進級して、私は二年生になった。
 新しいクラスの名簿に彼の名前を見つけたとき、嬉しかったのを覚えている。クラスが離れたところで会えなくなるわけではない。それでも、毎日顔を合わせられることが、私にとっては特別だった。

「ミョウジさん、また同じクラスやなあ」

 始業式の日、氷織くんはそう言って笑った。

「うん! よかったあ。知ってる人がいると安心するね」
「僕がおるやん」
「氷織くんは知ってる人っていうか、仲いい人だもん」

 何気なく口にした言葉だった。氷織くんは一瞬だけ目を丸くして、それから、いつもの柔らかな笑みを浮かべた。

「……そっか。そうやね」

 その声がいつもより少しだけ優しく聞こえたのは、きっと春の風が心地よかったから。
 相変わらず氷織くんとの距離は変わらず、良き友達として仲良くしてもらっていた。休み時間に話をしたり、帰る方向が同じ日は一緒に帰ったり。彼のサッカーの練習がない日には、私から声をかけることもあった。
 そんな日々が、当たり前に続くのだと思っていた。

「……実はな、ミョウジさんに話しときたいことがあって」

 放課後、帰ろうとしていた私を、氷織くんが呼び止めた。

「どうしたの?」
「僕、しばらく家を離れることになりそうやねん」
「えっ?」

 思わず聞き返してしまった。お引越しでもしてしまうのだろうか、と思ったがそれなら「家を離れる」という言い方は違和感がある。

「サッカー関係で声かけられててな。特別な選手を集めて……まあ、簡単に言うと強化合宿みたいなもんかな」

 氷織くんは、いつもと変わらない調子で続けた。淡々と告げる姿は、どこか他人事のようにも見える。

「親もえらい喜んでもうて。行くことになったんよ」
「そうなんだ……!」

 氷織くんがサッカーを頑張っていることは知っていた。だから、そういう話が来たこと自体は、すごいことなのだと思う。きっと、私にはわからないくらい大きなチャンスなのだろう。

「え、ええ〜〜!? おめでとう!」
「ありがとう」

 氷織くんは、ふわりと笑った。
 その顔を見て、私は少し安心した。無理をしているようには見えなかったし、行くことを嫌がっているようにも見えなかった。
 むしろ、今までとは違う場所へ行くことを、彼なりに受け入れているようだった。
 あの雨の日のことが、チクリと私の胸を指した。

「いつから行くの?」
「もうちょっと先やけどな。詳しいことはまだ僕もようわからへん。ただ、今までみたいには会えんくなると思う」
「……そっか」

 短く返事をした。今までみたいには会えなくなる。その言葉が、胸の中にゆっくりと沈んでいく。
 休み時間に顔を合わせることも、帰り道に並んで歩くことも、何気ない話で笑い合うことも。今までなら、明日もできると思っていたことが、そうではなくなるのだ。
 正直な気持ちを言うと、寂しい。
 隣にいられるだけでよかったのに、それすら叶わなくなるだなんて思ってもいなかった。ううん、いつかはそういう日がくるのはわかっていた。だって、氷織くんは私の恋人ではない。私の気持ちに応えられないと、きちんと言葉にしてくれた人だ。だけど、こんなに早いとは思ってなかった。
 友達として仲良くしてくれている。それだけでも、十分すぎるくらい嬉しいはずなのに。
 手のひらに親指を巻き込んで、ぎゅっと握った。

「私、応援してるからね!」
「……うん。おおきに」
 
 笑顔で言えたかな。空元気に見えてないだろうか。……ちゃんと、いつもどおりに話せていただろうか。
 氷織くんは私を見ていたけれど、その表情から何かを読み取ることはできなかった。

「ミョウジさんは、寂しなる?」
「えっ?」

 思いがけない質問に、心臓が跳ねた。どうして、そんなことを聞くの。

「う、う〜〜! そりゃ寂しいよ! かっこよく送り出したかったのに、そんなこと聞かないで!」
 
 なるたけ明るく、悔しがるフリをして顔を顰めた。潤みそうになる目を誤魔化すように、ぎゅっと眉間に力を入れる。
 
「でも、氷織くんが頑張るなら、私も応援するよ! 友達だから」
「……そっか、ありがと」

 氷織くんは小さく笑った。

 私の空元気を察したのか、騙されてくれたのかは分からない。氷織くんのことは、まだまだ、全然分からない。見えている部分だけで分かったつもりになるのも、見えない部分まで無理に知ろうとするのも、違う気がした。互いの心に咲いた花を、無理に覗き込まず、枯らさずにいられたら、それで十分だと思った。

「……あのさ」
「ん?」
「行くまでまだ期間あるから、一緒に帰ったりしてな」
「……もちろん!」

 自分の表情がぱあっと柔らかくなるのが分かった。氷織くんから誘ってくれたことが。離れる前にも一緒にいたいと思ってくれたことが、嬉しかった。