躓きの石

 まず何も見えなくなった。
 次に全身の感覚がなくなった。
 今は簡単な魔術も使えない。

 聖杯を握りしめる手に力を籠める。だがこれは本当に聖杯だろうか。そもそもこの手には何もなく、自分の拳を握っているだけではないのか。そんな不安を晴らすように、僅かな骨の匂いを追い求める。

「マーリン……」

 自分の声が遠い。日が落ちるまで耐えてくれるだろうか。言葉が聞こえなければ、私は無力だ。

 怖くはない。後悔もしていない。最初で最後になるだろう召喚を、私は私のために使う。どうしても叶えたくて、唯一叶えられなかった、あの約束のために。

 扉越しに見送った彼らは、無事カルデアのマスターと会えただろうか。きっと聖地の人間はすぐに彼らの騎士道を知り、私を首謀者として敵視するだろう。もしくは彼らを唆した悪だと思うに違いない。そうしてあのマスターは聖地のサーヴァントを味方にし、決戦の舞台に立つのだ。

 挑みなさい、カルデアのマスターよ。
 あなたはこの物語の主人公だ。





 聖都に突入した立香たちは息をのんだ。敵性反応がまるでないのだ。これではスフィンクスが野放しにされているニトクリスの防衛魔術の方がよっぽど危険である。

 だが油断はできない。神殿で誰にも見つからなかったように、そう思わせる術中という可能性もある。そう言ったアーラシュを筆頭に三蔵ちゃんと俵藤太、ハサンの三人──静謐のハサンは同行したがっていたが、呪腕のハサンに「空気を読みなさい」と言われて引き下がった──が無人の庭園に残り、カルデアの三人と円卓の騎士は城内に進んだ。

「微弱ですがサーヴァント反応を確認……セニカさん、ですよね」

 円卓の騎士は誰も何も言わず、ただその足を進める。アトラス院でこの特異点の真相を知ってから、彼らの決心はより強固なものになっていた。

「サーヴァントは第二の人生なんて言うけど、彼女はまさしく生前の心残りを果たそうとしている訳だ。ここまで来ると健気というより執着を感じるね」
『正気の沙汰じゃないのは確かだ。大体テクスチャを偽装するなんて発想がまずおかしいだろう……』

 この特異点の人理定礎値が測定不能な原因。それがテクスチャの偽装だった。

 この世界は敷物の上に広がっている。人間が生活している世界は、かつて地上で暮らしていた幻想種が神秘の衰退と共に移住した「妖精郷」の上に敷かれた布の上に成り立っている。言わば物理法則という糸で編まれた布──それをセニカは再現したのだ。「人理焼却を終えた世界」という敷物を創り、地球を覆い隠した。その結果一人も殺さないまま魔術王の目を欺くことに成功している……もはや魔法と言ってもいい暴挙である。

「妙な聖杯を持っているとは思いましたが……何も気づけないとは、自分が情けない」
「ですが王よ、様子が変だと仰っていたではありませんか。かくいう私も世界を滅ぼすなどセニカらしくないと疑っていましたが」
「奇遇ですねランスロット卿。私も彼女の本意ではないと思っていましたよ」
「私は悲しい……彼女はまたもあらぬ業を背負っている……」
「だから全部ぶち壊すんだろ。元凶が不在ってのは腑に落ちねぇけどよ」
「いえ、元凶は私です。そもそも私がセニカとマーリンを引き合わせなければ──」
「違います、我が王。それは時間の問題でしょう」
「ああそうだ、気が合うじゃねーかアグラヴェイン!セニカが狂っちまったのはマーリンのせいだ!」
「落ち着いてくださいモードレッド卿。了承したセニカにも非はありますし、あの誓いはマーリンも思うところがあるようなので……」
「ハッ。借りモンがなきゃ後悔もできねー癖に」
「それは、そうですが……」

