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mist hope


「君さあ、優等生みたいな顔してるけど、ほんとにそれがぜんぶ?」

 ひらりと公立校の制服のスカートをなびかせながら、ギターのケースを背負ったその女生徒は告げた。
 窓の柵に両ひじをついて頭を乗っけ、退屈だと言わんばかりのその態度に比べ、瞳はきらきらと輝き、口許はへらりとしながらも不敵な笑みを浮かべている。
 放課後の教室。周りには誰もいない。下校時間もまだ先。
 正直に言えば、面倒な相手に捕まった、というのが最初の感想だった。

「全部……と言われたら、違うでしょうね。誰しもひとつの側面だけなわけがありませんし、学校で見る姿だけで決めつけるのは如何なものかと」
「うん、だからほんとに全部?って聞いたんだけどね。やっぱきみ、中身どろどろしてそうだなあ!」

 きゃっきゃっと子供のように笑うその女生徒へ、言い様のない不快感が走った。
 この女生徒のことは知っている。話したことはないけれど、授業もたまにしか出ずふらふらと様々な場所へ出没する問題児。一年目は出席日数を満たしていたから進級できたものの、二年次の今年はすでに退学が決まっていると聞く。
 そんな彼女がわざわざ、関わりのない私のもとへ現れたのはなんの理由あってか。邪険にするつもりはないが、そう、素直にいうならば。私は彼女が嫌いだった。関わりなく、理由もないのに関わらず、だ。
 視界に入るだけで、耳にするだけで嫌悪を覚える存在。それが可能ーーみょうじなまえという人間だった。

 よ、という掛け声とともに彼女は土足で窓から教室へ上がり込み、にこりと笑みを浮かべる。隠しもせず眉間に皺をよせれば、一層彼女が楽しげに笑った。

「今から君に、簡単なギターリフを教えます」
「……まったく意味がわかりませんが?」
「はいこれピックねー!」

 近くにあった机にぺちっという音をたてて置かれた小さな三角形は、ギターを弾くための道具という認識でしかない。ピックというのか。初めて知る知識を受け入れながら、余計なことを覚えてしまったとも思う。
 全面黒に青いラインの模様が入ったピックを一瞥してから、すぐに目をそらす。
 彼女はというと背負っていたギターをいそいそと下ろし、つまみのような部分をいじりながらギターの弦を弾いた。おそらく調律だろう。

「何がしたいのかわかりませんが、私はもう帰ーー」
「一期くん嫌いなんだ、私」

 言いかけた言葉をぴたりと止める。視線をギターに向けたまましゃべる彼女は鼻唄混じりで、どこにも嫌な空気はない。
 嫌いな食べ物でもいうかのような、軽さで。

「ニコニコ笑ってんのに、腹の底では黒そうなとことか、目が笑ってないとことか、野望うずまくぐるぐる〜ってしてそうなとことか、自分は何でも我慢してそれを何とも思ってませんよみたいな顔してるとことか」
「……」
「一期くんも、私のこと嫌いでしょ? 目がつんめたいもん」

 へら、と人懐こい笑みを浮かべながら、彼女は言う。
 ギターを差し出しながら、それでも射抜くような、挑戦的な目で、

「でもたまらなく好き。その冷えきってんのに、抗うような目」

 ぽんと拒むまでもなく渡されたギターの重さと、軽さに。どくり、と心臓に血が巡る感覚がした。

「君は私のことが嫌いなんだよ。自由にしてるのが腹立つんだろうけど、逆に言えばそれって自由に憧れてるわけだ。なりふり構わず全部捨てて、心のうちをさらしたいわけだ」

 なにを勝手なことを。
 そう思うのに、声はなにも発さず、それどころかギターを握る力は強くなる一方で。
 私があなたを嫌いなのは間違いない。腹が立つ、確かにそうだ。けれど、憧れたことなんてない。その自由という肯定的な言葉は、ただの無責任でしかない。
 なにが目的ですか。やっと出た言葉は随分熱を孕んでいて。
 にたあと笑う彼女の瞳が、無邪気に輝いた。

「大義名分をあげよう。君の否定が正しかったなら、私は金輪際君の前に現れない。まだ退学しなくて済むラインなんだけど、それも捨てるよ」
「成る程。あなたは辞める言い訳に私を使えるわけですか」
「ん? やっぱ君、ひねくれてるなあ! そんな気はなかったけど、それでいいや!」
「……判定方法は」
「渡したじゃん、ギター。弾いたらわかるよ」

 弾いたらわかるとは。こんなもので何がわかるというのか。
 訝しげに彼女を見つめれば、「その意味がわからなかったら、私の負けでいーよ」と笑う。ともかく弾いてみろというわけか。本当に不愉快で、腹が立つ。けれど受け取った手前、今さら断るのも腹立たしく思えた。
 彼女の領域で彼女の言い分を散らせたなら、少しは満足するかもしれないーーそう思えば、多少気持ちが落ち着く気がした。

「もし私が正しかったら、その時には君に私のバンドに入ってもらう」
「は?」
「証明すりゃいーんだって。ね?」

 ギターを肩にかけて、黒く塗りつぶされたピックを握らされ、
 放課後の、ただ一度きりの。意味のない賭けをした。








 きゃああと響く歓声はいつもの如く、照りつける照明の眩しさも熱さも変わらぬまま。
 空虚で漫然とした日常になりつつあった熱狂が、久々に身体の芯から沸き上がってくる感覚がする。
 彼女がいる。スタンディング奥、壁に寄りかかって、何も知らない顔をして。

(ああーー本当に、腹が立つ)

 前を過るボーカルも、対抗するように弾きならすベースも、衝動を伝えるドラムも。
 キイィインとアルペジオを弾きならす。
 聞けばいい。魅せられればいい。
 ごちゃごちゃ閉じ籠った、その馬鹿みたいな頭の中に。響けばいい。

 あなたは最初からずっと、目障りで、鬱陶しくて。
 ずっとーー目が離せなかった。

 指に馴染んだ黒のピックが、最後のリズムを刻んだ。
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