煙競べ

 扉が開く。続いて鎧が擦れる音と複数の足音が微かに聞き取れたが、セニカは立ち上がらなかった。横顔を向けたまま、気づかれないよう目を閉じる。

「そう警戒しないでください。この部屋には何もありませんよ」
「……」

 全員促されるまま、セニカに近づいた。誰も聴覚がまともに機能していないとは思っていなかった。

「教えて。なんで人理を燃やすの」
「……頼まれたからです」

 耳鳴りが酷くうまく聞き取れなかったが、人理と言っているのはわかった。この声はカルデアのマスターだったはず。ならば怒っているのだろうと考えながら、セニカは答えた。

「一つ聞かせてください。どうして私を召喚したのですか」
「偶然ですよ」

 縁を辿って円卓が来る可能性が高いのはわかっていましたが、アルトリアが応じたのは本当に偶然です。

「あなたの墓は掘り返され、死体も燃やされてしまいました」
「座で知りましたよ。上手くいったようですね」

 これはアグラヴェインですね。アルトリアの話を聞かされた日々が懐かしいです。

「誰かの助けを借りようとは思わないのですか」
「自分のためですから」

 人のことは言えないでしょう、ガウェイン。あなたも家族の前では見栄を張っていたではありませんか。

「マーリンの願いを聞いたこと、後悔していますか」
「いいえ。全く」

 あなたがギネヴィアを娶ったことを後悔していないのと同じですよ、ランスロット。

「そうですね……では一番大切な人は?」
「順位などつけられません」

 トリスタンらしい質問ですね。聖人や賢人の称号を貰いましたが、やはりあなたの慈悲深さには敵いません。

「民に断罪された時、辛くはありませんでしたか?」
「痛みなどいくらでも我慢できます」

 愚問ですよ、ベディヴィエール。共に学んだあなたなら私を一番理解しているでしょうに。

「……心を取り戻したいって思わねーのかよ」
「今のままで十分ですから」

 知っていますよ、モードレッド。私の骨を拾ってくれたそうですね。口は悪いけど、あなたも立派な騎士でした。

 耳に神経を集中させ、なんとか答えていく。聖都にいた円卓のメンバーは全員質問したから、すっかり油断していた。これで終わりだと思っていた。

「おや、それは困ったな。せっかく返しに来たのに無駄足だったとは」
「──────」

 視界は真っ暗で何も写さないにもかかわらず、セニカは顔を向けていた。絶対に現れないと思っていた人の声がする。

「誰……?本物は塔にいるはずじゃ……」
「キミが召喚されていたからね。柄にもなく焦って来てしまった」
「召喚……?」

 僅かに聞き取れた単語から話を推測する。

「そういえば、魔術王に妙な封印がかかっていると言われました」
「気づいてなかったのかい?それ、私がかけたんだよ。キミが聖杯戦争に召喚されたら人間じゃ勝てないから……っていうのは建前か。だってキミ、一晩共にしてくれとか言われたらすぐに頷きそうだからね」
「それはあなたでしょう」
「うっ」

 がくりと膝をつくマーリンの肩を、トリスタンが労わるように叩く。

「まあ惚れてなければ嫉妬もされませんよね」
「それもうちょっと早く言ってほしかったな……」

 窓の外では巨大な夕陽が地平線に触れ、夜のカウントダウンを始めている。
 それを見たアルトリアは急がねばならないと直感し、またこちらを見なくなったセニカに呼びかけた。

「私たちは剣を取りません。あなたが言葉を使うなら、私たちも言葉で応じます」

 アルトリアは仲間に視線を送ると、彼らは床に剣を置いた。武装放棄だ。

「あなたを断罪する市民はここにはいません。アトラス院とホームズが真実を教えてくれました」
「……」
「私も杖を置くとしよう。だからセニカ、キミもその聖杯を手放すんだ」
「……」

