Voral nell Cielo
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くずきり


 窓から入ってきたテニスボールが楽器を壊した。

 え? 野球ボールならまだしも、テニスボール? テニスってホームランするスポーツだっけ? コート内で戦わなきゃいけないスポーツじゃなかった?
 なぁんて、考えたところで事実は事実。後から聞いた話では、テニスボールは意外とよく弾むので、初心者は寧ろぽんぽん飛ばしてホームランさせてしまうのだとか。ああ、それなら仕方ないなぁ。誰だってはじめから上手くいきはしない。出かかった声は全て飲み込んだ。
 季節は春。新入生の季節。新しい風の季節。
 だから、テニスボールが窓に入ってきたことも、仕方ないのだ。
 ボールが楽器に当たるだなんてことも、誰も予想出来ない。意図的じゃない。
 だから。

「…………」

 ──仕方のない、ことなんだ。




「ごめんねなまえ!」
「いやいや、何で先輩が謝るんですか」

 先輩別に何もしてないじゃないですか、と苦笑しながら手を顔の前で振る。深々と謝る先輩は心底申し訳なさそうで、本当に気にしないでいいのになぁと思う。
 朝練という名のミーティングが終わり、昨日のテニスボール事件のことは部内全体に周知されることとなった。内容としては、窓を空けるのはオーケーだが運動部が校舎近くで練習している時は念のため窓から離れよう〜という注意喚起なのだけど。
 そして、さて朝練が終わったなら教室に向かうか、と振り向いたらこれだ。流石先輩。部長を任されるだけあって、よく気がまわる。でも今回はいらぬ配慮だった。
 それに、だ。

「ごめんね、後でテニス部の部長とも話して謝らせに行くから……」
「……いやー、それはちょっと……」

 やり過ぎでは、と言いかけた口を塞ぐ。部長間では色々あるのかもしれんし、遠慮なくボールを投げ込まれるようになっては困るというのも少なからずあるんだろう。
 どうしたものか、と首を捻る。

 (……テニス部からの謝罪なんて、後付けだ)

 確かに、壊れた楽器は私のもので、ボールが当たってから先輩に見つかるまでの間茫然と立ち尽くしてはいたけれど。だからといって、責任の無い人に八つ当たりしたりなんかしないし、先輩が罪悪感を持つ必要はない。
 先輩は自分を責めている。これはただの配慮じゃなくて、先輩が本気で申し訳なく思っているから厄介なのだ。謝りたいのはテニス部ではなく先輩なんだと思う。
 ……朝から難題だなぁ。元々古い楽器だし、誰かに謝ってもらう必要すら無いように思うのに。

「えーと……先輩。テニス部の部長さんに報告するのはいいとして。謝るのは別にいらないですよ。そのー、誰も予想出来ないじゃないですか、あんなの」
「そうだけど……」
「でしょう? だから先輩も気にしないでください」
「でも、窓際に移動させちゃってたの私だし、テニス部が下にいたのも知ってたし。せめて私は、」
「ああ〜〜、成る程。や、あのー、ほんと。そうだとしても、私は全然大丈夫なので。寧ろ申し訳なくなっちゃうので、お願いします」
「……」

 先輩がまた口を開いたり閉じたりと何かを紡ごうとした。が、結局「……わかった」と飲み込んで終わった。ありがたい。
 ズルズル引き摺るようなことではないし、こんな仕方のない事態を大袈裟に捉えてしまう理由は何故か。わかっているから私も反応し辛い。

「……あ、でも今日の練習は予備の楽器になりますよね? マーチあんまり上手く吹けないかもしんないです」
「マーチは元から苦手でしょ、なまえ」
「へへへ、すんません」

 わざとらしく茶化せば先輩も渋々と引き下がってくれた。ほっと息を吐き出す。
 それでいいのだ。
 それで。


***


 ──なまえ。今日も練習しとるのか。
 ──おじいちゃん!