 モードレッドの悪態にベディヴィエールは顔を背ける。
 黙っていたが、やはりそれぞれ溜め込んでいたのだろう。一気に放出された意見はどれも本音だった。

「そういうことか……天才ってたまに不便だよねぇ。隠された真実に辿り着いてしまう」
「ダ・ヴィンチちゃん?」

 セニカはマーリンに何かよくないことを誓ってしまったのだろう。だがそれ以上はわからず、立香はダ・ヴィンチちゃんと円卓の騎士との間で視線を往復させた。

「モードレッド、ベディヴィエール……話しましょう。何が起きたのか、全員知る必要があります」
「父上……」
「王……」

 その秘密を知る者は少なく、円卓の騎士でも三人だけだった。
 歩くペースを緩め、騎士王はただの友人として過去を語り始める。

「セニカは聞いた願い全てを実現してきました。私もこの体のことや姉との不和、幻獣退治など数多く相談しましたが……その度に彼女は叶えてみせましょうと神に誓うのです」

 その光景には心当たりがあるらしく、ガウェインやランスロットも頷いていた。

「どんなやりとりがあったのかは聞いていません。ですが私たちと同じように、マーリンは願いました。私に幸せを教えてくれ、と。セニカはそれを誓いました」
「……クソッタレ」

 モードレッドは歯を噛み、拳を握った。本当はわかっている。誰が悪いか言い争ったって不毛なだけだ。アルトリアは二人が協力すれば国が繁栄すると思ったから会わせただけで、マーリンはただ人間の幸福を知りたかったから願った。セニカだって、マーリンの願いなら何だって叶えようとしたに違いない。

 人心把握が得意なセニカでも、人間の心を持たないマーリンだけはどうしようもなかった。だから気に入っていたのだろう。それが親愛なのか友愛なのかモードレッドにはわからないが、セニカはマーリンを大切にしていた。
 しかし感情をなくし、自分含め全員を平等に扱う側面が色濃くなり──その過程でマーリンは特別ではなくなった。

「今のマーリンは感情を持っています」

 アルトリアの言葉は矛盾していた。夢魔は人間のような感情を持たない存在であり、それは人間と夢魔のハーフであるマーリンも変わらない。

「セニカの幸福という感情を手に入れた……ということでしょうか?」

 ガウェインの推測に、アルトリアは声を震わせなりながら「いいえ」と首を振る。

「セニカは自分の感情を……心を渡したのです。全てではありませんが、そのほとんどを」

 以来セニカは変わらなくなった。元から温厚だったのもあり気づいた者は少なかったが、人間は他人や環境の影響を受け変化していく生き物なのに、セニカはどんな時も変わらなかった。

「民に憎まれても涙はなく、体を刻まれても抵抗はなく、心臓を刺されても悲鳴はなく──異常だと気づいた時には、すべてが終わっていました」

 少しずつ、だが着実にセニカのいる部屋に近づいていく。知られざる真実を紐解きながら。

「対立する民族を団結させたいなら共通の難題を用意するといい」

 ベディヴィエールは懐かしそうに、どこか悔しそうに言った。

「……セニカの教えです。生前もこれで食糧難で対立していた原住民と移民をまとめていました」
「……だから自分を魔女に仕立て上げたのか」

 セニカはモルガンの手下として騎士王の命を狙い、それに怒った民衆によって処刑されたと言われている。だがそれは自作自演の予定通りだった。

「おそらくセニカはマーリンに幸せを教えるために、カルデアの英雄譚を紡ごうとしています。聖地の人間を苦しめる悪を倒し、見事特異点を修復する……そんな王道の物語を見せようとしています」
「…………皮肉ですね」

 トリスタンは別の事実を知っていた。人情に厚い彼は、いつからかマーリンがセニカの側にいるようになった意味に感づいていた。どちらも幸せになってくれたらいいと思っていた。

「心がないから想われ、想う頃には届かない……救われませんね」

 命を使って物語を彩るよりずっと簡単な方法があるというのに、きっと今の彼女は思いつくことも理解することもできないのだろう。

 真実は時に残酷だ。悲劇的でどうしようもなくて、誰も幸せになれない。
 それでも進まなければならない。希望がなくても、何かが変わると信じて。

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