 セニカは深く考え込むと、聖杯を折ってしまうのではと思うほど強く握った。

「カルデアのマスター。あなたはどう思いますか」

 立香はマシュとダ・ヴィンチちゃんを見た。カルデアも円卓と同じ気持ちだ。血を流さずとも止められる道を探してここまで来た。

「私もセニカと戦いたくない。だから聖杯を渡してほしい」

 セニカは「そういうことですか」と呟くと、また口を閉じた。
 害はなかったとはいえ、たった一人のために世界を巻き込んだのだ。彼女の覚悟を折ることは容易くないだろう。だからダ・ヴィンチちゃんは別方面からアプローチすることにした。

「こちらに戦う気はないが、キミだって戦えないんだろう?」
「え……?」

 万が一に備え立香の隣で盾を持っていたマシュは声を漏らした。円卓の騎士が戦わないというのはわかる。立香もそれに同意した。だが聖杯を持っているセニカが戦えないというのは変だと思った。

「最初に会った時からキミは無理をしていた。魔術王をも欺く魔術を酷使しているんだ、当然さ。既にキミの体はボロボロなんだろう?形を保つので精一杯のはずさ」

 本当にカルデアを潰すつもりなら、城に魔獣や兵士を配置するべきだ。だが実際は無人だった。それは全ての魔力をテクスチャの偽造に奪われているからに他ならない。

「副作用の大きさを見ても尋常じゃない。普通にしているだけで気配遮断ができていたのも、聖地で騒がれなかったのも、この世界にキミの魔力が溢れていたからだ。オジマンディアスの神殿すら侵食するほどのね」

 魔力とは空気のようなものだ。場所によって澄んでいるやら汚れているやらを感じ取ることはあっても、空気があることを疑問に思う人はいない。

「だが最大の問題が残っている。それは『通常霊基でなぜこんなことができたのか』──キミならわかるだろう、マーリン」

 セニカを除く全員がマーリンを見た。

「ロマニ・アーキマン。カルデアは彼女をどう写してるんだい」
『……それを僕に言わせるのか』

 ロマニは喉にしこりが詰まっているような、感情を押し留めた声で報告した。

『サーヴァント反応は微弱……残り香レベルだ。魔力反応も尽きている。これは、魔術回路を持たない人間とほぼ同じ数値だ。現界できているのが信じられないよ』
「……これは私の責任だ。無理矢理サーヴァントの道を閉ざした結果、聖杯は本来のセニカを再現してしまった」

 マーリンは死んで座に迎えられてしまったセニカに封印を施し、さらに伝説を書き換えて弱体化を計った。だがそれが裏目に出てしまった。
 封印と弱体化が相殺され、聖杯は生前と同じ膨大な魔力と利他的な思考を持つセニカを召喚してしまったのだ。

 その真実を知ったアルトリアは、冷静であろうと張り詰めていた糸が切れてしまった。

「う──あ、ああああああああああ!!」

 彼女は床に置いた聖剣を拾うとマーリンに斬りかかった。隣にいたアグラヴェインがギリギリ腕を掴めたのは、ほぼ偶然だろう。

「何をしているのですか、王よ!」
「離せッ!!私はこいつを切る!切らねばならない!何がブリテン随一の魔術師だ!何が幸せになりたいだ!全てを見る力があるなら、なぜ助けなかった!」

 数人がかりの拘束によって振り下ろされた剣はマーリンを外れ、壁を大きく切り裂いた。それが幸運なのか不幸なのか、マーリンにはわからなかった。

「……見ていたさ。セニカが血を流す光景も、火の中で肉が溶ける光景も」
「ならどうして!」
「頭が真っ白になって、ただ見ていることしかできない……あの感情は、なんて言えばいいのかな」

 あまりにも覚えのある感情に、アルトリアは力なく泣き崩れた。

「私は……何もできなかった……っ何が始まりの騎士だ、何がブリテンの王だ……!私は友の弱音も聞けなかった!墓すら守れなかった!受けた恩を何一つ返せなかった……!この気持ちはどこに向けたらいいんだ……!」