 目を瞑ると、すぐに緑が浮かぶ。周りを竹やぶが囲う、静かな縁側だった。
 唇を震わせることも出来ず、まるで笛のようにヒュコー、ヒュコー、とマウスピースに息を吹き込む、小さな私。楽器の練習だと言い張り、ただ無駄な時間を過ごしていた。
 音は一切鳴らない。鳴らないけれど、私は楽しかった。

 ──いいか、なまえ。上手く吹きたいと思わなくていいんだぞ。
 ──なんで?
 ──それはなぁ。

 だって音楽は、楽しむものだから。
 私がやっていた練習は、結局どこにも繋がらなかったけれど。何も成さなくても、音楽ではあったのだ。





「昨日の楽器の件なんだが──」
「あ、うん。それなんだけど──」

 ……バットタイミングにもほどがあるな。
 はあああ、と深く溜め息を吐き出した。今度の演奏会でやりたい曲のアンケートを提出したいだけだというのに、何故先輩の傍にテニス部の部長さんがいるのか。そして何故ちょうど昨日の話をしているのか。休み時間は限られているが、今先輩の前に出ていくのは難易度が高い。気まず過ぎる。

「悩んでないで最初に提出しとけばよかった……」

 学年で最後に回答した人がまとめてアンケート用紙を部長に持っていくのだ。私は優柔不断とめんどくさがりを発動させていたし、部長は自分のパートの先輩でもあるからいっかと気楽に構えていた。まさか昨日今日で先輩と話すのが気まずくなるとは思いもしなかったのだ。
 いや……まぁしかし、だ。後で仰々しく二年の教室に来られるよりは、今ぱっと出ていってズササとことを終わらせた方が後が楽かもしれない。部長同士で終わる話なら構わないが、壊れたのは学校が所有する楽器ではなく私個人の持ち物なのだから。本人である私に謝りに来られる可能性めっちゃ高くない? うわそれは嫌だ!

「先輩! アンケート持っつ、て、きました!」

 噛んだ。声裏返った。しんどい。

「あっなまえ! ちょうどいいところに!」

 全然ちょうどよくない。最高に最悪のタイミングでしたよ先輩。なんて言えるはずもないので菩薩になりきろうと暗示をかけて先輩に近づく。「今テニス部の部長と話してて……」イタタタ、知ってる、知ってます、胃が痛い。わかっているので話しかけないでください。

「なまえ、テニス部部長の手塚国光くんね。手塚くん、この子が今言ったみょうじなまえさん」

 お見合いみたいな紹介しないで欲しい……あと先輩、紹介の順番が間違ってる、目上の人に先に紹介しないと……。
 今の数秒でキリキリと痛んだ胃を抑えるようにして「二年四組のみょうじです」と会釈した。両手をお腹に置いたおかげでめっちゃお嬢様みたいになっちゃった。恥ずかしい。四組とか言わなくてよかったし。もうやだ。
 手塚先輩も私に合わせてくれたのか「テニス部部長の手塚です」と敬語で会釈してくれた。校内でも有名な先輩が年下の私に丁寧な態度を取るとは。ちょっと意外だった。
 気まずさが加速する。

「昨日はうちの部員が打ったボールが、」
「全然大丈夫です! 古かったので! ノーダメージです! 手塚先輩も部員さんもお気になさらず!!」

 作戦! 言われる前に終わらせてしまえ!!
 よその部の先輩の言葉を遮るのは失礼だろうが、もうほんと秒速で終わらせたかった。そろそろ限界だった。
 気にしないでくださいと言うのだって、案外傷つくのだ。
 手塚先輩は言葉を告げるために薄く開いた口をそのままに、僅かに驚いている、気がした。いいや、中学三年生ながら冷静沈着、大人びている、落ち着いているという言葉がとても似合う先輩だ。私の行動に驚くような要素はなかったかもしれない。冷静にこの状況を分析しているのかも。
 ああというか、手塚先輩からしたらただの体裁だったかもしれない。だって先輩は部長だけど、テニスボールを窓に打ち上げてしまった本人ではないもの。定型文の謝罪と社交辞令の挨拶をして、はいさようなら、この件はこれで終わりですと、簡単に済む話だったのかもしれない。そうするつもりの、流れだったのかもしれない。
 だとしたら私は、いらないことをした。

「じゃあ先輩、アンケート置いときますからね! ではまた放課後! 手塚先輩も失礼します!!」
「あっ、ちょっとなまえ!」

 情けない。だから、逃げるようにして去った。実際逃げたのだ。
 あれ以上あの場にいたら、崩れてしまいそうな気がしたから。
 虚勢だろうと、何ともない自分でいたかった。


「ごめん手塚くん。普段は礼儀正しくて良い子なんだけど……」
「ああ、気にしていない」
「そっか。……多分なまえ、結構ショック受けてるんだと思うんだ。手塚くん達を責めるわけじゃないんだけど、凄く大事にしてたから」

