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舞田類がアイドルを始めた、という言葉にお茶を噴き出した私は悪くない。

「え?アイドル?アイドルってなんの?学校の?」
「学校を飛び出して、世の中のだよ。お姉ちゃん知らなかったの?」

私のおやつをひょいとつまんで口に含んだ弟は颯爽と部屋を出ていく。私のおやつはきっと情報料となったのだろうけど、できれば知りたくはない情報だった。
舞田類――私の幼馴染は、近所に住む五歳年上のお兄さんだ。母親同士の仲が良かったことと、うちの家が共働きだったこと。それから通学班が一緒で、近所に住む子供が少なかったことから、舞田家および舞田類には昔から世話になっていた。あひるが並ぶ私の通知表の中で英語だけ学年一位をとれているのも、すべてこの幼馴染のおかげである。
そして舞田類は、この春から教師になったと聞いていた。

(なのになのに、なんで――!)

おちゃらけた雰囲気で、喋る言葉も英語の入り混じったお笑い芸人みたいなバカな感じ。いつもにこにこしてて、楽しいことが好きで、誰かの喜んだ顔に一番の喜びを感じる、いまどき珍しいまっすぐさ。それでいて真面目に、真剣に、人と向き合うことができる、努力家。
教師は彼の天職だと私も思った。
教えることが好きな人だったから。人のことに一生懸命になれる人だったから。
――だから私は、教師と生徒という距離に目をつむったのに。アイドルって、なんだ。

こみあげてくる熱をきゅっと唇を噛むことで抑える。
つまるところ、私は舞田類が好きなのだ。


***


「あ、シスター!こっちこっち〜!」
「……」

地元からずうっと離れた大きな街の中、人ごみにまみれながら類くんが手を振る。地元が田舎ってわけではないけど、都心はもっと人が多かった。駅なら尚更だ。
防寒でかぶっていたニット帽を目深くかぶり直してから、ぱたぱたと光に反射する金色めがけて走る。類くんは何も変装もしていなかったし、周りも類くんの存在に気付いている様子はなかった。

「類くん、バカじゃないの!? ばれたらどうすんの!週刊誌とか!!」
「んー?no problem!俺はそんなにまだ有名じゃないし、シスターに会うのなんて全然話題にならないよ!」

ふわっと目を細めて笑う類くんにじくりと胸のあたりが痛んで、世間話を始めようとする類くんを置いてつかつかと歩き出す。どうしたの?寒い?ほんとに週刊誌とかはいないよ?と背中に声をかけてくるあたりが憎らしい。いないって、もう調べ済みじゃん。ほんとよく見てる。

「待って、シスター!そっちじゃないよ」

手を引かれるでも正面に立ち回られるのでもなく、後ろにいたまま引きとめてくる声にゆっくり振り返ると、類くんは別れ道の前で立ち止まっていた。追いかけてはいなかったらしい。右の道を人差し指で示し、口元がわずかに上がる。

「車なんだ。こっち」

――免許なんて、いつとったの。
微笑む類くんが、疎ましい。


――類くんが教師になると私に告げてきたのは、私が高校二年生の時。つまり一年前。
成長とともに頻度は下がっていたものの、それでもいまだに互いの家を行き来する私たちのもとへ、類くんはひょこりと顔をだし、いつものように上り込んだ。そして大学四年生なのだから、こんなところで油売ってていいのなんて、素直じゃない言葉をぶつけたところ、類くんは両手を上げ「来年からシスターの学校の先生になるよ!」と衝撃的事実を告げてきた。その時私はあんぐりと口をあけて間抜けな顔をさらし、中三だった弟はしれっと「じゃあお姉ちゃんの学校受験する」と言った。弟はあとででこピンしておいた。
え、え、わたし聞いてない、え、類くん公務員になるの? え?先生になるのって難しいんじゃないの?と困惑する私に、類くんはまたにこにこ笑って「English teacherって言えば、しっくりくる?」と返してきた。正直めちゃくちゃしっくりきた。
類くんはその後、うちに遊びにくることが増えた。どうやら今まで教員採用試験の勉強をしているのに忙しかったらしい。こっそり誰にも言わずにというのが、実に類くんらしい。弟の受験勉強を手伝い、私の試験勉強を手伝い、どんな学校なのか、どんな生徒がいて、どんな先生がいて、今どんなことが楽しいのか。類くんは私の話を聞きたがった。
自分の勤める学校だ。どんな場所なのか気になるのは当然だ。でも私は、類くんが私だけに耳を傾けてくれているということが、どんな理由であれ嬉しかった。
スーツを買ったら一番に見せに来てくれたのも嬉しくて、スタイリッシュにきっちり着こなす類くんがかっこよくて、こんな類くんを毎日学校で見れると思えば来年が楽しみで仕方なかった。

