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TorF


ばくばくと早くうちつける心臓が鬱陶しい。
目の辺りが熱いのも煩わしい。

――死ぬかと、思った。
本気で、心の底から。

あれが訓練兵を試すものだというなら、そんな方法はどうかとすら思う。過去に死んでいった訓練兵がいるというのも知っているけど、まさか、そんな、教官が故意に何かを仕掛けるなんて。てっきり立体機動装置が扱いきれず落下とか、そんな事故みたいな死だと思っていたのに。それだけ危ない訓練をしているという示唆だと思っていたのに。


「イグノ、水飲む?」
「……」

一人で食堂にいたはずなのに、いつの間にかフィグメントが立っていた。もう今日の訓練は終わったのかもしれない。
言われた言葉には特に返事もしなかったが、フィグメントは隣に座ると同時に私の目の前に水を置いてくれた。

「ほんとに、無事で良かったよ…落ちちゃったら、洒落にならないもの」
「…洒落にならないどころか、死んでたよ」
「そ、うかなぁ。教官たちだって、助ける気だったろうし」
「……」
「イグノ?」


縄が、ほつれていたんだ。
同期はそう思っている。あれは事故で、そこを潜り抜けた私は教官たちに評価されていると思っていて、すごいとか無事で良かったとか、そんなんで入り乱れている。
違うのに。縄を切ったのは教官なのに。
そう言いたくても、それを言っていいものか迷ってしまう。そもそも、本当に教官たちが助ける気がなかったのかがわからない。切ったのは本気だったろうけど、その先は…?
単に判断力と瞬発力を試したいだけなら、もしかしたらギリギリのところで助けてくれたのかもしれない。
そんな甘い考えが、僅かな希望が、ずっとちらついている。

私が、傷ついているのは、どこかで。

あの人は、そんなことをしないと思っているから…だ。

教官としては、偏りしかないけど。
兵士としての、リヴァイという人は。きっと、尊敬に値するような、悪い人ではないと、思えていたから。
その人に縄を切られたことも、自分が死にかけたことも、全部理由があると思いたいんだ。そうしないと、ここがとんでもなく恐ろしい場所だと、思ってしまうから。

だけどこれは私が信じたいだけで。
実際は、あり得ない希望だと。私はもう気づいている。



「――イグノ」



……また、貴方は。

音もなく現れたリヴァイ教官に、思わずため息吐いてしまったのは許してほしい。
本当に、嫌なタイミングで現れるな。
慌てて敬礼をしようとしたフィグメントを、教官は止めた。すぐ済む、お前は来い。シンプルにそう告げられて、教官はそこから立ち去ってしまった。ついて行かなきゃならないらしい。
大丈夫?と心配そうな顔をしたフィグメントに、とりあえずにへっと笑っておいた。上手く笑えたかはわからない。




***




「……今日は何の雑務ですか」
「雑務じゃねぇ。コーヒー飲めるか?」
「砂糖とミルクがいっぱいあるなら」
「……どれくらいだ?」

びっくりして、面食らった状態のまま、三杯、と呟いた。リヴァイ教官は短く頷いて、砂糖とミルクが入っているらしい瓶を2つ取り出した。
え?え?本当に?この困窮している時期に、そんな、ただの訓練兵にそんな高価なもの用意してくれるの?
ん、とまた短く言葉を寄越して、教官は私にカップを差し出した。紛れもないコーヒーの匂いだ。甘い匂いもする。
…本当に、入れてくれたのか……。

「…ど、く…とか…」
「入れるわけねぇだろ…馬鹿か」
「で、でも、なんで、」
「知りたいか?」

あんぐりと口を開けていたけれど、その問いにぞわぞわして口を閉じる。身を引き締める。
嫌な聞き方をするものだ。何か裏があると言っているようなものじゃないか。
カップを両手で持ちながら、リヴァイ教官を見つめる。考えてみれば、フィグメントもさっき水をくれたんだった。ちくしょう、こんなことになるならさっき飲んどけば良かった。


「……ただの気分だ」


あまりにも見すぎたせいだろうか。そのうちに、特別教官は呆れたように言った。
そうか、気分か。で済むほど気が抜けてはいないのだけど、一応、いただきますと言ってからカップに口をつけた。
あったかい。美味しい…とても。


「……死にかけたあとに飲むなら、尚更旨いだろ」
「……まさかコーヒーを美味しくさせるために落としたとか言いませんよね?」
「んな訳ねぇだろ…あれは訓練だ。個人的なものは何もねぇ」
「本当に?」
「あぁ」

あっさりと、教官は答える。
相変わらず真意のわからない人だ。何を考えているのかも、どこまで信じていいかもわからない。
でも、そこでまた、


「無駄死にはさせねぇよ…俺は」


…なんて、言うから。
じわじわと、なんだかよくわからない、痺れみたいなのが全身を駆け巡る。
それからまた追うように、段々と安心感が広がっていく。

もしかして、もしかしなくとも。
このコーヒーは、心配でもしてくれたんだろうか。


「きょ…きょうかん…っ」
「………おい…おいお前…気持ち悪い顔晒すんじゃねぇよ…」
「きょうかんの方がきもちわるい…っチビだし刈り上げだし目付きわるいし神経質だしほんとにさいあ、…あれ…ほんとに悪いとこしかない…」
「削ぐぞ」

心配とか、気遣いとか。そんなものかもしれない。
なんて思ったら、どうしようもなく気が抜けた。泣いてはいない。限りなく、それに近い状態だけど。
あぁ全く。我ながらなんて単純なんだろう。
嫌がらせを受ければ嫌だと思って、優しくされたら感動する。なんて単純で、なんてばかなんだろうか。

きっと明日にはもうこの人はいつも通り陰湿ないじめを行ってきて、
私もそれを悪態つきながら引き受けるのだろう。

だけどせめて、こんな風に、弱っちゃってる今だけは。
ほんの一瞬くらいは。

特別教官を信じて、弱音吐いてみたりしても、いいかもしれない。
なんて、思ったりしてしまった。
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