 飢饉を発端とする内紛は、セニカの死と共に収束した。食糧を分け合い、今日を生きることが最優先だと和解した。
 だがセニカの無罪を知るアルトリアは、マーリンが抱えてきた死体を見て耐え切れなかった。だからキャメロットの奥に墓を作り、密かに埋葬した。しかしどこから情報が漏れたのか、民衆は「王は自分たちを見捨てる気だ」と反発した。セニカへの敵意がアルトリアにも向けられてしまったのだ。やがて墓は荒らされ、円卓の支持も危うくなり、アルトリアはモードレッドとモルガンと共に隠遁することを決めた。

 これがブリテン崩壊の真相だ。

「わかってる。さっき言っただろう、返しに来たって」

 マーリンはセニカに歩み寄ると、その手から聖杯を抜き取った。ざらざらとした、ありふれた動物の骨だ。わかっているのに、その感触はマーリンの胸を騒つかせる。骨が似合いすぎて背筋が凍るなんて、また新しい感情を知ってしまった。

「やれやれ……不便で苦しくて融通が効かなくて、正直私には手に余るよ」
「マーリン……?」

 目の前にいるにもかかわらず、セニカと視線が絡むことはない。いつまでも定まらない焦点を見て、マーリンはセニカの頬に手を添えた。

「はは……自業自得だけど、ちょっと堪えられないな……キミは最後まで私を見てくれないのか……」

 セニカの体は限界を迎え、指先から黄金の粒子になって空に溶け始めている。元から魔力が尽きていたせいか、そのスピードは早い。時間がない……だが儀式はすぐに終わった。

 淡い光がマーリンの胸元に灯ると、それはセニカの方へ漂い、浸透するように消えていく。

 時間にして数秒の、あっけない最後。これで終わりだ。もうすぐセニカは座に還り、特異点は自動的に修復されていく。

 カルデアの冒険譚はここで終わる。
 ここから先は記録に残らない、一人の失恋の話だ。



 耳鳴りがするほど無音で真っ暗な世界の中で、セニカは懐かしい花の匂いを感じていた。

「……いらないんですか?」
「いや……でもこれでいいんだ。キミを愛せなくなっても、愛していた事実は変わらない。それにあんなに激しい感情、そう簡単には忘れられないよ」

 マーリンは頬に手を添えたまま、上から額を重ねた。涙がセニカの頬に移る。だが涙の温度も、輪郭を撫でる手の感触も、今のセニカにはわからない。

「……私はブリテンに来て、初めて人生が楽しいものだと知りました。できないことを発見して、ようやく私は生きていることを実感できました。特に感情のないマーリンは……都合が良かったんでしょう」

 セニカも泣きながら微笑んでいた。大切な人たちを苦しめてしまったが、マーリンとの約束を果たせたと思うと、不思議と後悔はなかった。

「残酷だなキミは……恋じゃないことくらいわかってたよ」

 夢魔であるマーリンは人の感情がわかる。だから最初からセニカから向けられる気持ちが恋愛ではないとわかっていた。それでも構わないと思うようになった頃には、セニカはマーリンを見なくなっていた。

 身の丈に合わないことを願ってしまった罰だろうか。だとしたら、神はなんて無慈悲なんだろう。

「でも私は、愛することをやめられなかった」

 セニカの体が光となって消えていく。
 それを必死に留めるように、マーリンは強く抱きしめた。

「私はキミと過ごせて、とても幸せだったよ」

 千五百年越しの告白を伝えると同時に、マーリンは重力に従って椅子にもたれた。
 もうそこには誰もいない。空になった聖杯が独りでに転がり、斜陽が地平線に沈んでいく。けれどマーリンは腕の中に顔を伏せ続けた。

 円卓の騎士が座に還っても、立香たちが強制レイシフトしても、マーリンは神に縋るように椅子から離れなかった。

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