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ジキルとごはん
「日本食って、難しいものが多いのかな……?」
キッチンに二人きりという気まずい空気を震わせた声に、私はきゅうりを切りながら思う。心底思う。
……なぜ話しかけてきた。
カルデアの食堂のおばちゃんならぬおねえさんとなり早一年。やっと職場環境とか気候とか生活とかに慣れてきたところに襲いかかってきた人類の危機。ここカルデアだって無事じゃ済まなかったし、私がお世話になっていた先輩や仲良くなってきていた職員のひとたちも、多くのひとが命を失った。悲しくないなんて言えるもんか。もう一年も見ていない外の世界がなくなったことよりも、身近に感じていただれかがいなくなったことが、よほど心を苦しめた。
それでも悲観しちゃいけない、魔術はよくわからないけど、まだ絶望しちゃいけない。だって、自分より年下の子がひとりで希望を背負っているのだから。死にかけてもない時に意地をはらなくて、いつはるんだよ。そう言い聞かせて、ごはんを作り続けてきた。女は度胸が肝心なのである。思い込みがすべてなのである。
しかし、問題がひとつある。
とてもどうでもいいのだけど。
些細なんだけど。
ほんと些細なことなのだけども。
ーービビりなのだよ、私は。
突然の来訪者に立ち向かうべくきゅっと下唇をかみながら口を真一文字に。心はできるだけ無に。目は半開きに遠くを見て。ぜったい声の主のほうは見ない。
よし。鼻で深く空気を吸い、口を開いた。
「……ええ、っと……に……ほんしょく、ですか……」
「そう。マスターは日本人と聞くし、作るなら日本食かなって……僕自身、日本の料理にはすこし興味があるんだ。君は日本人って聞いたから……」
「つ、つくる……? つくるん、ですか……? あなたが……?」
「ええっと……仕事の邪魔はしない……つもりだったんだけど、やっぱり、あんまりよくないかな……?」
よくない、大いによくない。というかちょっと待ってほしい、色々と。
話に間をつくるために用もないのに冷蔵庫をあけて眺めてみた。非常食。特に何もない。そろそろ調達が必要だ。頭のなかに集中的にメモを残して冷蔵庫を閉める。
で、なんだったか。話のテンポが早すぎて追い付けなかったけど。
ん? つまり?
つまりだ。
……日本の料理を教えてほしいということか?
だれに?
「……わたしかぁ〜〜……」
「うん……?」
「あ、いえ、ちょっと、まっててください」
ピンクベージュの髪がさらりと揺れるのが視界に入りつつ、いやいやあれは気のせいだ、と思い込みを強化する。
私だって、すきでぶつ切りの会話をしているわけではないのだ。なにも知らなかったらきっと普通に会話できてたし。外国人こわいって思ってた分は一年でちょっとましになってきたところだったし。
ただ……もういない過去の英雄、つまり幽霊で、フィクションで、狂人の可能性もあるだとか。
そんな、ちらりと聞いたこのひとの前情報に、びびっているだけなのだ。
すう、と息を吸い込む。いかんいかん、彼らは協力してくれてるらしいんだから、敬意こそ払いはすれど、邪険にしてはならんのだ。ここは穏便に、スマートにいかなければ。
「……あの、」
「うん」
「えーっと……ジ、キルさん? あさしんさん……? は、」
「ジキルがいいな、アサシンよりも」
「……では、ジキルさん……マスターに、料理を作りたいん……です……? 理由とかって……いえ、趣味なら全然、いいんですけど……というか……はい、えーっと……」
だめだ、言葉が出そうにない。なんとか遠回しに避けられないかと思ったのだけど、全くそんなルートにいきそうにない。
困ったなー! 困ったなー! もうやけくそにレタスちぎるしかないなー!
