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報われない話


 どす、と案外鈍い音を体に響かせて、その腕は私の腹を貫いた。
 体への痛みはもちろん、びりびりと痺れるような血の引く感覚も指先から順に全身をめぐり、ああこれは助からないなあとゆっくり理解した。
 きっと、そのうち胃の中に血がたまって、あふれて、吐血するんだろう。そうなったら無様だし、言葉も交わせなくなりそうだ。
 仕方ないな。じゃあ、しょうがないや。強がりはたぶん、なんの意味もなさないだろう。
 ふは、と笑い声をもらしながら、ゆるい感覚しかない腕を両方ヒソカの首に回す。
 ぴたりとくっつくとヒソカの心臓の音が聞こえてきて、とくん、とくん、という一定のリズムが、とても心地よく感じた。
 ああーーあったかい。いきてるなあ。
 ふふ、と。また僅かな息が吐き出される。

「……ほら……言っ、た……通り……」
「……」
「ヒソカは、わたしを……殺す、じゃんか」

 言葉は何も返されない。代わりに、突き刺さる右腕はそのままに空いている左腕が腰にまわって引き寄せられて、また笑いが溢れた。
 ごぽり、と腹から溢れた血液が、お互いの衣服に染みる。心中みたいな光景は、遠くから見れたら愛おしかったろうなんて、ぼんやりと思う。
 ひやりとする自分の体温は知らないふりをして、目を閉じてヒソカに身を預けた。


 ーー私がその奇術師と出会ったのは、もう数年も前のことだった。
 たまたま通りかかった路地裏で通行人をトランプでばっさり切り捨てる姿を見かけ、あっこいつヤバイ類いの人間だと口元をひきつらせたのをよく覚えている。それから何が原因かはわからないけれど興味をもたれ、付きまとわれ、予想以上に長い付き合いとなってしまったけれど。最初の直感通り、これまでヒソカと関わってまともだと思える要素はほぼほぼ感じられなかったので、やっぱりあの時ちゃんと撒けていればなあと後悔したのは星の数ほどだ。
 ヒソカとは、定期的に食事に出かけ、トレジャーハントに赴き、一緒に遊園地に行ったり念の実験をしたりと、よくわからない関係を築いてしまった。時折フラストレーションが限界値を迎え殴ったり刺されたりもしたものだが、なんだかんだ殺し合うに至らなくてずるずる引きずっている。
 たぶん、飽きるのがはやかったのだ。私のほうが。
 本気で殺し合いたいヒソカに対して、私はそこまでやる気をもてない。だからヒソカが楽しむ前に私がけろっと引いてしまう。それにヒソカが萎えてしまう。ずっとその繰り返しだ。
 いつかヒソカも、飽きて違う楽しみを見つけるだろう。そんな希望的観測が私にはずっとあって、実際、その可能性は結構高いと思ってた。
 ……まあ、そうはならなかったけれど。
 はは、と自嘲する。笑いしかでない。楽しむことに貪欲なこの人に、そんな可能性どこにあったんだと言いたいくらいだ。

 ーーほんと、そのまま萎えて終わらせてくれればよかったのになあ。

 私も私で、なんで捨てられなかったんだか。今となっては呆れることしかできないけれど、その選択に後悔がないあたり、本当に馬鹿としか言えない。
 ぎゅうと抱き締めればきつく抱き締め返してくれる腕が憎らしい。首筋に顔を埋め、すり寄るように頬を寄せる姿を、手離したくないなあと思ってしまう自分が腹立たしい。
 いつからだろう。めんどくさいと思っていた存在に慣れて、まあ逃げられないなら楽しんでみるか、と気を許しはじめてしまったのは。
 いつからだろう。姿を見れば安心感がわき、連絡がくることを当たり前と思うようになってしまったのは。
 戦闘狂の気まぐれと嘘つきは存外わるくなく、ずっと殺す殺すと言われるよかましで、私に闘う気が起きるまで待つようなヒソカのスタンスもだいぶ問題だったんだろう。
 それでも、ちゃんと頭にはあった。
 いつか、闘うことになる。
 殺し合うことになる。
 例えいま、気まぐれで同じ食卓を囲っていたとしても。
 そう思う危機感こそが、私とヒソカを曖昧に繋ぎ止める唯一のもので。私がヒソカを否定する砦で。ヒソカが私を殺すに至った要因となるものだったんだろう。

「……キミを殺す気が無くなっちゃったのは、本当だよ◆」
「……は……」
「……そう睨むなよ。キミが言ったんじゃないか。ボクは信用できないって」
「……」
「ボクも同感だ。あんまり自分の言葉に、責任がもてない」

 ーー知ってるよ。
 耳元できこえる嘘つきの声に、同意を返す。

 キミのことを好きになったから、キミのことは殺さない。
 ある日、気の抜けるような穏やかな笑顔とともに言われた言葉は、私の胸にもやもやとした何かを引き起こした。
 だからといって特別態度が変わったりはせず、私も私で「あっ、うん」しか言えなかったのだけれど。きっと間違いは、そこでも起きてる。
 死にかけている今だから認めよう。きっと私も、ヒソカのことは好きだった。
 でも、誰が信じられるって言うんだ、こんな狂った人を。
 いつ後ろから刺されるかわからない。心を預けてどろどろにとかされた挙げ句、ぽいと捨てられて落ちるような。そんな悪魔のような可能性を持ったひとに、どうして気持ちを交わせられるというんだ。
 殺意のない笑顔なんて、この人ではない。

 あなたはいつか私を殺すよ。
 殺さないよ、絶対に。

 そんな、どこまでも勿体ないくらい優しい悪魔の囁きを拒否した末路が、今なのだ。


「キミは……本当に頑固だよね」
「……」
「どれだけ態度で示しても、言葉を尽くしても、絶対に信じてくれない。ボクがキミを裏切り殺すことを疑わない。ならボクはもう、本当に殺すしかないよ」
「ふ……ふは、……ふふ……っ」
「……なんで笑ってるんだい」
「ふっ……ふ、……ヒソカ、らしい」

 気持ち悪いぐらいの愛情表現よりも、殺しを選ぶほうがよっぽど『ヒソカ』っぽい。
 知っているとも。ヒソカが私に誠意を示せば示すほど、私はヒソカを疑うこと。受け入れられないこと。そこにヒソカが気づかないはずがないこと。
 どこまでいっても泥沼で、ヒソカにとっても信じさせようという行為自体が嘘になるわけで、互いが互いを本当にめんどくさく思って嫌う前に。
 こうするのは、とても、すごく、何よりもーーすっきり、した。

「……あのね」

 顔をあげたヒソカの頬に手を当てる。声はもう出ない。遠退いていく視界の中で、私の血が頬のメイクと合わさってぐちゃぐちゃと絵の具を適当に混ぜた時のような色になっているのが見えた。
 ーーひっどいなあ、もう。やっぱり何より、血が似合うじゃんか。

「殺してみてはっきりした。やっぱり、キミのことは好きだったよ」


 ーーうん。

 その頬を濡らすのが血でなければ、きっと信じられただろう。

 人が最後に死ぬ感覚は聴覚らしい。
 最期まで何も返せない私を殺すことは、無駄だったと思われてしまうのかもしれない。
 でもね。それでも、私は。
 遠い遠い意識の中、今まで聞いたどの告白よりも信じられるなと、笑みを浮かべられた気がした。
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