、そっと窓へ寄る。
見下ろせば予想通りそこには人影があって。
白い魔獣と戯れている所だった。
そして。
珍しく彼がいて
彼が
手を伸ばして
魔獣に触れて
白い山が動いて

かれ が




犬に敷かれた彼の腕を掴んで引く。
突然の乱入者に彼は思ってもいなかった、そんな顔をしていた。細い腕を更に強く引いて傍らに立たせる。

「……バビロン君を借りても良いかな」

常のように朗らかな声を出そうとして失敗する。
視界の端に弟の従者である少女の姿が映る。彼の仲間は狼狽していた。弟は気にせず快諾して彼を送り出した。彼に笑顔で、行ってこいと声を掛ける。それさえ気に障る。今まで弟にそんな感情を抱いたことなど無かったのに。
掴んだ腕を離さずに引いて歩く。戸惑いを含んだ視線が方々から投げられるが気にせず離さないまま進む。

「あの、アルベルト様?」

そう後ろから訝しげに声を掛けられるのにも返事をせずただ足を進める。使用人が周りにいるからか名に付けられた敬称が高い。遣われた配慮に苛立つのが自分でも分かる。こんなこと、普段は気にも止めないのに。
───あの時のように?
ぐ、と彼の腕を掴む指に力が入る。それを誤魔化すために足を速めた。困惑した声が上がった。
解ってる。本当はこんなことするべきじゃない。王族の振舞いとして相応しくない。止めるべきだ。
けれど止まれなかった。

古い扉を軋むのも厭わず力任せに開き有無を言わさず連れてきていた彼を引き込む。そして勢いのまま腕の中に閉じ込める。驚愕に身を固めた彼を気遣う余裕なんてない。首筋に顔を埋める。
細い身体。高い体温。薄い香り。紛れもなく彼だった。
人払いをされた誰もいない部屋は薄暗く静かで、扉が閉まる音だけがやけに響いた。
自分に、こんな身勝手で我侭な感情があるなんて知らなかった。強欲で欲深い、抑え難いほどの激情。
こんなもの知らなければ良かった。知らないままでいればよかった。
けれど、もう、知ってしまった。

「……アルベルト、さん?」

反らされた喉の、撓んだ服の隙間から白い首筋が目に入る。あの日付けた跡などもう何処にも残っていない。彼が魔術で跡を消したからだ。
どうされたのですか、緑の瞳には何の動揺もない、配意を含んだ声音でこちらを窺ってくる彼は本当に普段通りで、まるで何もなかったように振る舞う。
あれは『夢』だったというように。

そんな筈無いのに。

衝動に駆られ唇を奪った。
ふに、柔い触れるだけの口付け。かさついて荒れた皮膚の感触が伝わる。渇望していたものだった。抱き締める腕に力を強める。離れたくない、離したくない。
渡したくない、誰にも。強くそう思った。
隙間から吐息が零れる。
合わせていた唇が離れる。
驚愕に瞳が大きく開いて、それに添って長い睫毛がふるりと震える。常は伏せられている緑玉が自分を見ていた。
戸惑いを隠せない、いとけない幼い子供の様な表情。
あえかな吐息の音がした。緩慢に唇が開く。緩やかに開かれた薄い唇から、赤い咥内が覗いて、艷やかな濡れた舌が、意味のある言葉をのせる前に再び口付ける。重ねた合間から舌を捩じ込んだ。いつかの鉄錆の味などしなくて安堵するのに、同時に物足りなさを感じた。

「───ッ!?」

今度こそ身体を跳ねさせて声にならない悲鳴を上げた彼は、本当に嫌ならば抵抗する筈で、彼に抵抗されたら自分なんて一捻りでひとたまりもなくて、だから拒絶されないということはそういうことで、何も問題ないのだと随分勝手で自分本位なことを思った。

最低だ。
浅ましい。
馬鹿みたいだ。





けれどもう、後戻りは出来なかった。



初めての二鼠の話、書くのにおよそ一年掛かった記憶…
出られない部屋ネタです
最初はもっとコミカルな感じになる予定でした、重くなりましたナンデカナー
初期の方もいつか書きたいですね〜




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