Voral nell Cielo
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君のせい


 ご飯一杯分の栄養価がどんなものか、君は知っているだろうか。


「……いや、知らないけど」
「お茶碗一杯一五〇グラムとしてニ五ニカロリー。たんぱく質、脂質、糖質、亜鉛、鉄分、カルシウム、ビタミンB1、食物繊維が含まれていて、メインとなるのは糖質。つまりは炭水化物のことだね。それぐらいは知ってるかな」
「炭水化物って認識はしてるよ」
「じゃあ炭水化物がどんな役割を持ってるかはわかる?」
「さあ」
「人間の身体を動かすためのエネルギー。体力のこともそうだけど、勿論脳を使う時にも消費するのがエネルギーだよ。何でも摂りすぎはよくないけれど、摂らなすぎるっていうのもよくないんだ」

 はあ。捲し立てるように続けていた僕の言葉が一段落すれば、小さな溜め息が返ってくる。
 うんざりと据わった目で僕を見る彼女に、ごくりと唾を飲みこみ身構えた。

「で?」

 その言葉で僕がどれだけ傷つくか、君は知らないんだろう。


***


 僕が厨房に立ち、彼女の食事を担当するようになったのは顕現して五年が経つ頃のことだった。
 僕は、所謂『問題児』というもので、僕自身は何をしでかしたか全く記憶にないのだけれど、とにかく僕が『今の僕』として目覚める前までの僕の行いにより、政府に預かられる刀になった。……らしい。
 僕には、本丸という帰る場所もなければ、主と呼べる人もいない。知識はあるものの、政府から出たこともないし、所属を答えるなら政府の刀と言うことになるんだろう。だから、強いていうならば、所有者である『時の政府』という組織こそが、今の僕の主と言えるのかもしれない。
 だから、そう。僕の──とりあえずの主と思われる──時の政府が。彼女の食事を作れというならば、それはもう命令と同じもので。

「……僕のご飯、美味しくないのかな……」

 今日も任務は果たせなかった。九割は残されている冷めた膳から、一口だけ摘まんで胃に詰め込む。おいしいとは思わない。僕は味覚機能が麻痺してる。
 幸い、前世のように『前の僕』に染み付いていた習慣の中にご飯作りがあったから、今まで献立に関しては特に苦労もなく作れていた。味付けに関しても、僕にこの係を命じた人が最初に味見していたから、きっと食べられないほどじゃないはずだ。
 だというのに、彼女はいつもご飯をきちんと食べてくれない。

「どうしたらいいかなあ……」

 かなりの少食にして、偏食家。らしい、彼女は。
 僕と同じく、本丸にいない人で、審神者でもなくて、政府の役人でもなくて、『問題児』みたいなんだけど。
 僕にとって、ちょっぴり、ほんの僅かに、一方的に、親近感を覚える人で。
 それ故に寂しい。


***


 ──ねぇ、知ってる? ご飯一杯の栄養価。
 ── お茶碗一杯一五〇グラムとしてニ五ニカロリー。たんぱく質、脂質、糖質、亜鉛、鉄分、カルシウム、ビタミンB1、食物繊維が含まれていて……。
 ──あ、もういいよ、わかった。君には敵わないなあ。


 ……くつくつと笑い声が聞こえる。なんだろう、楽しそうなのに、ぼんやりしてる。
 暗い暗い影の中で、声が聞こえる方向からだけは暖かさが感じられる。不思議。なんだか、落ち着く。

 僕は……夢を、見ている。
 
 刀が夢を見るのか、という疑問が湧くけれど、他ならぬ僕自身が『夢』だと言うのだからそうなんだろう。
 知らない夢を見ている。知らないのに懐かしく感じる夢を見ている。

 ああ、そうか──なんて、単純なことだったんだろう。

 僕の知識は、まるで『前の僕』が最初から当然のように知っていたかのように思えていたけれど、そんなことはないんだ。
 僕が『前の僕』から知識を得ているように、『前の僕』もまた、どこかから、誰かから知識を得たんだ。
 そうか。そうだったんだ。
  お茶碗一杯一五〇グラム、ニ五ニカロリー。たんぱく質、脂質、糖質、亜鉛、鉄分、カルシウム、ビタミンB1、食物繊維が含まれていて、 メインとなるのは糖質。そんなどうでもいい知識のデジャヴはただのデジャヴではないんだね。
 そっかあ。僕は、『今の僕』は、『新しい僕』ではないのかあ。『僕』は『僕』のままになっちゃったんだなあ。

 ぼやり、ぼやり、画面が変わる。
 ぱちん。切り替わって、目が覚めた先は、いつもの『政府の部屋』。
 いつもの、『彼女』。

「……おはよう」
「おはようございます」
「ご飯たべる? ……いらないか」

 ふわふわ、ふわふわ。覚醒したばかりで意識が微睡んでる。
 彼女がぱちくりと目を瞬く。ご飯も用意せず彼女の隣に座ると、無言で俯きはじめてしまった彼女が視界の端に写った。

「びっくりした。知らなかったよ」
「……」
「僕、悪霊なんだね」

 知らなかったなあ、本当に。いつ死んだんだろう。
 ううん、それは刀である僕に使うのは何だか変な話で──そして『前の僕』の記憶がない『今の僕』には、死も何もないわけで。

「僕が『前の僕』と同じ行動をしている限り、僕から『前の僕』は消えきれずにいて、僕は『新しい僕』にはなれないってことでしょう?」
「……」
「人間でいう輪廻転生ってやつなのかな。とにかく君は、僕を生まれ変わらせたくないんだ」
「……」
「でも、一応は折れて、心残りを抱えてしまった僕は悪霊とみなされるわけだし。そうだよね、悪霊が作ったご飯を食べたら、君も現世から離れちゃうわけだ」

 ──うん。それは、とても。

「納得がいった。君にとって栄養価なんて、はじめから意味がなかったんだ」

 僕を繋ぐための手段で、君の生きるための手段ではない。
 ぽたぽた溢れる滴がとても綺麗で、でもその涙が流れる理由が僕じゃないことに──今目の前にいる『僕』のためじゃないことに、胸の奥のほうがざわついた。
 ずるい。なんで。なんて、そんな言葉に押し込めるには、少しばかり重すぎるような。
 だから僕は、ほんの僅かにだけ親近感を持っていた君に、『今の僕』とは何も縁のない君に、こう言うんだ。


「僕が作ったご飯を食べていれば、僕が気づくこともなかったのにね」


 君が『前の僕』じゃなく『今の僕』を選んでいたら、君が手離したくなかった『燭台切光忠』を諦めずに済んだのに。

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