 だから。走り去った後に何を話していたかなんて、当然知るはずもない。

「あのね、あの楽器──」







「いやぁ……良い天気だな……」

 私の心の状態など天気には関係ない。こういう自然によるどうしようもない出来事を見た時、私はただのちっぽけな人間なのだなと思い知らされる。何を感傷に浸っているのかと自分に白けてしまうが、こんな馬鹿みたいな浸り方が出来るのもきっと今のうちだろう。大人はこんなくだらないことで一々足を止めたりしない。
 昼休みに切り替わった教室はそこそこに騒がしく、バタバタと誰かが上履きを床に叩きつける音や、机を移動させグループを作る音なんかが聞こえる。そして何より昼休みなので、当然おいしい匂いが教室を埋めた。
 ぐぅ、と情けなく鳴る自身のお腹の音に、本当に人の情緒を無視する世の中だなと呆れてくる。しかし、それが正しいのだ。どうしたって私は結局いつも通りの日常に戻らなければならないし、私は今朝それを望んだはずだった。
 ……ああ本当に、情けない。
 頭ではわかっているのに、何でさっきは上手く対応出来なかったんだろう。

「なまえ〜、先輩来てるよ」
「えっ」

 不意に横から聞こえた声に、意識が一気に切り替わる。やばい、ちょっと待って、今先輩に会うモードではなかった。焦りながら教室の入り口に目を向けるが、見知った先輩はどこにもいない。ということは廊下か? それはそれで嫌だな、人目につく。というか先輩って誰だろう。

 部長だったらどうしよう、なんて思いながら、私はその不安が愚問であることを知っている。どうしようも何も、私に用のある先輩といったら部長しかいない。先輩は私のパートリーダーでもあるし、先輩が訪ねてくるような心当たりも楽器の件とアンケート不備の可能性と今日の練習のことと、なんと三つもある。いつもなら練習のことしか浮かばないところが、今日は三つだ。今ならお得なセールのようだが、こんなセールはいらない。

 ありがとう、と先輩との中継ぎをしてくれた友人にお礼を言って、渋々立ち上がる。彼女は吹部ではないから、私の心内を察するわけもない。いってらっしゃーいと笑ってくれる姿がとても魅力的な逃げ場所のように思えた。

「はーい、なんでしょ……う……?」

 ──あれ?
 ひょこりと廊下に顔を出してみたのに、予測していて人物はどこにもいなかった。
 キョロキョロと辺りを見渡す。隣のクラスの男子がジャージを引っ張り合う阿呆な光景が見えるだけで、部長どころか吹部の先輩も見えない。なら、誰が私を呼び出したというんだ。

「……みょうじ。此方だ」
「へ?」

 聞き慣れない声だ。音量も大きいわけじゃない。低く静かに響くから、昼休みの喧騒の中にしてはあまりに不釣り合い。聞き間違えなんじゃないかと、疑った。

「…………手塚先輩……?」

 なんで、どうして、部長は部長でもそっちの部長は望んでない。頭が混乱する。やっぱりさっきの休み時間での対応はどこまでも間違っていたんだろう。
 動揺しながら手塚先輩の周囲を見ても、テニス部らしき人はいないし勿論吹部の先輩だっていない。単身乗り込んできたのか。どんな鋼の心してるんだ。ごちゃごちゃ思考を逸らしたって結局上手く心はかわせない。

「堅苦し過ぎて戸惑わせたと、高野から注意を受けた」

 高野とは我らが吹奏楽部の部長であるが、一体何がどうなってそんな注意をした。手塚先輩も律儀に捉えないで欲しい。
 気にかけてくれるならそっとしておいてくれたらいいのに、謝罪が中途半端になったことは先輩の中でもやもやする案件だったということだろうか。鉄火面のような表情からは意図を察することは出来ないが、今度こそ私は謝罪を受け止めるしかないんだろう。じわり、じわりと、うるさかった廊下が狭い箱のように思えてくる。
 真面目に受け取りたくはないのだと、全身が叫んでいる。
 へらりと笑って終わらせてよ、頼むから。でないともう、ぎゅうぎゅうに圧縮した波がパンクして、溢れてしまうような気がするんだ。

「謝罪の品だ。食べられなかったら家族か部活で食べてくれ」

 手塚先輩が僅かに顔をしかめながら、小さめの紙袋を差し出してくる。半ば俯きながら形式的にそれを受け取った私は「常温保存が可能だが、食べる時は冷やして食べた方が美味しいだろう」と説明を述べた先輩につられ、紙袋の中を覗きこんだ。
 そして、包装紙に書かれていた文字に。