類くんが私を異性として見ていないことなんて、わかっているから。

近くで類くんを見れるなら、それでよかったんだ。



「ついたよ〜!」
「……入っていいの?」
「もちろん!そのために連れてきたんだから!」

ガラス張りのきれいなマンションの真ん中あたりの階、一人暮らしをしているという類くんの部屋に上り込む。
……ここで抵抗なしに家にあげちゃうあたりが、やっぱり女として見られてないよなあ。
差し出されたスリッパをはいて、どこでも好きなところ見ていいよなんてあけすけな類くんにまたもやもやしながら、無難にリビングのソファに座る。迎えに来てくれる前までは暖房をつけていたようで、部屋の中は外よりは暖かくて、ぬくい。

「Milk teaかな?Green tea?ホットなのがいいよね?」
「なんでもいいよ。お気づかいなく」

言いながら慌ててソファから立ち上がって、類くんのいるキッチンへ向かう。類くんは昔から料理は得意じゃない。見ていてとても危なっかしくて、たとえ飲み物を入れさせるだけだと言っても、類くんをキッチンにいさせるというだけでハラハラする。

「類くん、私やるよ」
「ノー!シスターはsit down!」
「いや、でも類くん、」
「大丈夫だって。俺、この間仕事でカレーも作れたんだよ?」

練習の方がおいしかったけど、と笑いながら紅茶を入れる類くんから目をそらす。近くにいるからとその場で渡すことなく、キッチンから出てソファーの前の小テーブルにティーカップを並べる類くんは実にスマートで、紳士的だ。そのチャラい見た目でなんで気が利けるのか。偏見だって、わかってるけど。

「類くんは……ほんとに、ずるいね」
「ん?」
「なんでもないよ」

――やめよう。類くんに、腹を立てるのは。全部なにもいいことにはならない。
類くんを好きなのは私の勝手で、それで類くんに腹を立てるのも私の勝手で、類くんの優しさだって悪いわけじゃない。
類くんは私をたぶらかしたわけじゃない。私が勝手に、好きなだけ。

すうと息を深く吸い込んで、吐いた時には口は弧を描けていた。
テーブルの前で立ったままだった類くんの顔が、ぴたりと固まる。

「なんでもないよ」

念を押すようににこりと笑って、ひょこひょことテーブルに近づきしゃがみこんだ。類くんがいれた紅茶なんて私は当然初めて飲むので、本当に飲めるのかなあとわくわくしながらカップを手に取る。香りは良い感じだ。

「……シスター」
「類くん、すごいね。本当に紅茶っぽいよ! 味に自信は?」
「もちろんあるよ。……ねえ、シスター」
「あれ、類くん砂糖とか入れないの?私はない方が好きだけど」
「シスター!」

だん! 私の後ろから覆いかぶさるように類くんの手がカップのすぐ横に置かれる。首辺りに類くんの少し長い前髪がさらりと流れて行って、思わず身を縮めた。振り向くなんてことは出来ない。

「る……るい、くん」
「……シスター、今日はずっとそうやって呼んでくれてるね」

ぴくりと、体が硬直する。

「もう、『るい』とは、呼ばないの?」

耳元だからと静かにささやかれる声が、逆に耳に悪い。低く、かすれた類くんの声なんて――それは、私も知っていた。
だって、それは、類くんがテレビで、音楽で、女の子を喜ばせるために使った声だから。誰か特定の人にでもない、大勢の人に向けて使われた、みんなが知っている『アイドルの舞田類』の声だ。
なんで。ずるい。なんで。私が今までずっと類くんの近くにいたのに。類くんが見せる笑顔も、純粋さも、真剣でかっこいいところも、優しく指導する姿も、全部一番近くで見てきたのに。私だけが、知ってると思ってたのに。
――るいくん、まいたる、るい――舞田先生。
そうやって変わっていった呼称。長年かけて、ただのお兄さんが親しいお兄さんになって、私の好きな人になった、その遍歴。
類くんはずっと変わらなかった。初めはちゃん付けだったけどそんなもの数時間でなくなって、「二人は俺のきょうだいみたいなものだから!」とすぐに私をシスター、弟をブラザーと呼び始めて、私が思春期に入ってその呼ばれ方を恥ずかしがってもやめてなんかくれなかった。
私も名前で呼ばれたいと思った。私の呼び方だけ特別だとも思った。でもその特別は、何も嬉しくなんかない特別だ。
それに、ほら。彼は教師になったから。きょうだいなんて気持ちだけの境界線に、彼は法律を重ねてきた。
知ってる。気づいてないわけがない。だって類くんは――人のことをよく見てる。
私が類を好きなことなんて、とっくの昔に、わかられてる。

「なんでもなくなんてないよね?本当は俺のこと、すごく怒ってるんだ」
「……怒ってないよ。怒る理由がないもん」
「lie。いくら離れてたって、俺が君のことで間違えるわけないよ」

