「氷織くん、指どうしたの」

 隣の席のミョウジさんは、細かいところに気が回る人だった。年の離れた兄弟でもいるのかと思うくらい、些細な変化によく気がつく。

「ん? あ、ほんまや」
「紙で切ったのかな?」

 人差し指に、細い切り傷が出来ていた。言われるまで全然気が付かなかったそれを、ミョウジさんは眉を寄せて「絆創膏あるよ!」と花柄のポーチを取りだした。
 このくらい大丈夫だと伝える前に、ミョウジさんは絆創膏を1枚取りだして、外装を外してくれていた。せっかく準備してくれとるし、と思ってそのまま手を差し出した。

「……ん?」
「え、」

 それと同時に、絆創膏を差し出された。
 あ。これ、貼ってくれるという意図では無かったと気づいて、早とちりしたことが恥ずかしくなる。
 ミョウジさんは目を丸くして驚いたあと、「確かに私が貼った方がいい!」と言い聞かせるみたい笑うと、慣れた手つきで僕の指にぐるりと絆創膏を巻いた。
 ひんやりとした冷たい指先が触れる。
 人に絆創膏を貼られるのなんて、いつぶりだろうか。懐かしいという感情は、ついでに嫌な記憶まで呼び起こしてしまうから、それ以上考えないようにした。
 現実逃避するみたいにミョウジさんの旋毛を見ていると、「よし」と呟きながら顔を上げた彼女と視線が重なる。
 
「ミョウジさん、おおきに」
「……い、いーえ!」

 その瞬間、ミョウジさんの顔がじわじわと染まっていくのがわかった。よく見ると指先は少し震えていたし、重なった視線はすぐに逸らされた。不自然なくらい上擦った返事。――ミョウジさんが、なぜやたらと細かいことに気がついてくれるのか、全て繋がった気がした。
 この子、僕のことが好きなんやろうか。反応を見た感じ、自惚れでは無いと思った。確信に近かった。昔から、好意を向けられることに対して異常なほど敏感だったからだ。
 過干渉な親元でプレッシャーをかけられ続けていたせいか、僕は期待をされることが苦手だ。苦手なんてものじゃない、吐き気がするし、恐ろしいとすら思う。
 それに気がついてたから、ミョウジさんの優しさを受け取るのが怖くなった。だって、返せへんもん。何も返さないのに、受け取って期待させるのは悪いと思った。宙ぶらりんのままにしておきたくないと思うくらいには、ミョウジさんのことを人としては好きだったからだ。
 だからあの日、駅まで一緒に帰ろうと誘ってくれたミョウジさんに、僕はその気持ちを手放すように促した。
 勘違いだったとしたら相当に痛い人間になるが、淡い期待を抱かせるくらいなら、痛い人間の方が何倍もマシだ。
「僕はやめとき、おすすめせん」
 頭の中は、しんと静かだった。車の走行音や数十メートル先を歩いてる学生たちの談笑で、決して静かとは言い難い場所なのに、頭の芯が冷えきっていた。
 ――泣かれたりするんやろうか。もしくは怒られる?
 どちらにしても、一過性の傷の方がいい。お互いに。
「僕の自惚れやったらほんまにごめん」とも付け足しておいた。僕を勘違いで自惚れ屋の痛い関西人にしてくれたらいい。
 でもミョウジさんは食い気味に「自惚れじゃない!」と言った。しかも、「お友達でいてな」なんて、事前に用意していたような言葉に対して、「わかった!」と変わらない笑顔を向けてくれる。告白を未然に防ぐ卑怯な男に対して、誠実な人だ。ちくり、と心臓を針先でつつかれたような気持ちになる。
 でも、正直ミョウジさんの反応にほっとした。
 女の人が泣くのを見るのが、苦手だった。ましてやミョウジさん。ミョウジさんが悪いわけやない。優しくて、穏やかで、真っ直ぐな人だと思う。
 だからこそ、僕には荷が重かった。