焦りをすべて野菜にぶつけていると、視界にすいと黒い手袋がよぎる。そのまま流れるように包丁を手にとる動きに、びくりと肩を震わせてしまった。急いで距離をとり、黒手袋の主ーー英霊、ヘンリー・ジキルへと目を向けた。
「僕は、本来は普通の人間なんだ」
くるりと包丁を回しながら、声は続く。
「ハイドがいないとね、戦闘じゃほとんど役に立てないから。それならせめて、力になれることはなんでもやりたいんだ。食事って、僕たちにはそんなに必要ないものだろう? マスターや……君たちにこそ、必要なもので。そう思うのは、理由にならないかな?」
つい、と外された視線が、どこか朱色を帯びたような気がした。影が射すような、中身の、ないような。空っぽにみえるのに、別の何かでいっぱいに埋まっているような。
なんだろう。言っていることはおかしくないはずなのに、心がもやもやする。
ジキルさんのことは初めて真正面から見たはずなのに、どこか、ちがうと思ってしまうのは、なんなんだろう。……なにか、
「……本音は?」
つい口を出た私に、ジキルさんがぱちぱちと目をしばたたかせる。小首を傾げて先を促すさまに、しまったと思いつつ、私もなぜか、引く気がおきなくて。
ぐるぐる回る頭を落ち着かせながら、できるだけまともにしゃべれるように、言葉を選ぶ。
「私……たぶん、陰気なほうですけど。あなた以上に、じめじめしてますけど、」
「じめじめ……」
「だからこそたぶん……ちがうって、思うというか……幽霊に、いう言葉でもないと思いますけど、たぶん、」
ただの印象だとはわかってる。でもきっと、たぶん。ーーあなたは、単純に。
「居場所がほしい、だけなんじゃないですか。ここにいていい理由を、こじつけたいみたいに」
そうじゃないと納得できない。焦ったように働く姿も、ひとに近寄らない姿も。時おり腹立たしげに、自分を見つめる瞳も。
見ていたから。遠くから、ずっと。本当にあなたは、普通のひとみたいだったから。
……ああ、しまった、よくないことを言ってしまった。精神の均衡があやういひとに、なんてことを言ったんだ。
しかし、でも、これはこれでよしとするしかないんだとは思う。これで逆ギレされたら、私はまあ泣くけども、うん、よくないな。でも、過ぎてしまったし。
ぽかんとした様子で立ち尽くすジキルさんに大股で近づき、胸から上は見ないようにして手を差し出す。ここで刺されたら、それですべて終わりだなと思いつつ。
「包丁、かえしてください」
「え? あ、ああ……」
「私も普通の人間なので、カルデアに居場所はありません。ごはんがすべてなんです。とらないでください」
「えっ!? と、とるつもりは……!」
「私よりずっと役立ってるはずなのに。強いのに。ずるい。聞きましたよ藤丸さんと仲いいって。ばーかばーか、ずるい! 幽霊なのに!」
「英霊と幽霊は違うんだけどな……!?」
「わかりましたよ! 包丁さわれるなんて思ってませんでした!! ほとんど生き物じゃないですか!!」
「ええええ」
包丁を片付けてひょろひょろとその場に沈む私に、ジキルさんはおろおろとしゃがみこんできた。
ちくしょう、とんだ醜態だ。なにいってるかわからないのは自分がいちばんよくわかってるんだから放っておいてほしい。
ちらり、と目だけでジキルさんの様子を見て、心の中でだけため息を吐く。……やっぱり、勿体ないんだ、あなたは。
……関わりを持てない幽霊って思ってたほうが、ずっとずっと、楽だったのかなあ。
「……英霊も生き物とわかったので、やっぱり、……ごはんは、必要です」
「必要ないと思うけどな、僕は」
「し、知ってしまったからには、私はごはんを作らねばなりません……それには人手が必要で……あの、……なにか、ありますか」
「……責任とってお手伝いをしても? レディ・シェフ」
「…………ういっす……」
ふ、と笑ったように感じたジキルさんの手をとって立ち上がる。やっぱり手はあたたかくて、たしかに生きてる。いま目の前にいる。いま話したことも、妄想じゃない。
まったく、びびりのくせになにをやっているんだ私は。気まずさアップじゃないか。
けれど。どこか近いものを勝手に感じてしまった彼を、