「……みょうじ? 」

 堪らなく、耐えきれず。
 泣き出した。



***



 ──おじいちゃんがなまえにって。大事にしようね。

 そう言って私の頭を撫でる母は目元が赤く、私に合わせるように屈む祖母は困ったように私の背を撫でた。
 短い腕じゃ抱えきれないケースを地面につけながら、小さい手じゃ届きもしない楽器を譲り受けたことに、その楽器をくれた人もその楽器の音色を聞かせたかった人もいなくなったことを、理解してしまった。

 これは、祖父が大切にしていた楽器だ。

 私はこの楽器を吹く祖父の横で、一緒に演奏したかったのだ。私が望んだのはこの楽器を譲り受けることではなく、この楽器と、祖父と、並ぶことだった。並んで、二人で、あの縁側で、上手いとか下手とか関係なく音楽を楽しみたかったのだ。
 なまえがこれに見合うほど大きくなったらあげるよ、と言った祖父の見合うとはどれくらいのことを指していたのだろうか。人間性のことなのか背丈のことなのかさえわからない。少なくとも、こんなケースさえ持ち上げられない今の私ではないはずだ。もっともっと、先の未来だったはずだ。

 病院の廊下のど真ん中で、楽器ケースを抱えて根を張る私は相当邪魔だっただろう。
 けれど熱いばかりの目では前は見えず、ぼたぼたと広がり続ける水溜まりから出る気には、毛頭なれなかった。

 

***



「ここなら人は来ない」
「はい、すみません……」

 すん、と鼻を鳴らして目元を覆っていたハンカチを下ろす。タオルを持ち歩いてならわかるが、ハンカチを持ち歩いている男の子って珍しいなと思いながら、またしてもこの先輩に失態を見せてしまったと気落ちした。失態どころか、迷惑をかけている。
 よく晴れた空を遮るように、校舎の影が辺り一帯を覆ってくれる。校舎裏なんて人気がないところまで連れ出してくれたのはいいが、泣いている女子の手を引いて消えたなんて、手塚先輩の評判に影響を与えないだろうか。まぁ何か勘違いされても弁解出来るし、きっと先輩の評価なら誰も邪推しないだろう、多分。

 廊下でボロボロと泣き出してしまった私に、先輩は戸惑ったように名前を呼んだ後、迷いなく手を取った。その際ハンカチを渡され、私の顔を背中で隠すように距離を空けず歩いていた。優しい先輩なんだろう、それがまたどうしようもなく情けなかった。
 外の水道で改めて濡らしてくれたハンカチは熱くなった目には気持ちよくて、喉にせりあがっていた沸騰する心も消化させてくれた気がした。
 泣き止むまで無言で隣に座ってくれていた先輩は、私が手に持ったままだった紙袋から中身を取り出し、私に渡そうとして──私が泣き出した原因がそれであったと思い出したようだった。

「……水分補給にと思ったんだが、」
「や、だいじょぶです、食べます」

 先輩の言葉をまた遮ってしまった。でもこれは先輩に謝らせてはいけないものだからセーフのはずだ。
 取り出した箱の封を切って、中に保冷剤とフォークがあるのを確認する。常温保存可能と言っていたからてっきり生ぬるいのかと思っていたのだが、冷やして持ってきてくれていたらしい。有り難いなと思いながら四個入りの内二つを適当に取って、片方を手塚先輩に差し出す。
 首を横に振られる。

「みょうじに渡したものだ。俺の分はいい」
「そう言わず、どうぞ」
「謝罪の意味がなくなるだろう」
「私も謝罪です。ご迷惑おかけしました」
「だが」
「一緒に食べてください」

 強めの圧を込めて先輩を見つめる。観念したように「……わかった」と折れる先輩にピーチ味を渡して、私は柚レモンを開封した。
 水分でもありデザートでもある。『フルーツくずきり』と書かれたパッケージを眺めながら麺のような細いくずきりを口に含むと、柚の清涼感が広がった。塩分にも糖分にもなるから水分補給と判断した手塚先輩は正しかったな、と横を見たら、手塚先輩もピーチ味を口に含んだところだった。真顔で持たれるピンクのパッケージに、渡すチョイスを間違えたかなと思いはしたが、少し面白く思う気持ちもあったから悔いはない。
 そうして、ちまちまとくずきりを掬いあげながら、私はぽつりと口を開いた。

