Voral nell Cielo
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ビスケットハウス


 クラッカー様への第一印象は、『なんか頭の弱い変な人がいるな』だった。

 言い訳をさせてもらうと、私は万国生まれではなく外から移住してきた身だ。海賊が治める国と聞けばリスクの方が高そうなものだが、どうせこのご時世ではどこの島にいたって海賊の危険性は高い。それならもういっそ海賊の下に入ってしまえば楽なのかもしれない。そこらの海賊なら信用ならないが、七武海や四皇ぐらい名を馳せている海賊なら大丈夫でしょ、たぶん。というのは建前で、単純にお菓子が好きだっただけである。言い訳おわり。

 さて、お菓子食べまくり生活もとい、安全な人生を送るために万国へ来た私は、もちろん国の常識やお偉いさんなどわかるわけがない。ある程度生活の様子は調べたものの、流石に誰が何島何タウンの何大臣かなどわかるわけもないし、わかったとしても名前で手いっぱいだ。顔なんてよくわからない。

 だから、人の家の前でぶつぶつと独り言を唱えていたクラッカー様は、私にとって完全な不審者でしかなかった。

「……あのー、クラッカー様」
「待て、いま考えているところだ。これは……この部分は、ビーンズを加工したのか……?」
「……」
「ここに嵌め込むとしたら、おれのビスケットの方が強度はあるはずだ。なんだこのデタラメな配置……何を仕掛けた……」

 それは、直接、私に聞いてくれ。
 何でクラッカー様の推察を待たなきゃいけないのか。作った本人が目の前にいるのだから聞いてほしい。というか勝手に上がり込まれ、かれこれ二時間は黙って座っている私の立場になってほしい。喋れば止められ、物音を立てれば眉間に皺が寄せられる。……いや、眉間に皺が寄せられたのは私がココアを緑茶のようにズズズと飲んでしまったから、正気かこいつ?という意味だったのだろうし私もそれはやっちまったなと思ったので悪かったと思う。でも、それにしたって神経質過ぎないか。何が彼をそうさせるのだろう。

「……おかしい。やはりおかしい。これで支えられるはずがないぞ! どういうことだ!」
「…………」
「おい! なんですぐ答えない」
「えっ」

 り、理不尽……。間抜けに口を開けてしまったが変に突っかかれば命の危機だ。忘れてしまいがちだがクラッカー様は偉い人である。例え人の家の床で四つん這いになって隅々を眺める人でも、海賊でこの島を治める大臣なのである。何が引き金になってザックリいくかわからない。私はまだ生きたい平民なのでココアを飲むしか出来ない。……あれ、マグカップが無いな。「一口貰うぞ」おいこら、貰うんじゃない。

「お前がいれるココアは、相変わらず不味いな」
「すみません。こだわりが無いもので」
「信じられないほど不味い」
「ガムシロいれたらわからなくなりますよ」
「おい、やめろ。これ以上不純物をいれるな」

 失礼だな。いうほど変なものはいれてないはずだ。砂糖がなかったからかき氷の元を入れたり、興味本意でタバスコを入れることもあるが、それは全てよりおいしくココアを飲むための探求心からだ。人を味覚音痴みたいに言うのはやめてもらいたい。
 イチゴジャムが溶いてある私の飲みかけのココアを顔をしかめながら飲んだクラッカー様は、パンパンと手を叩いてビスケットを錬成しテーブルに置きっぱなしだったジャムをつけてたべはじめた。何度も言うがココアもジャムも私のものである。食べるな。

「で?」
「はい?」
「あの釜だ。見たところジェリービーンズとマシュマロで出来てるようだが、どういう意図で作ってる。どう考えても熱に耐えきれないぞ」
「まぁ、そうですね」

 クラッカー様がジャムを塗りたくったビスケットを一つ奪い、口に含む。めっちゃうまい。さすが私が見初めたジャム。これはココアにいれても支障ないおいしさ。クラッカー様が帰られたらまたもう一杯入れようと決意した。

「あの釜はですね」
「ああ」
「特に意味はないです」
「……は?」
「意味は、無いです」

 なんかおしゃれかなと思って作っただけだ。実際に使う想定なんざしちゃいない。
 むしゃむしゃとビスケットを食べ進める私をぽかんとしながら見つめるクラッカー様が心ここにあらずといった様子で呟く。「正気か……?」ついに声に出たな。だからといってどうもしないけど。

 正気も何も、私はいつも正気だ。

 クラッカー様が私の家の前でぶつくさ言ってたのは、もう半年も前の話だったろうか。そのあたりの記憶は曖昧だが、とかく引っ越した次の日だったか三日後だったかには現れた。
 人の家を眺める不審者。あー万国生活ミスったわー、移住するとこ間違えたかもー、なんてくらりと倒れるところだった。嘘だけど。衝撃としてはそのくらいという話で。