ぐっと、背中にかかる重みが増す。のしかかれられているようだとはいえ、別に拘束されているわけじゃない。両手だって自由だ。
でも、動けない。

「知ってるよ、ずっと我慢してたの。教師になるって言わなかったことも、教師になったあと俺が苗字で呼び始めたことも、家に遊びに行かなくなったことも、……教師を辞めて、アイドルになったことも。君は全部、嫌だったんだ」
「そりゃ大好きなお兄ちゃんが離れてったらシスターは寂しいよ」
「また我慢する」

はあと吐かれた息が首筋を通り抜ける。やめてほしい。心臓がばくばくして、呼吸がつらくて、こみあげる嗚咽を飲み込み続けて――ずっとずっと、叫んでしまいそうなんだ。
お願いだから、もう話さないで。その声はもう、私だけのものじゃないんだから。

「……あのね、俺は」
「……っ」
「君を我慢させてる原因が俺だと思うと――自分を許せないんだ」

するりと回ってきた熱をばっと突き飛ばして立ち上がる。くるりと振り返ったら類は体制を崩して座り込んでいるし、振り払った時に手がかすったらしい。口の端が切れてしまっていた。
はらりと落ちる雫なんて目もくれず、もういい、もうどうにでもなれ。そんなぐちゃぐちゃした感情でいっぱいになる。

「ばっかじゃないのッ!?私がっ……私がなんで、こっちの大学にするって決めたかっ!わかってるでしょ!?」

教師になった類は若くてかっこよくて気さくな先生として、ありていに言えばもてた。男子にも女子にも好かれていたし、その癖教えるのはうまいし、しめるところはしめる。私の担任だった硲先生ともなぜか仲がよかったくらいコミュニケーション能力があったし、一年生の副担任だったのに三年の私にまで噂は毎日届いていた。
硲先生にも初めに言われていた。舞田君とのかかわりは知られない方がいいと。類も一度だって、私を幼馴染として扱ったことはない。
毎日類が見れるなんて、喜んだ私がバカだったんだ。
女の子にきゃーきゃー騒がれる類なんて、見れるはずがなかったのに。

「類が先生やめてから、類のこと本気で好きだった子たちが類のこと調べて、私にたどり着いたからだよ!!私が地元にいたら、類のことずっと詮索されるし、わけわかんない陰口たたかれるし、でもそれはいいよ私も類も悪くないもんでもさあっ……でもっ……」

東京の大学に行くなら、一人暮らしをするなら、類君の近所にすればいい。
そう提案したのは、類だと聞いた。

「避けるなら……ずっと避けててよ……っ……なんで今なの……?類が離れて、私も諦めようって思うたびに顔だしてきて、それでもっとおっきい壁作ってかえってくるくせにっ……なんで類は離してくれないの……っ?」

座り込んで顔を覆う。も類の顔なんて、もう見れない。

「ずるいよ……るい……」

ひくりと震える喉をなんとかしたくて、ゆっくり呼吸をする。ぼろぼろ溢れる涙は腕で拭えば拭うほど痛くて、しみて、けれど頭では冷静に類の部屋を出ていく方法を考えている。私の新居の住所は類が知ってるのに。こんな街じゃ、行くあてもない。結局るいしか頼れない。
数分の間お互い何も言葉を発さなかったけれど、しばらくしたら類が立ち上がって水で浸したタオルを持ってきた。はれるね、と僅かに苦笑するような音が聞こえたけど、うつむいて見ないふりをした。

「……俺がずるいっていうのは、俺が一番よくわかってるんだけど」

するり。横髪に手が差し込まれ、頬を撫でるように視線を持ち上げられた。
――まっすぐに類の目をみたのは、いつぶりだろう。

「誰を喜ばせても、嬉しいけど、でも、違うんだ。俺は幸せじゃなくって」
「……」
「君が喜んでくれてないと、俺も楽しくないみたい」

目じりを下げた類の瞳が、ほんのりうるむ。

「教師ってくくりはもうないし、アイドルってくくりも、俺はできれば頑張りたいと思ってるけど、でも俺が最後に選ぶのは不特定多数の誰かじゃなくて、君なんだ。だから、」

すうと、息を吸う。

「もう、名前で呼んでいい?」


――ああ、もう。

くしゃりと歪む笑顔に苦しくなる。こんな顔はきっと、誰も見たことがないんだろうな。
るいおにいちゃんのえがおがすき。最初に類を縛ったのも、きっと、私だったのかもしれない。

「類さあ……」

ほろりと流れる涙は、類の肩に押し付けた。

「ほんと、……ずるいよ……」

回された腕がもうとかれないとわかっているならば、どんなつらい境界線の中にだって入っていける。
それを言わずにただ類を受け入れる私も、たいがいずるかったのかもしれない。
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