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また会いましょう


 
―――小さなおれの頭を撫でて、その人はいつも儚く笑っていた。

気がついた時には背徳的な性格と人生を送っていて、気がついた時には海軍を好きじゃなくって、気がついた時には吸い寄せられるようにして親父の息子になってたわ。冗談っぽくエースに話せば何だそれと笑われた。酒飲みながらならそんなもんでいいと思う。直感の冴える末っ子には、どう聞こえてんだが知らないけどよ。

毎日誰かが船のどこかでやる宴にはたまに参加する。今日はちょっと大人数でやってっから、その内どんどん増えてって、果てはクルーの全員参加になりそうだ。おれがいりゃ摘まみまで出てくるってのをあいつら理解してるから、戸惑いなくわんさか現れる。そんで気がつきゃ俺は厨房に籠って、他の奴らと同じようには酔い切れねぇ。片付けもあるしな。デカイ宴は、事前の準備がない限りはそんなもんだ。

――まぁ、嫌いじゃねェんだけどさ。

けど、今日のは故意でやってたりする。普段のは好意。今日のは故意。似ていて異なるその意味は、俺しか知らない。親父にもマルコにも、誰にも話した事はないし、話す程引き摺ってるわけでもねェ。
それに、知らせたら意味がねェんだ。誰も知らず、誰も意図的にじゃないからこそ意味がある。そうでなきゃ、駄目なんだ。嘘じゃないってわかってたって、嘘の疑いが出るんなら。長い付き合いのクルーの何人かが、特に勘のいい奴らはおれが何かを考えてんのは気づいてんだろうけど、それを問い詰める奴らはいない。
それでいい。それで、いいんだ。


――その人と出会ったのは、ホントに物心ついたって時だった。ジャンキーな父親にファンキーな母親。終わってんじゃねェのと思うくらいの周辺環境。島の治安も最悪な場所で、おれは産まれた。
けど、父親がジャンキーなんて事が薄れるくらいに島自体が狂ってやがったのに、一人だけ。たった、一人だけ。
まともというか、最早聖母にする思える人が居た。

それが、なまえさんだ。

狂ってる連中ばかりなのに、島の住民は誰一人として彼女を嫌わなかった。不思議な事に、彼女を慕うのだ。他の島から移住してきたわけでもねェのに、あんな島で育ったのに、清純な人。誰もが皆、彼女の前ではただの人だった。狂っても何でもない、人。
おれはその人が不思議で仕方なくて、同時に他の連中と同じように慕った。おかしな事に島の連中は彼女を慕うのに独占欲もなく、酒にタバコに喧嘩にて荒れうってる父親も、なまえさんの所に行きたいと言えば是と頷くのだ。今思えば、おれを通してなまえさんに向けていたと思っていた父親の小さな笑みは、もしかしたらおれ自身に向けていたのかもしれない。親としての、最後の、愛情で。

おれは毎日のようになまえさんの所へ通っては、ただなんとなく眺めていた。そんなおれを嫌がろうとはせず、おれの興味のある話を探っては振ってくる。眺めるだけの毎日が、会話の毎日に変わり、遂にはおれからも話すようになった。
そん時、おれが唯一疑問を抱いたのは、他ならぬなまえさんについてだった。彼女は一切、自分の話をしなかったから。

「なぁ……見てる?」

おれ、コックなんだぜ。


宴から一人抜け出した先、空を見上げて一杯。
気になって気になって仕方なくなった疑問をぶつけたのは、もう全てがどうしようもなくなってからだった。

荒れくれた小さな島は、政府に目をつけられた。そりゃそうだ、荒れてるって事は、その内反政府の奴らが出てきたっておかしくない。幼いおれにはわかんなかったが、後々知った話じゃ、あの島からは海賊よりも何よりも、革命軍に参加する奴が多かったらしい。
おれはその島じゃ少数派の、海賊。けど、今ぐらいになれば革命軍に参加した島の奴らの気持ちがわかる気がした。ただの荒れた海賊でも、野望を持った海賊でもない。海賊じゃ、駄目だったんだ。あいつらは。

産まれた時からおかしな環境で、社会と世界に絶望を抱きながら生きたくせに。

聖母のような彼女に、触発されてたんだ。

救われるような感覚を抱き、世界を恨まなかった。荒れた心を持ち合わせながらも、やつらは救いを求め、与える事を選んだ。全部全部、なまえさんの心に触れて。

海賊よりもよっぽど良い道だったのかもしれない。人のために、生きることは。何かを変えようとするのは。
彼女は素晴らしかったと思う。そんな方向に、導いたのだから。

けれどそんなものは政府には関係ない。海賊も革命軍もどちらも敵に過ぎなくて、おれたちは邪魔者以外の何者でもない。
いきなりの爆発だって、砲弾だって。何もかも関係ない。荒れくれた島には確かに革命軍や海賊の支部は存在していて、狙う理由は正当。市民を巻き込んだって、事故なら仕方ない。

大勢のやつらが死んでいく中、彼女は綺麗だった。綺麗としか、言い様がなかった。
小さな体に鞭打って、短い四肢を精一杯伸ばして。必死にたどり着いた先にいた彼女は満面の笑みだった。

自分の正しさを貫いて、何が悪い。

儚ささえ感じていた彼女は、そう言って誰よりも先に海軍に歯向かった。仁王立ちして不適に笑った彼女を見て、おれは幼いながらに納得した。
この強さが、慕われる理由なのだと。


たくさんのやつが死んだ。生き残ったやつもたくさんいる。けれど、たった一人の島の輝きは失せた。最初にして、最悪の、犠牲者。

島の誰もが、人だった。政府の去った島には悲しみと涙が溢れ返り。なのに彼女を思えば復讐心など沸かない。ただただ、彼女の意思を継ごうとするだけ。

ガキのおれには、そんな考えはない。


気になって気になって仕方なかった、彼女自身の話。混乱と幼稚さでちゃんと言葉に出来てたかすらわからなかったのに、彼女はおれに、満面の笑みで言ったのだ。

ホントは料理人になりたかったんだよ、って。

自由に生きなさいと言われた。幸せに生きなさいと言われた。それが嫌なら革命軍にでも入りなさいと言われた。馬鹿な事はやめなさいと言われた。
もし破ったら、いつまでも呪ってやると、冗談っぽく言われた。

島を出るおれを止めるやつはいなかった。そんなガキが生きてけるはずなんてないのに、運が良い事におれは出会ってしまった。

彼女のような、強い目をした人に。




なまえさん。見てる?

おれ、コックになったんだぜ。

あんたが意味がないって言った、海賊になったんだぜ。

革命軍と違って、ただ逆らうだけの、海賊に。




呪うなんて言ったからには、呪ってくれよ。そしたらあんたは、空の上なんてただっ広い所にいても、おれがわかるだろ?おれが、見えるだろ?

空と海は両方広くて、互いに姿を見つけんのは難しい。だったら、そっちが見つけてよ。小さなおれに、ひかりを差し出したように。

呪って呪って、会わせてよ。たった一言でいいから、伝えたいことがあるんだ。


おれを庇って死んだ、あんたに。






この五月蝿いくらいの声は、空には聞こえてんの?

いっぱい逆らって、自由だけど自由じゃない生活。

あんたが儚く笑った理由の、命を粗末にする事。

呪われてでも側にいて欲しかったから。

忘れる事は出来ないから。

でも、叱られる勇気はないから。


貴方の命日に、おれの大事なものの声を、届けるよ。


たったひとつだけ、守った言い付け。







―――おれ、しあわせだぜ。

 
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