氷織くんから連絡が来たのは、一時帰宅する日の数日前だった。
『ミョウジさん、今度帰ることになったんやけど、会える時間ある?』
 スマートフォンの画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。

 会える時間、ある?

 何度読み返しても、書いてあることは変わらない。氷織くんが、私に会いたいと言ってくれている。
 どうしようもなく、嬉しかった。
 居てもたってもいられなくなり、自分自身のことをぎゅうっと抱きしめた。
 ブルーロックに行ってからも連絡は取っていたけれど、画面越しのやり取りと、実際に顔を見て話すのとでは全然違う。声が聞けることも、隣に並んで歩けることも、記憶の中の氷織くんだけではもう足りないと思っていた。
 そしてなにより、あの大好きな瞳。透き通った泉のような氷織くんと視線を合わせながら、言葉を交わしたい。

『もちろん! 会いたい!』

 勢いのまま送信してから、慌ててスマートフォンを胸に抱き込んだ。
 ……会いたい、って送っちゃった。
 友達として、という意味だから。変な意味なんてない。氷織くんだって、きっとそう思って連絡してくれたんだから。
 自分に言い聞かせるように、何度もそう繰り返した。

 そうして、約束の日がやってきた。
 久しぶりに会った氷織くんは、少しだけ雰囲気が変わったように見えた。
 もちろん、髪型や服装が大きく変わったわけではない。顔だって、最後に会ったときと同じだ。相変わらず綺麗な顔をしているし、私を見つけると、いつものように柔らかく笑ってくれた。
 それなのに、なんとなく違う。
 うまく言葉にはできないけれど、以前よりも、少しだけ遠くにいる人みたいに感じた。一歩も二歩も、先を行っているような感じ。
 ブルーロックでの生活が、氷織くんを変えたのだろうか。
 でも、晴れやかに笑う氷織くんは、間違いなくいい変化をしたのだと思った。

 そんなことを考えていると、ふいに視線が重なる。

「……どうかしたん?」
「えっ、あ、いや! なんでもない!」

 見つめすぎていたらしい。慌てて首を振ると、氷織くんは不思議そうに目を細めたあと、くすりと笑った。

「変なミョウジさんやな」

 その笑い方は、知っている氷織くんのままだった。
 ほっとしたような、少しだけ寂しいような、不思議な気持ちになる。
 私の知らないところで、氷織くんはどんどん成長していく。これからもきっと、私の知らない顔が増えていくのだろう。
 それでも、こうしてまた隣で笑ってくれることが嬉しかった。
 何を話したのか、細かいことはあまり覚えていない。向こうでの生活のこと、学校のこと、最近見つけたお店のこと。取り留めのない話をしながら歩いているうちに、いつの間にか、以前のような気安さが戻ってきていた。
 氷織くんがいなくなってから、私は少しずつ、彼のいない毎日に慣れていた。
 連絡が来なくても、何かあったのかと不安になることは減った。新しいお菓子を見つけても、すぐに感想を伝えようとスマートフォンを手に取ることは少なくなった。
 寂しくないわけではない。
 ただ、氷織くんがいなくても毎日は続いていくのだと、ようやく分かってきたところだった。
 だから、まだ私の事を思い出にしないでくれて嬉しかった。
 ……ひとつ、懸念点があるとすれば、会ってしまえば、やっぱり好きだと思ってしまうこと。
 私って、こんなにしつこかったんだなあ。
 
 最寄り駅まで歩いて向かっていると、最近改装された大きな公園を通りがかった。

「そういえば、ここらへん結構変わったでしょ」

 私がそう言うと、氷織くんは周囲を見回した。

「確かに、えらいオシャレになっとるね」
「うん。カップルで来る人が多いんだって」
「へえ、デートスポットなんや。恋人と行ったら楽しいかもな」
「だ、だよね」

 氷織くんも、恋人と行ったら楽しそうとか、考えたりするんだ。そんな考えが頭をよぎって、言葉が上擦ってしまった。
 大体、こんなにかっこいいのに未だに彼女がいないのも不思議だった。私に遠慮して隠してるわけでもなさそうだし、本当に謎。
 単純に学業とサッカーの両立で彼女を作る時間が無いのかもしれないけど。

 氷織くんの彼女、かあ。どんな人だろう。
 氷織くんって同世代の男の子の中でもかなり落ち着いてるし、大人っぽいから、同じような人が居心地良いのかな。

 いいなあ、氷織くんに「落ち着く」とか思われるの。

 ――なんて、妄想が独り歩きをはじめたせいか、口元が疎かになっていた。

「いいなあ、氷織くんの彼女になれる人」

 ――無意識のうちに、そんな言葉を零してしまっていた。自分の発言がやまびこのように、脳内で繰り返し再生される。次の瞬間、駆け足で羞恥心がやってくる。ほぼ同時に、足元からは罪悪感が迫り上がってきて、オーバーヒートしそうだった。
 ぼん、と顔面に火が灯る。暑くもないのに嫌な汗が掌に篭って、口の中が乾いていく。
 やばい、間違えた。友達としての言葉選びを間違えてしまった。

「ごめん、違う!」
「……え、」
「いや、違うって言うのは嘘だね。氷織くんみたいな素敵な人に心を預けてもらえる女の子ってきっと、素敵な人だなってそういうことが言いたかったわけで」

 必死に手繰り寄せた言葉は、つぎはぎだらけの歪なパッチワークみたいだった。氷織くんを困らせたくない。でも、嘘もつきたくない。誤魔化すことと、嘘をつくことはどっちが悪いんだろうか。
 嘘と建前は、どこからが境界線なんだろう。

「……別に私が氷織くんの彼女になりたいとか、そういう事ではなくて」
「ミョウジさん?」

 氷織くんの大きな目は、まん丸に見開かれてから、寂しそうに細められた。友達でいると言っておいて、こんなのってあんまりだ。氷織くんからしてみれば、下心をずっと隠し持っていたと思われてもしかたがない。……実際、そうなんだし。

「――ごめん、上手く言葉がまとまらないから、今日は先に帰ります」

 膝に額がぶつかりそうな勢いで一礼してから、背中を向けた。氷織くんの顔は見なかった。見れなかった。
 走り出した背中に向かって、氷織くんが私の名前を呼んだ。聞こえないふりをして、歩くスピードをあげた。ザクザクと地面に穴を掘るみたいに、足に力が入る。穴があったら入りたい、をこれほど体現するなんて。

 せっかく久しぶりに会えたのに、会ってくれる時間を作ってくれたのに、と自分の浅はかさに、呆れて涙が出そうになった時、左腕を掴まれる。

「ミョウジさん待ってや、無視せんといて」
「!」