 曰く、万国の建物は殆どお菓子で出来ており。
 曰く、建物の壁はだいたいのものが、ビスケットで出来ており。
 曰く、移住してきて自力で家を建てた人間は初めてだった。
 ……らしい。

 いや、そんなこと言われましてもだわ。
 万国の常識なんかはわからない。確かにお菓子が好きだとは思ったが、私は家にしたいほど好きなわけでもない。
 ビスケットの壁なんか慣れないし、なんかビスケットって柔らかそうなイメージがあったんだよね。だからお菓子にしなきゃならないにしても、せめてもっと納得出来る素材選びをしたい。あと一人暮らしだから理想の家にしたい。
 という、ごく普通の思いが、クラッカー様的には異常だったらしい。うちの島でいい度胸やんけーみたいなノリだったんだろうか。知らないけど。とにかく興味をもたれ、どれどれどんな造りだ、と眺められたら更に何かが彼のなんかこう、アーティスティックな魂に火をつけたんだろう。わかんないけど。わかんないからもうそういうことにしてる。
 でも、私はいつもただ、適当にやりたいことを気まぐれに選択しているだけなんだ。

「ほんはにかはれへも、わはひはかひないれふほ」
「何を言っているかさっぱりわからん。ちゃんと飲み込め」
「んぐ……私に価値は無いですよって言ったんです」

 クラッカー様が差し出してきたココアを飲むか一瞬迷ってから、元々私のものだしなと気にせず飲み込んだ。なんでシェアしたことを私が気にしなきゃならない。クラッカー様が気にしてくれ。思っても人の都合を察しないこの人が気にするはずもない。
 ココアめっちゃうまいな。天才。と頭の中で称賛しながら返事を待っていたら、一向に何も言葉が来ないことに気づく。ん? と顔をあげてみれば、クラッカー様がぽかりとした間抜け面というか、でも苦いものでも食べたかのような、なんだか奇っ怪な顔をしていた。
 えっ、なに。私も静止して見つめ返す。

「…………おまえに価値があるわけないだろ」
「おいコラ」
「あ?」
「あっ」

 やべっ、やらかした。反射的に出た素直な気持ちがクラッカー様の眉間に皺を作らせてしまった。やばいなー命の危機だわー。軽く考えながら、心臓は間違いなくひやりと震えたはず。この事態はよろしくない。

「い、いやあ。つい」
「つい、で許される言葉か? おれが誰かはわかってるよな?」
「ビッグ・マム海賊団スイート四将星の一人にして、ここビスケット島クッキータウンを治めるビスケット大臣、シャーロット・クラッカー様ですね」
「そうだ。本来ならお前のような者が素顔を見るなんておそれ多い相手。だよな?」
「私が見たわけではないんですが」
「あ?」
「何でもないです。おそれ多いです」

 ええ、やけにぐいぐいくるな。そんな人だっけ。
 いつもなら正気を疑う目を向けられるだけで終わる失礼が、今日に限っては許されないらしい。やはりさすがにやり過ぎたか。敬語なしでおいコラなんて言っちゃえば、そりゃ威信に関わるか。
 どうしたもんか、と頭を悩ませたいところなのに、どうにも集中出来ない。理由はわかっている。クラッカー様がにやついたのが見えたからだ。
 今は真顔だが、確かに一瞬、この方は笑みを浮かべた。絶対良い笑みではない。罰せられはしないだろうと感じたが何か企んでるのは確かだ。うわー、関わりたくない。やだなー何も話したくない。そう思うのにクラッカー様は詰め寄るのをやめない。

「良いことを思い付いたぞ」
「さようでございますか」
「不敬への罰にもなるし、お前に価値を与えられる一石二鳥の案だ」
「なるほど、私の価値についてはお気になさらず」
「おれの仕事の補佐をしろ」
「ぜっっっ」

 たい、いやだ!!!!
 叫びそうになった。どうしてくれる。

 私は平凡な一般人だ。海賊でもなければ革命軍でも海軍でもない。日々をぼんやり生きる市民だ。
 何の因果で、こんな関わっちゃならない人のそばで働かなきゃならん。

「お前のその馬鹿みたいなデザイン力が何をいつどうしてどうやって生まれるのか、出来てから汲み解くより見てた方が早い」
「ぜっっっ」
「ちょうどいいな。週三日でいいぞ」

 ったい、嫌だ……。
 この人への対処はどうしたらいいんだ。もし過去に戻れるんなら家を建てる前の自分に言ってやりたい。家は煎餅じゃなくビスケットで作るんだぞと。

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