「……あの楽器、祖父の形見だったんです」

 これを手塚先輩に言うのは罪悪感の上乗せになるのかもしれないが、ここまで醜態を見せてしまったのならもうさらけ出してしまうしかないと思った。
 謝罪の品は、もう一緒に胃に入れている。これ以上の謝り合戦はいらない。

「祖父からあれを貰う日が楽しみでした。祖父と一緒に演奏して、祖父に褒めてもらえるほど上手くなって、いつか私が成長したら、あの楽器を譲って貰えるんだって思ってました」

 でも祖父は私の成長を待てなかった。私は音も鳴らせないマウスピースにひゅこーひゅこーと空気を吹き込むだけで、音を鳴らす姿はついぞ見せることが出来なかった。
 だから私は、祖父の代わりに、祖父の形見であるあの楽器に、私の成長を吹き込んだ。
 あの楽器に見合うタイミングがいつだったのかわからないから、私はあの楽器と共に成長し、あの楽器に見合う私になることを目標としたのだ。

「くずきりは祖父が好きなおやつで、落ち込んだ時はよく一緒に食べていたので……つい、なんか、我慢出来なくて」

 すみません。最後にそう付けて話を終わらせれば、やけに気持ちが晴れやかになっていることに気づいた。日陰が涼しいからだろうか。くずきりがすっきりしているからだろうか。借りたままのハンカチが心地よいからだろうか。きっと、その全部が理由であるし、その全部がちょっと違う。何でこんなに落ち着くのかなとゆるく頭を働かせると、答えは割とすぐ近くにあった。

「葛は秋の七草の一つでもあり、漢方にも使われていた。厳しい環境でも育つことから、根気や治癒を示す植物でもあるらしい」

 手塚先輩が話す言葉に耳を傾ける。葛が健康に良いということは私も知っていた。
 確か、つるを刈り取っても再生するんだとか。根の部分は薬になるし、くずきりも根の部分だったはず。荒れた場所でも育つことやその再生能力の高さから、付けられた花言葉は──

「『芯の強さ』。……みょうじの音色は、それが反映してるんだろうな」
「……私の演奏聞いたことあるんですか?」
「ああ」

 ……えっ? ああ、ではなくて、どこで? 部活の合奏なら私単体の演奏ではないし、個人練だとしても特定されるわけないと思うんだが?
 聞くタイミングを逃して時間が過ぎてしまった。きっと励ますための当てずっぽうだろう、と思えればよかったんだが、手塚先輩はそんなことしないだろうという謎の確信が自分の中にあることに気づいた。私も一方的に先輩のことを知っていたわけだし、もしかしたら知らぬ間に先輩も私のことを認知していたのかもしれない。……いや、やっぱ無いだろ、それは。学年も違うんだぞ。
 解決出来ない疑問が浮かんでしまったが、それ以上に気になっていることがあった。何故こんなに落ち着いているのか、私はついさっき抱えた疑問の答えを出していなかった。手塚先輩の静かさがあの縁側みたいだろうか、なんて思っていたのはあながち的はずれではなかったのかもしれない。

 小さなフォークでくずを掬って口に運ぶ姿が面白い。面白いというか、なんというか。なんだか心がぽかぽかするのだ。それがとても本当に、もう、自分でも呆れるのだが、単純なのだろう、私は。

「先輩、失礼なことを言ってもいいですか?」
「なんだ」
「おじいちゃんみたい」

 不思議な安心感があるんだ、手塚先輩には。

「……先輩、葛の花言葉を他に知ってますか?」
「他? ……根気、治癒、努力、活力、思慮深い、恋の溜め息」
「勤勉ですね」
「そうでもない。店先で見たのを覚えていただけだ」

 ふは、と吹き出して、からからと笑ってみせた。なんだかよくわからないけど、手塚先輩を見ていたら楽しくなってきた。うん、もう大丈夫だ。私がまた楽器を吹くことに──トロンボーンを持つことに、もう抵抗なんてない。
 新しいトロンボーンで、新しい私を作っていこう。おじいちゃんのトロンボーンじゃなくたって、おじいちゃんの意思は、音楽を楽しむ芯の強さは、私はちゃんと引き継いでる。

「私、もっと強くなります」

 太陽が傾き日陰が空の下から消えていく。昼休みの予鈴を知らせるチャイムを聞きながら、私達はくずきりを食べきった。

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