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ファスト・キス


 
おれ達は一応、家族だ。

けどいくら家族って言ったって、人の好き嫌いってのは誰にだってある。それも長く接していれば、少しは相手の良いところも見えてくるもんだが、生憎そうなることがかなわなかったやつが一人、この船にいる。なんでかそいつは誰とも深入りしようとはせず、業務的な態度しか取らず、親父にすら警戒するようなやつだった。なんでそんなやつがうちの船で親父の娘やってんのか知らねェが、親父はあいつのことを気にすんなというからおれも今まで気にしないでいた。他のやつらの文句も、おれは止めてきた。おれも、あいつのことはわかってないのに。


「マルコ隊長、キスする箇所によって意味が違うって知ってますか?」
「…あ?」

おれは暫く言ってる意味がわからなかった。誰かと馴れ合わないなまえが所属出来たのは一番隊だけで、つまりはおれ以外のやつらがこいつを投げたわけだが、おれ自身もこいつと話したことなんかそんなにない。あっても必要なこと、作戦だの報告だのの時だけだった。
――そのなまえが、突然なにを…。

おれは意味を理解するのに数秒かけ、その意図を考えるの数秒使い、またなんて返すかを数秒悩み、

「知らねェよい」

これだけ返した。
言ったあとに、もう少しなにか良い返事の仕方があったんじゃないかとも思ったが、どう答えても変化はない気もした。しかし、なまえと業務的な会話以外の日常的な会話をしたのも初めてだったから、もしかしたらこれがきっかけで何か少し、こいつに深入り出来るんじゃないかと考えたのは嘘じゃない。
これで会話が終るのではないか、というのも一瞬危惧したが、なまえは特に気にする様子もなく口を開いた。元からおれの回答はどうでも良かったんじゃないかと思うくらいに。

「二十二箇所、意味があるそうです。唇は愛情、頬へは親愛…といった具合に」
「……ほー」
「キスというものにさして興味はありませんが、そういった意味が込められているのなら、それはまた美しいものだと思いません?」
「…美しいかはさておき、まぁ、悪くはねェとは思うよい。伝わるかはわかんねェけどな」
「そうですね。だから、良いんですけど」

そう言ってなまえは少し笑った。おれに向けられたわけでもない笑顔だったが、なまえの笑顔を見たのもそれが初めてだったから酷く印象に残った。
結局、会話はそこで途切れ、なまえの笑顔を見ることも、もうなかったのだが。









「あれ、マルコなにしてんの」
「…見りゃわかんだろい」
「本?なにそれ」
「さぁな」
「教えてくれたっていーじゃんかよ」

つい最近入ってきた弟を軽くあしらう。最初に比べれば随分大人しくなったものだなと思った。
――普通はこうだ。こうやって打ち解けるものだ。
エースが入ってくるよりもっと前のことを思い出して、無意識にそう思った。

「なぁ、エース」
「んあ?」
「キスの場所によって意味が違うって、知ってるかよい?」
「…はぁ?」

なんだよ急に、と顔が訴えていた。おれもそうだったのかと思うと、なんだか笑えた。




なまえの笑顔を見る機会が、もう一度だけあった。爆発と悲鳴が響く火の海を目の前にして、おれの隊のおれの唯一の妹は、その中に飛び込んでいこうとした。その火の先には、島を出る門をあけるスイッチがあった。
情けないことにおれは海水を浴びて一切動けない状態だった。けれどその場にいたのはおれとなまえのみ。おれがスイッチを押して飛べば、船も脱出できておれもなまえも助かる。けれど、それが出来ないでいた。だからせめてなまえだけでも船に返そうとしたのだが、なまえは力が抜けて倒れてるおれに「その格好で何を言ってるんですか」と軽く蹴りをいれてきた。火は容赦なく周りを囲んでいく。

「……良いザマですね、マルコ隊長」
「うっ、せぇ…よい」
「その体勢でなにを。私、行ってきますね」
「お前、!」
「隊長。…私、あなたに言いたいことがたくさんあったんです」

近づいてしゃがみこんだなまえは、おれの死角に入って顔までは見れなかった。
けれど、そんなに見たことがないはずなのに、真剣な表情以外の顔を知らないはずなのに、その声だけでなまえがどんな顔をしてるのかがわかった。わかって、しまった。

「手、貸して下さい」
「……」
「言いたいことはいっぱいありました。…でも、時間がないので…察して下さい」

手の甲、掌、指先、腕、頬、髪、瞼、唇。
順にキスをされ、最後に腹にしようとして、やめられた。


「……行ってきます。隊長」

なまえはそう言って笑った。おれが見た二回目の笑顔。おれに向けられた、最初で最後の笑顔。



船は島から出れた。おれも助かった。
なまえが戻らなかったんだ、そう告げれば嬉しく思うやつは当然いなくて、いくらよくわからなかったやつとはいえ船は沈黙に包まれた。


後で親父と呑んでいた時、「キスの場所に意味があるって知ってるか」と問われておれは驚いた。「なまえがなァ、よくその意味を話してたんだ。おれの爪にキスしながら。意味は崇拝だとよ」そう言われてじゃあおれには、とやって気づいて調べた。その意味を知って、後悔した。なんで初めてその話をされた時に調べなかったのか。最後に、何も返してやれなかったのか。雲のように湧き出る後悔の連続に追われて、暫くは何も手につかなかった。

もっと早く、なまえと関わってれば良かった。
話をしていれば良かった。

全てはもう、遅かった。
後悔したところでもう何も返ってはこないのだから。









「……で、結局なんの本なんだよ、それ」
「これかい?本っつーよりは、日記帳だねい」
「日記!?誰の、つか勝手に読んでいいのか?」
「あぁ。持ち主はもういないからよい…開くやつはもういねェんだ」

パラパラとページをめくる。そのページごとの一文にざっくり目を通して、その文字を撫でた。
中に詰まっている文字は、あいつの生きた証。あいつの感じてきたもの。あいつが見てきたもの。
そのほとんどがおれ達のことで、いつ見てたんだよい、と頭ん中で呟いた。

もしあいつが今生きていれば、きっとこの白紙のページには今おれの目の前にいる弟のことも書かれていたのだろう。どう思うのだろう。この愛すべき弟を、あいつは、なんて紡ぐのか。
それが見れないのは少し、残念な気がした。




本にキスを落とす。
本に場所を求めたところで、どこがどこに当てはまるかなんてわかりゃしねェ。

だからこのキスの意味は、おれと、この本だけが知ってればいい。

あいつに届くように。

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