誰の役にも立てず、キッチンにこもるだけの私に話しかけてくれた、この普通のひとのような、英霊を。
邪険にするほうが、よっぽどこわいって。ひとりになりたくないって、居場所はあるって知ってほしいって、思ってしまったから。
「……まずはみそ汁から、覚えますか?」
「うん。なんだって構わないよ。……ありがとうね」
きっとこれが、最良だったんだって。
そう、思うことにした。
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キッチンに二人きりという気まずい空気を震わせた声に、私はきゅうりを切りながら思う。心底思う。
……なぜ話しかけてきた。
カルデアの食堂のおばちゃんならぬおねえさんとなり早一年。やっと職場環境とか気候とか生活とかに慣れてきたところに襲いかかってきた人類の危機。ここカルデアだって無事じゃ済まなかったし、私がお世話になっていた先輩や仲良くなってきていた職員のひとたちも、多くのひとが命を失った。悲しくないなんて言えるもんか。もう一年も見ていない外の世界がなくなったことよりも、身近に感じていただれかがいなくなったことが、よほど心を苦しめた。
それでも悲観しちゃいけない、魔術はよくわからないけど、まだ絶望しちゃいけない。だって、自分より年下の子がひとりで希望を背負っているのだから。死にかけてもない時に意地をはらなくて、いつはるんだよ。そう言い聞かせて、ごはんを作り続けてきた。女は度胸が肝心なのである。思い込みがすべてなのである。
しかし、問題がひとつある。
とてもどうでもいいのだけど。
些細なんだけど。
ほんと些細なことなのだけども。
ーービビりなのだよ、私は。
突然の来訪者に立ち向かうべくきゅっと下唇をかみながら口を真一文字に。心はできるだけ無に。目は半開きに遠くを見て。ぜったい声の主のほうは見ない。
よし。鼻で深く空気を吸い、口を開いた。
「……ええ、っと……に……ほんしょく、ですか……」
「そう。マスターは日本人と聞くし、作るなら日本食かなって……僕自身、日本の料理にはすこし興味があるんだ。君は日本人って聞いたから……」
「つ、つくる……? つくるん、ですか……? あなたが……?」
「ええっと……仕事の邪魔はしない……つもりだったんだけど、やっぱり、あんまりよくないかな……?」
よくない、大いによくない。というかちょっと待ってほしい、色々と。
話に間をつくるために用もないのに冷蔵庫をあけて眺めてみた。非常食。特に何もない。そろそろ調達が必要だ。頭のなかに集中的にメモを残して冷蔵庫を閉める。
で、なんだったか。話のテンポが早すぎて追い付けなかったけど。
ん? つまり?
つまりだ。
……日本の料理を教えてほしいということか?
だれに?
「……わたしかぁ〜〜……」
「うん……?」
「あ、いえ、ちょっと、まっててください」
ピンクベージュの髪がさらりと揺れるのが視界に入りつつ、いやいやあれは気のせいだ、と思い込みを強化する。
私だって、すきでぶつ切りの会話をしているわけではないのだ。なにも知らなかったらきっと普通に会話できてたし。外国人こわいって思ってた分は一年でちょっとましになってきたところだったし。
ただ……もういない過去の英雄、つまり幽霊で、フィクションで、狂人の可能性もあるだとか。
そんな、ちらりと聞いたこのひとの前情報に、びびっているだけなのだ。
すう、と息を吸い込む。いかんいかん、彼らは協力してくれてるらしいんだから、敬意こそ払いはすれど、邪険にしてはならんのだ。ここは穏便に、スマートにいかなければ。
「……あの、」
「うん」
「えーっと……ジ、キルさん? あさしんさん……? は、」
「ジキルがいいな、アサシンよりも」
「……では、ジキルさん……マスターに、料理を作りたいん……です……? 理由とかって……いえ、趣味なら全然、いいんですけど……というか……はい、えーっと……」
だめだ、言葉が出そうにない。なんとか遠回しに避けられないかと思ったのだけど、全くそんなルートにいきそうにない。
困ったなー! 困ったなー! もうやけくそにレタスちぎるしかないなー!
