捕まえた



それは昼時、仲間の食事を作っている最中だった。

「……貴方、最近変わったわね」

作業を後ろで見ていた仲間の一人が声を上げた。
己に投げられた言葉だと理解するのに少し間が空いて、振り向く。机に片肘を付いた仲間の一人が己を見ていた。昼食もまだだというのに既に開いた瓶を片手に抱えている。ねえ?と同意を求める言葉に、向かいに座った仲間達がそうだなあと揃えて頷く。

「そうよねえ!何だか調子も良さそうだしぃ?私達に黙って……何か、良いことでもあったんじゃないのぉ?」

続けて、肌も綺麗になっちゃって…恨み辛みのような文言を呟く。こちらは同意を得られなかったようだ。うーん?と各々が首を傾げ、確認するかのような視線が向けられる。
肌云々は理解出来ないが、健康的になったという意味ならば答えは明快だった。

「前と違って、栄養を考えて食事を摂れるようになったからな。その影響じゃないか?」

以前は一日の食事量を保つことが精一杯で栄養面に気を使えなかった。街に出て賃金を稼ぎ森や川で食材を漁って、それでも足りない時は己の食事量を減らし全員の配分の調整をしていた。食用可ではあるが一般的に食物として認知されていない物を食事に利用していたこともあるくらいだ。因みにこれらの食糧問題は仲間内で中々理解されない事情である。
現在は新鮮な食材を幅広く使うことが出来、食料の配分、備蓄にそこまで気を使う必要がない。扱える食材が多いことで献立を考える時間だってそう掛からない。厨房も貴族の城らしく質の高い物で誂えられている。数多くの調味料が棚に並び、多様な調理器具が存在する。今まで手が出せなかった栄養豊富な料理を作ることが可能になった。
日々の動力源となる食事は、ただ腹が満たされれば良いというものではないのだ。

「そーお?」

それだけかしら、と疑ってくる仲間の顔は不満げだが、己としてはその説以外の要因は浮かんで来なかった。一応、水浴びでなく湯に浸かれるようになったことも要因の一つとしてあるかもしれないが、それよりも以前の生活が悪過ぎたという事実がある。前は、陽の当たる場所で生きることなんて到底叶わず常闇の中で生活していたのだから。

夢を語って、見させてくれていた仲間を失って、ずっと。

「肌がどうとか考えるなら規則正しい生活をしろ。というかタリアは酒を控えるだけでも随分変わるぞ」

何気なく付け加えた落とされた苦言に、酒乱はばっと酒瓶を腕に抱え込んで反発してきた。

「ちょっとぉ!酒は私の生きる糧なのよ!」

酷い!鬼畜!と野次が飛ぶ。別に一切飲むなと言った訳でもないのにこの言い草。
勢いのまま机に置かれた酒を飲み干さんと杯を呷り始めた呑兵衛を隣の巨漢がどうどうと宥める。
まあ大体予想していた通りの反応だった。言って聞かないことは分かっていたので気にせず作業に戻ろうとして、同じように近くで静かに眺めていた少年がおもむろに己へと顔を向けた。

「でもバビロンだって結構酒飲むよね」
「……クロウ、私は酔って暴れるほど呑まない」

投げられた疑問へ毅然と言い切って、もう一度仲間の座る食卓の上を見た。既にいくつかの瓶は空となっている。普通に飲み過ぎである。
やはり昼間からの酒は控えさせるか、と思い直して零せば聞こえていたのか横暴だ!と批難の声が上がった。同時に、それは少し可哀想なのでは、と同情をのせた視線を受ける。しかしこの酒乱が原因でいらぬ騒動が過去に二度も起こっているのだ。強制するまではいかないが、少しは改善させた方が良いだろう。

「すっかり真面目ちゃんになっちゃって……」

ふむ、と思案していると出来上がった酔っぱらいからそんな呟きが聞こえた。

「バビロンが城で飼い慣らされてるわぁ……」
「やめろ」

さめざめと泣くふりをする仲間を窘める。
首都での騒動の後、王城へ頻繁に呼ばれるようになったことを揶揄しているらしかった。
遊びに行ってる訳じゃないんだぞ、と返せば口を尖らせながらも、分かってるわよぉ、と返事が返ってくる。
大体己が王城へと足を運ぶようになったのは、食事係として城に派遣する、というぼやきを漏らす仲間の提案もあったからと聞いているのだが。

「わ〜良い匂い!今日のご飯は何ですか?」

場の空気を割いて、昼食の匂いに釣られ弾む声で入ってきたのは元は冒険者だったという少女だ。お腹空きました!と高らかに宣言する。
残念ながら未だ身体は戻っておらず記憶も曖昧なままだが、明るく過ごせているのは良いことのように思う。
後ろに長身の男の姿も見え、どうやらまた城内で迷子になっていたらしい元教皇様を拾ってきてくれたようだった。
人も集まってきたことであるし、午後からは予定が入っている。いつもの時間ではないが昼食を早めても良いかもしれない。