焦りをすべて野菜にぶつけていると、視界にすいと黒い手袋がよぎる。そのまま流れるように包丁を手にとる動きに、びくりと肩を震わせてしまった。急いで距離をとり、黒手袋の主ーー英霊、ヘンリー・ジキルへと目を向けた。
「僕は、本来は普通の人間なんだ」
くるりと包丁を回しながら、声は続く。
「ハイドがいないとね、戦闘じゃほとんど役に立てないから。それならせめて、力になれることはなんでもやりたいんだ。食事って、僕たちにはそんなに必要ないものだろう? マスターや……君たちにこそ、必要なもので。そう思うのは、理由にならないかな?」
つい、と外された視線が、どこか朱色を帯びたような気がした。影が射すような、中身の、ないような。空っぽにみえるのに、別の何かでいっぱいに埋まっているような。
なんだろう。言っていることはおかしくないはずなのに、心がもやもやする。
ジキルさんのことは初めて真正面から見たはずなのに、どこか、ちがうと思ってしまうのは、なんなんだろう。……なにか、
「……本音は?」
つい口を出た私に、ジキルさんがぱちぱちと目をしばたたかせる。小首を傾げて先を促すさまに、しまったと思いつつ、私もなぜか、引く気がおきなくて。
ぐるぐる回る頭を落ち着かせながら、できるだけまともにしゃべれるように、言葉を選ぶ。
「私……たぶん、陰気なほうですけど。あなた以上に、じめじめしてますけど、」
「じめじめ……」
「だからこそたぶん……ちがうって、思うというか……幽霊に、いう言葉でもないと思いますけど、たぶん、」
ただの印象だとはわかってる。でもきっと、たぶん。ーーあなたは、単純に。
「居場所がほしい、だけなんじゃないですか。ここにいていい理由を、こじつけたいみたいに」
そうじゃないと納得できない。焦ったように働く姿も、ひとに近寄らない姿も。時おり腹立たしげに、自分を見つめる瞳も。
見ていたから。遠くから、ずっと。本当にあなたは、普通のひとみたいだったから。
……ああ、しまった、よくないことを言ってしまった。精神の均衡があやういひとに、なんてことを言ったんだ。
しかし、でも、これはこれでよしとするしかないんだとは思う。これで逆ギレされたら、私はまあ泣くけども、うん、よくないな。でも、過ぎてしまったし。
ぽかんとした様子で立ち尽くすジキルさんに大股で近づき、胸から上は見ないようにして手を差し出す。ここで刺されたら、それですべて終わりだなと思いつつ。
「包丁、かえしてください」
「え? あ、ああ……」
「私も普通の人間なので、カルデアに居場所はありません。ごはんがすべてなんです。とらないでください」
「えっ!? と、とるつもりは……!」
「私よりずっと役立ってるはずなのに。強いのに。ずるい。聞きましたよ藤丸さんと仲いいって。ばーかばーか、ずるい! 幽霊なのに!」
「英霊と幽霊は違うんだけどな……!?」
「わかりましたよ! 包丁さわれるなんて思ってませんでした!! ほとんど生き物じゃないですか!!」
「ええええ」
包丁を片付けてひょろひょろとその場に沈む私に、ジキルさんはおろおろとしゃがみこんできた。
ちくしょう、とんだ醜態だ。なにいってるかわからないのは自分がいちばんよくわかってるんだから放っておいてほしい。
ちらり、と目だけでジキルさんの様子を見て、心の中でだけため息を吐く。……やっぱり、勿体ないんだ、あなたは。
……関わりを持てない幽霊って思ってたほうが、ずっとずっと、楽だったのかなあ。
「……英霊も生き物とわかったので、やっぱり、……ごはんは、必要です」
「必要ないと思うけどな、僕は」
「し、知ってしまったからには、私はごはんを作らねばなりません……それには人手が必要で……あの、……なにか、ありますか」
「……責任とってお手伝いをしても? レディ・シェフ」
「…………ういっす……」
ふ、と笑ったように感じたジキルさんの手をとって立ち上がる。やっぱり手はあたたかくて、たしかに生きてる。いま目の前にいる。いま話したことも、妄想じゃない。
まったく、びびりのくせになにをやっているんだ私は。気まずさアップじゃないか。
けれど。どこか近いものを勝手に感じてしまった彼を、
誰の役にも立てず、キッチンにこもるだけの私に話しかけてくれた、この普通のひとのような、英霊を。
邪険にするほうが、よっぽどこわいって。ひとりになりたくないって、居場所はあるって知ってほしいって、思ってしまったから。
「……まずはみそ汁から、覚えますか?」
「うん。なんだって構わないよ。……ありがとうね」
きっとこれが、最良だったんだって。
そう、思うことにした。
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