そう思って疎かになっていた手を動かし、副菜の仕上げに取り掛かった。







「……楽しいですか?」
「うん?」

落ちた言葉に青年の目が丸く開く。
それを見て、はっと息を呑み口を押さえる。
疑問から思わず溢れたそれは。出すつもりのなかった、聞かせる筈のなかった言葉だった。
王城に呼ばれ用事を済ませた後、時間も遅いということで城に留まり過ごさせてもらうようになって。
仕事を終えた第二王子から息抜きにと晩酌を誘われるようになったのはそう最近のことではない。そうして何度か同じように過ごして、仕事道具の一つである掌に触れられたのはいつのことだったか。
突然触れた体温に驚いたものの楽しそうに触れる様子に拒絶するのは気が引けて強く拒めず。頻繁に触れられるようになってしまって。
いつの間にか、習慣のようになってしまった。
しまった、と失態を悟ると同時に。己の手を好きなように弄っていた青年が蒼い瞳を細めるのが分かった。思わず身を引こうとして、触れていた掌を握り込まれる。それどころか腰を引き寄せられて、まるで言外に逃さないと告げられているようだった。
『手入れ』を称して戯れに行われるそれへ、もう口を出すべきではないと理解していた筈なのに。

「───勿論。愉しいよ」

青年は。
ゆるりと頬を緩ませて陶然と、見る者の目を全て奪うような笑みを浮かべてみせる。

「大切な人に触れさせて貰える……こんな光栄なことはないよ」

握り合わせた掌を頬へ寄せて、そんな。
恋人にでも囁くような声音で甘い言葉を吐く。

貴族のご令嬢か、はたまたは貴婦人にでも掛けるが相応しい台詞。

そんな台詞を己へと吐かせてしまっている事実が居た堪れなく、そして申し訳なかった。
青年はよく、いつもよく解らない言葉を己に向けて吐く。
初めて話した時や交流が始まった当初にはこのような言動は無かった。
友人、とはこのような距離感で正しいのだろうか。こんなこと以前はしていなかった。ある程度の期間接したことで人となりを知り心境の変化が訪れたか、友情とやらが深まったのか。……恐らく違うように思う。けれどそれを指摘出来る程世の中の交友に詳しいわけでもない。
また仕事に忙殺され弟君、妹君と交流する時間がとれなかったのだろうか。それで代用として、息抜きとして己と接している、とか。弟妹を可愛がるように触れられ、慈しまれるのはいつまで経っても慣れることがなく、どうしても居心地の悪さを感じてしまう。かといって嫌だと拒絶するまでのことでもなくて、だからその、なんだ、この、なんというかこれは
目の前の光景から逃れるように視線を逸らして、そんな意味のない、役に立つわけでもないことをぐるぐると考える。
答えが出ず煮詰まりそうになる頭を落ち着かせようと息を吐こうとして、そして。

『───最近変わったわね』

『何か、良いことでも───』

「………、〜〜〜〜ッ!?」
「うん?どうしたんだい」

昼間の。
仲間から発された言葉の意味が去来する。そういう意味で投げられた言葉では無かった、そう決して。
そういう意図を、持ってして吐かれたものでは、

「バビロン君?」

突然様子を変えた己に、驚き瞬いて処理出来ていない青年の声が掛けられる。
何でもありませんと、応えるべきだった。動揺を隠して平静を装うことなんて簡単な筈で、なのにどうしてか舌は回らず言葉が出てこなかった。
咄嗟に隠した顔は腕を引かれて簡単に暴かれる。
離れようと身動いだ身体は抱き留められ、せめて視線から逃れようと伏せた顔も意味を成してはいない。
抵抗虚しく、なすがまま盾は外された。

「……嗚呼、漸くだ」

密やかに言葉が落とされて、絡めた指を引かれ手首に口付けを受ける。薄い皮膚に柔らかな感触を押し付けられて、小さく呟かれた言葉の、喜色に滲んだその意図を汲み取ることが出来ない。

動揺も疑問も消えた、確信を得た顔で青年は己を見ていた。

───喜びに満ちた、歓喜に緩んだ顔。
青年のその表情を正面から見せられて、息が止まった。

何故、青年はそんな顔をするのか。
何故、こんなにも鼓動が煩いのか。
何故、顔が燃えるように熱いのか。

何一つとして理解出来ない。
だというのに。

目が、離せない。

混乱を置いて、青年は柔らかく己に触れる。深い蒼の瞳を鋭く煌めかせて、しかし鷹揚に。

蕩けるような笑みすら携えて。

青年は、己の名を呼んだ。







「それで、結局ほんとに何もしてない訳ぇ?」

開口一番、投げられた言葉に一瞬何について言及されているのか考えて、少し呆れた。 

「別に何もしていない。違うのは生活習慣と、酒の量くらいだろう」

素気無い答えに納得がいかなかったらしい仲間がもうっ!と声を荒らげた。
一応少しは助言を聞き入れ、習慣を変えて飲む酒の量を減らしているらしい。

「うっわ…もっちもち」
「おい、やめろ」

他に何を改善させるべきか考えを巡らせていると頬を摘んで引っ張られた。
能力使ってる?と投げられた言葉に、使ってないと返す。こんなことでわざわざ軟体能力を使うわけがない。

「本当に何もしてないの?」
「だからそう言って」

るだろう、と言葉を続けられなかったのは。触れられたその感覚に覚えがあるからだった。

頬に触れていた指が、最後に確かめるように、頬をなぞって離れる。

いつかを思い出させる、落ち着かなくさせるその感覚は、だが少し知っているものと違っていた。

貴族の扱うものは質の良いもので。
王族は、触れるもの全てを一級品で揃えられている。
勿論その身体だって常に美しく壮健であることを求められる。

───その指で触れられていた。

つまり、
その、
必要以上に触れられていたことには意味があって。最初からあれは
そういう、意図、で


仲間の声が遠い。





『手入れ』は、正しくその言葉の通りのものだったらしい。



七のでwebオンリー頒布作品
にこやかに穏やかに、手の内に落ちるまで
そんな話
もうちょい改良したかった…また多分似た話を書く




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